前回予告しちゃったんで、マガジンハウスの話しを書きます。
ひょっとしたらこのブログをお読み頂いている業界の諸先輩方には、「マキノ何言ってるんだ」なんて思われること覚悟で書きますね(なんてそんな大袈裟なもんじゃありません)
今日は、ボクの父親の命日です。7年前の10月21日に79歳でこの世を去りました。父は音楽関係の仕事をしていたので、これはこれでブログネタになるので次の機会に色々と書いてみたいと思っているのですが、この父は、普段から子に対して教訓めいたことや将来の進路などに対して、あーせいこーせいなんて一切言わない人でした。だけど一度だけ、ボクが社会人になる時に言われたことがありました。
これから社会に出たら3つだけ守るべき事がある。
1. 腰は軽くなければいけない。〜これ説明しなくてもわかりますよね。要はすぐに行動しろってこと。
2. 仲人は上司に頼むな。〜今でこそ仲人のいる結婚式ってあまり見かけなくなりましたが、
自分が若い頃はそれが当然だったんです。もし仲人を会社の上司に頼んで、将来その上司が自分と意見が合わ
なくなった時、ましてや独立でも企てたら、不本意でもついて行かなくてはならない。って今じゃ考えられな
いけど仲人と言えば親も同然だったのか?!でも大企業には今でもそんなことがあるのかも・・・
そして3番目。これが「えっ?!」って言う内容でした。
3. 平凡出版と仲良くしろ。〜要は今のマガジンハウスですわ。
じゃあなんで平凡出版に入れって言わなかった のが疑問と言えば疑問なのですが、まあ自分の息子には平凡
に入れるほどの才能は無いと思ってたんでしょう。(笑)
これには、驚きましたが、それは全くその通りと分かったのは社会人となってまもなくのことでした。
その当時平凡にあった雑誌は、月刊/週刊平凡 平凡パンチ anan クロワッサン POPEYEそれくらいだったでしょうか。
BRUTUSの創刊説明会に木滑さん(現最高顧問)がボクの働いていた広告代理店にいらしたことは、良く覚えています。
当時は社屋が田舎の小学校みたいで、社員食堂からアルマイトのお盆で昼食を各自の自分のデスクまで運んでくるんです。ボクも何度かご馳走になった覚えがあります。
で、それは兎も角、話しは戻りますが、大学生時代にPOPEYEと言う雑誌との出会いがありました。
当時若い男の子が読む雑誌ってのは、タレントの水着やヌードグラビア、あとはクルマや音楽の記事が中心だったんですね。平凡パンチ、プレイボーイ、そしてGORO(ご存じ?小学館から出てた大判の男性誌で、篠山紀信の激写で一世を風靡)などでした。
そこに出てきたのがポパイって、やたらと薄い雑誌。印刷もはっきり言って汚い。独特の紙とインクの臭い。そしてやたらと文字が小さくて多い。写真も小さくて多い。
そして一番の驚きは、ハダカが一切載ってない。出てくる女の子は素人なんだけど結構可愛い。そしてファッションと言うより洋服の記事が多い。アメリカの話題がやたら多い。ロサンゼルスのことをLAって言う。UCLAってそれまで誰も知らなかった。等々全く今までに無いタイプの雑誌でした。
これぞ、パイオニア、オリジナリティの極致的雑誌でした。
毎号特集主義で、たとえば・・・ IVY ローラーコースター LA NEW YORK フリスビー スキー 60'S ワーゲン、テニス、オートバイ、そして今に残る名タイトルの号「気分はもう夏」コレ持って初めてハワイに行きました。
でも一番ボクに刺さったのが、毎号巻頭に載っていたのコラム頁でした。1頁を縦割りに3〜4の話題が載っています。それが3見開きくらい続いたのかな。それぞれの記事には番号が振ってあって、1~17まで続きます。アメリカネタが殆どでしたがそれぞれが面白くって、食い入るように読みました。
当時友達との会話の決まり文句「これってポパイにでてたんだけどさー」
最初にこの巻頭コラム集を見て驚いたこと、ポパイってPOPEYEだったんだ!このコラムのタイトルこそ今に続くpop*eyeなのです。「ポップな目」いやこのタイトル付けた人、天才だと思いました。たぶん先に書いた当時の木滑編集長だと思いますが。
