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2016年01月02日
2016年元旦
明けましておめでとうございます。
2016年の新しい年も明けました。毎年年賀状は年が明けてから書きます。年末に「明けましておめでとう」などとはまだ明けてないのに書けません。その作業も年々億劫になってきています。今年はまだ書いていません。ポストに届く年賀状の数も毎年減ってきてますが、(私が書かないからでしょうが(^^;)最近届く年賀状の味気ないこと。殆どの年賀状はプリンタで作成した印刷物で、そればかりを見ていると手書きの文字が恋しくなります。そんな時に直筆の年賀状を発見すると嬉しくなります。達筆よりもちょっと下手な字の方が身近に感じるし暖かさも感じます。プリンタでの年賀状の作成が始まった頃は、私も得意げにテクニックを駆使し作ったものでしたが、その作成方法も今では余りに一般的であり、最近では単なる手抜きであるようにも感じます。プリンタで作る前は、毎年、版画を作ってました。木の板を削ったり、ゴム板を削ったり、紙を切って貼り付けたり、情緒のある心を込めた年賀状でしたね。
2016年の新しい年も明けました。毎年年賀状は年が明けてから書きます。年末に「明けましておめでとう」などとはまだ明けてないのに書けません。その作業も年々億劫になってきています。今年はまだ書いていません。ポストに届く年賀状の数も毎年減ってきてますが、(私が書かないからでしょうが(^^;)最近届く年賀状の味気ないこと。殆どの年賀状はプリンタで作成した印刷物で、そればかりを見ていると手書きの文字が恋しくなります。そんな時に直筆の年賀状を発見すると嬉しくなります。達筆よりもちょっと下手な字の方が身近に感じるし暖かさも感じます。プリンタでの年賀状の作成が始まった頃は、私も得意げにテクニックを駆使し作ったものでしたが、その作成方法も今では余りに一般的であり、最近では単なる手抜きであるようにも感じます。プリンタで作る前は、毎年、版画を作ってました。木の板を削ったり、ゴム板を削ったり、紙を切って貼り付けたり、情緒のある心を込めた年賀状でしたね。
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2015年12月31日
冬支度を終えた海辺
すっかり冬支度の終わった海辺には、暖かな日差しが注いでいた。黄金色のススキの穂は風に揺らぎ、つかの間の安らぎをもたらしてくれる。お日様の臭いがするのは久しぶりのことであろう。そのススキの穂をかき分け小道を通り過ぎると、大変なことになっていた。
幼い頃遊んだ広大な砂浜はとうに失せていたが、それでも堤防の向こうに海が見えていた。今は、何も見えない。3.11の津波対策であろうが、目の前には大きな砂山が築かれている。以前から感じていたが、ピントがずれてはいないだろうか。未だ疑問である。
人は過ちという連鎖に火を着け、その炎に追われて一生を過ごす。一度引き金を引かれたその運動は停めることを出来ず、それに輪を掛けた新たな沢山の出来事を生み出してゆく。地球はこの先どうなってしまうんだろう。砂は消え失せ、海もなくなり、想い出は幻となる。
海の輝きは今も変わらなかった
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