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2018年08月16日
甥の登校拒否!理由はいまだ不明のまま?
「ばば2」
ばばあの甥は小学6年生から徐々に休みがちになり、学校へ行く日が少なくなってきました。何か理由があるのでしょうが、義妹もばばあの弟もわからない。
色んな病院に行っても別に問題もなく、心療内科で受診しても中々喋らないので、解らないのですが、今は大学へ行っています。何が彼を変えたのでしょうか?
1.甥が5歳の時から父は海外赴任
甥は幼児期の時からばばあの弟が海外へ赴任し、年に帰国するのは数回なのです。義妹も一緒に行くべきだったのかもしれませんが、ばばあの両親が自宅にいたのと、ばばあの母親は大病をし、体が不自由だったのです。
義妹は海外での生活は無理と言いつつ日本に残ってくれたのです。
2.祖父は機嫌が悪いと大声で怒鳴る
そんな時は小さいながらも義妹をかばうような生活をしていたのです。甥の姉に当たる姪は温和な性格の為、トラブルを回避するような立ち振る舞いをしていたようですが、甥に関しては真っ向から向かっていくようでした。
3.小学6年生ぐらいになると学校も休みがち
父親は海外、義妹は仕事で19時ぐらいの帰宅になり、不憫な思いをさせていたので、どうしても両親は甥に対して甘くなるのです。
欲しい物はすべて買い与えられ、当然塾へ行ってもすぐやめてしまうのです。学校に行かず一人自宅にこもる生活になるのです。
4.学校へ行くように促すと暴れる
段々と甥の行動がエスカレートし、中学の頃には殆ど学校に行く事はありません。そして強引に義妹が学校へ行かせようとすると、暴れたり、義妹に暴力を振るうようになってきたのです。
経済的には恵まれてはいたのですが、幼少期より寂しい思いをしていたのは事実かもしれません。
5.中学3年ばばあの次男が家庭教師に
そんな状態が続く中、甥をこのままではいけないと感じ、ばばあの次男の意見で週2日間、家庭教師へ行く事になりました。
ばばあの、次男の考えは「長く学校へ行っていないので、授業にはついて行く事は出来ないはずなので、何か得意分野を作ってあげる事が近道ではないだろうか?」でした。
週2回の授業はばばあの次男の得意科目(大学の数学科)を根気よく中学レベルまで持って行く事でした。徐々に心を開いていくようになり、少しずつ自信も付いてくるようになりました。
6.保健室での授業が出来るようになる
1日中学校にいる事はありませんが、少しずつ保健室で授業を受けるようになりました。そして、数学の楽しさも感じ始めていたようで、数学の授業へは参加するようになりました。
テストの結果も平均点にちかづいてくるのです。卒業間近では自分で、数学は誰にも負けないと言えるぐらいになりました。甥は何らかの理由により自信を無くして学校へ行けなくなっつていたのではないでしょうか。
7.得意になった数学を延ばす
高校受験とは表向きで、推薦で電気関係の学校へ行く事になりました。本人も自分のレベルをわかっているし、数学では高校でもクラスでトップを取ることが出来ると楽しんで、学校へ行くようになりました。
高校に入学後は学校を休むことなく行く、ばばあの弟も義妹もやっと安堵の日々が送れるようになったのです。甥が受験した高校は学生時代から将来に向けての資格を取らせることに重点を置いた学校でした。その校風もあっていたのでしょう。
そして、今では系列の大学で、将来に向けての資格取得を中心とした大学生活を送っているようです。以前は挨拶もせず、隠れていたおいですが、きちんと挨拶もでき、表情も明るくなりました。
まとめ
・甥が幼児期より父親が単身海外へいく・祖父は機嫌が悪いと大声でどなる
・小学6年生ぐらいから学校を休みがち
・学校へ行くように促すと暴れる
・中学3年ばばあの次男が家庭教師に行くようになる
・少しずつ心を開き自信が持てるようになり、保健室での授業を受けるまでに回復
・得意科目が出来て自信が持てるようになる
・高校では得意分野を生かす学校で、資格取得の中心の高校で学校方針が甥に合うようだ
・大学は高校の延長の学校で、資格取得が中心の大学
甥が心を閉ざした理由は解らないのですが、「数学」という自分だけの得意分野を得る事により、甥は道が開け、自分に自信が持てるようになりました。
今では大学も休むこともなく、資格取得の為の勉強は進んでするようです。試験慣れをしているせいか車の免許も早く取得することが出来ました。
人は自信喪失することで道を誤ることが多いのかもしれません、すべてが優秀である必要はないのです。一つでも負けない取り柄があることで頑張って道は開けて行けるのではないでしょうか。
2018年08月11日
「隠したい身内 番外編」父は外づらは良いが家庭ではDV父!
