2017年03月03日

ゆめをかなえるのはここから

ゆめをかなえるのはここから

現在私は小さい頃からの夢をかなえて、高校の教師として働いている。

しかし、それまでの道のりは波乱万丈であった。

大学受験の失敗、進路変更、調理師としての社会人生活、厳しい修行、お店の経営、破たん、無一文、闘病生活など。

一時期、私は人生のどん底を味わっていました。

法政大学の通信教育部に入学した事が、夢をかなえるきっかけとなった。

働きながら、大学卒と教員免許を格安で取得する事ができた。

こんな夢のようなシステム、早く知っていれば良かった。

いろんな人に知ってもらいたい。

現在私は高校教師として充実した生活を送っています。

大好きな歴史の授業、金八先生のようなクラス担任としての仕事

全ては通信制大学に入学した事がきっかけです。

夢をかなえるのはここからです。














2017年02月28日

商品の物々交換から貨幣誕生まで、資本主義経済の不思議を解明‐経済原論リポート





商品の物々交換から貨幣誕生まで、資本主義経済の不思議を解明‐経済原論リポート

 現在の社会は外部から商品を手に入れないと生活ができない社会であり、このような社会では資本主義経済が必要である。


 資本主義経済でもっとも基本的なことになるのは、一般的な例として、自分自身では生産できないが生活などで必要な物や娯楽的な意味合いで欲しいものを自分自身が手に入れることである。

自分では生産できない必要な物を他者から手に入れるためには、それと同じ価値の物を相手に差し出さなければならない。

もしくは、相手が欲するものを差し出さなければならない。

そして、互いが差し出す商品をお互いが納得すれば、そこには、商品の交換が行われる。

もし、貨幣という概念があるなら、貨幣によって交換される商品の値打ちが表示され、また、貨幣と商品を交換することも可能となる。

このように、資本主義経済の基本は商品と商品の交換関係にあるので、これは、市場経済とも捉えることができるであろう。


 現代のような資本主義経済社会では、他者から商品を手に入れないと生活が不可能である。

また、娯楽品なども生活には必要不可欠な存在となっている。

人間が生きていくためにはたくさんの商品が必要であり、また、たくさんの商品を手に入れる事がひつようとなってくる。

現代の社会は、膨大な商品が集まり、そして、商品が交換されている社会とも見る事ができる。


 商品を生産するには労働力が必要であり、労働生産物が商品と言う事にもなる。

また、資本主義経済では、労働力自体も商品の一部と見ることもできる。


そして、労働は資本主義経済にとって骨格的な存在でもある。

社会を構成している人間は労働によって生産した物質的な富を消費する事によって生活をしている。


 また、資本主義的な生産では資本家が生産手段と労働力を商品として購入して、購入した商品以上の価値を、すなわち、余剰価値を生んで生産を行う。

このようにして、資本主義的な生産過程では、常に資本が増殖している。


そして、資本主義のシステムの骨格的なことを規定しているのが、資本・労賃関係と呼ばれる生産関係である。


 労働者は労働力を商品として資本家に売り、そして、労働力を売って得た賃金によって、賃労働者として生活している。

そして、資本家は資本によって、生産手段を買い、また、賃労働者から労働力を購入して生産を行う。

生産過程では、資本家が賃労働者を指揮(支配)して生産を行う。

労働は賃労働の形態をとり、また、生産手段は資本の形態をとっているのが資本主義だと考えられ、そしてこの関係が資本・賃労関係である。


 資本主義的生産の骨格となる資本・労賃関係の生産過程は資本家と賃労働者との人と人との関係とも捉える事ができる。

資本・労賃関係で生まれるものは、商品と貨幣である。

資本主義社会では、生産によって生まれた商品を労働者が労働力を商品として売って得た貨幣によって商品交換を行う。

このように資本主義では表向きに現れるものは、商品と貨幣との関係である。

すなわち、人間関係であった、資本・労賃関係が物象化して商品・貨幣として現れているという事が言えるであろう。

すなわち、商品と貨幣の研究をするという事は資本主義経済の骨格となっている資本・賃金関係をも研究すると言う事になるであろう。


 資本主義経済は商品交換である。

例えば、毛皮一枚と10gの塩が商品交換されたなら、毛皮一枚の価値は10gの塩と言う事になる。

またその逆も言え、10gの塩の価値は毛皮一枚と言う事になる。これは、自分自身の商品価値は商品の交換相手の商品によって自分の商品の価値が決まる事を意味している。


 また、毛皮一枚は10gの塩以外に一丁のナイフと一本の酒とも商品交換が行われていた場合、毛皮一枚から見たこのような状態を全体的な価値形態と言う。

全体的な価値形態の時、10gの塩、一丁のナイフ、一本の酒は毛皮一枚という同じ価値で表す事ができる。

この場合、毛皮一枚を通じて、一丁のナイフと一本の酒は同じ価値と言える。

理論的には、一丁のナイフと一本の酒は同じ価値なので、一丁のナイフと一本の酒は商品交換が可能と言えるだろう。

毛皮一枚によって、10gの塩、一丁のナイフ、一本の酒の価値を数字によって表す事に成功している。

毛皮さえ持っていれば、いずれの商品とも交換が可能と言う事である。

ここから、貨幣の概念が生まれてくる。すなわち、毛皮を使って、あらゆる商品との交換が可能であり、また、交換する毛皮の枚数によってその商品価値が決まってくる。

しかし、資本主義社会では毛皮の変わりに、主に金や銀などが、商品交換に使われ、貨幣としての役割を果すことになる。

金や銀は希少価値もあり、世界的に広く需要が高いと言える。

金や銀自体に商品としての値打ちがあり、その金や銀の量や枚数によって、商品が交換されていくのである。

貨幣の概念が生まれると全ての商品は貨幣によって、商品の価値を表すことができ、また、すべての商品は貨幣と交換が可能となるのである。


 ありとあらゆる生産物や労働力などの商品を購入する事ができ、また、自分自身の価値を表す事のできる貨幣の存在は人間に圧倒的な影響を与え、その魅力に取りつかれる。

資本主義経済は貨幣によって支配されている社会とも捉える事ができるであろう。
 

(経済学入門 南山大学経済学部編著者 NHK出版 参照)

