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2018年07月31日

国公立落ちて、地元の私立大学へ行った長男の必殺秘策方法!

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「ばばあ2」
以前にもご紹介いたしましたが、長男は国公立の大学を滑ってしまいました。しかし、ばばあの中には浪人をさせる事の選択はありませんでした。

理由の一つは年子の次男がいることと、もし合格しても同じ学年になることで、兄としての立場から大学に行きたくなくなるのではないかとの不安と、自己管理が難しく、継続しての学習ができるかどうかの不安がありました。

1.地元の私立大学(やる気ない大学生活)


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毎日やる気もなく、学校へ行く長男の姿を見た時に、このまま続くのか不安でした。そこで、ばばあの提案は大学に行きながら、2年終了後に編入試験をうけ、希望大学へ変わることです。

そのためにはある程度の学力の継続が必要です。今の私立大学である程度の上位の成績をキープし、成績優秀でないと編入試験は無理なのです。
本人も編入の期待を胸に抱き、日々の勉強にも力が入って行くようになるのです。私立大学の場合は学校の成績が親元に届くので、本当に頑張っているのかもわかります。

元来の性格上、上を目指すことが好きな長男でしたので、日々努力を重ね、大学のテストの点数はどの教科も95点〜100点の間でした。

これなら編入に向けても有利になるのではないかと、考え着実に準備に取り掛かることにしました。



2.地元の私立大学の2年(ばばあに崖から突き落とさせる)


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20歳になった長男に対して、2度目の失敗を繰り返さないために、ばばあのしたことは、「長男のメンタルの弱さを克服!」

メンタルの強化は努力しても中々できるものではありませんし、元来の性格もあるので、究極の方法を使用しました。

ばばあの弟は「タイの国」に数年前から仕事の関係で単身赴任していのです。そこで、往復のタイまでの飛行機の切符と最小限のお金を持たせて、1人でタイに行かせたのです。

生活は弟の知り合いのバンコクの日本料理店でボランティアのバイトをし、食事だけはさせてもらうようにお願いしました。

宿泊は格安ホテルを手配し、言葉もわからない中で一人の生活です。週一度、ばばあの弟が様子を見るために訪問をしてくれました。20日間ほどバンコクでボランティア生活後、田舎の弟の会社でのボランティアで仕事をしながら語学を覚えるなどをし、1か月ほど滞在しました。

飛行場での別れ際の長男は不安いっぱいで旅立ちましたが、1か月後の長男は自信に満ちあふれ、笑顔で帰国したのでした。観光ではない生活なので、タイ人の方との直接やり取りなどで、片言のタイ語をマスターして帰国しました。

言葉も習慣もわからず、最低限のお金で出かけた「タイの国」は長男を一回り大きくしてくれたのでした。その後、編入の準備に入る予定でしたが、学校側も経営をしていく会社と同じなので、学力の優秀な生徒は離したくないようです。

教授の勧めで、交換留学生の候補に上がり、交換流学の為のテストを受けることになりました。合格すれば1年間海外に留学でき、尚且つ中国での学費免除でした。

3年は日本の学校へ行かなくても単位はもらえ、帰国後は4年になることが出来るのです。こんなチャンスはありません。

1か月間の海外生活が長男のメンタルを強くさせたようで、見事合格しました。他校への編入はあきらめ、1年間、中国の大学へ交換留学生として出かけることになるのです。



3.地元の私立大学3年(交換留学生として1年中国へ)


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2年生の1月末に中国へと出発するのです。場所は北京にあったので、不便さはあまりないようでした。各国の留学生も多く、世界各国の方達との交流もあり、年齢もまちまちだったようです。この時の経験が世界の広さを身をもって感じたようです。

会話は殆ど英語と中国語になるので、おのずと英語の学力もついていくようです。社会主義の国の現状と、言いたい事の言えない国、当時はまだ貧富の差が大きかった事など、今までいた自分の置かれた環境の狭かった
に気づいたようです。

当然、いろんな国の学生がいますので、お国柄違いも会食時等には出てくるようです。学校の寮にいたので、休みの日には留学生同士で、中国各地に出かけたりもしていたようです。

中でも感動をしたのは、建国記念の式典を目の当たりにし、自分の目の前で、戦車やロケットが行進している様子は日本では見る事ができません。世界を肌で感じてきたようで、帰国後はとても自信に満ちておりました。



4.地元の私立大学4年(就職活動)


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ちょうど就職氷河期の日本では中国語を武器に就職活動をするのですが、日本はまだまだ出身校で就職が決まる現実を目の当たりにするのです。

多少の中国語が出来ても有名大学出身にはかなわないのです。最終面接までは行くのですが、希望の就職には中々手が届きませんでした。大学という肩書の重要性を知るのです。

就職活動を半年でやめ、再度、中国語を極めるために自分の力で、中国の大学とやり取りをし、中国語と出身大学という肩書を手に入れる事にシフト変更をするのです。



5.再度留学のための受験


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中国での「〇京大学」は文系の最高峰で、中国全土から優秀な生徒が集められます。同じく「△華大学」は理系の最高峰です。

近年の中国の首相は「△華大学」出身で、最近はとても人気があり、中国での立場も高くなります。両校は道を挟んで隣同士にあります。

もともと理系であった長男ですが、外資系のファンド企業に勤めたいという希望もありましたので、経済学部へ行きました。ですから、中国の「〇京大学」を目指すことになったのです。

自分で「〇京大学」へ直接連絡をし、受験資格等を調べるのですが、「〇京大学」の教授推薦がないと受験が出来ないことを知りました。断念するしかなかったのです。 

そして、ダメもとで、「△華大学」にアクセスし、受験資格等を確認したところ、中国語のレベルの上位(英検の準1級)と中国の大学教授推薦、自国の教授推薦が最低の条件で、受験ができることがわかりました。

あくまでも「△華大学」は実力主義だったのでした。長男は努力の人物なので、頑張ってみると言い出しました。しかし不安は常につきまとっていたようです。

そして在学している大学の教授のサポートもあり、以前留学をしていた時の教授に連絡をとり、両国の教授推薦は取れましたが、問題は中国語のレベルです。

過去1年での留学ではそこまでの実力はつきません。受かるかどうかわからずに、中国へ2カ月早く出発をし、聴講生扱いで、「△華大学」大学の寮に入れてもらい、中国語の勉強をし、レベルを上げて受験に向けることにしました。

