2018年07月31日
国公立落ちて、地元の私立大学へ行った長男の必殺秘策方法!
「ばばあ2」
以前にもご紹介いたしましたが、長男は国公立の大学を滑ってしまいました。しかし、ばばあの中には浪人をさせる事の選択はありませんでした。
理由の一つは年子の次男がいることと、もし合格しても同じ学年になることで、兄としての立場から大学に行きたくなくなるのではないかとの不安と、自己管理が難しく、継続しての学習ができるかどうかの不安がありました。
1.地元の私立大学(やる気ない大学生活)
毎日やる気もなく、学校へ行く長男の姿を見た時に、このまま続くのか不安でした。そこで、ばばあの提案は大学に行きながら、2年終了後に編入試験をうけ、希望大学へ変わることです。
そのためにはある程度の学力の継続が必要です。今の私立大学である程度の上位の成績をキープし、成績優秀でないと編入試験は無理なのです。
本人も編入の期待を胸に抱き、日々の勉強にも力が入って行くようになるのです。私立大学の場合は学校の成績が親元に届くので、本当に頑張っているのかもわかります。
元来の性格上、上を目指すことが好きな長男でしたので、日々努力を重ね、大学のテストの点数はどの教科も95点〜100点の間でした。
これなら編入に向けても有利になるのではないかと、考え着実に準備に取り掛かることにしました。
2.地元の私立大学の2年(ばばあに崖から突き落とさせる)
20歳になった長男に対して、2度目の失敗を繰り返さないために、ばばあのしたことは、「長男のメンタルの弱さを克服!」
メンタルの強化は努力しても中々できるものではありませんし、元来の性格もあるので、究極の方法を使用しました。
ばばあの弟は「タイの国」に数年前から仕事の関係で単身赴任していのです。そこで、往復のタイまでの飛行機の切符と最小限のお金を持たせて、1人でタイに行かせたのです。
生活は弟の知り合いのバンコクの日本料理店でボランティアのバイトをし、食事だけはさせてもらうようにお願いしました。
宿泊は格安ホテルを手配し、言葉もわからない中で一人の生活です。週一度、ばばあの弟が様子を見るために訪問をしてくれました。20日間ほどバンコクでボランティア生活後、田舎の弟の会社でのボランティアで仕事をしながら語学を覚えるなどをし、1か月ほど滞在しました。
飛行場での別れ際の長男は不安いっぱいで旅立ちましたが、1か月後の長男は自信に満ちあふれ、笑顔で帰国したのでした。観光ではない生活なので、タイ人の方との直接やり取りなどで、片言のタイ語をマスターして帰国しました。
言葉も習慣もわからず、最低限のお金で出かけた「タイの国」は長男を一回り大きくしてくれたのでした。その後、編入の準備に入る予定でしたが、学校側も経営をしていく会社と同じなので、学力の優秀な生徒は離したくないようです。
教授の勧めで、交換留学生の候補に上がり、交換流学の為のテストを受けることになりました。合格すれば1年間海外に留学でき、尚且つ中国での学費免除でした。
3年は日本の学校へ行かなくても単位はもらえ、帰国後は4年になることが出来るのです。こんなチャンスはありません。
1か月間の海外生活が長男のメンタルを強くさせたようで、見事合格しました。他校への編入はあきらめ、1年間、中国の大学へ交換留学生として出かけることになるのです。
3.地元の私立大学3年(交換留学生として1年中国へ)
2年生の1月末に中国へと出発するのです。場所は北京にあったので、不便さはあまりないようでした。各国の留学生も多く、世界各国の方達との交流もあり、年齢もまちまちだったようです。この時の経験が世界の広さを身をもって感じたようです。
会話は殆ど英語と中国語になるので、おのずと英語の学力もついていくようです。社会主義の国の現状と、言いたい事の言えない国、当時はまだ貧富の差が大きかった事など、今までいた自分の置かれた環境の狭かった
事に気づいたようです。
当然、いろんな国の学生がいますので、お国柄違いも会食時等には出てくるようです。学校の寮にいたので、休みの日には留学生同士で、中国各地に出かけたりもしていたようです。