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★お金は使えば使うほど増えていく!資本主義の不思議
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2017年02月25日

自然環境が人類に与える影響とは?人文地理学概論リポート

自然環境が人類に与える影響とは?人文地理学概論リポート


 地中海式気候地域は、地中海沿岸を中心とする地域が主。

その他、カルフォルニアを中心とした地域、オーストラリア大陸の南部の一部、チリ中部地方などである。

この地域の特徴は、夏の時期に、大変乾燥することにある。

冬はたくさんの雨が降る。

夏期の蒸発量は、降水量よりはるかに多く、夏の乾燥期をどの様に乗り越えるかがこの地域の課題となった。

普通では、夏期の乾燥に人間は耐えられないが、幸いなことに、この地域は山地に隣接している。

山地では夏でも、たくさんの雨が降るために、山地で得られる、水分を利用して、夏の乾燥に耐えた。


 地中海気候地域では、冬には、多雨を利用した、小麦などの栽培を行い、夏になると、平地から、山地にうつり住み、山腹に階段耕作を行い、また、羊やヤギといった、家畜の放牧や草を求めての遠距離移動の移牧を行った。

これらのように、いろんな、農業を組み合した。


 7世紀にムハンマドはイスラム教を作った。

イスラム帝国の領土拡大とともに、イスラム教は広がっていった。

イスラム教は最初、アラビア半島から、始まり、トルコ、ペルシア、北アフリカなど、広大な領地に信者を増やしていった。

そして、世界の三大宗教の1つになった。

イスラム教が主に分布している地域の北緯30度付近は、空気は乾燥して、降水量がとても少なく、気温は亜熱帯地域なので、高温である。

そのため、この地域は、大部分が砂漠地域である。

アラビア砂漠やサハラ砂漠などである。

世界地図上で考えて、砂漠が集中している、地域にイスラム教が信仰されている事が分かる。


 イスラム教の経典コーランは、宗教上の儀礼だけでなく、生活全般をも規定している。

そのため、イスラム教は砂漠の民の法的効果など、その影響は計り知れないものがある。


 人文地理学を飛躍的に進歩に導き、新しい学問として、体系的に、  人文地理学を位置付けたのは、ドイツのラッツェルである。

また、ラッツェルによって、人文地理学という名称がつけられた。

人文地理学の、創始者と言っても過言ではないだろう。


そして、ラッツェルは環境決定論を唱える。

ラッツェルは、人類社会や国家が、地理的環境と、どの様に関わっているかを研究した。

ラッツェルの思想は、ダーウインの進化論に近いと言える。

ダーウインの進化論は、生物と環境との間には、完全な調和があり、生物は、環境の影響で、進化すべき姿に変身をとげていく。

ラッツェルの思想は、これに、良く似ていて、人類の生活活動も、動物や植物と同じく、自然環境が影響を与えて、変化していくと考えた。


 また、ラッツェルは、自然は、全体的にあまり変動がなく、不変的であると考えた。

これに対して、人間社会はつねに、いろんな変化をするものと考えた。

そして、一定の不変な自然環境は、変動的な人間社会に、同一の影響を与えると考えた。


 ラッツェルの人文地理学は、自然環境と人間社会との関係が、一定の法則に基づく、いわば、自然科学的な不変法則によって、自然環境と人間社会の関係を理解しようとした。

ラッツェルは人類の歴史は、一般の動植物の歴史となんら変わらないと考え、自然環境の影響で人類は必然的に変化していったと考えた。

これは、人間社会は自然環境の影響で、レールに敷かれた、決められた道を進んでいる事を意味している。

これが、環境決定論である。


 また、環境決定論は経済の面でも、当てはめることができる。

農業の基礎は土地(自然)で、土地によって富を生だす、生産力が決定する。

だから、経済と土地(自然)との間には環境決定論が存在する。


 次に、環境可能論を唱えたのがフランスのブラーシュである。

ブラーシュは自然環境と人間社会との関係に注目した。

ここまでは、環境決定論と同じだか、中身の捉え方は少し違う。

ブラーシュは、人文地理学を生物学的な、自然環境と人間社会の関係を基礎にして体系づけたラッツェルの功績を認めながらも、環境決定論が自然環境と人間社会の諸関係をあまりにも、性急に、また、単純に解釈して、一方通行な一般論に陥っていると考えて、間違っているのではないかと指摘した。


 ブラーシュの環境可能論は、自然環境は人間の活動を規定するのではなく、単に可能性を与えるにすぎないと考えた。

すなわち、人間社会は自然環境に対して一定ではなく、能動的なものと考えた。

また、自然環境に人間社会は影響されることがあるが、どの様に、人間社会が自然環に影響されるかは、いろんな要素が絡みあって、影響すると考えた。

人文地理学において人間社会の研究をする時は、自然環境だけでなく、さまざまな、角度、物事から考え研究するのが、環境可能論である。

この考えが、環境決定論との大きな違いである。


 ブラーシュの功績は、人文地理学において、人類は生物的な存在から、さまざまな可能性を秘めた、決して決められた道を歩んでいるだけの存在ではない、社会的、歴史的な存在として、正しく掌握されたことである。

