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 屋根裏に子供部屋が、小さい頃の思い出・・・ 沢山の思い出が、大冒険の始まりの予感が!
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2009年01月18日
淀川のモロコ!
 おはようございます。

今日は、淀川のモロコ!です。

我輩小学生の時にモロコを釣りに行った事があるのです。

自宅近辺は淀川でも海の魚なのです。

自宅から川上へ30分から1時間の距離を友人と二人で

十三大橋の辺りが海水と淡水の入り乱れた場所?

川の水面の上側が海水・・・

下側が淡水になっていて潮の満ち干の加減で割合が変る・・・

我輩の小学生の頃そんな話題でいつもつりの話をしていたのです。

そこから更に川上へ・・・毛馬の水門あたりに行くとほぼ海水はなくなり

淡水の魚が釣れヘラブナなどのつりの出来るあたりなのです。

釣具屋さんも面白く長柄橋あたりになると川沿いにはなく

少し奥に入った地域に行かないと餌を買うことが出来ないのです。

友人と二人でまだ見たことのない地域へ

そこにたどり着くまでが冒険なのです。

今のように河川敷の道路もなく

車道を川上に車と逆に進んでいくのです。

道幅は狭く今ほど車は無いものの危険な道を・・・

毛馬の水門あたりにつくとヘラブナやモロコを釣っている

人が多く見られ我輩と友人と餌を買いに・・・

つりをしている人に釣具やさんを尋ね

入り組んだ民家の並ぶ地域へ・・・

やっと餌を購入する事が出来つりを開始

初めての経験!うどん粉やさなぎ粉を混ぜて作るのですが

容器やえさ入れがない・・・

もともと川で遊んでいた我輩たちは川岸に流れ着いた

プラスチックの箱を容器に餌を練るのです。

周りでは本格的にヘラブナを釣る中我輩も・・・

上手く行けばコイも釣れる・・・

出かける前からワクワクと・・・

針もいつも使うものでなくかえりのない物を

我ながら本格的だと・・・

そのとき少しの当りが・・・・

竿を上げてみると焼く3〜4センチの小魚が・・・

1時間たち2時間立っても鯉の気配はなくつれるのは

小魚がチラホラ・・・友人と大物のコイは釣れない・・・

時間も日が暮れる頃残念釣れなかった・・・

そのとき・・・ヘラブナを釣っていた人がよく釣れたな〜

今の時期モロコの佃煮が良い

お母さんに作ってもらいなさい。

今まで小魚だと思っていたのは淀川のモロコ!だったのです。

家に帰ると魚図鑑を取り出しモロコを懸命に探し

釣れる時期やいろいろ調べたのです。

初めての淡水の魚釣り行くまでの道のり

我輩の大冒険始めて釣った淀川のモロコ!でした。



 今でもそこの場所と解るようにぽつんと残っていました。




 明日は、バレー大会!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 09:13 | 冒険 | この記事のURL
2009年01月17日
ブルドーザーが松の木に!
 おはようございます。

今日は、ブルドーザーが松の木に!です。

我輩大型特殊自動車の免許を取得したのです。

今から25年前の事なのですが

松の木の林の中にブルドーザーの練習場を作って

そこでの練習・・・

車と違って移動は後退のギヤを使って走るんです。

アクセルもブルドーザーになるとデフセルに・・・

アクセルの逆で踏むと速度が落ちるのです。

あの大きなキャタピラを持つ乗り物を

小さな体の我輩が操縦するのですから

おかしなものです。

ブルドーザーのコースも車と同じでクランクもあれば

駐車もあり時間制限もあるのです。

最初は恐る恐るの操縦もようやく慣れた頃

バックギヤーの一番上のギヤーへそのときです。

頭の中がパニックに・・・アクセルとデフセルの違いが

解らなくなってしまったのです。

前進よりも速度の速いブルドーザーですから

松の木林の松が我輩に近づいてくるのです。

焦れば焦るほど速度は上り

目の前まで松の木が・・・

二つあるブレーキを命一杯両足で踏んで止まったのですが

松の木のきしむ音と教習生の視線が一点に

幸い松の木も皮を一皮むいた程度で事なきを得たのですが

周りの教習生のはやし立てる声に呆然と・・・

とっさに教官を探す自分がそこに・・・

教官はなんだかおしゃべりを

これ幸いとギヤを前進へ何事もなかったように

元のコースへ復帰

今でもあの松は残っているのです。

丁度ブルドーザーの詰めの辺りが色が変ったように

時々車の駐車場での事故がテレビで報道されると

あの時を思い出す我輩がいるのです。

人間とっさの時とんでもない行動をするものだと

あらためて感じる事が必要なのでしょう。



 明日は、淀川のモロコ!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 07:11 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年01月16日
一日に泣いた!
 おはようございます。

