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2010年06月14日

ワールドサッカーは悲しく

入梅だよ。
昨日までの天気を利用して干ししいたけが出来たから、
ちょっぴり嬉しい梅雨の始まりだよ。

南アフリカで開催されたワールドサッカーの話題で、マスコミが賑わしい。

2002年のワールドサッカーは日韓共催で、マスコミの報道もヒートアップしていた。
日ごろ、サッカーにも興味がなくてもお祭り騒ぎが好きな私としては、
そのお祭りに日々を過ごしているはずだった。

2002年5月28日の夕方、3日後に開催される時に、一本の電話。
救急車からの母の悲痛な声。
「お父さんが倒れた。意識がないんだよ。もう駄目かも」

えっ、だってその日の3時ごろ、私が実家へ電話をしたときは、普通に話していた父。

もう、本当にそれからはまるでテレビドラマのように、
フライパンで作っていた野菜炒めをそのままにし、
とるものもとらず、新幹線に飛び乗った。

地下鉄、新幹線の中、人目をはばからず、ずっと泣いていた。

病院に着いたときは夜中の12時を回っていた。
田舎で兄弟が多い父母で、大勢の親族が悲痛な面持ちで控え室に座っていた。

集中治療室では、管につながれた変わり果てた父の姿。

ドクターには、もって3日の命、と宣告され、
ただただ、呆然とするばかりだった。
脳出血で、脳幹付近で大量の出血で助からないと。

5月31日に、ワールドサッカーが始まる日には父はいなくなるんだ、と思いながら、ただただ涙。

容態も安定せず、その日を迎えた。
6月に入っても、意識が戻らず、血圧も200以上、血糖値が500というレベルが続いた。

病院の待合室では、ワールドサッカーの白熱ぶりを伝えていた。
それはとても、遠い世界のように感じた。

今でも、ワールドサッカーの時期になると、
あの時の感情がフラッシュバックして、涙がとまらなくなる。
軽いPTSDだろうなぁ。

少子化、核家族化で、親しい人間の死が身近になくなった。
死ぬなんて当たり前のことなのに、
当たり前の事として受け入られなかった自分がそこにいた。

だけど、父は奇跡的にも一命を取りとめ、
約2年間の猛烈な介護の末、小雪の降る2月のある日、
病室で誰にも看取られず、一人旅立っていった。

父らしい最期だった。

ワールドサッカーに涙のシュートのキッス。
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