それと、もう一つ。17番の次に18番のコラムがありました。この18番は実は広告で、毎号サントリーがビール、ウイスキー、トロピカルカクテル(懐かしい!河野さん元気かな?分かる人いないよねw)など色々な製品を1~17のレイアウトに合わせて、小さな写真と長いテキストで宣伝しました。
ああ、広告ってこう言うやり方があるんだ!って感激した記憶があります。
ちなみにこの頁はモノクロです。1c1/3p広告料金幾らだったんだろう。
サントリーって凄いよね。
実はボクが山下達郎が好きになったきっかけも、サントリービールのCMなんだけどね。
なんてこと書いてたら、すっかり遅くなってしまいました。
続きはまた近日アップします。
長々とお付き合い頂き有り難うございました。
2015年10月21日
2015年10月18日
雑誌のオリジナルとフォロワー
今日の朝日新聞に「はじめての女性誌」って特集記事が掲載されておりました。
ananから始まりageha、リンネルまで女性誌の歴史的意味合いと現状が書かれているんですが、恐らく記者がここに出てくる雑誌の実際の読者としての世代ではないためか、登場雑誌のセレクトに疑問符が付いたり、そもそもの取材内容が薄く感じましたね。
で、今回この記事を読んでワタクシが皆さんにお伝えしたかったのは、この写真の一番右、上下にある2誌、つまりananとnon-noのお話であります。
ananはこの記事にもあるように1970年に平凡出版(現マガジンハウス)から創刊された、日本初と言っていい女性既製服ファッション専門誌でした。(それまでの女性誌は型紙が付いている洋服の作り方つまりお裁縫主体の服飾雑誌がほとんど)
今では殆どの女性誌の判型はこのL版(297×235mm)ですが、ananはこのサイズで発行された初めての雑誌でした。これには深い理由があったと聞いております(この先の記述は、もし事実誤認が有ったらご指摘下さい)
1960年代は平凡対集英社対決の構図ってのがあって、オリジナル=平凡 フォロー=集英社(本当は真似、パクリって言いたいけど、角が立つんで。って言ってるじゃないかオマエ!w)だったんですね。
月刊芸能誌としての「平凡」に対する「明星」(明星って言うネーミング自体は文芸誌として平凡より古い)週刊芸能誌「週刊平凡」に対する「週刊明星」、若者向け男性週刊誌「平凡パンチ」に対する「週刊プレイボーイ」などなど、平凡が出すヒット雑誌を集英社は、ことごとくほぼそのままパクって(ちょっと言い過ぎか)次々と創刊し、部数的には平凡の各誌を上回ってしまう、と言う状況が続きました。(実際明星やプレイボーイは現存していますが、平凡やパンチは20年以上前に廃刊)
で、こりゃ何とかしなくてはマズイ、次に出す初の若い女性向け雑誌もすぐに真似される。そこで平凡出版が考えたことは、ある印刷会社と今までに無い大型の雑誌を刷れる印刷機ごと開発しちゃおう、と言う事。そうすりゃ真似されないだろうって事ですな。それが297×235mmのL版の雑誌「anan」だった訳であります。
ところが、そこは集英社。すぐに日本最大手の印刷会社に同サイズの印刷機を作らせて翌年にネーミングもサウンドが似ている「non-no」を同じくL版で創刊してしまったのであります。
この両誌は今でも続いていますが、同判型と言う事は別にして、内容は大分違う雑誌になってますけどね。
その後、集英社の手法が講談社に移って、POPEYEに対するHOT DOGとか、今度は集英社が講談社に真似されちゃったMOREに対するWITHだったり、光文社のJJに対する講談社のViVi、小学館のCanCamだったり、各社入り乱れてのパクリ合戦に進展していく訳であります。(パクリ表現連発〜スンマヘン≦(._.)≧)
ちなみにJJって女性自身(Josei Jishin)の略って知ってました?
まあ、それ以前にも週刊女性:女性自身:女性セブンとか週刊新潮:週刊文春、週刊現代:週刊ポストとかありますが、さすがにここまで来るとワタクシの手に負えなくなってきますんで、この辺で終わりにしておきます。
しかし、その中で各誌 時代の流れに沿って次々に新しい流行を発信もしくは紹介してきたのも事実であります。
だから、必ずしも後追い媒体がダメと決めつけることも無いとは思いますが、やはりエディターとしてはパイオニアを目指したいんじゃないでしょうか?