人文地理学の発展にブラーシュの功績が与えた功績は、はかりしれないだろう。


(参照 人文地理学概論 織田武雄 藤岡謙二 西村膣男 蘭書房)(自然環境と文化 山本正三 内山幸久 犬井正 田林明 菊地俊夫 山本充 大明堂 参照)(世界の気候地図 http://members.jcom.home.ne.jp/0517142701/seiin/map-kiko.html 参照)


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2017年02月18日

西洋の哲学者たち‐文学部史学科‐西洋哲学史リポート

西洋の哲学者たち‐文学部史学科‐西洋哲学史リポート


 デカルトの哲学史での位置付けは、デカルトが持つ精神、物質二元論や機械論的自然観などの思想が、近世哲学時代から近代哲学・近代科学へと移り変わる時代の根本的な基礎となったことであろう。

近代哲学はデカルトから始まったと言っても過言ではないであろう。

デカルトの二元論は絶対的な存在として神の存在を認め肯定している状態で、実態は精神と物体の2つであると考えた。

例え人間の体であっても、自然の一部であり、物体と捉える機械論的思想も含んでいる。

デカルト哲学は、機械論的世界観や科学研究を取り入れるなどの近代的な思想と非現実な神の存在を肯定する近世、中世的な思想とが混じった哲学と言えるだろう。

すなわち、近世と近代が混合した哲学といえる。


 デカルトは哲学のみでなく、あらゆる学問の共通の方法論を説いた。

それは、幾何学的、数学的なものは全ての学問に共通し、また、数学的なものから得られる原理は確実な知識であると考えた。

デカルトの数学的、神秘性を秘めたア・プリオリ的な経験に依存してなくても良い哲学は合理論と呼ばれ、のちの哲学家に影響を与えていく。

また、合理論は経験論と対立する。


 合理論と対立している思想の経験論とは、経験に依存することを必要とした考え方の思想である。


経験論は主にイギリスを中心として唱えられた説である。

この経験論を唱え、イギリス経験論の基礎を作り、哲学の世界に新しい流れを作ったと考えられている人物がロックである。

ロックはオックスフォード大学時代に哲学だけでなく、医学や自然科学も学んだと言われている。

また、医学者としての経験もあり、腕の良い臨床医として有名だった。

また、ボイルなどの有名な科学者とも親交があり、ボイルが行った科学実験にも参加し、科学に対しても強い関心があったと思われる。

すなわち、ロックと言う人物は医学と科学の知識を兼ね備えている人物と思われる。

ロック哲学は物事を医学的、科学的に見ることができる、観察と実験を重んじた実証的経験主義の哲学と言えるだろう。


 ロックは「人間悟性論」によって、イギリス経験論の基礎を作ったと言われている。

この著者の中では、神の存在を合理論的に認めているのだが、しかし、神から貰った悟性能力は、その後、その人次第で大きく変わっていくと考えた。

すなわち、神から与えられているものを人間が使うか使わないかなどは自由に決定する事ができ、また、どのように使っていくかは、人間が決めることである。

神は最初のきっかけを与えている存在にしか過ぎず、人間の進むべき道はその人の経験に依存していると考えた。


 また、「市民政府ニ論」のなかで、述べられている、市民より信託された権力を乱用する統治者に対して市民は抵抗する権利を持つとする考え方は名誉革命に理論的な根拠を与えただけでなく、近代ヨーロッパ市民社会の代表的な思想となる。

ロック哲学を簡単に述べると、人間の自由を解いた哲学と考える事ができる。

自由と言う言葉はさまざまな意味を含んでいるが、人間は決められたレールを歩く存在でないと言うことである。


 カントの哲学の世界に与えた影響は、大陸を中心とした合理論とイギリス経験論の2つを統合する形で新たに批判哲学を確立したことである。

カントによれば、これまでの形而上学は宇宙の根本的原理や物事の根源、魂、神の存在など、人間では回答を得る事ができないことを論理的に追求することを考えてきた学問である。

答えがでないことを追求していくのが形而上学であるので、学問として成立する事は難しいとカントは考えた。


 カントは従来の形而上学に反対する立場をとりながら、従来の形而上学と、現象の形式を問題とする数学的な形而上学との関係を明らかにすることを考えた。


 カントの考え方は、数学的な知識であっても、本来人間に生まれながら備わっている能力に依存している。

すなわち、数学的な判断は経験に依存していない総合的な判断だという考え方をしていた。

そして、この考え方をもとにして、カントが目指した形而上学は経験に依存しなくても総合判断が可能な新しい形而上学である。


 カントの形而上学はその後、フィヒテに受け継がれることになり、そして、発展していく。

また、カントの形而上学は現代の形而上学にも大きな影響をあたえていく。


 ヘーゲルはカント哲学の流れを受けて、新たにドイツ観念論哲学を大成した人物である。

しかし、ヘーゲルの哲学は同じカントの流れを汲む、フィヒテの超自我哲学やシェリングの同一哲学とは違った独自性のものであった。


 ヘーゲルの哲学は、弁証法哲学と言われ、事物を不変と捕らえ、その事物の内なる力によって、事物が動き、更なる発展を遂げながら進んでいくと捉えている。

この発展的運動の論理を説いた弁証法哲学は、まさに、歴史の論理であり、歴史哲学とも繋がっていくのである。

ヘーゲルの歴史哲学は後世に大きな影響を与えていく。


 ヘーゲルの哲学の世界での位置付けを考えると、古典的な哲学はヘーゲルによって完成されたと考えることもできる。

それは、ヘーゲルの弁証法哲学が、哲学、自然、歴史、宗教などあらゆる分野の精神活動の論理を説くことができるからである。


 本来答えが絶対にでない哲学を完成へと導いたヘーゲル、また、完成されたものを批判することで、新たな哲学がうまれていく。

それが、現代の哲学と言えるだろう。


(西洋哲学史 今道友信 講談社 参照)


