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ビギン
 屋根裏に子供部屋が、小さい頃の思い出・・・ 沢山の思い出が、大冒険の始まりの予感が!
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2008年11月20日
くま公園!
 おはようございます。

今日は、くま公園です。

正式には違った名前だと思うんですが

我輩はそう呼んでいます。

我輩の住む地域には幾つかの公園があったんですが

くま公園は違う地域にあるんです。

我輩の家では、外で遊んでいても、日が沈む頃には家に帰ってこなくては

いけない決まりがあったんです。

言ってみれば門限みたいなものです。

子供のためにも良くないしその時間帯は

何処の家でも夕食の支度をしたりで迷惑になると言う理由からだったんです。

ある日我輩が遊んでいると気づかないうちに

いつもと違う友達と遊んでいたんです。

今まで遊んだ事が無いような・・・・・

それでもやっぱり子供ですから仲良く遊んでいたんです。

ふと気がつくと時刻は夕方の6時5分前

日も沈みあたりは暗くなってきたんです。

早く家に帰らないと叱られる・・・

我輩周りを見渡してビックリ・・・・・

今まで遊んだ事の無い公園だったのです。

今まで遊んでいた人は皆それぞれの家に帰り

我輩一人公園に・・・

よく見るとJRの線路が見えたんです。

線路に行けばいつも遊ぶ公園が近くにある

我輩泣きながら走ったのです。

その頃の我輩にはかなり遠かったように感じ

もう家に帰れない雰囲気に・・・

時間的には自宅まで10分くらいだったと思うんですが

初めて遊ぶ公園・・・周りには知らない友達・・・

時刻は夕暮れ門限が迫る中・・・

懸命に走って家に帰ったのです。

今思えば、そう遠く離れていない公園でも

子供にしてみたらすごく遠い公園だったのです。

大人になって極普通の事でも、子供の目からは

すごく悪い事・・・すごく不思議な事・・・

色々なすごい経験をしているのだと

この年齢になって感じるようになりました。

今もその公園にはクマのマークの入った遊び場があります。

懐かしく思いとおるたびにその事を思い出すのでした。



 明日は、ヨモギもちと土筆!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 08:32 | 昔を散策 | この記事のURL
2008年11月19日
貯金箱!
 おはようございます。

