だとしたら、国語が比較的得意な娘はもうちょっと他の教科が出来ていても良いような気がします。
今回はかねてから私が疑っている、国語力が全ての教科の基礎となるという定説を算数の文章題から考えてみたいと思います。
国語が得意ということ
娘は教科の中では国語が得意です。英語も比較的得意なのですが、国語の方がたぶん得意。
なぜ得意とわかるのか。国語は勉強しても、しなくても点が変わらず、安定してそこそこ良い点が取れるから。
なので、定期テストは毎回国語はほぼノー勉。それでも良い点が取れるのです。
道徳の作文や学校行事の感想文は、学校だよりなどにも良く選ばれて掲載されます。
幼稚園の頃から文字を読むのも書くのも得意。初めての文章でもスラスラ読める。
上記は国語が得意な子は割と努力せずにできてしまうのです。
未就学〜小学校低学年の頃に、まだ幼くたどたどしい男の子や、おっとり系の女の子の隣で得意げに豊富な語彙と、習っていない漢字混じりの文章の音読を披露すると、頭が良いと自分も周りも勘違いしがちなのも国語得意あるあると言えるでしょう。
しかし、国語が得意ということと、他の教科の出来は全く関係ない。なんなら国語「だけ」が得意なのかもしれない、ということをこれから証明していきたいと思います。
算数の文章題が異常に苦手ということが発覚
国語力が全ての教科の基礎、と言われる理由のひとつに、算数の文章題も結局文章を理解する能力が必要だから、ということがあります。
しかし、です。娘は算数の文章題が壊滅的に苦手なのです。国語はできるのに。
例えば以下の問題。
1日200gのごはんを食べるとします。1週間で何sのごはんを食べることになるでしょう。
だいたい2〜3年生くらいの問題でしょうか。頭の良い子であれば、問題を読み終わったと同時に答え(1.4s)が出ていることでしょう。
この問題のポイントは、1週間が7日ということがわかる。1400gをkgに単位変換できる。という2点かと思います。普通は。
娘が4年(!)の時にこの問題を出したところ、娘は悩みに悩んで出した式が
200÷7 でした・・・
文章題の中に大きい数字(娘の中で大きいと思う数字のこと)と1桁の数字が出ていたら、割り算をすると決めているのです。
この問題は娘的に大きい200と1桁の7があるから割り算だと思ったのです。
おそらく国語力だと言う人は、200gを7回食べてその合計だ、ということがわかれば式にできると思っているのでしょう
否、算数が苦手な子は、200gを7回食べるという意味はわかっても、それを「式にすること」が難しいのです。
当たり前ですが、算数の文章題は国語力だけでは解けない
200gを7回食べる=掛算だ、ということがわかるためには、国語だけではなく算数の掛け算の意味(定義)がわかっている必要があります。
文章の意味がわかる、という意味では国語力かもしれませんが、文章の意味や情報を算数の公式や定義と結びつける、という部分は国語力ではないと思うのです。
算数の公式や定義を使いこなす能力とでも言いましょうか。そっちの能力が必要だと思うのです。
加えて娘のように算数の文章題が苦手な子は、文章題というだけで脳が拒否反応を起こすので、読む前から難しい、わからないと思い込んでしまう。
「点Aから点Bまで、点Pが1秒1cmで移動する」と書いてある字面を見ただけで思考停止に陥るのです。
実はそんなに難しいことは言っていないのに。
国語力を疑う前に、算数が理解できているかを疑え
私が国語力が全ての基礎と言われるのにイマイチ疑問を感じる理由として、国語が苦手でも算数が得意、文章題も得意という子がいる、ということもあります。
算数は算数の公式や定義を使いこなせるまで理解できていれば、文章題は解けるのです。
と言うことは、他の教科もちゃんと理解していれば解けるはず。
国語よりも難しい文章など他の教科では出ないのです。(中学の話です。大学入試の英語は日本語で読んでも難しい問題が出ると聞いたことがあります)
実は私も、国語は大の得意で特に現国はロクに勉強などしたことありません。が、かの駿台模試などでは相当高い偏差値をたたき出したものです。しかし、他の教科は特に鳴かず飛ばず。そう、「国語だけ」が得意だったのです。ここまでの仮説は私の代からの知見も含まれているのです。
当たり前ですが、どの教科であっても、国語力を疑う前に、その教科をちゃんと理解しているのかを疑った方が、もしかしたら良いかもよ?というお話でした。