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「あのゴジラが最後の一匹だとは思えない。もし、水爆実験が続けて行われるとしたら、 あのゴジラの同類が、また世界のどこかへ現れてくるかも知れない」

みなさん、明けましておめでとうございます。
お正月に、東京の柴又にある帝釈天に初詣に行き、長い行列を並んで、おみくじを買ったんですが、その結果が、「凶」という内容に、今年一年に不安が過ぎってしまう僕がお送りするNO,movie NO,life!!の
お時間です。



さて、2013年最初にご紹介する作品は、2004年までお正月映画として、人気のあった映画でもあり、
僕も毎年楽みにしていた特撮映画「ゴジラ」でございます。
しかも、1954年の白黒映画なんです。
それゆえに、ゴジラが放射能を撒き散らしながら、東京の街を火の海にしながら歩いていく姿は、
凄く、不気味でインパクトに残る演出でもあるんです。

最初ゴジラは、水爆大怪獣という異名で公表されており、「核の落とし子」「人間が生み出した恐怖の象徴」として描かれ、核兵器という人間が生み出したものによって現れた怪獣が、人間の手で葬られるという人間の身勝手さを表現した作品となったんですね。
しかも、ちょうどその頃、ビキニ環礁での核実験と、第五福竜丸の被爆事件が社会問題となっていて、これに着想を得た製作者は、「ビキニ環礁海底に眠る恐竜が、水爆実験の影響で目を覚まし、日本を襲う」という特撮映画の企画を立てた事で、この「ゴジラ」が誕生したとも言われているんですよ。

それでは、ここで核兵器によって生み出された世紀の大怪獣「ゴジラ」のあらすじをご紹介しましょう。

太平洋上で貨物船「栄光丸」が原因不明の沈没事故を起こした。
さらに救助に向かった貨物船「備後丸」と大戸島の漁船も次々に遭難沈没してしまう。
救出された大戸島の漁師・政治は、「巨大な怪物に襲われた」と証言するのだった。
そのことを聞いた島の古老は、大戸島の伝説に伝わる怪物「呉爾羅」の仕業ではないかと漏らす。
そして暴風雨の夜、島に巨大な生物が上陸し、家屋が破壊され住民・家畜に死傷被害が出てしまう。
政治も弟、新吉を残し、母とともに命を落とすのだった。

政府には大戸島災害陳情団が列をなし、政府公聴会ではこれを未知の生物の仕業とする一連の証言を受け、古生物学者の山根恭平博士らによる調査団が結成された。
このメンバーには、物理学者田辺博士、新聞記者の萩原のほか、娘の恵美子やその恋人で南海サルベージ所員の尾形秀人らが同行した。
いよいよ調査船出港の日、見送りの人々の中に、恵美子の元婚約者の芹沢博士の姿もあった。

大戸島では、壊滅した村に夥しい放射能反応が確認され、山根博士は残された巨大な足跡からジュラ紀の古生物であるトリロバイト(三葉虫)を発見する。
その時、不気味な足音が鳴り響き、海へ続く山の峰に向かった一行が見たのは、恐ろしい咆哮とともに、山向こうから頭をもたげた大戸島の伝説に伝わる怪獣の頭であった。

東京へ戻った山根博士はその巨大生物を大戸島の伝説に従って「ゴジラ」と呼称し、トリロバイトと
残留放射能ストロンチウム90を根拠に「200万年前のジュラ紀に生息し、海底の洞窟に潜んでいた太古の生物が、水爆実験の影響で安住の地を追われ、出現したのではないか」とする見解を国会での公聴会で報告する。

山根博士らの報告を受けた政府はゴジラに対し、大戸島西方沖の海上でフリゲート艦による爆雷攻撃を実施。
これを報じるテレビに、山根博士は古生物学者という立場上、太古の生物の生き残りであるゴジラを抹殺しようとする政府の方針に心を痛めるのだった。

その夜も大都市東京にはネオンが輝き、東京湾上の遊覧船では笑いさざめく人々の姿があった。
そのとき不気味なゴジラの足音が響き、彼らの眼前にゴジラが姿を現し、東京湾に現れたゴジラは防衛隊の機関銃をものともせず芝浦に上陸。
逃げまどう群衆の中、防衛隊に「ゴジラに光を当ててはいけない、怒りを増すだけだ」と進言する山根博士。
ゴジラは水爆実験の記憶から、光に対して過剰反応を示すのだった。
品川駅構内に侵入し、列車を踏みつぶし、海へと去るゴジラを、人々は怖れ慄き逃げまどうばかり
だった・・・・。