中でも感動をしたのは、建国記念の式典を目の当たりにし、自分の目の前で、戦車やロケットが行進している様子は日本では見る事ができません。世界を肌で感じてきたようで、帰国後はとても自信に満ちておりました。
4.地元の私立大学4年(就職活動)
ちょうど就職氷河期の日本では中国語を武器に就職活動をするのですが、日本はまだまだ出身校で就職が決まる現実を目の当たりにするのです。
多少の中国語が出来ても有名大学出身にはかなわないのです。最終面接までは行くのですが、希望の就職には中々手が届きませんでした。大学という肩書の重要性を知るのです。
就職活動を半年でやめ、再度、中国語を極めるために自分の力で、中国の大学とやり取りをし、中国語と出身大学という肩書を手に入れる事にシフト変更をするのです。
5.再度留学のための受験
中国での「〇京大学」は文系の最高峰で、中国全土から優秀な生徒が集められます。同じく「△華大学」は理系の最高峰です。
近年の中国の首相は「△華大学」出身で、最近はとても人気があり、中国での立場も高くなります。両校は道を挟んで隣同士にあります。
もともと理系であった長男ですが、外資系のファンド企業に勤めたいという希望もありましたので、経済学部へ行きました。ですから、中国の「〇京大学」を目指すことになったのです。
自分で「〇京大学」へ直接連絡をし、受験資格等を調べるのですが、「〇京大学」の教授推薦がないと受験が出来ないことを知りました。断念するしかなかったのです。
そして、ダメもとで、「△華大学」にアクセスし、受験資格等を確認したところ、中国語のレベルの上位(英検の準1級)と中国の大学教授推薦、自国の教授推薦が最低の条件で、受験ができることがわかりました。
あくまでも「△華大学」は実力主義だったのでした。長男は努力の人物なので、頑張ってみると言い出しました。しかし不安は常につきまとっていたようです。
そして在学している大学の教授のサポートもあり、以前留学をしていた時の教授に連絡をとり、両国の教授推薦は取れましたが、問題は中国語のレベルです。
過去1年での留学ではそこまでの実力はつきません。受かるかどうかわからずに、中国へ2カ月早く出発をし、聴講生扱いで、「△華大学」大学の寮に入れてもらい、中国語の勉強をし、レベルを上げて受験に向けることにしました。
受験間際にプレッシャーで高熱を出したりと大変な努力を重ね、中国語レベル試験で見事一番上のランク(英検では1級)に合格が出来ました。
やっと「△華大学」の受験資格がそろったのですが、受験で失敗したら日本に帰国しなければなりません。以前のような失敗をするわけには行きません。そして受験の日を向かえるのです。
しかし、今までのようなメンタルの弱い長男ではなく、色々な経験を積んで、辛い思いをした分強くなっていたのでした。
見事「△華大学」に合格し、「語学力」と「学校という肩書」の両方を手に入れる事が出来、中国での学生生活が始まるのです。
まとめ
・大学1年、やる気なく大学に行き始める
・大学2年、メンタル強化をするために、ばばあはライオンの母のごとく崖から突き落とす
・大学3年、交換留学生として中国の大学へ
・大学4年、就職には「語学力」と「学校の肩書」が必要であることを身をもって体験する
・再度 「語学力」を磨く為と「学校という肩書」を得るために、中国へむかう
今は出身校での就職ではないと言われますが、最終面接で選ばれるのは、出身校に肩書があるかないかで、決まるのが現実です。
自分自身の強み(誰にも負けないアイテム)は多い方が有利ということです。それは人生を生きていくのにも言えるのではないでしょうか。そして、若いうちは失敗しても努力次第で他のチャンスが来るのです。諦めない事なのでしょう。
次回、帰国後の就職活動についてお話します。その他、中国留学費用などもブログでお知らせしたいと思います。
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