今日は、貯金箱!です。

我輩小さい頃から決まったお小遣いをもらった

経験が少ないんです。

いつもは、家の工場に製品を取りに来た時に手伝いをするんです。

正確に言えば、製品の運び出し作業の手伝いのようなものです。

車の荷台の上で運んできた段ボウル箱を前に押していくんです。

その車に乗って工場まで・・・

そこで工場の中を通り抜けてくるんですが

その時におじたちにお小遣いをもらって帰るんです。

ほしいものが出来た時は、親に金額とほしいものを伝えるんです。

そうすると計算をしてくれるんです・・・

一個?銭のものを何個作ればほしいものが買えるか

それを時間に直して工場の手伝いを何時間となるのです。

子供なのでできる仕事は決まっているんですが

ちょうど信用金庫や銀行・郵便局の貯金箱を作っていたんです。

今ではあまり見かける事がなくなりましたが・・・

その当時今日は大阪信金の貯金箱

次は○○の銀行と以外にあったんです。

その手伝いをしてはお小遣いをもらっていたんです。

手の小さい我輩の親指の付け根は皮がめくれ、冬には痛い思いを・・・

時には缶のくずがあり指に刺さるんです。

それがまた痛い事・・・

器械の前の壁にはいつも手裏剣みたいに刺さっていました。

その日の指に刺さった剣が・・・

いたくって思わず壁に投げたら上手く刺さるんです・・・

小さい頃よく手伝っていたのを懐かしく思います。

今はほとんど見なくなった缶でできた貯金箱・・・

何処の信用金庫や銀行・郵便局にも置いてあったのに・・・・・



 明日は、くま公園!です。



 では、また。

Posted by ビギン at 08:13 | 昔を散策 | この記事のURL
2008年11月18日
静かな町に人の声!
 おはようございます。

今日は、静かな町に人の声!です。

我輩小さい頃近所のおじの家に行ったり来たりしていたんです。

鍵がかかっているといつもおじの家に・・・・・

学校から帰ってきても・・・・・

以前に屋根裏部屋で話をしたのですが

路地裏を通るとトイレに行きたくなることが

たびたびあったんです

それと同様で町の中がなんだか静か過ぎるんです。

まるで通り全体がトイレを我慢している我輩のように

動いていないような雰囲気なんです。

よく漫画などで静かなシーンの時 「シーン」と書いてあるでしょう。

あんな雰囲気なんです。

耳にいつも「シーン」が聞こえているような

学校からの帰りおじの家に・・・

鼻川神社からまっすぐと入った道

昔の鼻川の川沿いだったようですが

家に入ると「シーン」耳に聞こえてくるんです。

しばらく叔母の顔を見ていると、ふと我に変ええたように

気がつくんです。

いつも大体1分ぐらい・・・・・

まるで何も見えていないかのように・・・・

その通り全部が、時間の止まった町のようになっているんです。

その時の我輩の目の前には、白血球の飛ぶのが?????

《テレビ番組の医学の放送でやっていてわかったんですが》

目におたまじゃくしの影のような物が一杯飛ぶんです。

我輩に気づいたおばの声で、周りのうちからも人が出てくるんです。

昔の防犯なのか・・・・・近所のおばさんたちの井戸端会議が始まる時間です。

子供たちの帰ってくる時間

携帯電話など無い頃の話なんでしょうか

いつも地域の大人の目があったように思います。



 明日は、貯金箱!です。



 では、また。

Posted by ビギン at 07:53 | 昔を散策 | この記事のURL
2008年11月17日
亀!
 おはようございます。

今日は、亀!です。

昨日も話しに出てきたのですが

我輩の通っていた保育園には亀がいたんです。

ちょうどトイレのあるあたりに沢山

昔の用水槽(石で出来た消防用水)の中に・・・

我輩の通っていた保育園は給食が有り

昼にはパンが出たんです。

いつも食べて帰るんですが我輩食が細いのか

残ってしまうんです。

帰りにいつも亀を眺めて残ったパンをあげて帰るんです。

その時の匂いがまた強烈・・・

我輩は慣れたものでコツをつかんでいたんです。

鼻の中に意識すると弁のような感覚を持つ事ができるんです。

自然に匂いのきつい物の時は弁が閉じてしまうんです。

小さい時から臭いとか失礼に当たることは

言わないように躾けられたからかも・・・

今でも、人に対し見た目の醜さを口にする事は

恥ずかしく思うのもその頃に教えられたのかも知れません。

今は、そこにも亀はいなくなりました。

我輩が社会に出る頃までは家の前の川にも沢山いたんですが・・・

ちょうどJRの降下したのあたりに・・・

時折魚釣りのようにつれる事も・・・

家の周りの環境もずいぶんと変ってしまいました。



 明日は、静かな町に人の声!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 08:03 | 昔を散策 | この記事のURL
2008年11月16日
尺取虫の自動車教習場!
 おはようございます。