受験間際にプレッシャーで高熱を出したりと大変な努力を重ね、中国語レベル試験で見事一番上のランク(英検では1級)に合格が出来ました。

やっと「△華大学」の受験資格がそろったのですが、受験で失敗したら日本に帰国しなければなりません。以前のような失敗をするわけには行きません。そして受験の日を向かえるのです。

しかし、今までのようなメンタルの弱い長男ではなく、色々な経験を積んで、辛い思いをした分強くなっていたのでした。

見事「△華大学」に合格し、「語学力」と「学校という肩書」の両方を手に入れる事が出来、中国での学生生活が始まるのです。



まとめ

・大学1年、やる気なく大学に行き始める
・大学2年、メンタル強化をするために、ばばあはライオンの母のごとく崖から突き落とす
・大学3年、交換留学生として中国の大学へ
・大学4年、就職には「語学力」と「学校の肩書」が必要であることを身をもって体験する
・再度 「語学力」を磨く為と「学校という肩書」を得るために、中国へむかう

今は出身校での就職ではないと言われますが、最終面接で選ばれるのは、出身校に肩書があるかないかで、決まるのが現実です。

自分自身の強み(誰にも負けないアイテム)は多い方が有利ということです。それは人生を生きていくのにも言えるのではないでしょうか。そして、若いうちは失敗しても努力次第で他のチャンスが来るのです。諦めない事なのでしょう。

次回、帰国後の就職活動についてお話します。その他、中国留学費用などもブログでお知らせしたいと思います。

2018年07月30日

「総合科」へ行った次男の学生生活は「ぬるま湯」生活!

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「ばばあ2」
ばばあの家は年子で長男、次男とおりますが、「特進コース」に行った長男を見て、自由人の次男は高校受験で2ランク下の高校を受験しました。

ばばあも担任の先生も不本意でしたが、本人の希望重視との事で、「総合科」へ行くことになりました。

1.「総合科」1年の授業
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1年生の授業は殆ど普通科の授業と同じで「総合科」特有の本人に選択させて授業を選ばせる科目は音楽、美術ぐらいでした。ばばあとしては一安心このままの選択で行けば大学受験にも響かないであろうと考えていました。

学校の成績は2ランク落とすことで本人も気が楽なのでしょう。ほぼ苦手科目(暗記)以外は教科ごとの成績は1番か2番で学年全体でも10位から落ちる事はありませんでした。

上級生がいる間、自由人の次男は普通に学校生活を満喫しているようでした。テスト勉強をしていることも殆どなく、何と優雅な高校生活と言いたくなりましたね。







2.「総合科」2年生の授業
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2年生になると必須教科以外の選択科目が多くなります。より一層選択を突き詰めて選ぶことになるのです。しかし、自由人の次男は仲の良い友達と同じ科目を選んでくれたので、他校の普通科とほぼ変わらない選択でした。

2年生位になると学校生活にもなれ、自由人が暴走し始めるのです。学校帰りも遅くなり、土曜日は友達の家に泊まりに行くのも習慣になっていくのです。

1年はお弁当持参でしたが、2年になると弁当を必要としなくなるのです。本人は「途中のコンビニで購入する」と言うのですが、田んぼの中にポツンとある学校で、「どこにコンビニがあるんじゃ!」と、聞きたくなります。

長男の学校と目と鼻の先なのに自宅を出るのは、長男よりも1時間半も後に出ます。本当に学校に行っているのかも定かではありませんでした。

しかし、ある事件で学校に行っていることは確認が取れたのですが、どうも、お昼には学校を抜け出して、学校近くの高速道路のサービスエリアに従業員駐車場たから入り込んで、サービスエリアで買い食いをしていたのでした。

ある事件とは柵を乗り越えサービスエリアに入っていたので、柵から落ちて足を骨折してしまったのです。
1か月間は私が車で送り迎えの毎日になるのです。ばばあの事も運転手ぐらいにしか思っていないようでした。

学校の授業が遅れる事もないので、自由人の次男は全く反省の色はありませんでした。本当に子供の頃から「やらかして」くれる次男でした。



3.「総合科」3年の授業
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「総合科」の場合の進学は初めから国公立を狙うのではなく、「私立大学」や「専門学校」へ行くための学校だったのです。

高校の時から選択授業を取り入れ、専門課程を特科させる事により、より一層大学受験を有利にさせるための学校でした。

ばばあはそんなことも全く知りませんでしたし、気が付いたのは次男が3年生になってからの事でした。突然進路指導の先生からの呼び出しです。

今まで個人懇談で、成績の事に対しては苦言を言われることが無かったので、安心していたのですが、次男も「進路指導の先生から呼び出された理由が解らない」と、言うのです。

進路指導の先生に別室で呼び出されて「○○、お前はふざけとるんか?」の一言でした。ばばあは何のことか解らなかったのですが、理由を聞いて、ちょーびっくり!

次男は選択科目を「絵画」「陶芸」「技術」「音楽」など必須の4教科以外は何処向いて走っているんだ状態の選択でした。先生が怒るのも無理はありません。

次男は理由が解っているのに、ばばあにはとぼけていたのでした。次男が言うには暗記ものが得意でないので、暗記しなくていい教科を選んだとのことでした。ばばあも頭の痛い話です。

その時、進路指導の先生が「暗記を楽に出来る方法を自分で生み出した。」と言っていたので、次男とばばあは教えてくれるものと、身を乗り出し待っていたのですが教えてくれないのです。

いまだ解らずじまいで、12年たっても気になる出来事の1つです。本当は無いのかもしれませんね。
その後、話し合いの結果次男が折れる事になり、「ぬるま湯」から国公立受験コースに行かされたのでした。

しかし、本人は行く気もなく、一向に受験勉強などはする気配はありませんでした。唯一勉強をするのは数学と物理だけでした。理由はずーと1番をキープし続けていたのでしたが、1度だけ2番に落ちた時だけは焦ったようです。

4.センター試験

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センター併願の地元私立大学は合格していたので、国公立の試験は受けないと言い出したのです。もう、担任の先生とばばあで、説得ではなく、「頼むから受験して!」のお願いに変わるのです。

条件は「合格しても、地元の私立にしか行かないけどいいか?」それでも担任の先生の立場があるので、受験をすることになりました。

びっくり、落ちると思っていた次男が「北陸の国公立大学合格!」してしまったのです。通常なら当然その大学へいくのですが、「就活に不便だからと寒いの嫌だから」と理由をつけて、辞退をしたのでした。

泣く泣く、私立に行く長男と、辞退してまで私立に行く次男、その運を長男に分けてやって欲しいと思いました。次男は今までに「緊張をしたことが無い」と言うぐらい図太いのでしょう。さすが自由人!