「ばば2」
ばばあの父親は世間の人には愛想が良く、物分かりのよさそうな社交的な父親ですが、自宅では気に入らない事があると、すぐに怒鳴り散らし、家族はいつも「びくびく」した生活を送っていました。
そんか父について今回は知っていただくことで長年苦しんできた心の重しを降ろそうと思います。
1.機嫌を損ねると急にあばれだす
ばばあが子供の頃からですが、気に入らないと周りの家族に当たり散らし、物を投げつける行為の繰り返しです。ですから、暴れだす兆しを感じたら、弟の手を取り逃げる準備です。
母も父の地雷を踏むような言葉を発するのも原因の一つではないかと思うのですが、子供の頃にはわかりませんでした。
2.保育園に行く前から正座して習字の練習
ばばあが保育園に入る前から字の練習はもちろん、計算などをさせられた記憶があります。しかし中々覚えられずにいると、叱られ、「押し入れ」に入れられるのです。
父の行為は止めれば止めるほどエスカレートし、だれも止められないのです。ただばばあは「押し入れ」に入れられ泣くだけです。
3.小学校での成績が1つでも下がると叱責のあらし
学期末の成績表程嫌な物はありませんでした。成績表の確認をするのは父で、現状維持の場合はさほど叱ることはありませんでした。
少しでも下がろうものなら、教科書もカバンも外にほかりだされ、家から追い出されるのです。幼少期からそのような経験をしてきたので、ばばあは叱られポイントは抑えていたのです。
しかし弟に関してはよく叱られていましたね。当然飛び火はばばあにも来ます。そのような場合は弟の手を取りカバンを持って、伯母の家に避難するのです。
そんな時は母は真っ先に「父から育て方が悪い!」と暴力を振るわれるのです。ばばあや弟は自宅で、余分なこともしゃべらず、ただ淡々と過ごすしか方法が無かったのです。
ばばあの周りの人は「うそ!」と言うでしょうが、いつもビクビクし殆ど喋らない生活を送っていたのです。
当然、家族料なども行く事はありません。伯母の家か「競輪場、競馬場」に連れて行かれるぐらいです。
4.中学時代は部活、自宅にいないのが幸い
中学当時は部活が盛んで、好きでもない部活に出かけるのですが、部活動に出かける方が避難できるのです。父は自営業なので、仕事のある時と無い時が極端で、無い時などは長期に自宅に居たりしました。
厳密に言うと自宅に居るのではなく、母や祖母からお金をせびり、競輪場へ出かけるのです。夜になると借金をしてまで、近くの飲み屋に通う毎日でした。
借金の催促の電話を受けるたびに「早く家を出る事しか考えられませんでした。」
5.高校時代
地元の進学校へ入学するのですが、ばばあからしてみれば大学に行く事よりも、早く就職し、自宅から出る事しか頭になかったのです。しかし、弟がいたので、私一人が出ていくわけにも行かず地元で就職をします。
ばばあが就職をしても、外面が良い父が地域の役員や弟の学校の役員などを引き受け、年間の100日ほどは学校の行事や、地域の活動に出かけるので、仕事に行く事が少なくなるのです。
仕方なく、私の働いたお金と祖母の遺族年金が頼りの生活になります。母は深夜までミシンの内職をし、子供の頃から母の内職の手伝いをするのが日課でした。
6.結婚後もトラブルを起こしては電話が入る日々
私が結婚と同時に祖母が亡くなりました。母は昼と夜のパートの仕事に出かけるのです。後は弟頼りの生活になります。
結婚後も仕事をしていたばばあに借金の申し出は日常茶飯事でした。相変わらず自分の思うようにならなければ、暴れる日々なのです。何度、真夜中に電話がかかって来たかわかりません。
その度に「又か!」と気が滅入るのです。しかし、ばばあは蟻地獄から抜け出すことが出来ないのです。
7.介護施設生活
母が身体障害者になり、父も体が不自由になるのですが、体の自由が利かない分わがままがエスカレートします。母の入院を機に、病院側の勧めもあり、介護施設に入れる事になりました。
しかし、介護施設でも気分にむらがあり、時々暴れたり、暴言を吐いたりの繰り返しで、今では精神科医の薬で抑えて頂いているのが現状です。
まとめ
・機嫌を損ねると家族に暴力を振るう父
・保育園前から正座して字や数字の練習
・小学時代は成績が少しでも下がると、教科書やカバンを外に出され家を追い出される
・中学時代は部活動が避難場所、自宅には借金の催促電話
・進学高校でも早く家を出る事しか考えていない
・結婚後もトラブルを起こしては深夜に電話がかかるし、借金の申し出ばかり
・介護施設に入所させるも時折、暴言を吐いたり、暴れたりする
実際にばばあ達兄弟はどのように育ったのかがわからないです。ただ、先日亡くなった伯母がいつも救いの手を出してくれていたのは事実です。
ですから、父に対しては恐怖感しかありません。しかし、施設に入れると身元保証人が必要で、何か事あるごとにばばあが出かけなければなりません。
今でもばばあ達兄弟は他人が大声を出したり、騒いだり、威圧的態度を取られたりすると嫌悪感しか感じられないです。
フラッシュバックの様に子供の頃を思い出してしまうのは本当です。しかし、逃げ出す勇気がなくここまで来てしまいました。
2018年08月09日
「隠したい身内3」常識、非常識の判断が出来ない!
