2010年02月22日
命日に思い出すこと
曇りがちの月曜日、だけど暖かいよ。
今日は平成22年2月22日、ぞろ目だ。
そして父の命日。
命日になると必ず、思い出すことがある。
父は病院で亡くなった。
父の遺体を雪の中、寝台タクシーで自宅まで運んだ。
そのタクシーに身内が7人乗り込み、私は父の足元に座った。
タクシーの振動で父の冷たく固くなった体が私に触れる。
私は悲しみにくれながらも、その感触がこの世の物ではない様に感じ、体をそっとよけていたことだ。
死体に触れたことははじめての経験だった。
私は父のことが好きでなかったのか。
そんな風にしか出来なかった自分がいつまでも
許せなかった。
お通夜のとき、大勢の方の読経とともに
父の魂が天国へ上がっていくのを全身で感じたことが
せめてもの救いだった。
今頃、天国でゆっくりしている父にラブリーキッスだよ。
今日は平成22年2月22日、ぞろ目だ。
そして父の命日。
命日になると必ず、思い出すことがある。
父は病院で亡くなった。
父の遺体を雪の中、寝台タクシーで自宅まで運んだ。
そのタクシーに身内が7人乗り込み、私は父の足元に座った。
タクシーの振動で父の冷たく固くなった体が私に触れる。
私は悲しみにくれながらも、その感触がこの世の物ではない様に感じ、体をそっとよけていたことだ。
死体に触れたことははじめての経験だった。
私は父のことが好きでなかったのか。
そんな風にしか出来なかった自分がいつまでも
許せなかった。
お通夜のとき、大勢の方の読経とともに
父の魂が天国へ上がっていくのを全身で感じたことが
せめてもの救いだった。
今頃、天国でゆっくりしている父にラブリーキッスだよ。