何処まで行っても自由人の次男です。担任の先生も学年で1名だけの合格者が次男でしたから、立場上は良くなり、国公立辞退には反対はしませんでした。

ばばあも次男を説き伏せる事もせず、地元の私立に行くことは反対はしませんでした。しかし、地元の私立大学の学科は「数学科」何するの?が、また始まっていくのでした。



まとめ

・「総合科」の1年の授業は普通科とほぼ変わりはない
・「総合科」の2年の授業はある程度進路の先を見据えた選択をしていく
・「総合科」の3年の授業はほぼ希望の大学や専門学校へ入る為に有利な選択をする
・「総合科」からは国公立を受験し入ることはまずない

同じように年子で育てた次男ですが、ばばあの予測とは相反してとても自由に生きています。大学へ行っても相変わらずの生活で、大学でもやらかしてくれる次男です。

さて、次男が大学へ行ってやらかいてくれた内容は次回の大学生編にてご紹介します。お楽しみに!

2018年07月27日

私立高校の「特進コース」に行った長男の高校生活!その結末は?

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「ばばあ2」
前回、私立の「特進コース」についてご説明いたしました。学生生活は楽しむどころか、とてもハードな日常でした。そこでどのような生活を送っていたのかをご紹介します。大学受験の結末までをお楽しみください。

1.授業前と授業後の補習



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朝は通常授業の1時間前に学校へ行きます。補習があるのでその時間までには着くようにします。当然、母の負担は増えるばかりです。しかし子供の為に奮闘の毎日でした。

7時間目の授業後には学習室が解放され、先生もいるのでそこで希望者は補習授業を受ける事が出来るのですが、当然帰りも遅くなります。

しかし、授業料が増えると言うことはありません。一般に補修授業のお金を払わなければならないと思われがちですが、長男の学校の場合は授業の一環と考えられていました。

長男の性格上、負担に思わなかったので続いたのでしょうが、自由人の次男では続かなかったのではないでしょうか。

2.成績が落ちると一般のクラス


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前回の説明でもお話をしましたが、一般のクラスに落ちて学校を退学する生徒も出てきますが、殆どの生徒は一般クラスでもがんばっていきます。成績が戻れば「特進コース」に戻ることも出来るからです。

「一般クラス」の場合は「特進コース」よりも授業のスピードが遅くなるため、よほどの努力が無いと戻れないようです。



3.学校と塾との併用の負担


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長男の友達で成績優秀な生徒がいましたが、学校と塾の併用で肉体的にも精神的にも追い詰められて、学校に行く途中で、通学先の駅には降りず長男と二人で1日中ぶらついていたようです。

その日は学校からの連絡をうけた母親から叱られるのが怖くて自宅には「帰らない」と言い出しました。早朝に自宅へ送ることを条件で、1泊我が家に泊まることになりました。

学校側も親も、子供の為と思い一生懸命ですが、子供の負担は相当なものです。特に両親の期待が大きいほど大変なのかもしれません。

その子以外にも学校や親から逃げ出して、我が家に連泊した子もおりました。

長男も学校を数日間、登校拒否のように行かない事がありましたが、上記の子供達とは違い、通学途中で大学生の女性から「プチ 西郷どん!」と呼ばれて、学校に行くのが嫌になったようです。

原因が原因だけに、親としては対処法に困りましたね(笑)
結果、おばあちゃんが「一緒に学校へ行く!」と、言い出しました。子供にとってはそちらの方が恥ずかしかったのでしょう。次の日から学校へ行きました。

4.大学受験の学校選び


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3年生の夏休みからは殆ど模擬テストがなどが多くなり、模擬テストの結果で受験する学校もほぼ決めます。受験する学校の偏差値や合格圏内かどうかなどを検討していきますが、私立の場合は冒険をさせる事はあまりないようです。

私立の大学をセンター併願で受験する場合の、私立大学は多少冒険をさせる受験はありですが、国公立の学校選びは模擬テストの「合格圏内」でないとランクを落とさせます。

高校受験と同じで、私立高校の場合は今後の高校受験生に対しての合格率も学校選びのポイントになりますので、大学受験の学校選びに対しては慎重です。

5.合格圏内と言われた長男


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センター試験の数日前から胃腸風邪になり、当日も体調不良のまま受験をすることになりました。体調管理には十分気を付けていたつもりでしたが、精神的なプレッシャーと日々の疲れが重なってしまったようです。

しかし、センターの結果は何とか合格圏内でしたので、希望校の受験をすることになりました。
私立も希望校と万が一の地元の大学の2校とも合格していたので、少しは楽に受験をすることが出来たのです。

しかし、しかし、ありえない事が起きたのです。テスト当日「受験票」を忘れました。もう本人もパニックを通り越して、この世の終わりの様にテストの内容も頭に入らない状態だったようです。

精神的に強ければ冷静に受ける事が出来たかもしれませんが、それ以前の問題でした。長男の受験はこれにて終了!

