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2020年04月02日

完全栄養食品 牛乳の基礎知識



はるか悠久の昔から世界各地で人々の食生活と深く関わり合い、日本では明治に入ってから急速に普及した『牛乳』。今日では完全栄養食品とも呼ばれ、学校給食のメニューに必ず登場するなど、現代人の食生活に深く浸透しています。牛乳は良質なタンパク質や脂質、カルシウム等が豊富で、栄養価が高いことから、健康維持には不可欠な食材です。


人類と牛乳の関わり


1万年前から利用されてきた牛乳





人類は古くから牛乳を食用として利用してきました。人類が牛や山羊などの乳を飲み始めたのは今から約1万年前頃ではないかといわれています。紀元前4000年頃のエジプトやメソポタミアでは、発掘された壁画などから、すでに当時の人が牛乳を飲んでいたことが分かっています。中でもエジプトでは、世界三大美人の1人とされているクレオパトラ女王が牛乳風呂に入り、その美しさに磨きをかけていたと伝えられています。

その後、世界各地で利用されるようになってきますが、おもしろいのは宗教と牛乳との関わりで、最初は上層階級の飲み物だった牛乳が、次第に一般庶民に広まって行ったことが窺えます。

キリスト教では、聖書の中に「乳と蜜の流れる土地」「滋養に富んだ大切な飲み物」といった、牛乳を貴ぶ表現が散見されます。

仏教では、断食修行で衰弱したお釈迦様が、スジャータという娘が捧げた1杯の牛乳を飲んだところ、その美昧しさに驚き、再び修行する力を得て、ついに悟りをひらいたとされています。仏教の教典『涅槃経』には、修行の過程を乳製品の製造過程に例えています。その一つが「醍醐」。私たちは深い昧わい、本当の楽しみに接した時に「醍醐味」という言葉を使いますが、この言葉の本当の意昧は「仏教における仏の最高の教え」なのです。イスラム教では開祖・マホメットが「神から賜った霊薬」として乾燥した発酵種を病気に苦しむ人に渡して、これで発酵乳を作って飲むように勧めたと言われています。



人類は有史以来、牛乳から多くの恩恵を受け、今日でも世界各地で酪農が盛んである












 



 

日本の牛乳の始まり


日本の最も古い記録では、大和時代の紀元560年頃に帰化人の知聡が搾乳の技術を伝え、645年には善那(福常)が考徳天皇に牛乳を献上したとされています。

701年に大宝律令が制定され、その中に「乳の戸」という記述がありますが、これは官制の酪農家のことで、毎日一定量の牛乳を皇族用に収めていました。713年に山背国(京都府)に乳戸五十戸置く−と記されています。

平安時代になると、法典『延喜式』に「諸国貢酥(こうそ)の番次」が定められます。これは諸国が牛乳を煮詰めて作る「酥(チーズのようなもの)」を朝廷に献上する順番、数量等を決めたものです。ただし、この頃に牛乳や乳製品を食べることができたのは、皇族や貴族などの一部の上流階級のみで、一般庶民には広がりませんでした。貢酥の儀は武士が台頭してきた平安末期にはすたれ、鎌倉時代になると完全になくなりました。

その後、安土桃山時代にはキリスト教宣教師が貧民の幼児を集めて、牛乳を飲ませる乳児院を長崎に設立しますが、キリシタン弾圧のために廃止されます。

再び、牛乳が歴史の表舞台に現われるのは江戸時代に入ってからのこと。8代将軍・吉宗はインドから輸入した牛を使って、馬の医療用として「白牛酪」という乳製品を作りましたが、やはり一般の人々の間には普及しませんでした。



日本での牛乳の普及


幕末の開国により、日本に在住の外国人の間で牛乳が飲まれていました。そんな中で、千葉県の農夫・前田留吉がオランダ人・スネルから牛の飼育・搾乳技術を学び、牛乳の生産・販売が始まりました。

