2021年04月17日
「ユング心理学」と名言を紹介!無意識やフロイトとの違いも解説
「ユング」とは?
ユングは「分析心理学」の創始者
カール・グスタフ・ユング(C.G.ユング)(1875年〜1961年)は、スイスの精神科医で心理学者です。フロイトとともに精神分析学を発展させますが、意見の相違から決別し、ユング心理学とも呼ばれる独自の分析心理学を創始しました。
ユングは「集合的無意識」といった新しい概念を創出し、無意識の領域をあきらかにしました。また、独創的な「元型論」を用いて夢や神話などの研究も行い、その専門領域を超えて芸術や文学の分野にも大きな影響を及ぼし、20世紀を代表する思想家として知られています。
「ユング心理学」に関係するキーワード
独自に創出した心理学用語も多いユング心理学について、その代表的なキーワードを紹介します。
集合的無意識(普遍的無意識)
ユングが「発見」した「集合的無意識」(普遍的無意識とも呼ぶ)とは、古代から現代まで人間の無意識に通底する心理構造のことをいいます。それは人間の情緒性の基盤であり想像力の原点であるとされました。そのパターンである「元型」」は普遍的に人間に存在し、時代と場所や、民族によって違った形をととって人間に影響するとされます。
ユングの分析心理学では、相反する自分が意識と無意識にはそれぞれ存在し、意識と無意識の関係は補償的・調和的なものであるとしています。
元型
「集合的無意識」には共通のパターンがあり、そのパターンに人間は無意識に従っているとユングは考え、そのパターンのことを「元型」と呼びました。元型は知覚や認識を導くものであると同時に、本能行動を導く役割も持ち、人間に生得的に備わっているイメージだとユングは説明しています。
また元型は神話や伝説にも現れ、グレートマザーや老賢人のイメージなどが代表的なものだとされます。
タイプ論
ユングは人間の気質について、意識が内部の世界に向かう傾向の強い人を「内向型」とし、意識が外界の世界に向かう傾向の強い人を「外向型」とする2タイプに分類しました。さらに、対象を捉えたり判断するときの傾向から、「感覚型」「直観型」「思考型」「感情型」に心の機能を分け、人間の自己実現の過程をタイプごとに分析しました。ユングはフロイトと決別して8年後に、人間の心理的なタイプを探求した『タイプ論』を刊行し、独自の理論を体系化しています。
ペルソナ
「ペルソナ」とは、元来は古典劇において用いられた仮面のことですが、ユングは人間の外的側面に現れる心理的な仮面をペルソナと呼びました。例えば本来の自己とは違うパーソナリティの仮面を被って周囲に適応しようとしたりすることを「ペルソナ」の言葉を用いて説明します。
ユングはペルソナについてこのように述べています。「ペルソナはわれわれが外界とつきあうための適応の方法である。たとえば、すべての職業はそれにふさわしいペルソナを持っている。ただ危険なことは、人々がそのペルソナと同一化することである。」
アニマ・アニムス
「ペルソナ」とは逆に、自己の内界に現れる側面として、男性的な側面を「アニマ」、女性的な側面を「アニムス」と呼びます。
身体的な性ではない自分のもう一方の性が普段は無意識を構成しており、それが恋人や永遠の男性・女性のイメージ、すなわちアニマ・アニムスとなって夢に現れるとユングは考えました。
影(シャドウ)
ユングは人間が統合された人格として生きるとき、必ず「生きられなかった側面」が存在すると考え、それを「影(シャドウ)」と呼びました。また「影」には個人にとって特有の「個人的影」と、人類共通の「普遍的影」があり、普遍的影は殺人などのような「悪」の概念に近いもの
だとしました。
コンプレックス
心理学・精神医学用語の「コンプレックス」とは、衝動や欲求などのさまざまな心理を構成する要素が無意識に混ざり合って形成された観念の複合体のことを指します。普段は意識の下に抑圧されていますが、現実の行動に影響しているとされます。「コンプレックス」はユングによって一般的な言葉となりました。
フロイトの精神分析においては、幼児期における父親や母親にむかう心理の抑圧を表す「エディエディプス・コンプレックス」が中心に置かれました。
アドラーの人格心理学においては、当初「劣等コンプレックス」を理論の中心に置いており、劣等コンプレックスの克服を通じて人格が発達するという理論が日本に受け入れられました。そのため、「コンプレックス」が「劣等感」を表す言葉として定着しています。
「ユング」と「フロイト」の違いとは?