ランクを2段階下げても2次試験に合格することもなく、年子の次男がいるので長男には浪人ではなく、編入試験を進め、不本意ながらも地元の私立大学へ行くことになってしまいました。

その時はさすがに慰めの言葉もありませんし、大学スタート時には嫌々学校へ行っていたのが事実でした。



まとめ

・授業前と授業後の補習の負担は相当にきつい
・成績が落ちると一般クラスへ落とされるが、成績が優秀なら「特進コース」へ戻ることも出来る
・学校と塾との併用は精神的にも肉体的にも逃げ出したくなるようだ
・大学受験の際、私立の高校は国公立大学の受験選びは、合格圏内でないと受けさせない
・合格圏内と言われた長男は受験票を忘れて、受験に失敗

長男の場合の受験失敗例です。どんなに頑張って合格圏内といわれても「受験票」を忘れると言う漫画みたいな事件を起こしてくれました。

当時は相当まいっていました。勉強だけが出来ても基礎的な生活が出来ていなかったのです。勉強だけをしていれば良いと言う育て方をしてしまった、ばばあも原因の一つと思います。

今後この失敗を長男がどのように変えていくのかを記事にしていきますのでお楽しみにしてください。






2018年07月24日

私立高校の「特進コース」の内容を公開!これが「特進コース」だ!

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「ばばあ2」
中学の担任とのトラブルで、私立の「特進コース」へ進んだ」長男ですが、本当は中学生活が楽しくは
なかったようです。今まで塾での勉強漬けの生活の方が長かったからで、充実していたからでしょう。

では私立高校の「特進コース」の生活内容をご紹介します。

1.朝の授業前に補習授業

毎日、1時間前に補習授業がありますが、ほぼ全員が参加します。通学に1時間ですが、初めから大学受験をするための学校の様です。

ですので、自宅を出るのは6時半です。学校には8時までに入らなければはりません。

2.部活動はありません
スポーツ推薦で入った生徒以外は部活動は一切ありません。その代わり授業は7時間授業になります。その後、希望者や塾に行っていない生徒の補習授業(自習)が1時間ほどあり、生徒だけでなく、先生もついて下さるので、わからない場合は質問等に答えていただけます。

3.毎日のようにテストがある
授業は前日の豆テストから始まります。その後1時間目が始まります。普通の中間テストや期末テストなどは必ずあります。

テストの順位は学校の廊下に張り出されます。席順は成績順に座ることになります。メンタルの強い子供や、上を目指したいと思う子は、一つでも前の席に行こうと頑張ります。

勉強漬けで、辛いと思う生徒は学校を早めにやめてしまいます。1学期のうちに数人は学校を辞めますが、それ以降、学校を辞める生徒は殆どいません。


4.夏休み、冬休みの生活

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夏休みは、日曜日とお盆以外は毎日補習授業があります。
冬休みは正月を含め4日間以外は補習授業があります。それは1年生から始まります。夏休み、冬休みは休みとはいえません。

5.学習塾へ行く時間がない
初めの説明会で、学習塾へは行く必要がないことを伝えられます。塾へ行く時間がありませんし、授業後の補習や長期休みの間でも補習授業が学校の授業と同じようにあるので、行く時間がありません。


学習塾に行くためには補習授業を休まなければならなくなります。授業料が高くても補習授業等の充実が塾へ行く必要がない理由です。

本人はもとより上記のような生活をしていたので、疑問も感じず補習授業に参加していました。

6.学年末のテスト

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学年末にテストがあります。そのテストの結果により、「特進コース」から「普通コース」に落ちてしまいます。「特進コース」についていけない生徒は「普通コース」の授業に変わります。



まとめ
・朝の授業前に補習授業がある
・部活動はない
・毎日テスト後に授業が始まる
・夏休み・冬休みは補習漬け
・学習塾へ行く時間がない
・学年末のテストの結果により「特進コース」から「普通コース」に落ちる

以上のような内容が、私立高校の「特進コース」です。私の友人が中学の教師をしていますが、私立高校の「特進コース」は塾に行く必要がなくなります

十分学力がつくので公立高校よりも長男の性格に合っているのではないかとアドバイスをもらいましたが、言われた通りでした。経済的なことなども考えると、公立にこだわるのではなく、このような選択肢もあることに気づかされました。


2018年07月18日

「総合科」て何するの?次男が選んだ受験先は「○○総合高校」

「ばばあ2」
長男の時は先生とバトルを起こし、次男の時は3者面談で親子のバトルになってしまいました。間に入った先生はたまったもんじゃありません。

ばばあは次男から突然「○○総合高校」を受験すると言い出され、何をする学校なのかもわからなかったのです。


1.自由人の次男の考えている事

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とにかく楽をしたいのが次男でした。なぜその学校を選んだのかは定かではありませんが、一言「勉強しなくてもトップでいられるから」でした。

「なめとんか!」機関銃の様に怒りまくるばばあを尻目に「決めたから」の一言です。とにかく楽する事と自由でいる事がもっとうの次男は何を言っても聞きません。

とにかく次男は野良猫のような自由人で決められた事に従うのが嫌な性格です。いつも「ふわふわ」あてもなく出かけるのが好きな性格なのですが、ばばあとしては負けてなるものかと踏ん張りとおしました

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2.総合学科とは
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1年生は普通科の授業と同じで2つだけ教科を選択して選ぶ学校の様です。今だにばばあはよく解ってないのが本当です。

2年生になると選択する教科が増え、商業科・美術科・普通科などと分かれていきます。結局選んだ教科は普通科だったので、初めから普通科の学校へ行けばよいのにと思いました。

3年生になるとより一層、教科の選択が分かれます。美術の場合を例に上げたら、絵画か陶芸かに分かれたりします。必須科目以外は殆ど選択し、教科を選びます。大学のように自分で授業を選択させる自由な高校で、大学の高校版が「総合科」と言われているようです。



3.中学の担任の先生は頭を悩ませる

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今まで総合科に入った生徒はいなかったので、先生も次男に対して「もう少し冷静に考えよう。」でした。ばばあに対しても「お母さん冷静になりましょう。」「もう少し時間を置いて考え直しましょう。」でした。

何度と面談をしても次男は考えを変える事はなく結果、ばばあが折れる事になりました。ばばあは年子の息子2人なので、2年連続学校でバトルを繰り返すことになるのです。



4.公立高校の2校目は普通科

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先生との話し合いでもう一つの受験校は普通科の先生おすすめの学校に決まりました。ばばあの中ではもう1校の方に行ってくれると良いと思っていたのですが、第1希望校が受かった場合はそちらが優先されるので「総合科」に行くことになるのです。