「ばばあ2」
今回は「隠したい身内2」で出てきた「S」の異母兄弟に当たる人物「T」です。彼女は生まれつき知能指数が低い為、常識がわからないのです。
その為、深く考える事なく、口に出して言っても良い事といけない事の判断が付きません。そんな彼女についてお話します。
1.幼少期
「T」は「隠したい身内2」の異母兄弟で、「T」が生まれると一段と「S」に対してのいじめが多くなったようです。
原因の一つに「T」は一般の子供達と比べると何かと劣り、喋ることも、立つこともすべてに遅い為、元気である「S」に対してのひがみもあったのでしょう。
周りの人からしてみても歴然として健常の子供ではなく、育てるのには苦労があったようです。
2.小学時代
やはり通常の子供と同じ行動が出来ないので「特別教室」にて学習をすることになりました。少々妄想的な言葉も言っている様に感じていましたが、ばばあはずーと歳下だったのではっきりした記憶はありません。
3.中学時代
中学生になれば、学習に対してはついて行けなくなるのは当然です。身体的な成長は人と変わりありませんが、善悪の判断力に欠けているようで、人を傷つける事を口にしてしまうのです。
当然のように「特殊クラス」での学習になり、学校側の配慮で近くの縫製会社へ就職をします。
4.就職後
職場では雇い主の方が長い目で見てくださり、何とか仕事をこなすぐらいにまではなるのですが、「T」の母親は娘可愛いさのあまり、職場へ不満を伝えに行くのです。
原因は「T」が人を傷つける事を言ってはトラブルになり、自分の思う通りにならないとヒステリックになるからです。
休みながらでも10数年働かせて頂きました。しかし、季節の変わり目等は一段とひどくなり、仕事が続けられなくなりました。その度に母親ではなく伯母が病院へと連れて行くのでした。
5.見合結婚
相手の男性は仕事もまじめで、大人しく、学力も並の方ですが言葉が少々不自由で、伝えたいことを伝える事ができない人でした。
自分自身、人付き合いが出来ない事も承知していたので「T」と結婚することを承知したのです。彼はいつもニコニコするしか生きていくすべがなかったかのような人物です。
攻撃的な「T」に対して正反対の旦那さんで、「T」が非常識な事を言ってもニコニコしている人です。後で傷つけた人に誤りに行くのが彼の仕事の様になってしまうのです。
6.教えていないに、親戚中をまわる「T」
「T」の嗅覚は犬並みと言ってよいのではないでしょうか?自宅の場所も職場も電話番号も知らせていないのになぜか突然、自転車で2時間かけてでも来てしまう人物で、人の家をかぎ分ける能力は人一倍です。
ある日、ばばあの家に突然来たときはびっくりしましたね。知らないはずがよくわかったと思うぐらいです。とにかく「隠したい身内」だったので、ばばあは青ざめました。
もっと青ざめる事は、同居中の主人の母の妹に面と向かって「行かず後家はあんたかね!」と言った時は冷や汗どころか、逃げ出したい心境でした。言われた主人の母の妹は、ハトが豆鉄砲をくらったかのように口を開いたままでした。
たとえ注意されても右から左というか聞こえていないようです。ばばあが「隠したい身内」図鑑に入れたくなるのはわかりますよね。何処に行ってもトラブルメーカーでしかないのです。
まとめ
・幼少期より、普通の子供と違いすべてに遅れていた
・小学時代は「特別学級」で妄想癖もあった
・人を傷つける事を悪いとはわからず平気で言う
・就職をするが、トラブル続きと親が不平不満を職場に訴え辞める事に
・見合結婚をする、相手の男性は正反対の方でいつもニコニコしているだけ
・人の家を探し当てるのは犬並みの嗅覚
本来なら「隠したい身内」ではありますが、ばばあはあえて皆さんに伝える事により、本当の姿を知っていただくことで、記事を進めていきたいと思いました。
中には、ばばあの様に「隠したい身内」が居るかもしれませんが、あなただけじゃありません。ばばあは何人もいます。ブログに書いた人物はごく一部です。
隠すことでなく、オープンにする事で自分の気持ちを楽にしようと考えたからです。いつか「隠したい身内 番外編」をご紹介したいと思います。
「隠したい身内2」3歳で母が亡くなり、義母にいじめを受け行方不明に!
「ばばあ2」
「隠したい身内」シリーズです。「隠したい身内1」の伯母が母代わりになり育てた人物「S」についてです。幼児期に母が亡くなり、義母からはいじめを受けていたのです。
不憫に思った伯母が母代わりになり「S」を小学校まで育てました。しかしその後、結婚と出産を期に祖父母に育てられることになるのです。
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1.母の記憶は育ての伯母
「S」の母親はもともと体だ弱かったので、亡くなる前から殆ど母親らしいことをしてもらっていなかったようで、食事の支度や洗濯などは伯母がしていたようです。
3歳と言えばまだ親が恋しい時期で、一緒に過ごしたかったようですがその願いもかなわず、姉や兄と過ごす時間が多かったようで、実の母親の思い出は殆どないようです。
しかし、ばばあが「S」の母親だったら、自分が3歳の子供を置いてこの世を去る辛さは計り知れないと思います。しかし食糧事情の悪い中、改善することもなくこの世を去るのです。
2.義母からのいじめ
「S」は愛情不足で育ったせいか、新しい義母にはなじめず、小学生の時から悪さばかりで
泣きながら祖父母宅に逃げてくる毎日だったようで、見かねた祖父母が「S」を引き取り育てるのですが、何かと問題行為を起こす毎日だったようです。
3.中学卒業待たずに祖父母宅を出ていく
「S」は実姉が就職で実家を離れ結婚し遠くへ行くことになり、実兄も就職で自宅を離れたのを境に 祖父母宅から姿を消してしまうのです。
連絡先もわからず、どこで何をしているのかもわからない状態でした。しかし、何年かに1回はフラッと祖母宅を訪れ一泊して帰るのです。
ばばあは幼少期に2、3度しかあった事が無く、記憶に殆どありませんでした。
小学生の時の事です。学校帰りに「サングラスとパンチパーマ、柄シャツ」見るからに人相の悪い人物が後ろから付いてくるのです。
怖くて胸が躍り、逃げるように自宅玄関に入ろうとすると、ばばあの名前を呼ぶのです。サングラスを外すと「S」だったのです。
ばばあは「S」の事を嫌いではありませんでした。むしろ遊んでくれたりお小遣いをくれるので「S」の事を心待ちにしている部分もありました。
4.映画の「ふうてんのトラさん」の様な「S」
祖父母が生きている頃は何年かに1度は来ていたのですが、祖父が亡くなり、ぱたりと来なくなり行方知れずになったのです。
生きているのやら、死んでいるのやら実の兄弟でも知らないようでした。ばばあが20歳ころ突然連絡があり、結婚するから一度、彼女と帰省するとの連絡がありました。
12年位の月日がたっていたように感じます。まるで干支が1サイクルすると突如、姿を現すような「S」は得体のしれない人物です。
各地を転々としていたようで、最終的には名古屋市で腰を下ろすことになったようでした。子供の頃から親の愛情を知らずに育った「S」には今度こそ幸せになってもらいたいと思うのですが、またまた連絡が途絶えるのです。
5.離婚後に連絡が!