今晩は、長くなったのでこの辺にしておきますが、次回はその「パイオニア」であることに拘り続けているマガジンハウスのお話でもしましょうかね。
ananから始まりageha、リンネルまで女性誌の歴史的意味合いと現状が書かれているんですが、恐らく記者がここに出てくる雑誌の実際の読者としての世代ではないためか、登場雑誌のセレクトに疑問符が付いたり、そもそもの取材内容が薄く感じましたね。
で、今回この記事を読んでワタクシが皆さんにお伝えしたかったのは、この写真の一番右、上下にある2誌、つまりananとnon-noのお話であります。
ananはこの記事にもあるように1970年に平凡出版(現マガジンハウス)から創刊された、日本初と言っていい女性既製服ファッション専門誌でした。(それまでの女性誌は型紙が付いている洋服の作り方つまりお裁縫主体の服飾雑誌がほとんど)
今では殆どの女性誌の判型はこのL版(297×235mm)ですが、ananはこのサイズで発行された初めての雑誌でした。これには深い理由があったと聞いております(この先の記述は、もし事実誤認が有ったらご指摘下さい)
1960年代は平凡対集英社対決の構図ってのがあって、オリジナル=平凡 フォロー=集英社(本当は真似、パクリって言いたいけど、角が立つんで。って言ってるじゃないかオマエ!w)だったんですね。
月刊芸能誌としての「平凡」に対する「明星」(明星って言うネーミング自体は文芸誌として平凡より古い)週刊芸能誌「週刊平凡」に対する「週刊明星」、若者向け男性週刊誌「平凡パンチ」に対する「週刊プレイボーイ」などなど、平凡が出すヒット雑誌を集英社は、ことごとくほぼそのままパクって(ちょっと言い過ぎか)次々と創刊し、部数的には平凡の各誌を上回ってしまう、と言う状況が続きました。(実際明星やプレイボーイは現存していますが、平凡やパンチは20年以上前に廃刊)
で、こりゃ何とかしなくてはマズイ、次に出す初の若い女性向け雑誌もすぐに真似される。そこで平凡出版が考えたことは、ある印刷会社と今までに無い大型の雑誌を刷れる印刷機ごと開発しちゃおう、と言う事。そうすりゃ真似されないだろうって事ですな。それが297×235mmのL版の雑誌「anan」だった訳であります。
ところが、そこは集英社。すぐに日本最大手の印刷会社に同サイズの印刷機を作らせて翌年にネーミングもサウンドが似ている「non-no」を同じくL版で創刊してしまったのであります。
この両誌は今でも続いていますが、同判型と言う事は別にして、内容は大分違う雑誌になってますけどね。
その後、集英社の手法が講談社に移って、POPEYEに対するHOT DOGとか、今度は集英社が講談社に真似されちゃったMOREに対するWITHだったり、光文社のJJに対する講談社のViVi、小学館のCanCamだったり、各社入り乱れてのパクリ合戦に進展していく訳であります。(パクリ表現連発〜スンマヘン≦(._.)≧)
ちなみにJJって女性自身(Josei Jishin)の略って知ってました?
まあ、それ以前にも週刊女性:女性自身:女性セブンとか週刊新潮:週刊文春、週刊現代:週刊ポストとかありますが、さすがにここまで来るとワタクシの手に負えなくなってきますんで、この辺で終わりにしておきます。
しかし、その中で各誌 時代の流れに沿って次々に新しい流行を発信もしくは紹介してきたのも事実であります。
だから、必ずしも後追い媒体がダメと決めつけることも無いとは思いますが、やはりエディターとしてはパイオニアを目指したいんじゃないでしょうか?
今晩は、長くなったのでこの辺にしておきますが、次回はその「パイオニア」であることに拘り続けているマガジンハウスのお話でもしましょうかね。
2015年10月13日
スニーカー
ボクがスニーカーって言葉を初めて意識したのっていつ頃だったかな。
考えてみると、中学生の頃ラジオからホセ・フェルシアーノって盲目の歌手の「ハイヒール アンド スニーカーズ」って曲が流れてきた時のことだと思う。それまでは当然「運動靴」だったからね。
「スニーカー」として初めて買ったのはなんだったろうか?確か中学生の頃薄茶色のスエードにこげ茶のラインが入った月星かどこかのコートシューズだったと記憶している。その次は白に赤いラインのプーマだったかな。
その後大人になって、人並みには買ったけど、一番の思い出は1992年にバルセロナ五輪の開催中にシカゴのナイキタウンで買ったジョーダン7。ドリームチームがまさに活躍中にブルズのホームタウンで購入したんだけど、サイズが無かったと言う理由だけでオリンピックモデルを買わなかったと言うアホさ加減。もうBoonが散々煽ってたのにね!