明治政府は酪農を殖産興業の1つと位置づけ、牛乳の栄養価の高さを啓蒙しました。販売方法も規定され、1889年(明治22年)の『牛乳搾取規則』により、それまでのブリキ缶による量り売りに代わり、ガラス瓶での販売となりました。1900年(明治33年)には『牛乳営業取締規則』が施行され、牛乳を加熱殺菌した上で、販売するようになりました。

このように牛乳の生産体制が整っていく中で、新聞や雑誌に「明治天皇は毎日2回ずつ牛乳を飲む」という記事が掲載されたこともあり、一般の間にも徐々に広がり始めます。

牛乳の生産・販売には殺菌や充填の衛生的な設備を必要としたため、昭和初期から個人企業は会社形態をとるようになりました。

戦後は学校給食に牛乳が取り入れられたこともあり、消費量は急速に伸びました。1950年(昭和25年)以降は、新しい殺菌技術の開発や紙パックの登場により、生産性・品質管理などが向上しています。








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牛乳の種類


私たちが普段、飲んでいる牛乳にはいろいろな種類があります。生産方法により大きく次の5つに分けられます。

牛乳

生乳(牛からしぼったままの乳)を加熱殺菌したもので、水や他の原料は入っていません。乳脂肪分3%以上、無脂乳固形分8%以上の成分を含むものです。

部分脱脂乳

生乳から乳脂肪分の一部を取り除いたもの。タンパク質やカルシウムはほぼ牛乳と同じ。

脱脂乳

生乳からほとんどすべての乳脂肪分を取り除いたもの

加工乳

生乳または脱脂粉乳やバターなどの乳製品を原料に、乳成分を増やしたものや、乳脂肪分を減らしたものなどがあります。濃厚ミルクまたは低脂肪乳などです。

乳飲料

生乳または乳製品を主原料に、乳製品以外のものを加えたもの。カルシウムやビタミンなどを強化したものやコーヒー・果汁などを加えたものなどがあります。


 




はるか悠久の昔から世界各地で人々の食生活と深く関わり合い、日本では明治に入ってから急速に普及した『牛乳』。今日では完全栄養食品とも呼ばれ、学校給食のメニューに必ず登場するなど、現代人の食生活に深く浸透しています。牛乳は良質なタンパク質や脂質、カルシウム等が豊富で、栄養価が高いことから、健康維持には不可欠な食材です。


人類と牛乳の関わり


1万年前から利用されてきた牛乳





人類は古くから牛乳を食用として利用してきました。人類が牛や山羊などの乳を飲み始めたのは今から約1万年前頃ではないかといわれています。紀元前4000年頃のエジプトやメソポタミアでは、発掘された壁画などから、すでに当時の人が牛乳を飲んでいたことが分かっています。中でもエジプトでは、世界三大美人の1人とされているクレオパトラ女王が牛乳風呂に入り、その美しさに磨きをかけていたと伝えられています。

その後、世界各地で利用されるようになってきますが、おもしろいのは宗教と牛乳との関わりで、最初は上層階級の飲み物だった牛乳が、次第に一般庶民に広まって行ったことが窺えます。

キリスト教では、聖書の中に「乳と蜜の流れる土地」「滋養に富んだ大切な飲み物」といった、牛乳を貴ぶ表現が散見されます。

仏教では、断食修行で衰弱したお釈迦様が、スジャータという娘が捧げた1杯の牛乳を飲んだところ、その美昧しさに驚き、再び修行する力を得て、ついに悟りをひらいたとされています。仏教の教典『涅槃経』には、修行の過程を乳製品の製造過程に例えています。その一つが「醍醐」。私たちは深い昧わい、本当の楽しみに接した時に「醍醐味」という言葉を使いますが、この言葉の本当の意昧は「仏教における仏の最高の教え」なのです。イスラム教では開祖・マホメットが「神から賜った霊薬」として乾燥した発酵種を病気に苦しむ人に渡して、これで発酵乳を作って飲むように勧めたと言われています。