やはり12年位過ぎてから離婚して今は一人で暮らしているとのことでした。自分も体調がすぐれず中々連絡が出来なかった事を言っていたようです。
実の父親の葬儀にも当然来ていませんし、ましてやいじめを受けた義母の葬儀にも来てはいません。だって、いつも行方不明なんですから。
6.親の愛情を知らずに育った「S」
「隠したい身内1」とは対照で「S」は親の愛情を知らず、自分一人で生きていくしかたようです。ですので、結婚してもどのように子供へ愛情を注いだらいいのかもわからずにいたようです。
どちらの二人も偏った環境で育ったのは同じかもしれません。幼少期の愛情の大切さ、成長期の子供のつき放し方はとても難しいと感じました。「S」は今もまた行方がわかりません。
まとめ
・母との記憶が殆どなく孤独な幼少期
・義母とは折り合いが悪く、いじめを受ける毎日
・実の兄弟が家を出ると行方知れずになる
・干支が1サイクルするかのごとくに現れる「S」
・実父や義母の葬儀は一切出ていない
・子供の愛情不足と愛情過多、どちらも本人達は犠牲者
「隠したい身内2」では真逆の愛情不足で育った場合の例をご紹介いたしましたが、親は子供と共に成長し、多少の事は大目に見て、心寛大でいないとどちらも犠牲者になるのかもしれません。
上記の二人の育ち方を、事実は事実と受け止め、子育ての参考にしてきたつもりのばばあですが、子育てほど難しいものはないと思いました。
「隠したい身内」シリーズの完結として次回は知能指数の低い子供について書きます。次回も宜しくお願いします。
「隠したい身内1」働かない50代、親離れ出来ない!子離れできない!
「ばばあ2」
お恥ずかしい話ですが、ばばあの身内には世間には知られたくない親族が数名います。今回は思い切ってお話しすることで、「子育ての失敗例」の一つになるのではないかと思いました。
親離れできていない、子離れできていない親子の話です。この親子は本当に幸せな人生なのでしょうか?子育ての参考にしてください。
1.高齢出産
ばばあの伯母に当たる人物です。人がいいと言えば聞こえも良いのですが、なぜか苦労を買って出る人でした。初めは就職し仕事をしていたのですが、兄嫁が体が弱く、仕事を辞め4人の子育てが伯母の仕事になったのです。
当然、婚期も逃してしまいました。当時は近隣の方の紹介で見合い結婚をするのですが、30を過ぎた伯母にはそんな話もありません。祖母が行商で知り合った年下の男性を伯母に紹介し結婚するのです。
出産をしたのは34歳頃で、1人息子でした。当然、甘やかされて育っていくのです。
2.働かない旦那と宗教
旦那はほとんど働かない状態で生活苦になるのです。その後知り合いの人の誘いで宗教に専念する日々が続くのです。
子供を置いて、泊りで宗教活動に出かけたり、夜間も宗教活動にいそしむ毎日でした。きっと心のよりどころを宗教に求めたのでしょう。
3.小学校を休みがちに
伯母が宗教活動で朝早く出かけると、息子は学校へは行かず一日自宅で過ごす毎日になるのです。教師の家庭訪問で学校を休みがちであることも知るのです。
当然、学力も低く中学に入っても休みがちになりました。中学を卒業後、職業訓練校に通い、父親がはじめた電気工事の仕事を親子でするのですが、息子は怠け病と言うか、朝になると体調不良を訴えて仕事も休みがちになるのです。
車に乗れない伯父も当然休むことになります。悪循環が続き後に廃業するのです。
4.両親の宗教上の知り合いと見合い結婚
仏教ではない宗教の場合は色々とありますので、宗教が同じ方が良い事が多いのです。そこでの紹介で結婚をするのですが、息子は結婚後も毎日の様に朝になると体調不良を訴えて仕事にも行きません。
結果、子供を連れてお嫁さんは出ていくのです。そして親子3人の生活に戻るのです。
5.何歳になっても子ども扱い
伯母は息子がかわいくて仕方がなく、自分で働いたり、時には兄弟に借金をしながら、働かない息子と旦那の生活を支えるのです。
当の息子はお嫁さんと子供が出て行っても変わることがありません。伯母は兄弟姉妹に息子の事を思うのなら外に追い出すことを勧められるが、伯母は息子から離れる事が出来ません。息子も親元から離れる事を考えてもいません。
6.高齢になり仕事もなくなる伯母
伯母は高齢で、仕事にもありつけず、近所の草引きをしたり、手伝いをしながらわずかなお金を得てくる毎日でした。それが無理になると農家の知り合い宅へ行き「食べ物が無いので恵んで欲しい」と回るのです。
そこまでしても、息子も親に依存し、伯母も息子に働きに行くことを勧めないのです。
7.家賃が払えず追い出される
定職についていなかったので、年金もありませんし、国民年金の支払いもしていませんでした。食事も満足に食べられないので、家賃も払えません。
そんな中でも、伯母は自分が食事をしなくても、働かない息子には食べ物を与えるのです。
結果、借家を追い出されるのです。そのタイミングで、気の毒に思われた方の計らいで「生活保護」を受ける事になるのです。
はじめは拒否をしていたのですが、伯母と伯父は「生活保護」を受ける対象になるし、食事が出来ると言うことも含め「生活保護」を受ける決心をしました。
8.両親の生活保護費を当てにし働かない息子
一時期、息子は1年ほどは仕事に出ていたのですが、休みがちで、体調不良を理由に職を辞めてしまい、両親の「生活保護」を当てにして益々、働かないのです。