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2017年02月10日

生徒にとっての理想の教科書と記憶との関係‐法政大学通信教育部教職課程‐教育心理学リポート

生徒にとっての理想の教科書と記憶との関係‐法政大学通信教育部教職課程‐教育心理学リポート


 全ての生徒が自ら学ぶ力をつける理想の教科書を作るためには、生徒自ら教科書を作ってはどうだろうか。

他人が作った教科書では、なんの関連性もなく、ただ意味なく、暗記学習に陥りやすく、自ら学ぶのではなく、テストのためにしかたなく、教科書を暗記するに留まってしまうのではないだろうか。


 そして、暗記学習は、記憶研究の知見から考えると、エビングハウスの忘却曲線実験によって証明されるように、意味のない暗記の記憶は短期間で急激に忘れ、その後は緩やかに忘れていくのである。

最終的には大部分の記憶が時間の経過によって、ほとんど忘れ去られるのである。

これは、試験のために、1夜づけで、勉強して知識を詰め込む学習が、その後の人生にあまり意味をなさないことを意味しているのではないだろうか。


 ここで、少し記憶のメカニズムについて、説明すると、記憶には感覚貯蔵庫、短期貯蔵庫、長期貯蔵庫の3種類がある。

これらの貯蔵された記憶の事を感覚記憶、短期記憶、長期記憶と言う。

最初人間のすべての感覚からもたらされた情報は無意識的に感覚蔵庫に保存されるが、1秒以内に消えてしまう。

そして、感覚蔵庫に入っている情報の中で、意識している情報だけが、短期貯蔵庫に入る。しかし、短期貯蔵庫の情報はもってせいぜい20秒ぐらいである。

短期貯蔵庫の情報を半永久的に記憶するためには、長期貯蔵庫に入れなければならない。

長期記憶にするためには、短期記憶の段階で何度も繰り返してリハーサル(復唱)を行う必要がある。

勉強に励むときは、この長期保存記憶に情報を保存する必要がある。

何度もこつこつと学習を繰り返せば長期記憶として、自分の身につくことになる。

しかし、先ほどのエビングハウスの実験で分かるように、せっかくリハーサルによって長期記憶に記憶が入っても、そのほとんどが、時間の経過とともに忘れ去られる。

これを防ぐには記憶に意味を付けてやることである。

記憶に意味を付ければ、記憶が短期記憶から長期記憶に移りやすく、また、記憶を忘れにくいのである。

効率のよい記憶術はたくさんある。


 そして、この方法の1つが最初に述べた、自分自身の手によって教科書を作るである。

生徒自ら教科書を作ることによって、教科書に意味付けがなされて、長期記憶になりやすく、また、忘れにくくなるのである。

生徒自身の手によって教科書を作るという事は、生徒自らが体験や経験を行って、自分の手で物事を調べるために、きっと、生徒自身が自ら学習をする動機づけにもなるのではないだろうか。

だれにも強制されずに、自発的に学習する事ができれば、自ら学ぶ力をつける理想の教科書であると思う。


 実際に、生徒自ら教科書を作るとは、どのようなことか説明すると、生徒が実際に体験したことや調べたことを教科書に書き綴る方法である。

例えば、生物なら、実際に蛙を解剖して、体の構造を見て調べて、自らの教科書に蛙の体の内部の絵を書いたりして、自ら書き綴ってはどうだろうか。

科学の時間なら、生徒自ら科学実験を行ってこの作業手順や実験の経過や結果を教科書に書き綴っていけばいいと思う。

地理の教科書作りなら、実際に生徒自らが学習する現地に足を運んでその土地の風土を堪能して、写真をとり、自らの教科書に貼り付ければ良いと思う。

もし、場所が離れていて足を運べない場合は、図書館や旅行書、インタ―ネットなどあらゆる手段を使って自らの力で調べてみるのもいいのではないであろうか。

歴史なら生徒自身の手で調べて空白の年表を埋めるのもいいかもしれない。

他にも例を上がればたくさんある。

この生徒自ら教科書を作るというアイデアはあらゆる科目に適応されるアイデアではないだろうか。


 生徒自らの手によって作られた教科書は、生徒一人一人同じではない。

若干内容が変わってくる、例えば、科学の実験結果は多少違いも出てくるし、同じ蛙でも個体差もある。

また、生徒が写真をとるにしても、写真技術で個人差はでてくるし、スケッチする技能も生徒によって違うし、写真や絵、文字のレイアウトも人によって代わってくる。

物事を調べるにしても、参考にした資料によって、若干の違いはでてくる。

まさに、世界に1つしかない教科書ができる。


 生徒自らの手で造られた教科書は、後で読む時も、まるで、日記を読むように、教科書を作ったときの苦労などを思い出しながら楽しく学習できるのではなかろうか。

生徒自らの手で作った教科書なら、試験勉強以外でも読む気持ちにもなれると思う。


 しかし、ここで、重要となることは、教科書の内容が生徒によって全く違ってくれば問題があるので、教師がある程度のマニアルを提示する必要がある感じる。


 その他、生徒の想像力を働かすのもやる気をもって学習するのに効果的だとおもう。

例えば、数学で、5+3=○、と問い掛け答えの8を求めるよりも、○+○=8、のように、8を求めるために、いろんな組み合わせで○の中に入る数字を考えるほうが面白いのではないかと思う。