人類は有史以来、牛乳から多くの恩恵を受け、今日でも世界各地で酪農が盛んである












 



 

日本の牛乳の始まり


日本の最も古い記録では、大和時代の紀元560年頃に帰化人の知聡が搾乳の技術を伝え、645年には善那(福常)が考徳天皇に牛乳を献上したとされています。

701年に大宝律令が制定され、その中に「乳の戸」という記述がありますが、これは官制の酪農家のことで、毎日一定量の牛乳を皇族用に収めていました。713年に山背国(京都府)に乳戸五十戸置く−と記されています。

平安時代になると、法典『延喜式』に「諸国貢酥(こうそ)の番次」が定められます。これは諸国が牛乳を煮詰めて作る「酥(チーズのようなもの)」を朝廷に献上する順番、数量等を決めたものです。ただし、この頃に牛乳や乳製品を食べることができたのは、皇族や貴族などの一部の上流階級のみで、一般庶民には広がりませんでした。貢酥の儀は武士が台頭してきた平安末期にはすたれ、鎌倉時代になると完全になくなりました。

その後、安土桃山時代にはキリスト教宣教師が貧民の幼児を集めて、牛乳を飲ませる乳児院を長崎に設立しますが、キリシタン弾圧のために廃止されます。

再び、牛乳が歴史の表舞台に現われるのは江戸時代に入ってからのこと。8代将軍・吉宗はインドから輸入した牛を使って、馬の医療用として「白牛酪」という乳製品を作りましたが、やはり一般の人々の間には普及しませんでした。



日本での牛乳の普及


幕末の開国により、日本に在住の外国人の間で牛乳が飲まれていました。そんな中で、千葉県の農夫・前田留吉がオランダ人・スネルから牛の飼育・搾乳技術を学び、牛乳の生産・販売が始まりました。

明治政府は酪農を殖産興業の1つと位置づけ、牛乳の栄養価の高さを啓蒙しました。販売方法も規定され、1889年(明治22年)の『牛乳搾取規則』により、それまでのブリキ缶による量り売りに代わり、ガラス瓶での販売となりました。1900年(明治33年)には『牛乳営業取締規則』が施行され、牛乳を加熱殺菌した上で、販売するようになりました。

このように牛乳の生産体制が整っていく中で、新聞や雑誌に「明治天皇は毎日2回ずつ牛乳を飲む」という記事が掲載されたこともあり、一般の間にも徐々に広がり始めます。

牛乳の生産・販売には殺菌や充填の衛生的な設備を必要としたため、昭和初期から個人企業は会社形態をとるようになりました。

戦後は学校給食に牛乳が取り入れられたこともあり、消費量は急速に伸びました。1950年(昭和25年)以降は、新しい殺菌技術の開発や紙パックの登場により、生産性・品質管理などが向上しています。








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牛乳の種類


私たちが普段、飲んでいる牛乳にはいろいろな種類があります。生産方法により大きく次の5つに分けられます。

牛乳

生乳(牛からしぼったままの乳)を加熱殺菌したもので、水や他の原料は入っていません。乳脂肪分3%以上、無脂乳固形分8%以上の成分を含むものです。

部分脱脂乳

生乳から乳脂肪分の一部を取り除いたもの。タンパク質やカルシウムはほぼ牛乳と同じ。

脱脂乳

生乳からほとんどすべての乳脂肪分を取り除いたもの

加工乳

生乳または脱脂粉乳やバターなどの乳製品を原料に、乳成分を増やしたものや、乳脂肪分を減らしたものなどがあります。濃厚ミルクまたは低脂肪乳などです。

乳飲料

生乳または乳製品を主原料に、乳製品以外のものを加えたもの。カルシウムやビタミンなどを強化したものやコーヒー・果汁などを加えたものなどがあります。


 

posted by gomabon at 08:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康
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