まとめ
・とにかく学校に行くのは子供です。親の押し付けでは学校は決められません
・今では当たり前になっている「総合科」当時は海の物か、山の物かがわかりませんでした。
・選択教科により普通科と同じ授業を選ぶ人が多いようです。
・選び方が違っても、商業科の勉強が多くなる程度のようです。

どこで、「○○総合高校」を知ったのかはわかりませんが、総合科になって1,2年しかたっていなかった当時、先生もばばあも不安しかない受験でした。

当の本人は楽する事しか頭になかったようで、ここなら知っている生徒も殆どいないから自由でいられると思ったのでしょう。子供の頃から手を焼いた次男ですが、やはり受験でも手を焼きました

2018年07月17日

高校受験で担任とバトル!希望校の受験が出来ず私立高校へ入る事に!

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「ばばあ2」
子供が中学3年生になると、高校受験に向けて、お母さん達は子供の学力を少しでも上げようと悪戦苦闘をする毎日ですよね。

ばばあも例外なく夏期講習へ行かせ、親子で頑張ってきたつもりでした。しかしこの先思わぬ結果を招くことになるのです。

1.夏休み
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家族で夏休みは旅行に出かけたりしますが、中学3年生にとっては夏休みが受験の勝負になるのです。9月のテストが高校選びの一つのターニングポイントにもなるのです。

通常なら2学期の成績で高校を選ぶのですが、ばばあの住んでいる市町村は2学期制の為、1学期の成績で高校選びをすることになるのです。ですから、夏休み明けのテストがすべての運命を決めてしまいます。

他の市町村でも2学期制を取り組んだところもあったようですが、メリット無く、他の市町村と違い、テスト期間も違うので、部活の大会とテストが重なったりして、子供に負担がかかるだけでした。結果、旅行へ出かけるどころではなかったのです。




2.公立高校は2校受験できる
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ばばあの県ではいつからか、公立高校を2校受験できるようになったのです。その分、1校は冒険できるのですがもう1校は2レベル位下げた高校を受験する人が多いようです。私立高校も公立高校も2校受験する人が殆どで、中には私立高校は1校のみの生徒もおりました。

ばばあが高校の時は1校しか受験できず、担任の先生が安全なところを進めてほぼ98%は合格するのですが、2校受ける事で公立高校の合格率が下がり、高校受験で失敗する生徒も多くなってしまいました。

ばばあ達の時代は「中部地区の統一テスト」がありました。高校受験は「中部地区の統一テスト」の結果から判断していたのです。時代が変わり、高校の選び方も変わってきたのでした。

「ゆとり教育推奨」の市では「模擬テスト」のようなものが全くないので、高校選びの基準は塾での模擬テスト以外ないのです。1学期の成績での調整ですから、2学期で伸びても反映されてこないのが現実でした。



3.塾の模擬テスト
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塾の模擬テストでは「○○高は合格圏内、△△高はもう一息」など偏差値が出されます。初めから遠くの高校へ行く予定ではなかったですが、ある程度の希望はあるようでした。

なるべく近くで、通学に負担が無く、1ランク下の高校を受験する予定で進めていたのでした。塾の模擬テストの結果が伸びてきたのと、塾の先生も太鼓判を押してくれたのもあったのでしょう、突然遠くの高校を受験したいと言いだしたのです。


4.担任の教師とのバトル
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12月にはほぼ生徒の受験校は決まり、12月末に学年全体の調整会議をするそうです。なるべくは合格できるように調整するのが決まりだそうです。

受験校の調整会議の話は他の教師から聞いていたので、調整会議2日前に受験する高校を変更したいと申し出ました。しかし、受け入れてもらえませんでした。

理由は「どの生徒もほぼ合格できる状態まで調整してあるので、ここでお宅のお子さんが希望校を変える事で高校を滑る学生が出てきてしまうから困ります。」でした。

後に聞いた話は特に私立の場合、成績優秀な生徒と出来ない生徒の抱き合わせで受験をさせているこのことでした。「何名優秀な生徒を送るので、こちらの生徒も引き受けてください。」と以前からの約束事があるそうです。

結果、希望校の変更は上記のルールを破ることになるので、出来ないとの返答だったのです。そういった裏事情が解らなかったので、ばばあは担任にお願いするしかないと思っていたのでした。

長男は「は、希望校が受けられないの?」「今まで頑張ったのは意味ないじゃん!」と息子は納得がいかない様子でしたが、内申に響くといけないので、この辺りで希望校の変更を諦めました。



5.公立高校の受験をしない
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結果、息子の出した答えは「希望校にいけないのなら公立高校の受験はしない」でした。親としては私立高校と公立高校では授業料の違いがとても痛いのですが、もうやる気のない息子に希望校以外でもがんばれとは言えませんでした。


たまたま、私立の特進クラスが合格していたので、そこで頑張るということになりました。本人は納得がいかないまま卒業を迎える事になるのです。
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まとめ

・中学3年の夏休みが受験に対してのターニングポイントに当たります。
・愛知県の場合は公立高校2校受験、私立高校2校受験が当たり前なのです。中には私立高校は1校の生徒を折ります。
・県の全体でのテストが無く学校選びの基準が曖昧に感じました。頼りは塾の模擬テストのみです。
・学校側は学年全体で合格できる様に調整するので、希望校の変更は難しいとのことでした。
先生には生徒に言えない裏事情があるのです。

一生懸命勉強してるだけではダメなのです。早めに希望校を決める事が良いでしょう。一番重要なのは大学受験に向けた高校選びかもしれません。

高校により大学受験対策がしっかりしている高校もありますし、自主性を重視する学校もあります。早めの見極めが肝心なのかもしれません。

2018年07月15日

中学生からは個人塾から超有名塾へ!以前から入塾生との差!

