2013年01月31日
彼等が望んでいることは何か?
果たして、普通の家庭の幸福を築く為だけに、目を見張るような仕事をしたいと考えている男が世の中にどれだけいるだろうか?
男の欲望とは、正妻の他にも、何人かの側室や妾を持つことであり、既婚者であっても、それなりの富を一代で築いた人は、子供を学校に通わせる為だけに働いているのではない。
東大出身のエリートにしたって、子供の頃から、富裕層の彼等の親たちと同じように、何人もの妾や愛人を持つことを心の片隅に夢見て、勉学に励む一面もあったに違いない。
女だって、自分の美貌に磨きをかけるのは、お金のある男たちの収入の分け前に預かる為であり、彼女たちの我が儘を富裕層の男たちに叶えて貰う為である。
私が以前に、このブログで強調したように、世の中の人間たちが求めているのは、
情報価値、利益価値(利的価値)、性的価値、の三価値しかない。
学校を卒業した後は、就職し、結婚したら、子供を産み、子供の育児費と教育費を稼ぐ為に、定年まで働くという、これまで当たり前だと信じられてきた、「人間の成長のスパイラル」、「人生のモデル」があったとして、
現役で大学に進学した私にとっては、
この「人生のスパイラル」そのものを根底から否定してしまうことが、自らの目的に含まれていたのである。
「大学の連中なんか、馬鹿ばっかりだ!」
等々、中退した後も、真面目に働き、生きている人たちを全否定していたのは、
この「人間の成長のスパイラル」そのものに異議を差し挟みたかったからだ。
そして、自分自身もまた、この「成長のスパイラル」に飲み込まれない為である。
大学まで進学した以上は、私だって、自分なりの意見を持って良いと、18〜19歳の時は考えていたし、
果たして、自分がしたい事や自分が真に否定したいことを列挙すると、
私は、「人間が家庭を営み、子供を育てること」それ自体が、
一般社会の大人の成長の条件として、
一種の道徳的命法の機能を有していることに対し、
反対と批判の意を唱えていただけなのだ!
先の記事で、「一戸建ては不幸だ」と書いたが、
これは、あくまで分譲マンション(集合住宅)購入の礼賛であり、
私は、「シェアハウス」のような若者の集いも、基本的には、つまらないものだと信じている。
話をさらに転じて、
例えば、それまで学生や浪人だった人に対して、
世間は、「人生にはけじめが必要だ」と煩いが、さて、その「けじめ」とは一体、どんなものか?
やはり、一生、勉強を続けたり、叶わない夢を追ったりすることではなくて、
きちんと職に就き、恋愛をし、結婚した後は、子供を産み、家庭を営む。
そして、その後は、子供を育てる為に、一生、働く。
というように、
人間の成長として一般的に信じられている一定のスパイラルをこなしていくことが、社会人としての義務と責任を全うする事であって、
それが、世間的には、大人になることだと言われてしまう風潮がある。
しかし、極端な例外を言えば、
社会人としての義務を全うし、都内在住勤め人でありながら、
司法試験に合格した人は何人もいるし、会社に勤めたからといって、「学び」を止めなければいけないという義務はない。
例え、その学問が道楽や趣味だったとしても、人間は、自分のしたいことを諦めるように、他から強制されるべきではないと思う。
私は、自分のしたいことを一生、続けることが、真に人間らしい道だと信じる。
以上。
男の欲望とは、正妻の他にも、何人かの側室や妾を持つことであり、既婚者であっても、それなりの富を一代で築いた人は、子供を学校に通わせる為だけに働いているのではない。
東大出身のエリートにしたって、子供の頃から、富裕層の彼等の親たちと同じように、何人もの妾や愛人を持つことを心の片隅に夢見て、勉学に励む一面もあったに違いない。
女だって、自分の美貌に磨きをかけるのは、お金のある男たちの収入の分け前に預かる為であり、彼女たちの我が儘を富裕層の男たちに叶えて貰う為である。
私が以前に、このブログで強調したように、世の中の人間たちが求めているのは、
情報価値、利益価値(利的価値)、性的価値、の三価値しかない。
学校を卒業した後は、就職し、結婚したら、子供を産み、子供の育児費と教育費を稼ぐ為に、定年まで働くという、これまで当たり前だと信じられてきた、「人間の成長のスパイラル」、「人生のモデル」があったとして、
現役で大学に進学した私にとっては、
この「人生のスパイラル」そのものを根底から否定してしまうことが、自らの目的に含まれていたのである。
「大学の連中なんか、馬鹿ばっかりだ!」
等々、中退した後も、真面目に働き、生きている人たちを全否定していたのは、
この「人間の成長のスパイラル」そのものに異議を差し挟みたかったからだ。
そして、自分自身もまた、この「成長のスパイラル」に飲み込まれない為である。
大学まで進学した以上は、私だって、自分なりの意見を持って良いと、18〜19歳の時は考えていたし、
果たして、自分がしたい事や自分が真に否定したいことを列挙すると、
私は、「人間が家庭を営み、子供を育てること」それ自体が、
一般社会の大人の成長の条件として、
一種の道徳的命法の機能を有していることに対し、
反対と批判の意を唱えていただけなのだ!
先の記事で、「一戸建ては不幸だ」と書いたが、
これは、あくまで分譲マンション(集合住宅)購入の礼賛であり、
私は、「シェアハウス」のような若者の集いも、基本的には、つまらないものだと信じている。
話をさらに転じて、
例えば、それまで学生や浪人だった人に対して、
世間は、「人生にはけじめが必要だ」と煩いが、さて、その「けじめ」とは一体、どんなものか?
やはり、一生、勉強を続けたり、叶わない夢を追ったりすることではなくて、
きちんと職に就き、恋愛をし、結婚した後は、子供を産み、家庭を営む。
そして、その後は、子供を育てる為に、一生、働く。
というように、
人間の成長として一般的に信じられている一定のスパイラルをこなしていくことが、社会人としての義務と責任を全うする事であって、
それが、世間的には、大人になることだと言われてしまう風潮がある。
しかし、極端な例外を言えば、
社会人としての義務を全うし、都内在住勤め人でありながら、
司法試験に合格した人は何人もいるし、会社に勤めたからといって、「学び」を止めなければいけないという義務はない。
例え、その学問が道楽や趣味だったとしても、人間は、自分のしたいことを諦めるように、他から強制されるべきではないと思う。
私は、自分のしたいことを一生、続けることが、真に人間らしい道だと信じる。
以上。