今日は、一日に泣いた!です。

誰にでもあるのだと思います。

後少し、もうちょっと、後一歩届かなかった事

我輩も後一日違えば・・・

ハローワークへ車で出かけたときのことです。

ハローワークの前の車道に車を止めて手続きに

終わって出た時にはすでに車はそこにはなかったのです。

そうです・・・レッカーで車を移動されていたのです。

もちろん駐車違反なのです。

ここまでなら可哀想にで済むのですが

違反をした日が良くなかったのです。

我輩の誕生日の次の日なのです。

この時はまだ一日違いでこんな事になるなんて

思ってもいなかったのです。

それから2回の免許更新をしたのです。

後3年無事故無違反だとゴールド免許になる

心の中でそう思ったのです。

それから3年後の免許の更新この時に愕然と・・・

我輩の心の中のゴールド免許が音もなくくずれたのです。

この5年の間に道路交通法が変っていたのです。

誕生日から前後1ヵ月免許更新期間が設けられたのです。

大部分の人は期間が延びたことで更新漏れがなく

喜んだ事だと思います。

我輩誕生日の次の日の違反がこの時大きな打撃となるなんて

更新期間が延びた事で無事故無違反の期間も変っていたのです。

以前なら5年無事故無違反のところが

なんと更新の期間1ヵ月増えたため無効の期間があったのです。

誕生日から一週間後免許を更新

本来なら5年と6日たつのですが期間が延びた一ヶ月間は

無効の期間になっていたのです。

一週間ずらせば無事ゴールド免許・・・のはずだったのに・・・

我輩の一日に泣いた手痛い交通違反・・・

あれからすでに駐車違反を2回してしまいました。

無事故無違反8年6ヶ月の努力もむなしく・・・

あの一日がなければ・・・・

一日に泣いた!我輩の幻のゴールド免許でした。





 明日は、ブルドーザーが松の木に!です。






 では、また。

2009年01月15日
顔にヒビが!
 おはようございます。

今日は、顔にヒビが!です。

冬になると懐かしく感じるのがスキーです。

以前は毎年1〜2度スキー場へ出かけていたのです。

ここ最近、出かけることがなくなって

少し寂しく感じます。

やはりスキーといえばお正月!元旦からのスキーもこの時期

思いでに残っているのですが

我輩今の時期より2〜3ヶ月後の春の日差しの感じる頃の

スキー場も大好きなんです。

日が当たるととっても暖かく雪がある地方なって

全然感じる事がないのです。

リフトに乗って山頂へ・・・ポケットにはビールを持って

まずは、山頂でビールを飲み自然の景色と白銀の世界を

思いっきり楽しむのがとっても好きなのです。

でも・・・以前に失敗の経験も・・・

スキーもシーズンを終わろうとする頃に行った事があるのです。

とっても暖かくスキー場の雰囲気を満喫!

リフトで山頂まで行き一気に下まで滑り降りると

額から汗が湧き出すようなとっても爽快なスキーだったのです。

あまりに爽快な雰囲気からいつもになく大ハッスル!

その晩・・・事件が・・・

あまりの照り返しに一目で判るほど雪やけに!

その夜寝ていると顔がとっても痛く目が覚めたのです。

すると・・・突然額辺りから「ベリ!」音が・・・

我輩の顔にヒビが!・・・

見事に額に線が・・・

真一文字に・・・そうです。

雪焼けがひどく額の皮が突っ張って破れたのです。

まるで脱皮をするみたいに・・・

窓を開け雪をタオルにくるみ額へ・・・

次の日まるで顔にヒビが入ったようになってしまったのです。

それでもスキーをめげることなく堪能した事は

言うまでもありませんが・・・

我輩の痛くて爽快な複雑な思い出です。



 明日は、一日に泣いた!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 07:19 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年01月14日
山火事の恐怖!
 おはようございます。

今日は、山火事の恐怖!です。

我輩、山火事の恐怖!を体験した事があるのです。

滋賀県の演習場での事なのです。

我輩の所属する部隊は訓練最盛期も終え演習場の

整備の期間へと入った頃です。

まだ入隊して間のない我輩には初めてのことばかり

そんな中演習場では射撃訓練も実施されていたのです。

演習場を整備する中砲弾の音が響いていたんです。

その日の整備も終わりをむかえる頃

サイレンの鳴り響く音が近づいてくるのです。

自衛隊のジープについているサイレンと赤色等が・・・

我輩の所属する部隊のところへ・・・

ジープから降りた幹部自衛官からの要請

弾着地域の山林火災!各部隊作業を中止山林火災の消火にあたれ!

