2016年04月05日
真田幸村とケニアの意外な関係とは?
六文銭(ろくもんせん)。
(画像引用 http://rekijin.com)
真田氏が主に戦時に用いた家紋。
NHK大河ドラマ「真田丸」の
オープニングでもおなじみ。
さてこの家紋、
いったい何に由来するのでしょうか。
なぜ五文や七文ではないのでしょう。
実は、
六文は三途の河の通行料。
「決死の覚悟で戦に臨む」という
覚悟を意味する、真田軍の象徴です。
さて。
その貨幣は何のシルエットだったのか。
当然、50円玉ではありませんね。
正解は......
(画像引用 Wikipedia)
永楽通宝(えいらくつうほう)。
明の時代、永楽帝の治世。
永楽9年(1411年)から鋳造され始めました。
永楽銭、とも。
室町時代に日明貿易が始まると
日本国内でも流通。
1608年に徳川家康が流通停止を命じるまで
日本の基準通貨として機能します。
その永楽通宝が意外な場所で発見されました。
(画像引用 Google map)
ケニアのマンダ島です。
シカゴのフィールド博物館と米イリノイ大などの研究者チームが
現地で永楽通宝を発掘したと発表(2013/03/18)。
そのとき発見された永楽通宝がこれです。
(画像引用 米フィールド博物館)
約600年前に明で鋳造されたもののようです。
まさにその頃、一人の男が大艦隊を率い、
この近くまで進出してきていました。
鄭和(ていわ)です。
(画像引用 Wikipedia)
鄭 和は明の時代の宦官。
永楽帝に重用され、七度にわたる大航海の指揮を託されます。
その第5次航海のとき(1417年〜1419年)、
艦隊の一部がアフリカ大陸東岸のマリンディ(ケニア)に到達。
マリンディは当時、スワヒリ文明の中心都市でした。
ちなみにこのとき鄭和艦隊はアフリカ大陸から
キリンを持ち帰り、永楽帝を喜ばせています。
鄭和艦隊の航路
(画像引用 Wikipedia)
鄭和の活躍した15世紀初め。
それはヨーロッパによる「大航海時代」の始まる数十年前。
ダイナミックに、歴史のロマンを乗せて海を越えた永楽通宝。
それを旗印に戦った真田のつわものたち。
永楽通宝は、600年の時を超えて
昔も今も世界を駆け巡っているといえるでしょう。
語呂合わせは
「六文銭」「永楽通宝」
で憶えていって下さい。
「ロック、もうせん!」で栄、ラク。
ロックを引退し、矢沢栄吉さんは悠々自適に。
そんなイメージで。
それにしても三途の河まで通行料は
今いくらぐらいのレートなのでしょうか・・・・。
価格:324円 |