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2024年09月24日

島崎藤村の「千曲川のスケッチ」の執筆脳について−自然や文化の観察者の立場から6

4 作者の学習や観察そして思考から考える

 「千曲川のスケッチ」の購読脳を「写生と研究」にする。島崎藤村は、写生という学習により物を観察し記憶することで自然に近づいていった。稽古としての写生は、研究であり、小諸で観察した事柄を素直にスケッチしている。
 小諸に赴任して暫くは、自分が行動し写生した内容をまとめていく。しかし、1911年(M44)に中学世界に連載されるまで、この写生の内容が人の目に触れることはなかった。「千曲川のスケッチ」に描かれているのは、1900年(M33)頃から信州滞在中に見た光景であり、視覚情報もさること、叫びや臭い、味、接触といったその他の感覚情報も考察の対象になっている。こうした感覚情報から藤村の執筆時の脳の活動を探るために、まず学習や観察の様子についてまとめてみよう。ここでは、心理統計を意識して実験心理による分析を試みる。
 人間の行動は、後天的に経験を通して変化し、この変化する過程が学習と呼ばれる。都会から小諸に赴任した藤村には、行動に変化が見られた。大山・中島(2012)によると、古典的な学習は、外的刺激によりトリガーされるのに対し、条件付き学習は、自発行動とそこから生じる関系に依存する。千曲川周辺の自然が外的刺激となり、また、自然に誘われて自発行動による旅をし、発見がある度に行動が濃くなった。

花村嘉英(2020)「島崎藤村の『千曲川のスケッチ』の執筆脳について−自然や文化の観察者の立場から」より

島崎藤村の「千曲川のスケッチ」の執筆脳について−自然や文化の観察者の立場から5

 「千曲川のスケッチ」の原案を作成しながら、文章や散文の中で、例えば、雲について画家の写生と同じようなスタディに取り組んだ。そのため、全体的に当時の現実をリアルに伝える文体になっており、読者に信頼される友人となるような本である。そのため、自然主義のメンバーであり、想像力を重視した国木田独歩の「武蔵野」(1898)に比べて、「千曲川のスケッチ」は、より近代的といわれている。
 「千曲川のスケッチ」の奥書に説明がある言文一致について一言述べる。明治の新しい文学と言文一致の試みは、流れを見ると強いつながりがある。当時の文学関係者の多くがイギリス文学を目指していたころ、森鴎外は、留学先のドイツから19世紀なるものを感じ取り帰国したため、言文一致で見ると、採用するのに躊躇いがあり、歴史小説に見る転換期を待って口語体を採用した。一方、イギリス留学を経験している夏目漱石は、言文一致にあまり抵抗を感じなかった。
 文学の根底に横たわる基礎工事は、島崎藤村に言わせると、徳川時代の徘徊や浄瑠璃の作者が平談俗語を駆使し、言葉の世界に新しい光を放ったこと、国語学者が万葉集や古事記などから古い言葉の世界を今一度明るくしたことが挙げられる。そのため、藤村がスケッチを作る傍ら、口語体による言文一致の研究に向かった理由は、長い年月を経て熟慮した結果といえる。

花村嘉英(2020)「島崎藤村の『千曲川のスケッチ』の執筆脳について−自然や文化の観察者の立場から」より

島崎藤村の「千曲川のスケッチ」の執筆脳について−自然や文化の観察者の立場から4

3 言文一致の研究−文体の確立を目指して

 島崎藤村は、長野県木曽郡山口に生まれ、学問を東京の明治学院で修めた後、詩人、小説家として活躍した自然主義を代表する作家である。小説に先んじて詩集「若菜集」(1897)などを発表し、1899年(M32)4月に赴任した信州・小諸での研究成果として写生文「千曲川のスケッチ」を書いた。因みに藤村は、木曽川の畔で生まれたため、川に寄せる詩も多い。
 平野(2004)によると、「千曲川のスケッチ」は、吉村樹に語りかける形式で書かれ、赴任してからの一年で小諸の自然を季節と共に観察し写生した。その間に詩から散文へ創作の対象を動かして自身の文体を確立する。無論、藤村の文体は、何度も修正を繰り返し整理されたものであり、一枚の絵を説明するように口語文で読者の五感に語りかける。