で、今のお気に入りは誰が何と言ってもコレ。mobus ドイツのスニーカーです。シンプルだけどカラーが豊富なのがいい。つま先が上がっているのもチャーミング。
履き心地もいいので3足持ってます。
モーブス オススメです〜!
考えてみると、中学生の頃ラジオからホセ・フェルシアーノって盲目の歌手の「ハイヒール アンド スニーカーズ」って曲が流れてきた時のことだと思う。それまでは当然「運動靴」だったからね。
「スニーカー」として初めて買ったのはなんだったろうか?確か中学生の頃薄茶色のスエードにこげ茶のラインが入った月星かどこかのコートシューズだったと記憶している。その次は白に赤いラインのプーマだったかな。
その後大人になって、人並みには買ったけど、一番の思い出は1992年にバルセロナ五輪の開催中にシカゴのナイキタウンで買ったジョーダン7。ドリームチームがまさに活躍中にブルズのホームタウンで購入したんだけど、サイズが無かったと言う理由だけでオリンピックモデルを買わなかったと言うアホさ加減。もうBoonが散々煽ってたのにね!
で、今のお気に入りは誰が何と言ってもコレ。mobus ドイツのスニーカーです。シンプルだけどカラーが豊富なのがいい。つま先が上がっているのもチャーミング。
履き心地もいいので3足持ってます。
モーブス オススメです〜!
2015年10月10日
信じ難き映像 DEEP PURPLE
忘れもしない1972年8月17日、高校一年生の牧野少年は初めて武道館にロックコンサートを観に行ったのでありました。 DEEP PURPLE その後この時の模様がDEEP PURPLE LIVE IN JAPAN 【欧米ではMADE IN JAPAN】として発売され、日本だけでなく海外でも大ヒット、ロックライブレコード史上正に最高傑作として現在まで評価され続けています。 自分としては、人に「オレパープルの72年の武道館行ってるんだぜ」が音楽ネタの最高の自慢話として何度話したか知れません。 その後40年以上、ずっとずっとこの時の模様が幻影として脳裏に焼き付き、夢にも何度出てきたことか・・・ そしてNET時代が到来して、それまでは日本で暮らす自分には想像すらできなかったロック/ポピュラーミュージックの驚くべき映像がYOU-TUBEで次々と白日の下に晒されてきました。 でも、あの72年8月17日の映像はある訳無いって自分に言い聞かせて、これまで生きてきました。(大げさか?〜そんなことないです) ただ、その後、LIVE IN JAPANのコンプリート盤が発売されるに至り(先のLIVE IN JAPANは大阪フェスティバルホールと武道館のいいとこ取り)自分が見た武道館の全曲が21世紀になってオフィシャルに発売され、それだけで夢が叶ったって思った訳であります。 ところが先日何気なくYOU-TUBEでDEEP PURPLE検索したら・・・ SMOKE ON THE WATER LIVE VIDEO 1972 8 17 BUDOKANてのがあるじゃないですか! でもどうせ既出のストックホルムの映像に先程のコンプリート盤のサウンドをかぶせたものだろうなんて思ったんですが、クリックしてみるとそこには自分の目を疑う信じがたき映像が出てきたのです。 正にあの時のメンバーの衣裳、背後の「DEEP PURPLE」のディスプレイ、そして武道館の2階スタンド。 そういえば、音声無しの8mmの映像があるらしいという噂が一部で囁かれていたことを記憶していましたが、映像はモノクロでも音はステレオのクリアなサウンド。一瞬「ここはどこ私はだれ」状態に陥りました。 その後冷静になって考えると、その噂の8mm映像にLIVEコンプリート盤の音声をかぶせたもので間違いないと思います。でも全く音と映像のぶれが無く、本当にあの時の音と映像です。恐らく現代のデジタル技術で映像の方を修正して音源にシンクロさせたんじゃないかと思います。でもこれフェイクじゃありません。1972年8月17日の日本武道館の同時刻の音と映像なのですから・・・ イヤイヤ、長生きはするもんですな!(笑) 現在の所SMOKE ON THE WATERだけですが、オープニングのHIGHWAY STARからアンコールのSPEED KINGまでコンプリートで見てみたい!でも8mmが全部は無いのかな? でも、幸せです。 それでは、とくとご覧下さい。DEEP PURPLE SMOKE ON THE WATER https://www.youtube.com/watch?v=nkduiZt3HM0 2015年09月27日TOKYO YAKULT SWALLOWS仕事柄関西出張が結構多いです。