今日は、尺取虫の自動車教習場!です。

尺取虫?・・・百取蟲・・・

体の前足に後ろ足をひきつけて歩く蟲なんです。

まるで指でサイズを測るように尺を計っているように歩いているんです。

我輩の通っていた保育園の出来事なんです。

保育園の運動場の端においてあった古い車が

我輩の遊び場になっていたんです。

その頃から、車の運転が好きだったようです。

休み時間になると決まってそこに・・・

動かなくなった車の中で運転するんです。

クラッチもチェンジレバーもそのままに有り

車の運転操作が、そのままにできるんです。

シートが前に動かなくてもお尻をずらし懸命に運転を

飽きることなく毎日の日課となって・・・

最初の頃は保育園の友達も車の中へ・・・

そのうち皆飽きてしまってほかの遊びを

我輩一人寒い冬になっても運転してたんです。

我が家に車が無かったせいかも知れません。

車の中では、虫たちが一杯なんです。

尺取虫や蓑虫が頭の上から降りて来るんです。

それでも楽しく車の中で遊んだ事も懐かしく思い出します。

今は、保育園も綺麗になり車も新しくなっているようですが

社会に出て、車の免許を取ったときの教習場にも

古くなって動かなくなった車でクラッチやギヤーの操作の練習を

そこの地名が野里だったんです。

正確には川西久代〜山本野里・・・・・

我輩の初めて外に出ての勤務地でした。



 明日は、亀!です。



 では、また。

Posted by ビギン at 08:21 | 昔を散策 | この記事のURL
2008年11月15日
花火戦争!
 おはようございます。

今日は、花火戦争!です。

我輩が高校生の頃の夏祭りが終わった頃のことです。

日頃違う学校へ通い始め会うことも少なくなった友達と

夏祭りに再開をするんです。

そのときからしばらくの間交流が以前同様始まるのですが

少し独特な遊びをしていたんです。

我輩の地域の河川に河川敷の敷地が出来たのです。

その河川敷が草やスペース的にも戦闘訓練場のようなスペースに

当時8〜10人ほどの友人と花火を買い二手に別れ戦争の真似事をするんです。

はじめのうちは普通の打ち上げ花火だけだったのですが

徐々にエスカレートをしていったのです。

塩ビのパイプを切りその筒の中から打ち上げ花火を相手に向け

発射・・・かなりの確立での命中。

いつの頃からか特攻隊なるものも出来手には打ち上げ花火のほか

爆竹・24連発の打ち上げ花火を装備し

敵陣地深くへ潜入至近距離からの24連発・・・

火の玉が体に付着消えずに体を照らし

遠くからはその火をめがけいっせいに打ち上げ花火を

約3年間・・・高校を卒業する頃まで

毎年していたと思います。

ある年の秋の事です。

いつものように花火戦争をしていると

お互いに至近距離での戦いに・・・

その時です。川を背にした我輩の前に人が・・・・

向かいあったまま至近距離での戦争の間を

走ってくるのです。

当然戦争は、一時中止状態。

双方見つめる中を女性と子供が我輩の方向へ・・・・

横をする抜ける瞬間ふと暖かな空気を感じたのです。

我輩不思議に思い後ろを振り返ると

子供をつれた女性は川の中へ・・・

水面を10メートルほど行ったところで消えたのです。

まるで提灯に明かりをつけた人が並ぶ中を通り抜けたかのように・・・

その通り抜けた方向の先には、神社が・・・

我輩はそこにいる全員が見た物と思い声をかけたところ

我輩以外の全員見ていないの一言・・・・

その日以来花火戦争をする事がなくなったのです。

あれから・・・もう何十年たつのでしょう。

ある日JR大阪駅のホームでの事

我輩が立っている方向へ子供をつれた女性が走ってくるのです。

あの時の・・・花火戦争の日に見た女性だ・・・・

我輩の横をすり抜けたのです。

あの日と同じく振り返った方向にはホームを下りる階段が・・・・

我輩から約10メートル離れた階段を下りていくとき

消えたように見えたのです。

あの花火の時もそうだったのかも・・・どこかの駅で・・・

階段を下りていった子供ずれの女性がいたのかも知れません。

幸いにも大阪駅で見た女性は家の近くの方だったので安心しました。

川を越えていった女性だったのかも・・・

これも地域の物語の一つなのかも知れない・・・ふと思ったのです。

川越・・・・・八坂神社西村氏の言い伝えかも・・・

今住む地域も新家の方が住んでいた地域だったのかもと思います。

今も家の前の河川敷には当時見たところに木が二本植えられています。

お墓のように置かれた石は無くなったようですが・・・・・



 明日は、尺取虫の自動車教習場!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 09:54 | 昔を散策 | この記事のURL
2008年11月14日
暗峠越え(奈良街道)復路!
 おはようございます。