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「ばばあ2」
中学生からは個人の塾から超有名塾へ変わりました。理由は以前の個人塾は小学生までで、中学生の授業は行っていませんでした。

では、どの塾に入るか悩むところですが、以前の塾の先生が夏季講習や冬期講習で私立中学受験生に対して併用させていた、超有名塾を勧められた事です。そしてその塾は自宅から歩いて10分と同じ学区内にあったことが理由です。

1.入塾テスト
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入塾テストは一般的な塾と同じで子供自身がテストを受けます。その後、結果次第では他の塾生との差がある場合は入塾できません。

生徒のレベルに合った塾へ入って下さいと言われます。長男はなんとかクリアー出来たので入塾を許可されました。



2.授業料の料金も超一流
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入塾を許可されたのですが、料金の高さにびっくりしました。
年間の授業料は750,000円程度に参考書、夏期講習、冬期講習の料金がかかります。


私立高校並みの料金がかかるのには驚きましたね。私の給料がすべて子供の塾の授業料で飛んでいくのです。
今から15年前の事です。高収入の家庭か、共働きでないと払えない金額でした。私は仕事を辞める事は出来なくなりましたね。



3.小学生のころからの生徒との差
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個人の塾で学んだ長男ですが、やはり小学生のころから入塾している生徒との差はあったようです。この超有名塾は小学生の間に、中学生の問題を殆ど出来るぐらいのレバルにもっていきます。他の生徒についていくのがやっとで、追いついたのは1年の冬ぐらいの時期だったようです。


4.塾の内容
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初めから難関高校への入試に向けての授業で、中学1年の時にはほぼ中学生の問題は出来るようにします。より上の問題をやらせて、受験対策を中学1年から始めているようです。

当然模試が何度もあり、自分のレベルを常にチェックしているようです。相当レベルの高い授業を受けていたので、長男の中学での成績は1桁台でした。



5.次男は他の塾へ
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料金が高い為と,色々な塾ができた事が理由で、料金が高い超有名塾は長男の学年が卒業すると、私たちが住んでいる地域からは撤退しました。そこで、次男は他の塾へ行くことになりました。中学校の隣にある塾へお世話になりました。

当然、入塾テストもありますが、料金も平均並みで至って普通の塾です。近隣地区に5店舗ほどある塾でした。とても次男の性格には合ってはいたのですが、この塾では同じ学校の同級生が多い為、タガが外れたように「自由人」を発揮しまくるのです。

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そして、学校の授業に遅れる事は殆どありませんが、トップを取ることはありませんでした。運動系は部活の負担も多かったようで、成績はだいたい全校生徒の1割に入る程度でした。



まとめ
・入塾テストは生徒のレベルに応じて受け入れていただけない事もあります。

・超有名塾は授業料も超1流の料金でした。

・小学生から入った生徒との差があり、追いつくまでに半年以上はかかります。

・中学1年生から難関高校向けの授業が始まっています。

・次男は地元の普通の塾で和気あいあいと授業を受け「自由人」を発揮し続ける3年間でした。

・部活選びにより体力的負担がかかる場合も多いようです。

塾選びは本当にお母さん方が悩まれることでしょうが、周りの環境になじめるかも選択肢の一つではと思いました。ただ、なれ合いになってしまうと競争心が芽生えないので、それも考え物かもしれません。
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きっと次男が長男と同じ塾へ行ったら途中で挫折していたのかもしれませんし、結果はわかりませんが、毎日の事なので嫌になっては続きません。ですので、とりあえずは自宅近くの塾を選んでいました。

子育てにはお金がかかるものと思ってください。以前聞いた話ですが「子供の学力=親の年収」と言われる時代なのです。次回は波乱を呼んだ、高校受験について書いていきたいと思います。

安心してください、ばばあの息子たちは早くから何度も失敗しています。引きこもりもなく、挫折する事には強いのかもしれませんし、普通に仕事しています。

2018年07月12日

小学4年生からは公文式から学習塾へ代わる子供が殆ど!個人塾の場合は?

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「ばばあ2」
ばばあの場合も例外なく、「○○君は△△塾へ入ったよ」とか「みんな行ってるよ」の言葉に惑わされ、公文式から通常の学習塾へ入れる事になりました。

ここで悩むのは「有名塾」か「個人の少人数塾」かのどちらへ入れるのかです。ばばあは仕事をしていたので、なるべく自分も、子供も負担が少なくなる事を優先しました。そして、歩いて3分ほどの「個人の少人数塾」へ行くことになりました。

1.入塾テスト
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通常どこでも入塾テストがあるとは聞いてましたが、子供達が入った塾は入塾テストを受けるのは子供ではなく親なのです。

「へ、そんな話聞いてないよ。」ばばあ高校しか出ていないので学歴も知識もありません。「落ちたら私のせいになるじゃないの!」面接日までの数日間はドキドキ、ハラハラの日々を過ごしたのです。


女性の先生で元は中学の数学教師、ご主人も現役の教師のご家族です。女性の方ですが、見た目は失礼ですが「鬼瓦に似ている」こわもての先生でした。

何をするのか、何を聞かれるのか心臓が爆発しそうでした。面接で聞かれた内容と言えば出身地と家族構成、どんな子供かなどを聞かれました。他にも聞かれたのですが、ただヘラヘラしていただけでした。頭がパニック状態で覚えていないのが現実です。

ばばあから「先生に子供の入塾テストはいいのですか?」と質問をしたのです。答えは「教えるのは私一人なので生徒は10人以上入れません、親を見れば子供はわかりますから、私の気に入った親のお子さんしか入れません。」でした。

後から他のお母さんから聞いた話ですが、「何人も落ちているし、大島塾と言へば地元で知らない人がいないくらい有名な塾だよ! 知らないの? 難関中学へ行くなら大島塾と言われるぐらいだよ!」

ばばあは地元出身ではないので全く知りませんでした。ちょーびっくりの塾で「伝説の大島塾」と呼ばれていたのです。何とか塾のメンバーに入れていただくことが出来、ホットしました。

2.授業内容
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教科→算数、国語、社会、理科(社会と理科は週1回)6年生は週1回英語が入ります。

塾の日数→月、火、木、金、土の5日間のハード授業です。(4年生は4日間だった覚えです。)