しかし、伯父が無くなり「生活保護費」が減るのですが、伯母にとっては、親子二人の生活は何よりの幸せだったようです。以前の様に90歳を過ぎても、息子を食べさせる為に、自転車で2時間近くかけ、妹の家へお金を借りに行ったりしていたようです。
まとめ
・家庭の事情で婚期をのがし、高齢出産により息子がかわいくて仕方ない
・働かない夫と貧困のあまりに宗教へ走る
・宗教を一生懸命するが、息子はいいこと幸いに学校を休みがち
・息子は結婚をするが、仕事へは殆どいかずで愛想をつかされる
・伯母は何歳になっても息子を子供あつかい
・高齢で働けなくなり、知り合いをたどり物貰いをする
・家賃を払えず、生活保護になる
・両親の生活保護を当てにし、一層働かない息子
・90歳になっても息子を食べさせる事が必死
ばばあは伯母の姿を長年見てきて生活が成り立たなくても息子から離れられない、息子も年老いた親から離れようとしない、ゆがんだ愛情表現を目の当たりにし、自分の息子たちにはそうなって欲しくないし、自分もなりたくないと就職後は自活するよう育ててきたつもりです。
どちらかが離れないと共倒れになっていくのです。先日、伯母が亡くなりました。息子はもう60歳近くなので、仕事もありません。生活保護を受ける事になるのでしょう。この様な人生、親子は幸せだったのでしょうか?
「隠したい身内2」は幼少期に母が亡くなった人物についてです。お楽しみに!
2018年08月06日
教育課程の単位取得の為、2年余分に大学へ!教育実習したその後?
「ばば2」
ばばあからは何を考えているのかがわからない次男! 教育課程の単位を取得するために2年余分に学校へ行ったのです。教育実習も終わり糸の切れた凧のような状態の日々が続くのです。
次男は教育実習後に「教師は自分に合わない」という始末で、「一体この先どうするんだい!」と吠えるばばあに対して、いつものようにふらふら出かけ、帰るのは深夜になるのです。
1.大学へ行ったが目標が定まらない
自分自身、何をしたらいいのか?何が自分に合っているのかが一向に定まらない次男なのです。とりあえず甥の家庭教師を引き受けるぐらいでした。
本人も悩んでいるのがわかるのですが、中々行動に起こせない次男なのです。兄弟でも長男は目標が高く、目標に対して貪欲なほど突っ走るのですが、方や次男は牛歩のごとく、誘惑に負け本能的に生きているのです。
2.突如、ばばあの店の社長に就任
諸事情により、ばばあ達の金券ショップ社長に就任するも、ばばあ達の店はキャパシティーとしては大きくもなく、ばばあ達だけで何とか回るくらいの店なので、次男が社長になっても、給料が取れるほどの規模ではありません。
名前だけの社長で、金券協会のやり取りを通して社会勉強をするぐらいです。その時に、年配の方の対応の仕方などを覚える事はできたようです。
金券協会も平成生まれの社長は初めてで、対応には戸惑う人も多かったようですが、元来の「人たらし」のような性格で、年配の方には可愛がってもらえるようです。しかし、ばばあの店にいては飼い殺しになってしまうと感じました。
次男と相談し、金券ショップでの社長のまま、長男が会社の関係で埼玉にいたので、そこに居候しながらろいろと自分探しを始めるのです。
3.教員資格を生かし塾講師
初めは立ち上げ間際の塾の講師をするのですが、やはり「目標とする教師にはなれない」ということで受け持った生徒が中学受験が合格後に塾を去るのです。
立ち上げからの準備のため物件探しから始まり、色々と苦労はしたようですが、東京と愛知の違いもあり教育の考え方も違ったことも原因なのでしょう。
4.派遣会社の事務として働く
東京で知り合った方の紹介で、派遣会社の経理部で働くのです。もともと数字を追うことが好きなので、ここで目標が定まりかけていたのです。
とりあえず簿記を1から勉強し、2級までは取得するのです。そして、税理士目指して勉強をはじめるのですが、経験者又は有資格者でないと雇ってもらえず経理事務所に入社は諦めました。、元来の楽をする性格から、上を目指すことを辞めてしまうのです。
5.不動産会社の経理部門で働く
数字を追求する性格は苦にならないし、楽しいと言っていました。以前からの「数字は人を裏切らない」と言い、東京のディベロッパーにて仕事をしながら、不動産鑑定士の資格取得を目指しています。
人間関係の大変さに巻き込まれつつ、仕事は続けているのですが、このまま頑張るかは?です。東京の不動産関係の景気はオリンピックまでしか続きそうもないのが理由だそうです。
まとめ
・今の子供たちは大学が最終目標になり、その後の人生設計を描けない
・諸事情によりばばあ達の店の社長に就任も飼い殺しの様になる
・一機して東京に向かうが、「教師としての資格では未来が描けない」と感じる
・派遣会社内で経理関係の仕事に就く、簿記の資格を取得するが簿記2級程度では、税理士会社への就職は無理
・ディベロッパーでの仕事は性格上、よく合っているようだが、東京での未来はオリンピックまでしか先がない
2年間余分に学校へ行ってまで就職に有利な武器を手にするのですが、中々、その武器を利用しての就職が出来ない次男と、いつまでも目標が定まらない事が、本人をフラフラさせる理由でもあると感じました。
ばばあも年を取っていく事を考え、早く目標を定めてほしいのが親心ではあります。しかし、次男と同じくらいの子供たちは、ほとんど苦労をせずに育ってしまい現実を見ようとはしないのです。
次男の周りでも目標が定まらなく、職を転々とする子供たちが多いことははっきりしています。次男も含め彼らは今後、どのような人生をおくるのでしょうか?