今日は、暗峠越え(奈良街道)復路!です。

ここからは、暗夜峠越えと書きたいと思います。

奈良からの帰りです。

山を越えるところの集落に差し掛かった頃

村の子供が遊んでいたんです。

お母さんと一緒に・・・

ふとその時に、甥の事を思い出し

遊んでいる子供とダッブって見えたのです。

その時も声が・・・お母さんが我輩にいいのですか・・・

我輩何のことやら・・・いいです、とだけ答え山道へ

途中で買ったパンをどこかでいただこうと思っていた時

ちょうど国定公園?のような大きな自然公園があったんです。

ここらで一休みをと思い場所を探していると

なにやら後ろのほうから追ってくるような声が・・・

我輩あわてて公園の便所に身を隠し見ていると

やはり追ってきていたのです。

建設関係の車で現場作業員のような人たちが・・・

その場所がちょうど公園の突き当たりで右か左か・・・

相談をしていたんです。

我輩様子を伺い右に進んだ事を確認し我輩も右に・・・

自然道路のようなところを歩いて休めるところで一休み・・・

日も暮れかかり先を急ぎやっと山を降りた頃には

そのあたりの家から夕食の雰囲気が・・・

途中いた主婦の声がその時に聞こえたんです。

我輩このまま進んでいいものか?迷っていたんです。

峠を越えるのはまっすぐですよ・・・

そのまま峠へ

山道をどれくらい登ったのでしょう。

日も暮れ周りは真っ暗に・・・

なにやら薄気味悪く感じた頃この峠は暗夜峠越えと言うんです。

またも不思議な声が・・・

周りはちょうど峠の頂上辺り・・・お地蔵様がありました。

車が通るのがやっとのところです。

大阪から男女が駆け落ちをして奈良に逃げ延びた峠で

ここを越えると前世との縁が切れ無事結ばれ幸せになれるんだそうです。

我輩峠の事も聞いた事も今も尚、書物すら見た事も無いのですが

お地蔵様のところで我輩の心の中に聞こえる言葉だったんです。

そこへ一台の車が我輩の横を・・・服の裾をかすめて通ったのです。

そこからは峠は下り坂順調に下っていくと

またもや暗がりに・・・人の気配が・・・

そうなんです。一組の男女が峠を上ってくるんです。

我輩とすれ違ったんっですが気がついていない様子・・・

ついさっき聞こえた事は本当のことかも・・・

我輩の心の中に確信のような気持ちが・・・

峠も終わりに差し掛かり何処に下りてくるのか不安で・・・

気がつくと、道もずいぶんと大きくなりまるで

近江神宮を思い出していた時前方に人影が

近づいてみると女性が一人しかもその前方には大きな鳥居が

その下には一人の若者が今か今かと待っている様子

この時も心の中に聞こえる声が

若者の人生がダメになってしまう。

我輩その女性の進んだ方向へ

細い出口に通路がその路地を抜けて大通りまで足早に・・・

路地の中の民家では夕食の支度をしている雰囲気が

まるで峠を越える前の町のような・・・

我輩の前を行く女性が帰ったと思われる家の表札が目に・・・

池宮・・・初めて目にする名前で宮がつくのは何か

神社と縁のある方なのかふと思ったのです。

我輩の峠を越えて降りてきたところは、東大阪にある

枚岡神社の大鳥居の見えるあたりでした。

それ以降、鳥居を通るのに何処と無くためらいがあり

わき道に抜けてしまうのです。

そこには、いつも池宮の表札が目に飛び込んで来るのです。

石切神社の鳥居を避けた路地にも確か・・・

奈良までの道のり行きは、石切神社から始まり

終わりは枚岡神社で現代に帰ってきたのです。

東成区に暗峠越え(奈良街道)石の道しるべが

高麗橋から約4km・・・起点は高麗橋なのでしょうか。

不思議と行きに石切神社で我輩の住む西淀川区の方の

名前の石を見かけたのも何か意味があるのでしょうか。



 少し長くなってしまいました。

明日は、花火戦争!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 08:45 | 冒険 | この記事のURL
2008年11月13日
暗峠越え(奈良街道)往路!
 おはようございます。