答えは1つでない。


 まとめると、がちがちの答えが1つしかないような事柄を暗記してしまう教科書ではなく、生徒がつねに考え想像しながら学習できる教科書が理想と言えるだろう。


(教育心理学 徳田克巳 高見令英 2003年 博文社 参照) (教育心理学概説 会田元明 内野康人之 横山朋子 1996年 ミルヴァー書房 参照)
 

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2017年02月04日

奨学金を有利子で借りる前にこの記事を読んでね!格安で大学進学を考えている人必見

奨学金を有利子で借りる前にこの記事を読んでね!格安で大学進学を考えている人必見

奨学金制度に苦しむ若者を見て思う事は、大学は借金までしていく所ではない。

大学に借金してまで行く価値など無いと思う。

現実として

大学卒=良い就職先が保証される→答えは×

大学卒よりも、手に職を身につけた方がよっぽど職には困りません。

しかし、教師の様に、大学卒でないと付けない職種も存在しています。

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2017年01月28日

人口と食糧問題の関係について‐現代社会の光と影に迫る‐教職課程、地歴科教育法リポート

人口と食糧問題の関係について‐現代社会の光と影に迫る‐教職課程、地歴科教育法リポート


 最初に世界の人口や日本の人口が地域によって、どのような変化をしているのか、理解し、人口の移り変わりが、現在から未来にかけて、食料問題にどのような影響を与えるか考える。

そして、食糧問題がどれだけ、危険な立場にあるか、理解してもらい、次の時代を担う子供達に、この問題を考えてもらいたい。


 日本を含めて、世界の人口は現在もなお、ふえつづけている。日本では、近年出生率の低下から、人口増加率が低下をたどっている。

近い将来日本の人口は減少に転じる事が予想される。


 日本の食糧事情は現在どうなっているのだろうか、コンビニに代表されるように、大量生産そして、賞味期限が過ぎれば、大量廃棄を行う。

このような、大量生産大量廃棄社会によって、日本の経済が成り立っていると思われる。

違う見方をすれば、食糧を含めた物を無駄に使っていることが分かる。

問題点としては、日本の穀物自給率は非常に低く、約26パーセントぐらいである。

日本国内だけでは、日本の人口を養うことは不可能なのである。

それにも、かかわらず、現在でもなお、減反政策が行われているのが、おかしなことではなかろうかと思われる。


 食糧の不足分は、大量生産大量廃棄社会から、生み出される経済力で、食糧供給を他の地域からの輸入に頼っているのが現状である。

経済大国である、日本が食糧危機になる可能性はないと思われるが、どうなるかはわからない。

もし、仮に他の地域が輸入をストップした場合である。

原因の可能性としては、食糧輸出国の不作などによる食糧危機、国家間の不仲による、国際的な孤立による、輸出のストップ、戦争などによって、輸出ルートの閉鎖などなど、いろいろ可能性は考えられる。

その他、日本での出生率の低下は、近い将来の高齢化社会の到来を告げる原因となる。

もし、第1次ベビーブームと第2次ベビーブームの世代が老年期になった時、働ける世代が極端に少ない社会になるだろう。

そうなると、現在の経済力を日本が維持できるのかどうかは、非常に難しくなるのではないかと思われる。


 子供達に分かってもらいたい、ポイントは、日本の社会がこれまでのように、裕福で物に溢れた社会で、いられる保証はないこと、また、今までのような、大量生産大量廃棄社会で本当にいいのだろうかなどの問題意識を持ってもらって、これから、どのような日本社会を作っていかなければならないかを、考えてもらいたい。
 

 現在世界の人口は爆発的な増加の現象にある。

しかし、全ての地域で人口増加現象があるのかというと、そうではないのである。

各地域によって、いろんな、人口問題を抱えている。
 
かつて、世界には人口の密集地域があった。

ヨーロッパやアメリカ、日本を含めた極東などである。

現在でもこれらの地域の人口は多いのだが、人口増加率はかなり少なくなってきて、人口の減少も見られる。

言い替えると先進諸国では、人口増加はあまりみられず、減少傾向にあることである。

そして、爆発的な人口増加が見られる地域は現在、アジア、アフリカなど、第3世界と言われる発展途上地域である。近い将来、人口の密集地域の変化が起こるであろう。

かつて、人口の多さは、その国が、どれだけの国力を保有しているかの、重要なバロメーターとなっていたが、現在は反対に貧困をしめす、バロメーターになっているのではないかと思われる。

それは、国の経済が安定している地域では人口は増えずに、経済が安定してない地域では人口が増えていることである。

なんともおかしな現象である。


現在から未来にかけての、世界の食糧事情はどうなのであろうか?

日本のように、食糧が溢れている地域もあれば、食糧不足で困っている地域もある。

食糧不足地域の例をあげると、現在、いろんな報道手段をつかって、アフリカなどの発展途上国に募金を呼びかけて、食糧を含め、人、物資、資金など、いろんな援助が行われている。

このように、世界では食糧は不足している。

今後、もっと、深刻な食糧不足に陥ることが、予想される。


 食糧不足の原因は、人口の増加、農業生産の低下、異常気象などが考えられる。

人口はなぜ、増えるのだろうか? 