大阪のお客さんと野球の話になると・・・ 「マキノさん、東京やから当然巨人ファンやろ?」 ボクが 「いやいや、ヤクルトファンですよ」って返すと 「珍しいですな〜」って言われます。 いいですか、TOKYO YAKULT SWALLOWS でっせ! このワタクシ、サンケイアトムズ時代からのファンなんです。 何でスワローズファンって、みんなジャイアンツファンって面白くないでしょう? って子供ながらに思ってたし、チームカラーが好きなんですね。 初優勝は大学4年の時、広岡監督はちょっと・・・でしたが ヒルトン、角、若松、マニエル、大杉、杉浦、水谷、大矢のラインアップ 松岡、安田、鈴木、会田、井原、倉田の投手陣 13年後からの野村ヤクルト黄金時代 そして本日マジック3が灯りました。 14年ぶりの優勝に向けて、いよいよカウントダウンです! 2015年09月23日NILSSON SCHMILSSONみなさんこんにちは。
SLV WEEK最終日ですね。連日いいお天気が続いてます。 さて、今日はワタクシのハンドルネーム「シュミルソン」についてのお話。 高校1年の頃、ラジオ関東(今のラジオ日本)毎週土曜日の夜9時から3時間にわたり「全米トップ40」という番組が放送されてました。ビルボードポピュラーミュージックチャートから毎週上位40曲をケーシー・ケイスンというDJが紹介するもので、ラジ関では湯川れい子さんと坂井隆夫アナの解説進行でオンエアされておりました。 今に於いても、この1972年という年の米英のポップ〜ロックのヒット曲は自分にとってベストイヤーなのですが、この番組から聞こえてきた印象的なボーカルがハリー・ニルソン「ウィズアウトユー」でありました。 なんていい曲だろう、って思ってたら次のチャートインが前曲と打って変わってパンクなハードロック「ジャンプイントゥーザファイヤー」。面白い人だなぁ、って感じてアルバムを購入。このタイトルがNILSSON SCHMILSSONだったわけです。その後、これから遡ってハリー・ニルソンの全アルバムを買い、最も好きな洋楽歌手、ミュージシャンとして40年以上の長きにわたって自分にとって存在し続けているのであります。 この「ウィズアウトユー」は72年の年間チャートでも第4位。3位はドン・マックリーンの「アメリカンパイ」2位はギルバートオサリバン「アローンアゲイン」1位はロバータフラック「愛は面影の中に」であります。 https://www.youtube.com/watch?v=esUp2RuTgvw その後、25年の月日が経ち、携帯メールが普及してスパムメールが横行し始めた時、このシュミルソンってのメアドに使ってみたらいいんじゃないかと思いやってみたら、これが正解。 それ以来GMAIL、TWITTERを始めとして多くのサイトで今でもこれを使い続けているのです。でもボクのスペルはSHUMILSSON、自分の名前との合成ですけれどね。逆にそのせいで、色々なサイトでのIDで既存登録が無くて使えているのですが・・・。 と言う訳で、これからもSHUMILSSON=シュミルソンをよろしくお願いいたします。(笑) 2015年09月21日HALLO! THIS IS SHUMILSSON WRITING.皆さんはじめまして、シュミルソンです。
今回 ちょっとした理由で仕事に必要になったんで、ブログを始めることになりました。 でも個人的な想いを自分自身の将来に向けて残すこともいいかな、なんて考えております。 ご多分に漏れずfacebookやinstagramにも少々手を出しておりますが、SNSだと簡単に上げられちゃうので、どうでもいい事もついつい投稿してしまいます。 でもブログではそうはいかないんじゃないかと思い、本当に自分の今考えていること、誰かに伝えたいこと、そしてSNSだとちょっとマズイことなどを気が向いた時にマジメに書いて行くつもりです。 まず初回の投稿は、このブログのタイトル「凝れば凝るほど」についてであります。 これは、ボクの大好きな歌の一節からから使わせて頂いたものです。 きみは例えそれがすごく小さな事でも 何かに凝ったり狂ったりしたことがあるかい たとえばそれがミックジャガーでも アンティークの時計でも どこかの安いバーボンのウイスキーでも そうさ何かに凝らなくてはダメだ 狂ったように凝れば凝るほど 君は一人の人間として 幸せな道を歩いているだろう かまやつひろし ゴロワーズを吸ったことがあるかい http://www.kasi-time.com/item-21742.html と言う訳で、今後ともよろしくお願いいたします。 次回はワタクシのハンドルネームシュミルソンについての お話でもしましょうか。 |