花村嘉英(2020)「島崎藤村の『千曲川のスケッチ』の執筆脳について−自然や文化の観察者の立場から」より

島崎藤村の「千曲川のスケッチ」の執筆脳について−自然や文化の観察者の立場から3

 例えば、「おくめ」という架空の女が河を泳いで恋人のもとに通う心情を詠い、積極的で能動的に男を愛し、心身ともに恋の炎に焦がされる激しい女の情熱が形象化されている。こうした境遇が藤村の同情をかい、苦渋の時代を経験した作者が他人事ならぬと共感した理由である。男性の立場では雑念が入り混じり解決が難しかった。
 流離漂白は、現実から一歩引いて静かにものを眺めることで八方塞がりの境遇からの救済を目指している。現実を棄てて風雅の道を極めた先駆者らに追従する決意が窺える。芸術家島崎藤村の誕生であり、確立であった。そして苦渋の冬を越え、春の訪れ、生の曙が熱い思いを持って待たれた。
 「若菜集」の後も詩を書き続ける。叙情を好む藤村は、生の戦いや労働の讃歌を詩作する。しかし、厳格な規則がある雅語や単調な韻律で長編を歌うことに無理があるときには、緊張したアイディアの対立を描くのが難しいと感じるようになる。
 しかし、叙情詩では扱いきれない広くて大きな人生のテーマを処理するために、藤村は、写生によるスタディを通して小説を書いていく。1899年(M32)、信州の私塾小諸義塾に教師として赴任する。山室(1983)によれば、生活や思想に行き詰まると旅に出て転機をはかり、都会の煩わしさを避けて生活を新鮮にし、生命を新たにしようと考えた。

花村嘉英(2020)「島崎藤村の『千曲川のスケッチ』の執筆脳について−自然や文化の観察者の立場から」より

島崎藤村の「千曲川のスケッチ」の執筆脳について−自然や文化の観察者の立場から2

2 詩から散文へ

 先行詩集「若菜集」が1887年(M30)8月に出版された。仙台に移った前年9月から半年ほどの間に作られている。「若菜集」を貫く島崎藤村(1874−1943)の思いを、「藤村詩集」の中では、恋愛賛美による生の曙を待つ思いと満たされぬゆえの歎きと流離漂白としている。こうした思いをバランスよく両立させながら、熱い情熱を苦い経験とともに誇りを持って守り続けた。 
 七五の韻律を踏み、流麗典雅な詩にまとめ、女性に身を変えて歌ってもいる。山室(1983)は、その理由を次のように解説している。異性への関心は勿論であり、当時の女性が厳しい家長制度で管理され、自由はなく受身の生涯を送っていたため、心の扉を僅かに開くのは、恋愛の喜びのときとした。藤村文学の重要な主題として、「こひには親も捨てはてて、親にも背く」ことが挙げられる。

