2013年03月11日
往復800キロの介護か…
東北大震災が起きて、2年目になる。
月日が経つのは早いものだ。
歴史にも大きく残る事だろう。
先週の水曜日、突然に実家の地域の保健センターから電話があった。
「お母様が容態が安定していないのですが、救急車で搬送されますか?」って。
私は風邪で床に臥せっていた。
その電話を受けた途端、風邪は何処かへ飛んでいった。
急いで身支度をし、夕方の新幹線に飛び乗った。
自宅を出る前に、実家の母に電話したがやはり、えらそうだった。
夜の9時前に着くと、一人寝ていた。
病院に行くほどではなさそうだが、やはりしんどそうだった。
母は私の顔を見て泣いていた。
土曜日まで甲斐甲斐しく世話をすると、体調が戻ってきたようだった。
土曜日の夕方、母に見送られながらバスに乗った。
そしてその夜、自宅の最寄り駅に着くと、子ども達が迎えに来てくれていた。
往復400キロの介護か…。
まだまだこれからだろう。
今まで出来なかった親孝行のつもりでやっていこう。
カインドケアのキッスだね。
月日が経つのは早いものだ。
歴史にも大きく残る事だろう。
先週の水曜日、突然に実家の地域の保健センターから電話があった。
「お母様が容態が安定していないのですが、救急車で搬送されますか?」って。
私は風邪で床に臥せっていた。
その電話を受けた途端、風邪は何処かへ飛んでいった。
急いで身支度をし、夕方の新幹線に飛び乗った。
自宅を出る前に、実家の母に電話したがやはり、えらそうだった。
夜の9時前に着くと、一人寝ていた。
病院に行くほどではなさそうだが、やはりしんどそうだった。
母は私の顔を見て泣いていた。
土曜日まで甲斐甲斐しく世話をすると、体調が戻ってきたようだった。
土曜日の夕方、母に見送られながらバスに乗った。
そしてその夜、自宅の最寄り駅に着くと、子ども達が迎えに来てくれていた。
往復400キロの介護か…。
まだまだこれからだろう。
今まで出来なかった親孝行のつもりでやっていこう。
カインドケアのキッスだね。