二人が共通に着目した「無意識」の解釈に違いが起こった
ユングとフロイトは一緒に国際精神分析協会を設立するなど一時は緊密な関係を結んでいましたが、やがてユングがフロイトに絶縁状を送って完全に決別します。そもそも両者の共通点は、フロイトが『夢判断』で発表した、人間の心理や行動には「無意識」が働いているとする精神分析の考え方でしたが、その無意識の解釈に決定的な違いが起こったのです。
ユングはフロイトの「無意識」に対して「集合的無意識」を発見した
フロイトは無意識の領域を「個人の持つ領域」だとしたのに対し、ユングは無意識には「個人的無意識と集合的無意識」の2層があると主張しました。
「リビドー」の解釈と「性欲理論」に相違があった
ユングは「リビドー」を「本能のエネルギー」と解釈しましたが、フロイトは「性的衝動を発動させるエネルギー」としました。その他にもフロイトが問題の原因をすべて性欲にあると考えることについてユングは違和感を覚え続けました。
やがて1911年から1912年にユングが出版した著書『リビドーの変容と象徴』において、ユングがフロイトの性欲理論を否定したことで二人は決別します。フロイトが心理学的な問題の原因のすべてを性欲によるものだとしたことにユングは納得できませんでした。
■参考記事
「フロイト」の「夢」の意味とは?精神分析や心理学も解説
「ユング」と「アドラー」の違いとは?
「ユングの分析心理学」と「アドラーの個人心理学」はアプローチが違う
アドラーは自らの心理学を「個人心理学」と呼び、人の心はその人だけのものであり、外からのどんな力にも左右されず、過去の経験に縛られることもないと説きます。そして過去の経験から発生するトラウマについても認めず、神経症状を未来への目的を持ったものとして設定しました。
それに対してユング心理学は「分析心理学」と呼ばれる通り「分析」に重きを置く傾向があり、目的へ向かうアドラー心理学とはアプローチが違うという側面があるといえます。
「ユング」の名言
最後にユングの名言をその著書から紹介します。
私の生涯のうちで最もすばらしくかつ有意義な会話は、無名の人々との会話であった。
無意識の中にあるものはすべて外界へ向かって現れることを欲しており、人格もまた、その無意識的な状況から発達して自らを全体として体験することを望んでいる。
一般人はあまりにも無意識のままでいるので、決定を下しうる自分自身の潜在能力にまるで気づかずにいる。
控えめな人にとって、攻撃的なところはその人の影になっている。しかし攻撃的な生き方をしている人にとっては、控えめなところがその人の影になる。
われわれが内的人格の欲することや、語ることに従ってゆくならば、苦痛は消える。
生きることは意味があり、そして意味がない。私は、意味が優勢となり戦いに勝つことを切望している。
本当の命は地下茎の中にかくれていて見えない。地上に見える部分がひと夏だけ生き続けるにすぎない。それは衰えていく、つかのまの現れなのである。
人は、自分が何らかの点で神秘的な世界に住んでいること、つまり起こる事象の中で何ものかは説明しがたいものとして残り、すべての事象が予知されるとは限らないことを感知しなければならない。
われわれの生れてきた世界は無慈悲で残酷である。そして同時に、神聖な美しさを持っている。
自分自身との出会いはまず自分の影との出会いとして経験される。影とは細い小道、狭き門であり、深い泉の中に降りていく者はその苦しい隘路を避けて通るわけにはいかない。つまり自分が誰であるかを知るためには、その狭い門を通り抜けなければならない。
まとめ・ユング心理学おすすめの本
ユングは著書などでニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」についてたびたび言及しており、自伝にはこのように書いています。「ニーチェは彼の思想という内的世界以上の何ものも持たなかったので、彼は足場を失ってしまったのだ。彼は根こそぎにされ、宙に迷っていた。」
ニーチェは自身の思想に飲み込まれ、晩年は発狂しましたが、ユングは自身の内的世界を「黒の書」に書きとめ、次に「赤の書」に書き換えて「マンダラ」の絵を添え、地下世界と向き合うことにより、現実の世界にとどまり続けました。
ユングが私的な日記として書き綴り、非公開のまま眠っていた伝説の書である「赤の書」は2009年に世界で同時刊行され、日本語訳も出版されています。ユングは無意識の世界を解き明かすことによって人間の深い理解を目指しましたが、その教義はあまりにも深く広大です。
ユング心理学に興味を持たれた方には、ユングを日本に広めた河合隼雄の『ユング心理学入門』を1冊目の本としておすすめします。
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