人間も動物の一種、食物連鎖の食物ピラミッドの頂点に立つわけだが、本来なら、食糧となる、他の動物や魚、植物の数が減少すれば、その割合に応じて、人間の数もうまく調節されるはずである。

過去の歴史を見ても、人口が増加すると、疫病や飢饉の大量発生などの要因により、人口は調節されてきた。しかし、現在は、医療技術の爆発的な進化、人間の高齢化などのために、人口が急激に増加した。


 農業生産の低下原因は、砂漠化、井戸を掘ったことによる地下水の減少、ダム建設の弊害、塩害、などである。

農地を増やすために、森林の伐採が行われるが、これまた、いけないのである。

森林の伐採は、地球の温暖化、永久凍土融解、土地が腐る、などの要因となる。

地球の温暖化は異常気象や砂漠化の原因ともなる。

このように、さまざまな要因が絡み合い悪い方向へと、地球は進んでいる。

地球の土地は劣化していき、農業生産はどんどん、下がっていくことが、今後も予想される。


 食糧供給の救世主として、品修改良である、緑の革命がある。

食糧問題の救世主的な存在ではあるが、危険性もある。化学肥料を大量に使うために、環境への懸念、品種改良をつづけた、品物を食べつづけることの危険性などである。


 子供たちに分かってもらいたいポイントは、日本のように、食糧に満ち溢れている地域もあれば、その裏に、アフリカなんどの、発展途上国の食糧が不足して、たくさんの餓死や貧困があることである。

そして、これらの地域では、養うこともできないのに、人口が増えていることである。

よく報道で発展途上国に対する資金援助の募金やボランティアの募集、などを見かける。

集まった資金で、食糧や病気のワクチンやボランティア活動による、井戸の建設、農地の建設などを行うことに、どのような意味があるかを考えてもらいたい。

子供達それぞれに、さまざまな意見があると思われる。

それぞれに意見をクラス中の人にだしあってもらって、さまざまな意見があることを分かってもらって、今後どのようにしていけばよいのか考えてもらいたい。

今までどうりでいいのか?  

もっと、他によい、解決策はあるのか? 

どちらにしても、問題意識の1つとして、子供達の心に残してもらいたい。


 ここからは、私の個人的な意見ではあるが、人間も含めてだが、生き物の命はもちろん、尊いものである。

しかし、一時的な救済に意味はないと思う。

根本的な解決が必要である。

食糧がないのに、増えつづけている人口増加を抑えることが、最重要課題ではないのかと思う。

それには、教育ってものが必要ではないのかと思われる。 


(人文地理学序論 河上税 長島勝雄 大明堂 参照)(総務省統計局 日本国勢図会  世界国勢図会 以上のデータ参照)  