今日は、暗峠越え(奈良街道)往路!です。

往路があると言う事は復路も・・・

我輩奈良に歩いていった事があるんです。

以前に奈良市市制100年記念会館を建設の時

現場で働いていたんです。

ある日妙に心の中で「奈良市制100年記念会館」の

声が・・・気になって・・・

それに工事で毎日通っている時308号線(長堀通り)を

歩いたと言う話を耳に・・・

我輩も夜308号線を石切神社まで歩いたんです。

途中何人かの人も歩いている様ではありましたが。

石切神社参道を過ぎ左に進路を・・・

信貴スカイラインを生駒山頂遊園地に向け歩いていたんです。

遊園地の辺りから公園があり信貴山系を左に

周りにはスカイラインを走る暴走集団がいたり・・・

なんだか山を降りてしまったような気が・・・

そこから生駒山山頂にある高圧線の鉄塔めざし

再び昇りはじめたんです。

鉄塔につく頃には、真夜中周りは真っ暗で

人などいるはずも無いのですが鉄塔のふもとから声が聞こえたんです。

その時の記憶では、5人・・・各鉄塔の下にいたようです。

まるで先人がいたかのごとく・・・・・

これより先・・・・・・・・・

なんだか話を聞いたように思うのですが疲れと、

眠たさでよくは覚えてないのです。

それでも山を越え町が見えた頃には、太陽とともに

散歩をする人がちらほらと・・・

一晩歩きやっと生駒市の町に着いたところでした。

我輩、足早に奈良の町を目指しひたすら歩き、昼ごろにはJR奈良駅へ

最初に市制100年記念会館へ・・・今は有料になっているようです。

訳を話し中を無料で見学をさせてもらい当時の工事の時の事を

思い出していたのです。

その後は、奈良の町を歩き働く場所を探してみたのです。

突然出てきて働くところなどあるはずも無く自宅に向け帰ることに・・・

往路とは違い復路は国道がわかりやすく迷うことは無い・・・

再び歩きはじめたのです。

この時我輩はまだ、奈良街道と言うものがある事すら知らなかったのです。

それと、東大阪にある石切神社のふるさとが三笠(奈良県)である事も

知らない頃の話です。



 明日は暗峠越え(奈良街道)復路!です。



 では、また。



Posted by ビギン at 08:16 | 冒険 | この記事のURL
2008年11月12日
野里のお地蔵さん!
 おはようございます。

今日は、野里のお地蔵さん!です。

我輩の小さい時の思い出です。

父の実家が野里にあるんです。

何かあるときには野里へ・・・・・

野里の町はあまり子供が走っているような様子が

我輩の思い出には無いのです。

時折野里で遊ぶ事があったのですが

そのときには、その近くの家の子供たちも

帰ってきてるんです。

父の実家のところにお地蔵さんがあるんです。

紀元2600年大きな石が・・・

その石につかまって子供たちが遊ぶんです。

常日頃は、子供の声を聞くとうるさがる父の実家も

そのときは子供たちが沢山出てお地蔵さんのところで

遊ぶんです。

この年になって我輩の本籍地や住んでいる町を

歩いてみると懐かしい街並みが・・・

そのお地蔵さんの町も我輩の本籍地にありました。

ちょうど野里の神社の中にある北の太鼓のあたり

よく似ているように思うんです。

我輩が生駒山の仙人(先任)?の声を聞いた時も・・・

石切り参道も野里の商店街によく似ているのも

不思議に感じます。

それで、石切さんを超えたのかも・・・



 明日は、暗峠越え(奈良街道)です。




 では、また。

2008年11月11日
出雲の娘!
 おはようございます。

今日は、出雲の娘!です。

我輩その当時仕事柄か外食が多かったんです。

いつも行く店は同じで、仕事の帰りはいつもなんです。

その店にある日突然一人の娘が・・・

あまり若い人の集まる店ではなかったのですが

話を聞いてみると我輩の育った環境にすごく似ていたんです。

まるで小さい頃から家で母に聞かされていた事と同じ

我輩の母が生まれ変わって現れたようなかんじも・・・

生まれは出雲の国・・・今の島根県です。

出雲大社の側にある村なんだそうです。

昔からその村は、出雲大社の神様のお世話をする村だったそうです。

村の人の名前も皆同じ性なのだそうです。

たまに地方に行くと島の名前が苗字に多くある村があると

聞く事がありますがその村もそうだったのでしょう。

その出雲の娘も次第に毎日お店に通うようになったのですが

会うほどにどこか懐かしい雰囲気が・・・・・

そういえば、大阪にある住吉大社の辺りにも

お姉さんがいると言う女の子と職場で知り合った事も・・・

その年からのお祭りには、その娘に似た女の子が

あちらこちらに見受けられるようになったのです。

時に、平成14年我輩の一大事件のときにも・・・

寸前で止まったのですが・・・

天神橋にいる時にも一度我輩の前に・・・

我輩の気持ちがいらだっている時に出てくるようです。

村の名前は下垣村だそうです。

今の鼻川神社の神主さんの名前も下垣・・・

天一商店街にも・・・

鼻川神社も出雲大社のようになっているのかも・・・





昔を懐かしんで帰ってこられる方が

寂しそうに帰っていく地域があるのですが・・・

今はひっそりとして・・・・・




 明日は、野里のお地蔵さん です。




 では、また。

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