就職活動、暑い中ご苦労様と言いたくなりますが、1回で済む事無し!
「ばばあ2」
ばばあの長男や次男の時は氷河期に当たり、就職活動が1回どころか何十回と滑るのが当たり前の時代でした。最終面接までの期間が長い分、本人達も期待をするのですが、そこで落ちた時の落ち込みは計り知れません。
今回は長男の就職活動で、気づかされたことをご紹介いたします。
1.一部上場企業の場合
はっきり言って、最終面接までこぎつけられるのは、一流大学卒業の場合が殆どです。今や学歴社会ではないと言っていても、選ぶ側は学歴社会の時代の方たちです。
考え方がまだ、昔のままなのが現実です。海外の企業の様に本人の実力で判断されるわけではありません。はっきり言って新しくないのです。
長男は留学前に何度も就職活動をしましたが、最終面接で落ちる事が殆どでした。採取面接まで残っていた学生は、早稲田、慶応などが殆どでした。
始め長男は「就職は、学歴社会ではない」と言い張っていましたが、現実を目の当たりにするのです。
2.中国の「△華大学」留学後の就活
「△華大学」留学後の就活は就職氷河期にあるにも関わらず、1部上場の医療系企業であるに関わらず、1次試験、2次試験等は受ける事が無く、一気に本社での役員面接です。2度目の面接で、2日後に採用の通知を頂きました。
「これって何?」まさしく学歴社会と言っていいのではないでしょうか?
その他同期の社員も大阪大学院生、神戸大学研究員、京都大学、東大、早稲田の方ばかりで、語学も堪能、「TOEIC点数800以上」の集団だったのでした。
長男の場合は「TOEIC」の点数は低いのですが、中国語レベルが英検1級位と理系大学「△華大学」という事で入社できたのですが、新入社員テストでは一番ドベでした。
3.企業のニーズとマッチした学校
長男の場合はたまたま「△華大学」に企業が日本人学生の募集をかけていた事です。入社した企業は取引先が大学病院や総合病院が殆どです。
特に中国の場合は病院や医師に対して、取引で有利になる「△華大学」という肩書が欲しかったようです。
中国でも学歴社会には変わりが無かったのです。
まとめ
・1部上場企業は最終的に学校できめる・1部上場企業の就職に有利は学歴と強い得意分野が必要
・どこの国でも学歴社会は根強い
先日もテレビのゲストコメンテーターが「理不尽なのが世の中」世間的にはが学歴で人は選びません。と、企業は宣言しているのですが、最終的には一目会ったばかりの人の判断は、性格や能力が判らないので学歴で選んでも当然かもしれません。
フルに活用してください、自分の最強アイテム(得意とする事)と学歴を!
2018年08月02日
頑張っても感謝されない「お母さん!」子供が独立した「ばばあ」は楽しか考えない!
「ばば2」
今までどんなに頑張っても、当たり前と思われていた自分に腹が立つ、義母や義母の妹も同居ですが家事のほとんどはばばあがするのが当たり前なのです。
子供も独立し、旦那の帰りも遅い、そしてばばあが仕事から帰る前に義母や義母の妹は食事をすませているので、ばばあは1人分の食事の支度が面倒で仕方がありません。
1.食事の支度は息子が帰った時だけ
ばばあは長男が週末に帰って来る時以外は、出来上がりの弁当、もしくは寿司を購入し食べる毎日です。他の主婦からしてみれば、ちょー手抜きと思われますが、旦那も夕食を食べないのです。1人分のガス代、材料費、調味料、考えるだけで、1人分の食事作りの方がお金がかかります。食材を購入しては数日後にはミイラに変身しているのが殆どです。
以前の「ばばあ」からは考え方を改め、一生懸命やっても当たり前しか思われないなら、作らない、楽する事に徹しました。その分猫や犬と遊んであげて癒されることを選びました。
2.深夜に帰る旦那の朝食のみ
深夜に帰宅する旦那の為の朝食だけを購入し、仕事から帰る毎日です。旦那の大好きな「インスタントラーメン」欠かさず置いておけば、旦那も満足で、朝から「インスタントラーメン」を作ると、元気に起きてきます。
起こす手間もなく本人も満足、こんな楽な朝食は、食事の支度が無い分他のことが出来ます。年を取るとプライドも低くなります。但し、犬の散歩が1時間、今の暑さは身に堪えます。
3.ばばあのお気に入りのお店
それは肉嫌いの「ばばあ」でも食べらるようになりました。「フライドキッチン トリノ」さんです。揚げたてのお弁当が食べられて、油くどくないです。盛り付けの総菜もお手製で「ばばあ」は毎日のように食べています。
「フライドキッチン トリノ」さん2店舗目を開かれるようで、チャンスがありましたらぜひ食べてみてください。美味しさは保証付きです。
まとめ
・頑張っても無駄なら、子供が独立するタイミングでばばあは手抜きの毎日
・旦那はインスタントラーメンが超ー大好き朝からラーメン
・保証付きの美味しさ「フライドキッチン トリノ」
夏バテで、食事の出来ない方も多いでしょうが、どうせ頑張っても報われないのなら、無理をせずたまには手抜きをしてみてはどうですか?ガス代、食材、調味料、手間を考えたら、今のお弁当は結構おいしくいただけます。
子供の夏休み、この時期はストレスと暑さで体を壊す前に手抜きをおススメしちゃいます。たまには手抜きしましょう、そして自分の時間を持ちましょう。お母さん!あなたの人生です。大切にしましょう。
教育実習に行く次男、教育実習の実態と出した答えは?