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さて、今回ご紹介している「ゴジラ」なんですが、この作品に関わらず、様々なテーマを持ったシリーズなんです。
ご存知の通り、ゴジラ自体は、核兵器・繰り返される水爆実験によって誕生した怪獣でもあり、後にゴジラと戦うモスラが登場する作品でも、環境破壊が軸として物語が描かれているんですね。

なので、このシリーズは、ただ単に怪獣が登場して、街を破壊していく娯楽映画だけでは無く、ありえるかもしれない可能性の一つとして、人類に警告している作品でもあるんです。
もしかしたら、今の地球環境が、すでにゴジラのような怪獣が、出現してもおかしくない状況なのかもしれません。
劇中でゴジラは東京に上陸、街は火の海と化すのですが、このゴジラの侵入コースはまさに東京大空襲における米軍爆撃機B29の爆撃コースになっていたんです。
これは偶然ではなく明確に意図したものであることが当時の制作者の証言として残されているんですよ。

そして、僕が思う今作の見所と言えば、白黒とマッチしたゴジラの不気味な演出ですね。
言ってしまえば、カラー作品では、ゴジラの怖さが半減してしまうんです。
白黒であれば、ゴジラ自体も黒い姿なので、画面と同化してしまい、スクリーンの中で、静かに動いている「何か」として注目してしまうんです。
これによって、はっきりと映し出されないゴジラという存在に対して、「見えない何かの恐怖」と同じような感覚に陥ってしまう事で、見る観客、それぞれに自分がイメージするゴジラ像を連想させていたのではないか?とも思えた演出だったんですね。
後に、様々な怪獣と戦うシリーズが制作されるんですが、今作はゴジラしか登場しないので、他の怪獣と見比べる事も無く、ゴジラだけを注目する事が出来るので、まじまじとゴジラの存在を感じる事が出来る作品なんですね。

他にも、「人間が生み出した恐怖の象徴」として描かれているゴジラなんですが、この映画の中で、「悪役」という位置に置ける存在は、いないようにも思えるんです。
普通に見たら、東京の街を破壊しに来るゴジラが悪者で、街を守る日本の防衛軍が正義だとも考えられるんですが、でも、この怪獣の生みの親は人間であり、核の影響で誕生してしまったゴジラも核の被爆者なんですね。
だから、人間に核の恐怖を教える為に、ゴジラとなって現れた・・・とも考えれば、一番悪いのは「人間」という考えにもなるんです。

僕が個人的に印象に残っていたシーンは、劇中に登場する芹沢博士は、ゴジラを殺す兵器として
オキシジュン・デストロイヤーというものを使用するんです。
でも、彼はこの兵器をゴジラに使う条件として、「今後、絶対に兵器として使用してはならない、使うのは今回の一度きり」という約束のもと、使用するんです。
しかし、この作品から数年後に、平成版シリーズの最後の映画でもある「ゴジラVSデストロイヤー」という作品で、今回使用した兵器が、突然変異を起こしてデストロイヤーという怪獣になり、ゴジラとの最終決戦をするんです。
とても、皮肉ですよね。
自分自身の研究を兵器としての使用を断固許さなかったのに、数年後には、自分の研究によって生み出された産物がゴジラのような怪獣となって街を破壊していく・・・
このような事も含めて、人類が兵器を使用するという責任の重さを再度、認識させられるシリーズなんです。
先程も書いたように、ゴジラという存在は、人類が安心しきっている生活に、突如現れ放射能を撒き散らしながら「核の脅威」を常に人類に教えている怪獣でもあり、この怪獣を倒そうとしている人類も、「過去の人類の過ち」という許されない行為に従った愚かな人類=ゴジラと戦っている・・・いわば今の人類と過去の人類との戦いを描いた作品でもあるんですね。

そして、この「ゴジラ」に欠かすことの出来ない存在が、あのメインテーマなんです。
昭和・平成と共に、進化しているこの曲なんですが、やはり、最初の音楽が時代を感じさせてくれます。
この曲のURLを貼り付けておくので興味のある方は、是非お聞きくだされ。

伊福部昭
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愚かな人類の過ちによって生み出された怪獣が、東京の街を火の海にして歩いていく・・・・。
日本を代表する怪獣映画決定版・・・「ゴジラ」。

是非、ご覧下され。

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