命令と伴にシャベル・つるはしをあるだけ持ち全員で消火に

走ったのです。

我輩も遅れをとることなく火災現場へ

同期の新隊員2名で防火帯を作るべく伐採と側溝を作っていたのです。

そこへ一台の消防車が到着!ホースを伸ばし給水車からの

放水・・・しかし訓練場の弾着地域は広く消火どころではない

給水車の水もなくなり我輩たち2名を残し再び注水へ

消防隊員からの指示で消火ホースの撤収

我輩と同期2名懸命に撤収作業を・・・

そのとき・・・背後から部隊の班長からの叫び声が・・・

消火ホースをたどって道路へでて来い!

周りを見渡すとそこにはすでに火が回っていたのです。

動転する中よく見ると消火ホースの通っているところだけが

道となり周りは火の海になっていたのです。

そのホースをたどり道路へでる事が出来無事を得たのです。

消火活動をしている時の消防隊員の通ったところの

草や木が倒れいつの間にか防火帯となっていたのです。

その後無事弾着地域の火も下火になり人海戦術で

弾着地域を一歩ずつ踏み最後の消火をしたのです。

今思えばパソコンの電気のマークのように

丸く真ん中に白い線が1本・・・電源マークになっていました。



 明日は、顔にヒビが!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 07:19 | 冒険 | この記事のURL
2009年01月13日
オリンピック候補地!
 おはようございます。

今日は、オリンピック候補地!です。

我輩の住む大阪がオリンピック候補地として

取り上げられている頃の事です。

我輩の身の回りにも影響があったのです。

もともと商業都市として栄えた大阪ですから

オリンピックや万国博覧会のような世界的な催しが

あると賑やかになり街も活性化するのだと思います。

あの頃の大阪もオリンピックを大阪にと沸き立っていたのですが

我輩には辛い日が・・・

道を歩くと必ず心の中で声がするのです。

「今の大阪にオリンピックが来ると大阪が駄目になる」

毎日、道を歩くたび聞こえるのです。

この頃まだ大阪の行政が赤字で大変な事になってるとは

正直、我輩には感心が無かったのです。

我輩が社会生活を始めた地滋賀県の教官の姿も

その頃に・・・・・なぜ・・・歩くたびに聞こえてくるのだろう

中には、「世界に向けて日本の恥をアピールするよな物だ」

「今の日本の外国人に対する偏見がある限り無理だ」さまざまな声が

聞こえてきたのです。

我輩も道を歩くたび辛く感じる事が多くなり

また、我輩の前にも不思議な人々が現れたのです。

井筒監督の作品で映画になった"ゲロッパ"のように似た顔の人物が

大阪市長に似た人物まで大阪市役所に現れる!

オリンピックが北京に決まったとき心の中で「良かった」!

本心から思ったのです。

忍者月光!ではないが見えないところで自衛隊の活動もあったのかも・・・

痛みを伴わない行政改革・・・その頃に言われ始めたのかも・・・

大阪市民の大部分は残念に思ったでしょう。

我輩も残念に思う心とそれ以上に良かったと思う心とあったのです。

今思えば大阪が立ち直るきっかけになったのかも知れないと

思えるようになりました。



 明日は、山火事の恐怖!です。





 では、また。



Posted by ビギン at 06:36 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年01月12日
成人式!
 おはようございます。

今日は、成人式!です。

我輩の成人式は地元ではしてないのです。

高校を卒業して滋賀県へそこで半年の教育をへて

兵庫県伊丹市へ転入!

そこで成人式を・・・といっても

自衛隊の中での成人式

周りは全員自衛官!そんな中での成人式だったのです。

普通の成人式を体験していない我輩はテレビで観るのが

普通の・・・一般に行なわれる成人式なのだと思って見ているんです。

我輩の成人式は万博記念館(万博の時の建物を自衛隊の中に持ってきたもの)で

いろいろな方の祝辞をいただき全員で殉職者の碑に参拝

その後記念撮影をして成人式を終了です。

それまでから大人の生活をしていた我輩には

成人になったからお酒を飲みに行くとかは、無かったように思う。

我輩の場合その時の殉職者の碑に入らなくてよかったと

周りの人に喜ばれた事が最大の成人式になったように思います。

訓練での事故の後元気に成人式を迎えることが出来ました。

今も沢山の自衛官がそこで成人式を迎えているのでしょう。

なんだか懐かしく思います。



 明日は、オリンピック候補地!です。





 では、また。



Posted by ビギン at 08:45 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年01月11日
忍者月光!
 おはようございます。