「ばばあ2」
教育課程を取っていなかった次男は5年目の学生生活に入るのです。見た目が小柄で、ストレスフリーの自由人の次男はの若く見えます。
学校では新入生と間違えられたり、夜間に警官から「早く帰りなさい!」と言われることが多いようです。そんな次男が教育実習をするとは考えづらいばばあでした。
周りでも、自分は若く見える事を自慢して言われる方が見えますが、本人は気づいていないのですが、ストレスフリーで自由にしているから若く見えるのです。「周りは振り回されて苦労してるでしょうね。」と考えてしまいます。
1.養護学校での実習
養護学校の生徒にはとても軽い生徒と、重度の生徒と様々なようです。重度の生徒は親が送り迎えをするそうです。
軽度の生徒は毎日学校に来るようですが、重度の生徒になると1周間の内の2日間又は3日間ぐらいの頻度で学校へ来るそうです。
特に指導される内容は、「生徒たちはとてもナイーブで、接し方を間違うと死にも至るので、くれぐれも注意する様に。」と初めに教育指導の先生から言われるそうです。
重度の生徒の場合は、長時間の授業を受ける事も出来ません。時間を見計らい看護師の方が様子を見に来るそうです。ほとんどは授業ではなく、介護に近い授業になるそうです。
生徒の親御さんも学校に来れる事をとても感謝され、実習生に対しても、「先生、体調の良いときはまた来ますので、宜しくお願いします。」と、帰られるそうです。
さすがの自由人の次男も、生徒達の様子をみて、五体満足で自分達がどんなに恵まれているかを感じたようです。養護学校の先生だったら、出来そうな感じがする。と安易な事を言っておりました。
ばばあに言った言葉は「多少勉強が出来なくても、健康であることが一番だよ。」と悟った様に言いましたが、「恵まれているのにふざけた事ばかりする、あんたはなんだ!」と言い返したくなりましたね。
2.特別養護老人ホームでの実習
過去には無かった実習だそうですが、近年は実習の内容に「特別養護老人ホームでの実習」も加わるようになったそうです。
実際の老人ホーム体験は次男にとって初めてなので、戸惑いもあったようですが、元来の性格から、仕方なくその環境に入れられても、楽しむことが出来る性格です。
毎日、毎日、その日の出来事を話してくれるようになりました。基本的にはデイサービスにいらっしゃる方のお世話です。
デイサービスに来ていても、ご本人は仕事に来ていると思っているようです。折り紙を折っては箱に詰め、「納品をお願いします。」と声をかけられるそうです。このような場合は素直に「ありがとうございます、納品します。」と答えるそうです。
次男は物静かにしゃべり、相手に対してその場での反論もしません。(本人はしゃべるのが面倒だからだそうです。)金券ショップのスタッフの方からしてみれば、「人たらし!」に感じるそうで、デイサービスの実習でも楽しく過ごしたようです。
特におばあさんには人気があり、はめていた指輪を渡され「よくしてくれるから、あなたにあげるわ!」と指輪を渡された時には、びっくりして、職員さんに渡し、ご家族へ返して頂いたそうです。
とても充実した実習が出来たと本人は言っておりました。
3.中学校での教育実習
さあ、本番の教育実習の始まりです。出身中学の受け入れが出来ないとのことで、地元の他の中学に向かう事になりました。そこでの実習生の担当の教師は、次男の中学3年の時の担任だったのです。
毎日生徒が来る1時間前には学校へ到着しなければなりませんでした。理由は部活の朝練を見なくてはならなかったのです。
駅から少々遠い所の学校だったので、夫婦で交互に教育実習先の学校まで、朝6時半には送らなければなりませんでした。生徒にばれないように少々離れた場所で、次男を降ろすのです。
何と甘いばばあ達なのでしょう。これが次男を自由人にさせた理由かもしれません。
毎日、実習生同士で部活終了後に報告書の提出をし、全員が終わらなければ帰る事が出来なかったので、何時になるかわからず、電車で帰宅していました。
帰宅後、次の日の授業の準備を深夜まで行い、進まない時は夫婦で教材を作る手伝いもしました。次男はその期間中は1度も、遊び回ることをができませんでした。
在留外国人の生徒も多く、日本語がよく理解できていない生徒で、数学の遅れている生徒などの担当も時折しなければならなかったので、教材に絵やグラフなどを用いて教えるそうです。
次男が中学の時とは違い、毎日のように警察が学校へ来るそうです。器物破損の事故は毎日のようにあるそうです。今の学校も大変ですね。ばばあの中学時代は警察官が学校に来るなどはほぼありませんでした。時代も変わりましたね。
やっと、先生の苦労が良くわかったようです。しかし給食は以前に増して、とても美味しく、学校へ来ない生徒も給食だけを食べにくる場合もあるそうです。
そんな教育実習の期間も終えた次男はやっと自由になれると、糸の切れた凧のような生活に戻りました。その後、次男の言葉は「中学の教師は合わないかも?」でした。
「親の苦労は何だ!」どこまで行っても自由な次男でした。
まとめ
・養護学校の実習で自分の身のありがたみを感じる
・特別養護老人ホームでの実習は充実していた
・中学校での本格的な教育実習で先生の苦労を身をもって体験する
・自由が無ければ続けられない次男
過去と今とでの教育の仕方が違ってきています。1クラスの人数も少なく、教師は2人態勢で、在留外国人の子供さんもいるので、生活習慣の違いもあるようです。先生の負担も多くなるのは当然かもしれません。
部活動は新人の先生が経験も無いのに指導をしなければならない事も多く、ボランティアで外部の方にお願いする方法も色々と問題があり、部活動の在り方も今後の課題かもしれませんね。
2018年07月31日
国公立を辞退してまで私立大学に行きたがる次男の学生生活は?