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2017年01月21日

教師の仕事とは?法政大学通信教育部教職課程、教職入門リポート

教師の仕事とは?法政大学通信教育部教職課程、教職入門リポート
 

人間は知識なくしては生きていく事はできない。

人間が自分の力で生きていくためには、さまざまな知識や技能を身に付けていかなければならない。

子供の時なら、場合によっては、親が面倒をみてくれるために知識や技能がなくても生きていく事ができるかもしれない。

しかし、将来自分自身の力で生きていくためには知識や技能が必ず必要となってくる。


人間が生きていくために必要な知識や技能を子供達に身に付ける1つの方法が学校制度である。

学校制度の中で教師が補う役目となるのが、生徒に生きるために必要な知識や技能をみにつけさせることである。

教師の仕事は大きく分けて、勉強を教える学習指導、生活全般に渡って指導する生徒指導、そして、学習指導や生徒指導に関連した学級経営である。

これら、3つ上げた項目は、いずれも、生徒が将来生きるために必要となる技能や知識を教えることに関係している。


 学習指導は教師が受け持つ科目を生徒に教えることである。

学校で教える各科目にはそれぞれ、生徒が将来生きるために必要となる要素を含んでいる。

私自身が担当する事になる社会科で考えると、社会科を勉強することによって、世の中のさまざまなシステムや制度などを知る事ができる。

きっとその知識は将来の生活に役に立つであろう。

また、歴史や地理を学ぶ事によって、国際社会に生きる日本人としての資質や技能をみにつけることができるであろう。

そして、社会科を学ぶ最大の理由として考えられるのが民主主義の力を養う事にある。

日本は民主主義の国なので、民主主義を養う事は重要な役割となる。

民主主義とは話し合う社会である。社会科の授業を通じて、話し合う力を身につけることが重要な教科目標となる。

学習指導の時に、一方的に生徒に知識を詰め込ませるだけではだめである。

生徒が学習に興味を持つための興味付けを行うのも教師としての重要な仕事となる。


 日本では生徒指導に関しての教師の仕事は幅広いものとなる。

アメリカなどの学校では教師は教科指導に専念して、生徒指導は専門のスクールカウンセラーが行うシステムができあがっている。

日本では教育という仕事は、勉強以外の部分にまで及んでいる。

生活指導において、どこまでの領域を教師が踏みこんで生徒に指導するのかは難しい問題である。

生活指導において、基本となる考えは、生徒が将来良い大人になるための教育である。

例えば、どうでも良いような校則を生徒に守らせるための生徒指導は、将来良い大人になるための教育と繋がっている。

大人になって、社会に出れば、法律に縛られた生活をおくらなければならない。

法律の中にはどうでも良いような法律もたくさんあるが、しかし、日本社会に生きる以上、どうでも良いような法律でも守らなければならないのである。

学校教育で校則を守ることは、将来社会に出た時に法律を守ることに繋がっている。

生活指導で難しい点は、(将来良い大人になる)という事柄の定義が難しいことである。

なにが良いことで、なにが悪いことなのかは人それぞれの価値観によっても、生まれた環境によっても変わってくる。

教師は定義がはっきりしないことを生徒に教育していかなければならないのである。

教師の仕事に求められる資質はかなり高度なものと言えるだろう。


 もう1つ教師の仕事で重要となるのが学級経営である。

学級の経営は学習指導や生徒指導を円滑に行う役割がある。

また、人生を生きるためには組織の中で生活することを意味している。

大きく区切れば、国、小さく区切れば、会社や地域など、人間は組織の中で生きる事になる。

学級という1つの組織の中では、生徒たちが役割を決め、リーダを決定し、学級単位で競争も行う。

学級は組織社会の要素が詰まった空間とも言える。

生徒にとって学級での活動は、将来組織社会で生きる時の訓練の場とも言える。

教師は、学級経営において、速やかでスムーズに学級経営が行われるように指導、監視、調停などをおこなってうまくコントロールする役割をはたす。


 教師の仕事はありとあらゆることを含んでいる。

教育をつかさどるとは、人生の先輩として、人生にとって必要なことを生徒に教育することにある。

生徒にとって学生時代は人生を生きるための訓練期とも捉える事ができ、その中で、教師は、生徒が人生を生きるための力をえるための手助けをする存在とも言える。

特に現在の世の中は、両親の共働きが一般的になり、親が子供を教育することが困難な時代と言える。

この傾向は今後もっと加速すると思われる。

また、地域の横の繋がりも薄くなり、地域単位で子供を教育するシステムもなくなりつつある。

子供を教育する場がすくなりつつある現在の世の中において、子供の教育に与える影響力は、学校で行う比重が多くなるのが現在の社会の特徴になる。

そうなると、教師の教育をつかさどる職務の重要さがますます大きくなるのである。


(学校って何だろう 苅谷 剛彦 講談社 参照)


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2017年01月14日

教職入門リポート・教師になる意味とは?法政大学通信教育部教職課程

教職入門リポート・教師になる意味とは?法政大学通信教育部教職課程 

 教育をつかさどる教師の仕事は非常に重要である。

教育は時として危険な存在にもなる。

教育は人間の人格を作るもので、その方法が間違えば危険な人間ができてしまう可能性がある。


 第二次世界大戦後の日本の教育は、戦前の反省を踏まえたものである。

戦中は教育が国家のために利用された社会である。

戦中の日本国家は、植民地獲得のために戦争を行いつづける軍国主義国家である。

それは、天皇を中心とした中央集権体制のもと、国民が1つとなった国家でもある。

戦中の教育でもっとも重要なのが国家のための教育、国家のための教員である。

教育を行うのは国家の意思を国民に伝えるためで、日本国家にとって、扱いやすく、国家のために忠誠を尽くせる人間を育てるために教育制度が利用され、また、教師の資質として、国家の意思を子供にたたきこむことが教師の資質となった。

そして、戦時中ともなると、教育は、軍人を作る養成機関の役割をはたして、教育が武力と密接に結びつくものとなった。

 私が担当する社会科教育でも、国の意思が大きく影響された。

真実の歴史とは言えず、天皇の神格性の意味付けとして歴史を系統的に学習する内容で、天皇を神として、国家に忠誠を尽くせる人間を育成していった。


 日本は、植民地主義により、内外に多大な損害を蒙り、終戦を迎えた。

第二次世界大戦の敗北は、日本の国家政策が過ちを犯していたことに気付かせ、日本の国家政策を支えた教育もまた、過ちを犯していたことに気がついたことになる。


 戦後は、戦前の過ちを反省し、2度と同じ過ちを繰り返さない理念を踏まえた国家政策を行うことになる。

そして、日本国憲法が作られた。

日本国憲法は、占領国のアメリカ主導のもとに作られた憲法だが、しかし、平和と人権を考えた、戦前の反省点を考慮に踏まえた、徹底した平和憲法である。

そして、日本国憲法に促した形で教育基本法が作られた。

教育基本法の理念は、平和、個性である。

平和教育とは、戦争がなく、物事の紛争は武力じゃなく、言葉を使って民主的に解決することができる人間を育てることにある。

戦争と暴力で物事を解決していた時代の反省と言える。

戦後の主権は天皇から国民へ変わった。

これは国民によって国家が運営される民主国家のことであり、そして、主権者の国民を教育するのが教師の役割である。

次ぎの時代を担う、子供達に平和や民主主義を教育することは、平和で民主的な国家を作ることにも繋がる。


 個性豊かな人間を育てることは、戦前のような、言論の自由も奪われ個人の自由もままならない、統一的な思想を持った国民教育への反省からきている。

もちろん、現在の社会でも、さまざまな規制やモラル、価値観などがあり、実際に個性豊かな人間を育てる教育を行うのは難しく、自由な社会だとは思えない。

しかし、個性豊かな人間を育てるのは理念としては良いものである。

個性豊かな人間を認めることは、その人が持つ人間性を認めることであり、人それぞれが持つ人権を尊重することにも繋がっている。

教師の役割は、本来さまざまな価値観や考えを持っている人間の個性を伸ばすことにある。

個人が持つ個性を伸ばすことによって、人間にはそれぞれ侵す事のできない人権があり、人それぞれの尊厳もある事が認識されるであろう。


 教師になるということは、現在の日本国家がのぞむ平和を重んじる個性豊かな国民を育てる使命を果たす事である。

現在の教育も国家の意思がすくなからず入っていると考える事ができる。

国家が望む平和という価値観が本当の意味で正しいのか、正しくないのか私には分からないが、しかし、思うに、平和を望む個性豊かな人間を育てる使命はすばらしいことであり、世の中、戦争もなく平和に暮らせたら、それが人間にとって良い事だと思う。

そして、そう願いたいものである。


 日本国憲法は非常にすばらしい理念であると思う。この素晴らしい理念をもとに教育が行われるのは大変良いことであるが、平和と言う理想論だけでは世の中通用しないこともある。