月謝→20000円か25000円だった覚えがあります。

時間→19:00〜21:00ですが、延長ありです。出来ないと帰れません。

生徒数→学年全部で10名前後の少人数です。

受入学年→小学校4年生〜6年生までしか入塾出来ません。

模擬テスト→6年生になると他の塾で模擬テストを月に1回は受ける事になっていました。

夏休みの授業→朝7:00〜9:00までと夜19:00〜21:00の1日2回ありました。
4時間の授業でも月謝は変わりません。先生もハードでしたが子供もハードな夏休みを過ごしました。

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宿題→宿題は一切ありませんでした。その分、塾での授業が濃厚だったようです。

教科書→超有名な学習塾と同じ教材を使用されていたようです。

授業→暗記が中心の授業で、支持された暗記が出来なければいつまでたっても帰る事が出来ません。

中学受験をする生徒に対して→超有名な学習塾の夏期講習や冬期講習の併用を進めるのです。

算数は特に力を入れていらっしゃったようで、小学校を卒業するまでには中学2年、3年レベルの数学を教えて頂いていたようです。

子供が「数学は大島塾で習っていたところが中学の授業でやっているから簡単だよ!」と聞かされた時はびっくりしましたね。

3.親への決まり事
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・子供が塾から帰るまで親は食事をしないで待っている事です。子供が頑張っているのに親だけのんびりしていてはいけません。そして、必ず子供と一緒に食事をしてください。と、初めに言われました。

・夏休みは暑いと集中できないので早朝と夜の2回行います。しかし、必ず朝食を食べさせてから塾に行くことでした。
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今思えばちょースパルタだったかもしれませんが、長男も次男も「ゆとり世代」の子供達なのでちょうど良かったのかもしれません。


まとめ
・子供の入塾テストはありません。しかし親の入塾テストはあります。

・授業内容は超ーハード、先生はすべてを子供の学習に捧げていたような方でした。

・親に対しても子供と同じぐらい厳しい方でした。

他の学習塾とは一風か変わった学習塾でしたが、子供達曰く「大島塾のおかげで中学の算数の授業は楽だった。」と、言っておりました。

自由人であった次男も「伝説の大島塾」へ行くようになってからは少しずつ問題行動を起こすことは無くなりましたが、社会に出たらまた「自由人」です。

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次男が塾を卒業し1年後に体調不良で塾を辞められました。「伝説の大島塾」言われる理由は知らぬ間に学力がついていった事です。

そして、理数系の強い子供たちになる事が「伝説」と言われる由縁なのでしょう。




2018年07月10日

幼児の教育はいつから始めるの?「公文式」2歳から始めた次男の場合!

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「ばばあ2」
次男の場合は長男と一緒に始めたので2歳半からのスタートです。まだ字すら書けないし、数字もやっとわかるぐらいの状態からのスタートでした。

少々不安もありましたが、先生の言葉で「幼児からでも大丈夫ですよ。お母さんも一緒にやりましょう。」の一言で入会を決めました。

不安の理由は落ち着きのない子供で、自分中心の性格なので、やる時とやらない時のムラが半端ないのです。小さい時から「自由人」とは次男の為の言葉でした。

1.座っていることが出来ない
やはりそこは2歳児なので、長時間は机に向かうことは無理でした。他の子供の席に行って、のぞき込んだり、教室中を走り回ったり「自由人」の次男らしい行動の繰り返しでした。時には寝てしまうこともありました。

3枚進めるのに1時間はかかる時もあれば、ノリノリの時は5分で終わらせるという時もありました。まずは座らせることからのスタートでした。

2.算数編
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引用 公文式公式HP

次男の場合は数字を書くのではなく、数字を覚えるために1から順番に点を結んで絵を完成させる「なぞり絵」からのスタートでした。

初めは簡単な絵からですが、進むにつれて絵も難しくなって行きます。「なぞり絵」1カ月ぐらいはやっていましたね。飽き性の為、何日も「なぞり絵」ばかりでは嫌になってくるのでしょう。

教室での2日間と自宅の宿題とを合わせれば30日間「なぞり絵」をやるのですから、飽きても当然かもしれません。とにかくやらせるために、私と次男の戦いです。食べ物で釣ったり、おもちゃで釣ったりと色々しましたね。どれも1回ぐらいしかひっかかってくれませんでした。

最終的には長男が四年生で他の塾へ変わったのですが、次男は3年が終わるまでの1年間は一人で、「公文式」に通いましたが、長男がいなくなり一層やる気をなくしたように感じました。

キャプチャ 公文6.JPG

引用 公文式公式HP


3.国語編
キャプチャ 公文 淳.JPG


引用 公文式公式HP

次男が初めにやり始めた国語は上記のようなプリントです。「あいうえお」の練習からスタートしました。初めは書き順を教えてもらい、簡単なのですぐに次へと進むのですが、この先が次男にとって地獄の始まりでした。

今のプリントではあるのかわかりませんが、語彙力を高めるために「プリントでしりとり」をするのです。
頭の文字が「あ」ならばしたが空欄になっています。そこに文字を入れていくのです。いつも同じ答えしか書きません。

極めつけの次男の答えは
「し」の後ろに文字を入れるときは「しる」でした。
「こ」の時は「こまった」でした次男にとってはもうアイデアが無くて自分の感情を表したのでしょうが、先生は大爆笑でしたが、親としては穴があったら入りたい気分でしたね。

その後、次男は何とか小学三年まで続けるのですが、宿題のプリントを隠したりと色々やらかしてくれました。

4.英語編
次男も英語は小学2年生から始めたのでアルファベットと簡単な単語で終わることになってしまいました。
今思えば一番重要だったのが英語だったのかもしれません。今でも英語は得意でないようです。

まとめ
・幼児の場合は興味を持たせるまで、時間がかかります。
発想力が豊かな子には単純作業のような宿題をこなすのが大変です。
・兄弟で入る場合は負けたくないという気持ちが頑張らせるようですが、1人になるとやる気が失せるようです。
・次男のような「自由人」には暗記力は養うことができませんでした。

子供の性格にもよりますが、落ち着きのない子にとっては1人で黙々とこなすことが、苦痛の時間でしかなかったようです。

小学四年生になってから長男と同じ学習塾へ入ることになりすが、公文式でやしなった計算力は次男の今後を左右することになります。
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2018年07月07日

幼児の教育はいつから始めるの?「公文式」3歳から始めた長男の場合!