「ばばあ2」
前回、国公立を辞退し、私立大学に行くことを選んだ次男のお話をしましたが、とにかく楽をすることしか考えない自由人です。
面倒なことは嫌いで、行く当てもなくふらふら何処かに出かけてしまう、自宅で見る姿といえば寝てる姿しか見たことがありません。次男の大学生活は謎だらけでした。
1.大学の「数学科」で何するの?
初めに「数学科」を受験すると聞いた時に、「へー何するの?」でした。次男が言うには色んな公式を解いたり、研究したりするそうです。
学者にでもなるのか?いや、次男の性格からいえば、無駄を嫌い、楽=自由でしかありません。物事の追及など無駄にしか考えない性格なので、それは無いでしょう。
学校に行っては、毎日パソコンに向かうこと=学習の様であります。答えが明確ではっきりしている事が「数学科」の魅力なのだと言っていました。
2.就職先は?
一般的には数学の教師になるか、IT関係に行きプログラミングに数学を活用することだそうです。しかし、就職の選択肢は限られてしまいます。
中には銀行に就職をする、公務員試験を受ける人もいました。次男の希望はIT関係に就職をすることでした。
3.毎日、学校から帰ると何処かに出かける
家で次男の姿を見るのは朝だけで、いつの間にかいなくなり、深夜か朝しか帰宅しないので、どこで何をしているのかもわかりません。顔を合わせるのは、お金が必要な時ぐらいです。
子供の頃から友人が多く、友人達も親元から離れない子供たちが多かったように感じます。ですから、その友人宅を毎日ぐるぐる回って歩いては、ゲームコーナーに行く毎日を過ごしていたようでした。
4.テスト週間
テスト週間には自宅にいません。日用品や食材も持って大学近くの友人宅に泊まり込んで、勉強とは名ばかりで、ゲームに明け暮れていたようです。
そんな図々しい次男ですが、地方出身の友人の彼女が来ると自宅に帰ってきます。その時の次男の言葉にはびっくりさせられましたね。
「林の彼女が来ると、林の部屋に居づらいんだよね。仕方がないから帰ってきた。」と言われた時には、「邪魔なのは、あんただよ!」と言った時に、次男は「へ、そうなの?」と言ってましたね。
あまりの自由人で感覚までもが、マヒしてきているようです。
5.ばばあ、20歳に長男と同じ洗礼をさせる
あまりに自由すぎて、「おまえ、世の中舐めとんか!」と言いたくなる性格の為、長男と同じくタイへ行かせる事にしました。ライオンのように崖から落とすのです。
しかし、変化を嫌う次男は「半べそをかきながら行かない!」の一点張りでした。テレビでタイの良さをやっていても、チャンネル変えるし、自室にこもるなどが続きました。
しかし、ばばあも負けていません。必ず実行するのがばばあです。1か月の予定でチケットの手配をするのですが、父親に直談判をし、20日間で手を打つことになりました。
今回はタイの弟の会社が移動し、パタヤビーチの近くに変わり、会社所有のホテルの1室を借りる事になっていたので、長男の事を思うと快適なバカンスになるはずです。
しかし、出発の当日まで、半べそをかいていました。ばばあも逃げられては困るので、飛行場まで、付いていくのです。ばばあは入国審査が終わるまで帰らずに飛行場で待機していました。
20日後に帰ってきた次男はパーマをかけて別人になって帰って来たのでした。現地では一人で「日本から行った、現地法人の方々と釣りへ行ったり」「タイ式マッサージをしたり」「ホテルのプールで泳いだり」「トゥクトゥクで観光地に出かけたり」タイを満喫していたようです。
晴れやかな顔をして「タイに住んでもいいと思った。」などと言ってましたね。まさしく、崖から落とされて楽しんで来た次男でした。次男にとっては修行ではなく、まさにバカンスでした。
次男は性格的に初めの1歩が中々出ないのですが、出てしまえばとことん満喫するタイプなので、心配はしていませんでした。
6.4年生の出来事
4年生はほぼ授業もなく、就職活動です。中々、教育実習の連絡が無いので、本人に確認すると、「いやー教職の授業を希望しなかった。」と、ほざいたのです。「ふざけるなー!」自由すぎる次男に唖然としました。
「IT関係に行くからさ。」が答えでしたが、2,3社受けて言った言葉が「IT関係はブラックが多いね。辞めておく。」でした。ばばあは「なぐったろか。」状態でした。
結果、学生課で相談後、教員資格の為の授業を2年間、受ける事になるのです。
7.教育課程の為の2年間
当然、授業料もかかります。「数学科」は理系なので、文系よりも50万程余分にかかるのです。ばばあは、大学の授業料からは逃げられると思いきや、また、また「やらかす」次男の為に日夜働くことになるのです。
まとめ
・数学科の就職先は教員かIT関係しかない。
・自由人は学校の近くの友人宅で寝泊まり
・20歳にはばばあの洗礼を受ける
・崖から落とされ楽しんで帰る次男
・4年の時に教育課程の授業を受けていない事が発覚
・2年間延長して教育課程の為の授業を受ける羽目に
同じ兄弟でも、長男のと次男の差には真逆すぎて考えについて行けないばばあでした。いくつになっても自由すぎる次男にはほとほと手を焼きました。今後、この次男がどのような大人になるかをお楽しみに!