2010年08月09日
長崎
長崎の原爆投下より65年。
以前、長崎旅行について書いた時に触れましたが、
高校の修学旅行で長崎原爆資料館を訪れた時に、
とても後悔したことがありました。
それは、資料館(前身長崎国際文化会館)の階を上る毎に
写真・資料・解説パネルなどの悲惨さが強くなり、
上の階から下りてくる同級生達が、
一様に涙を流しているのを見て、
情けないことに、私は3階から階段を上る事を躊躇し、
全ての展示物を見ることが、出来ませんでした。
その時のことを思い出すと、
見なかったことの後悔に苛まれ、
25才で友人と九州旅行を計画した時に、
ルートに入れてもらいました。
10年近くも経ってしまったけれど、
感受性の強い高校生の時に、
見なければいけなかったけれど、
再び訪れ、全ての展示を見ることが出来たので、
後悔の気持ちを、少しだけ緩和することが出来ました。
戦争を知らない私達に出来る事。
それは体験者の方々のお話を聞き、
映像・写真でしか解りませんが、
想像力を持って、悲しみ・苦しみを少しでも感じ、
後世に伝えていくことだと思います。
以前、長崎旅行について書いた時に触れましたが、
高校の修学旅行で長崎原爆資料館を訪れた時に、
とても後悔したことがありました。
それは、資料館(前身長崎国際文化会館)の階を上る毎に
写真・資料・解説パネルなどの悲惨さが強くなり、
上の階から下りてくる同級生達が、
一様に涙を流しているのを見て、
情けないことに、私は3階から階段を上る事を躊躇し、
全ての展示物を見ることが、出来ませんでした。
その時のことを思い出すと、
見なかったことの後悔に苛まれ、
25才で友人と九州旅行を計画した時に、
ルートに入れてもらいました。
10年近くも経ってしまったけれど、
感受性の強い高校生の時に、
見なければいけなかったけれど、
再び訪れ、全ての展示を見ることが出来たので、
後悔の気持ちを、少しだけ緩和することが出来ました。
戦争を知らない私達に出来る事。
それは体験者の方々のお話を聞き、
映像・写真でしか解りませんが、
想像力を持って、悲しみ・苦しみを少しでも感じ、
後世に伝えていくことだと思います。
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