今日は、忍者月光!です。

我輩のちさい頃のテレビの番組にあったものです。

仮面の忍者赤影!は以前の話でも紹介しましたが

同じ時期に放送をしていたものです。

どちら事言えば忍者赤影のほうが人気があり

月光の方といえば少しマイナーな感じのものですが

我輩は、忍者月光のほうが好きなタイプだったのです。

赤影はよくある時代劇に出てくるタイプの忍者ですが

月光は少し感じが違ったのです。

現代に近いタイプの忍者だったのです。

今思えば自衛隊と忍者を合わせたもの・・・

ネットの被せたヘルメットをかぶり

刀は、忍者のように背中につけて

体はネットをつけた忍者・・・

我輩のいた頃の自衛隊とよく似たスタイル

刀を銃にすれば自衛隊そのものです。

その頃我輩まだ自衛隊と言うものを知らず

月光がかっこよく思い保育園へ通うときには刀を背中に

道の端を真っ直ぐと走るように通ったのを覚えています。

ヘルメットの真ん中には満月から三日月といろいろあり

野球場やいろいろな施設で悪と戦う忍者だったのです。

それから時を待たずして放送は終わり万国博覧会が開催されたのです。

その当時日本の国の中で自衛隊も活躍をしていたのかも・・・

そんな事をふと思うよううになりました。

我輩のいた自衛隊の施設に万博記念館があったのも・・・



 明日は、成人式!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 07:12 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年01月10日
学校開放!
 おはようございます。

今日は、学校開放!です。

我輩の小学生頃にできたものです。

確か4年生の頃だったと記憶しているのですが

PTAの役員や父兄の働きで一ヶ月に一度

学校の校庭を開放して遊ぶ事が出来るんです。

学校で遊ぶと普通の公園に無いよさが沢山あったのです。

体育倉庫には学校でないと使う事のできないものが沢山・・・

野球をするにもグローブやバットが一式そろうのです。

キャッチャーミットやファーストミット・セカンド用のグローブなど

専用のものが使えてとっても楽しいひと時があるのです。

時にはマットや跳び箱・踏み台などを使い先生の指導の下

遊ぶ事が出来授業と違った楽しみも沢山あるのです。

それまでは、学校で事故や怪我の心配のほうが

多く小学生を安全に遊ばせるのに先生が数人

担当をしなければならないとの理由で

学校を開放してもらえなかったのですが

各学年の担当の先生が交代で指導をする事でOKが出たそうです。

当時我輩の苦手な鉄の棒を昇るトレーニングと逆上がりのトレーニングを

遊ぶ前に必ずしていた事を覚えているんです。

まるで自衛隊の体力検定の時のようです。

この頃から自衛隊に入隊する運命にあったのかも・・・・

運動があまり得意でないのも小学生の頃からのもの・・・

先天性のものだったのでしょう。



 明日は、忍者月光!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 06:16 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年01月09日
看護婦さんと再開!
 おはようございます。

今日は、看護婦さんと再会!です。

昨日の話の中の看護婦さんとその後再会をする事が出来たのです。

あまり良い状態では無かったのですが2回再開をしたのです。

我輩が転職をして4年が過ぎようとした頃

会社から自宅へ帰る途中での事です。

一台の車が大きな国道の交差点を右折しているのを

朦朧とする意識の中見ている我輩がいたのです。

側には我輩を支える誰かの気配が・・・・・

我輩の朦朧とする意識の中右折する車が我輩の通勤する車に見えたのです。

心の中ではいつもと道順が違う通常ならこの交差点は直進・・・

そう思った時我輩の体は平衡感覚を失ったのです。

朦朧とする意識の中、沢山の人の声が・・・

その中の一人が”助けてやるから”朦朧とした我輩も

車で事故をした事を感じたのです。

周りでは救急車の手配やガソリンに引火した事など

朦朧とする意識の中で聞いていたのです。

まるで19歳の頃の訓練中での事故のときのように・・・

それからどれくらいの時間がたったのでしょう。

朦朧とする意識の片隅に病院の入口とそこにいる看護婦さん

懐かしい声と名前・・・

そうか駅前の救急病院へ搬送されたのだ・・・

朦朧とする中での再開だったのです。

それから間なしに阪神大震災でその病院や駅前の地域は

無くなり我輩は会社を退職したのです。

その後数年事故のことにはあまり触れることなく生活を

そんな時、自宅近くの駅前の居酒屋さんへ・・・

なんとなくふらりと・・・いつもは入ることなど無い店へ

そこには、一人のおばあさんと若い女性が・・・

話を聞くと昼は看護婦さんをしているのだと・・・・

その女性も我輩に”このお店をお願いします”この言葉と伴に

店に来ることはなくなったのです。

あの時の女性・・・看護婦さんはいつも近くにいるのだろうか・・・

憩いの森にある食堂の娘さんとどこか似ている気がする・・・

遠い昔・・・小学生の頃の同級生の家であったことがあるような

気がする・・・不思議な出会い・体験をしたのです。



 明日は、学校開放!です。





 では、また。


さん

Posted by ビギン at 07:02 | 昔を散策 | この記事のURL
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