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「ばば2」
前回はばばあの子供達が「公文式」へ入会しての出来事をご紹介しました。今回は3歳から始めた長男に重点を絞ってお話します。

比較的、おっとりとした性格だったのと、先生に褒められるとやる気を起こす子供でした。正確には3歳半ぐらいから始めたので、簡単な数字などは書けるぐらいのレベルからのスタートでした。

では、どのように進んでいったのかをご紹介いたします。もう長男は30歳なので27年前の事です。ご参考になるかはわかりません。

1.公文式のシステム

・保育園後に週2回の教室通いでした。

・プリントを3枚ぐらい渡されて、初めての時や新しい段階へ進むときは先生と一緒に始めます。後は自分一人でプリントをこなしていきます。

・出来上がったら先生に見せて、答え合わせをします。全問正解の時はプリントいっぱいの花まるをもらえます。間違った場合はやり直して、もう一度先生に提出し、答え合わせをします。正解になるまで、帰ることが出来ません、しかし全問正解なら即、帰ることが出来ます。

・進み具合を見ては先生が、新しいステップの教材へ変えてくれます。

・実学年よりも早く進む子もいれば、実学年より下も子もいます。

・初めはあえて実力を試すために実学年より2学年下のプリントから始めるそうです。

実学年よりも進むと公文全体で成績順位がでます

・公文に行かない曜日は1日当たり3枚〜5枚の宿題プリントをを渡されます。

・次の公文の日には宿題を提出し、先生から頂いたプリントを始めます。その間に先生は宿題のプリントの採点をしてくださります。宿題が出来ていない場合はそのまま返すことも出来ますが、次回に持ち越すことも出来ます。


2.算数編
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引用 公文式公式HP

算数の場合は今と若干違い1枚の紙に5問ぐらい裏表ありました。
今の様にあまり色付きの絵などはありませんでしたが、初めは数字を「1、2、3、4、5」を5回ずつぐらい書いていたようでしたが、1か月もしない間に簡単な足し算を始めるようになりました。
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引用 公文式公式HP


公文式は計算力をつけさせるからなのでしょうか、特に簡単な「足し算」「引き算」からは先に進むのが遅くなります。全問正解でも次のステップに進むまでには2か月ぐらいかかったように感じます。

プリント自体は殆ど正解なのですが、そろばんと同じで計算の繰り返しを何度もさせる事により計算力を養わせるようです。

難しい問題ではなく簡単な問題だからこそ、くじけずに出来るのかもしれません。但し、あまり長く続くと飽きてしまう子もいるようです。

子供もプリントが進むにつれて、自分の学年よりも先に進むことが出来るようになって行きます。そうなれば全国版の順位表に入ってきます。毎回、県で自分の実学年の中で何番目かが楽しみになって来るようです。長男の場合は順位が上がる事に惹かれていったようです。

小学3年の3月まで公文式の教室にお世話になり、中学生の問題をこなしていました。その当時は県内でも上の方になり全国版の順位にも入ることが出来るようになりました。とても計算が早くて、買い物に行っても計算機より早く計算をするようになってきていました。

3.国語編
キャプチャ 公文8.JPG


引用 公文式公式HP

長男はこの辺りから始めていきました。
国語の場合はひらがなの練習から始めていきますが、進むにつれて小学生の習う漢字に移行していきました。現在は若干違うのかもしれません。

その後 文章の問題に入っていきます。文章題の問題になると学校のテストのようなイメージを意識していただければ良いのですが、漢字の練習を長期に行っていたので、難しい漢字もよく知っていました。

私の場合は宿題が終わらないと何もさせませんでしたので(スパルタ)、旅行や実家に行くときも公文の宿題が終わっていなかったら、持って現地まで行きました。

よく義母からはそこまでしなくとも、と言われていましたが、ルールは絶対曲げませんでした。ただし、勉強しなさいとは言った事はありません。「宿題だけはやりなさい」が口癖でした。

4.英語編
英語の場合は残念ながら小学校の3年生になった夏休みから始めたので、アルファベットの練習だけでやめる事になってしまいました。

教科が3種類になった場合は子供の負担を少なくするために1日当たりの1教科の宿題のプリントは3枚づつになります。


まとめ
算数はそろばんと同じぐらいの暗算力はつきました。
・当時の国語は漢字の練習が多かったので、学校での漢字テストはほぼ100点を取ることが出来ていました。
・残念ながら英語を始めるタイミングが遅かったのでアルファベットしか学習できていなくて、幼児から始めるべきだったと後悔しています。

今から27年前の出来事ですが、公文のおかげで「語彙力」「計算力」などの基礎学力は早く始めたおかげで、学校での授業には役立っていたようです。

公文の宿題が毎日あった事で、勉強をすることに対しては癖の様になっているようです。子供の性格にもよりますが長男の場合は「順位」をつけられて公表されることに快感を覚えたようで、どんどん欲が出てきたので順調に進んだのではないでしょうか。

私も長男のおっとりした性格しか見ていなかったのですが、人前で順位を公表される事が快感に感じる事はびっくりしましたね。私なら嫌ですし、日本人の性格から言ったら、好まれる事ではないと思います。

私の塾選びの基本は自宅から歩いて10分以内と決めていました。なるべく続けられる事を1番に考えました。ですから「公文式」は5分以内の塾でした。

小学の4年生からは自宅に一番近くの学習塾に変わりました。歩いて3分の場所で、そこがまた一風変わった塾なのでした。次の機会にご紹介します。


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損ばかりしていた、金券ショップのばばあ達が損しない生活を目指し、「金券」「株主優待券の換金率」や「子育て終了母」なので、今まで言えなかった事など「そんなことあるの?」知りたくても聞けない内情を赤裸々に書いています。PCの出来ないおばさん三人組がお伝えします。登場人物には承諾を頂いております(笑)
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