平和と武力の関係、例えば平和を維持するための自衛隊の存在など、現実的な問題も考えていかなければならない。

教師になるということの意味は、理想論だけの平和ではなくて、実際の生活に密着した形での現実的な価値観で平和を考えられる個性豊かな人間を育てることにある。

そして、平和な国家を築き、平和な世界を築き、人々が幸せに暮らせる世の中を作ることが教師に課せられた使命だと私は思います。


(新しい社会・地理・公民の教育 大森正 石渡延男 梓出版 参照)



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2016年12月31日

1988年(平成元年)の教育改革‐法政大学通信教育部教職課程(地歴科教育法リポート)





1988年(平成元年)の教育改革‐教職課程(地歴科教育法リポート)


 平成元年、この時代は、世紀末であり、21世紀を目前に控えていた。

多様化する国際情勢、国際化の世界の流れは、これから先もっと、大きくなるであろう。

世の中の急変な流れの中、社会は変わりつつあった。今までの教育では、もう、限界が見えてきた。


 そして、21世紀を目指し、激動の多様化する国際情勢に対応できる、国際感覚があり、広い視野で物事を感じ、豊で臨機応変な人間の教育を目標として、平成元年の1988年に、文部省は高等学校学習指導要領の改正と学校教育施行規則の一部改正に踏み切った。

 
高等学校の社会科科目をもっと、専門的、系統性に分け、日本の歴史文化を理解し、尊重しながら、世界の歴史文化を理解できるような、国際社会にも対応できる人間の育成に応えるために、社会科を歴史地理、公民に再編成した。


中学校の社会科は、歴史、地理、公民の三つの部分に分かれている。歴史部分は、主に日本史がメインである。世界史の扱われている部分はあまりなく、日本史の部分に関連した所が扱われているにすぎない。

21世紀の国際社会に対応できる人間を目指すためには、世界史の学習が必要である。

平成元年の社会科科目改正は、その、段階を踏んで実行に移された。最初は、来たる国際化の時代に向けて、昭和58年に、中央教育審議会教育内容等小委員会は、1、自己教育の育成、2、基礎、基本の徹底、3、個性と創造力の伸長、4、文化と伝統の尊重の4視点から、今後の科目編成の変更案を検討した。

そして、昭和58年から昭和62年にかけて、臨時教育審議会によって、21世紀に向けた新しい、今後の教育の3つの観点が示された。

これによると、1、個性重視の原則 2、生涯学習体系への移行 3、変化への対応である。

審議会の中で、社会科科目について、歴史、地理、公民などを、1つの社会科と言う枠に収めるべきではなく、構成に問題があるとの意見がでた。

また、従来の通り、歴史、地理、公民などを社会科の枠に収めると言う意見もあった。


 このような新しい教育のあり方が問われた、世の中の流れの中、昭和60年、文部大臣の要請を受けた教育過程審議会は、これまでの教育の改革にのりだした。

そして、1、豊かな心をもち、たくましく生きる人間の育成を図る。 2、自ら学ぶ意欲と社会の変化に主体的に対応できる能力の育成を重視する。 3、国民として必要とされる基礎的・基本的な内容を重視し、個性を生かす教育の充実を図る。 4、国際理解を深め、我が国の文化と伝統を尊重する態度の育成を重視する。以上4つの方針を基にして、各教科・科目編成・授業時間数、などの教育全般に渡る改革に着手した。


 結果として、改革によって、高等学校の社会科は、地理歴史・公民に分かれ、実際には、平成元年にこの改正案が実施された。


 そして、高等学校の地理歴史科目の中の歴史については、日本史A 日本史B 世界史A 世界史Bに分かれた。

履修科目として、世界史Aと世界史Bの中から1科目、日本史A、日本史B、地理A,地理Bの中から1科目の合計2科目4単位以上が必須となった。

注目する点としては、世界史が必修科目となったことである。

これにより、全ての高校生が世界史を勉強することとなった。

世界史が必修になったことの狙いは、中学までの歴史は日本史がメインである。

日本の歴史を理解した上で、世界の歴史を勉強することにより、国際化社会に対応できる、資質を養うことが狙いである。


地理歴史の4科目を詳しく説明すると、世界史Aは、世界の歴史は1つの地域が単独で独自の発展をしたのではなく、常に世界の地域が相互に影響を与え、交流を行いながら発展していき、現代の世界を作り上げた。全世界の歴史を一体化して歴史を考える。

そして、近現代を中心に国際社会はどのようにして、できたのかを考え、国際社会に生きる日本人としての自覚と資質を養うのが目的の科目である。


 世界史Bは、改正以前の世界史に近く、世界の各地域の特色ある文化や歴史を学習する。

また、各地域の文化、歴史の発展や現代世界の成り立ちの歴史的過程を考える。

この学習によって、世界の文化の多様性、各文化の違い、文化の交流や関連性、各文化の特色を知ることによって、歴史的な教養を身につけ、国際社会に生きる日本人を育成し、日本人としての自覚と資質を養うのを目的としている科目である。


 日本史Aは、日本の歴史を世界の視野にたって、勉強する。

日本史を古代〜現代まで学習する。

内容は、近現代を中心に学習して、近現代日本がどのように、世界と関わることによって、社会を作っていったかを、世界史的な立場から日本史を考える。

そして、日本史Aを学習することによって、子供達にこれからの、国際社会の中の日本はどのような課題、役割があるのかを、世界史的な立場から考えられる能力を身に付けてもらうことに、この科目を学習する狙いがある。


 日本史Bは、日本の歴史を学習して、日本独自の文化、伝統について、学んで、日本人としての誇りを、世界的な視野から考察する。

そして、日本文化の大切さを知ったうえで、日本人としての自覚を育て、これからの国際社会の中に生きる日本人の資質を養うことに、日本史Bのねらいがある。
 

 以上が社会科における平成の教育改革である。


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