花村嘉英(2020)「島崎藤村の『千曲川のスケッチ』の執筆脳について−自然や文化の観察者の立場から」より

島崎藤村の「千曲川のスケッチ」の執筆脳について−自然や文化の観察者の立場から1

1 先行研究 

 文学分析は、通常、読者による購読脳が問題になる。一方、シナジーのメタファーは、作家の執筆脳を研究するためのマクロに通じる分析方法である。基本のパターンは、まず縦が購読脳で横が執筆脳になるLのイメージを作り、次に、各場面をLに読みながらデータベースを作成し全体を組の集合体にする。そして最後に、双方の脳の活動をマージするために、脳内の信号のパスを探す、若しくは、脳のエリアの機能を探す。これがミクロとマクロの中間にあるメゾのデータとなり、狭義の意味でシナジーのメタファーが作られる。この段階では、副専攻を増やすことが重要である。 
 執筆脳は、作者が自身で書いているという事実及び作者がメインで伝えようと思っていることに対する定番の読み及びそれに対する共生の読みと定義する。そのため、この小論では、トーマス・マン(1875−1955)、魯迅(1881−1936)、森鴎外(1862−1922)の執筆脳に関する私の著作を先行研究にする。また、これらの著作の中では、それぞれの作家の執筆脳として文体を取り上げ、とりわけ問題解決の場面を分析の対象にしている。さらに、マクロの分析について地球規模とフォーマットのシフトを意識してナディン・ゴーディマ(1923−2014)を加えると、“The Late Bourgeois World”執筆時の脳の活動が意欲と組になることを先行研究に入れておく。
 筆者の持ち場が言語学のため、購読脳の分析の際に、何かしらの言語分析を試みている。例えば、トーマス・マンには構文分析があり、魯迅にはことばの比較がある。そのため、全集の分析に拘る文学の研究者とは、分析のストーリーに違いがある。文学の研究者であれば、全集の中から一つだけシナジーのメタファーのために作品を選び、その理由を述べればよい。なお、Lのストーリーについては、人文と理系が交差するため、機械翻訳などで文体の違いを調節するトレーニングが推奨される。
 メゾのデータを束ねて何やらリスクの予測が立てば、言語分析や翻訳そして検定に基づくミクロと医学も含めたリスクや観察の社会論からなるマクロとを合わせて、広義の意味でシナジーのメタファーが作られる。

花村嘉英(2020)「島崎藤村の『千曲川のスケッチ』の執筆脳について−自然や文化の観察者の立場から」より

心理学統計の検定を用いて三浦綾子の「道ありき」を考える6

3 まとめ

 三浦綾子の「道ありき」に登場する人物の満足度についてデータベースから心理学統計による評価をしてみると、満足度に関して差があることが分かった。

参考文献

大山正・中島義明 実験心理学への招待 サイエンス社 2012
実吉綾子 心理学統計入門 技術評論社 2013
花村嘉英 シナジーのメタファーの作り方−トーマス・マン、魯迅、森鴎外、ナディン・ゴーディマ、井上靖 中国日语教学研究会上海分会論文集 2018 
花村嘉英 三浦綾子の「道ありき」の執筆脳について 2019
三浦綾子 道ありき 新潮文庫 2004
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花村嘉英
花村嘉英(はなむら よしひさ) 1961年生まれ、立教大学大学院文学研究科博士後期課程(ドイツ語学専攻)在学中に渡独。 1989年からドイツ・チュービンゲン大学に留学し、同大大学院新文献学部博士課程でドイツ語学・言語学(意味論)を専攻。帰国後、技術文(ドイツ語、英語)の機械翻訳に従事する。 2009年より中国の大学で日本語を教える傍ら、比較言語学(ドイツ語、英語、中国語、日本語)、文体論、シナジー論、翻訳学の研究を進める。テーマは、データベースを作成するテキスト共生に基づいたマクロの文学分析である。 著書に「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」(新風舎:出版証明書付)、「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む」(華東理工大学出版社)、「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで(日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用)」南京東南大学出版社、「从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默-ナディン・ゴーディマと意欲」華東理工大学出版社、「計算文学入門(改訂版)−シナジーのメタファーの原点を探る」(V2ソリューション)、「小説をシナジーで読む 魯迅から莫言へーシナジーのメタファーのために」(V2ソリューション)がある。 論文には「論理文法の基礎−主要部駆動句構造文法のドイツ語への適用」、「人文科学から見た技術文の翻訳技法」、「サピアの『言語』と魯迅の『阿Q正伝』−魯迅とカオス」などがある。 学術関連表彰 栄誉証書 文献学 南京農業大学(2017年)、大連外国語大学(2017年)
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