2020年04月04日

牛や豚や鶏が毎日死ぬ世界 人間と人間以外の命にそんなに違いってある?

私はいつも暗いことばかり言っています。

いや、自分では暗いと思っていないけれど、ネガティブの定義とか
どういうキャラが「ネガティブキャラ」扱いされるかとか
見ているとそうなのかなーと……。


「この世界では毎日、生き物が人間に殺されるんだよね」
「あーあ、生きてるだけでしんどい」

要約すると、私はずっとこのようなニュアンスの言動をし
そのような精神状態でいます。


でも口で言うほどしんどいとは思っていません。

自分がこの世界のシステムを作り上げてしまった責任者であれば
「なんてことをしてしまったんだ!」と嘆くかもしれませんが、
私がこの世界を作ったという自覚はないし
(スピリチュアル的に言えば世界は自分で作っているようです)
私が生まれる前からシステムはずっと一緒、
そして動物の世界も弱肉強食だからです。
(これもスピリチュアル的に言えばちょっと違うようですが)


私がいわゆるネガティブな発言をする度
人と喧嘩になったりイラつかれたり、また微妙な空気になるのを感じます。
自分としては事実を事実のままに言っているだけなのですが。

「動物が死ぬのが嫌なら動物食うなよ!」
みたいなことを言われたこともあります。
それはごもっともですね。


ところで現在、人間の世界で起こっていることについて
ニュースであれこれ言っていますね。
ニュースだけでなく一般の人もしょっちゅう
この「事実」について話をしています。

ん? 私がこの世界の「事実」について話していたときは
「そんな暗い話ばかりするな」という空気を感じたんですけどねー……。
私の言い方がまずいだけかな。

今は「事実」を無視していたら、そっちの方がおかしい人みたい。


それにしても相変わらず人間の話ばっかりですね。
毎日人間に殺される動物の数の方が多いだろうに。


現在多くの人が気にしているあの「話題」……

何かものすごく役に立つ情報とかなら、口に出す意味もあるでしょうが
「不安だね」を100回連呼したって何も変わりませんね。
「動物が死ぬのが嫌なら動物食うなよ!」的な正論で言えば
みんな「現実」を変えるためにお医者さんや発明家や専門家になるか、
有益な情報を持っている人にインタビューしてそれを発信するべきですね。

……しかし、何か変えるべきとか有益な情報を優先して流すべきとか、
私はそういう話をしたいのでもありません。


動物が人間に殺される話をしたときは
「そんな暗い話ばっかりするなよ。言って何になる?」
「聞いててイライラする。このネガティブ人間め」
といった空気を感じたのに、それが人間のこととなった途端
「そうだよね、そうだよね」と共感しあうこと。
やっぱり人間中心の世界だなーって思います。

そりゃ、この「世界」は鳥にとっては鳥のもの、
花にとっては花の世界でしょうけど。
他の生き物はみんな他の生き物と付き合いがあるように見えるのに
人間だけ閉ざされた「世界」にいますね。

人が「世界、世界」と言うとき
それは人間や人間の町、国、経済の話です。


生き物が死ぬ話をすれば
「だから何?」「もっと明るいこと考えたら?」と返されて

人間が死ぬ話は
「大変だよね」「頑張ろう」「うんうん、そうだよね」だなんて

なんだか不公平。
生き物が人間に殺されるのは当たり前で、
人間が生き物に殺されるのは非常事態でしょうか。


でも人間なんだから当たり前ですね。

私も「尊い動物の代わりにあなたがお肉になりますか?」と聞かれたら
「嫌です」と答えるような偽善者ですし。


とりあえず、私も苦しいことや平和が乱されること、
不安なことは苦手なので

荒ぶる魂が静まることを願っています。
滅ぼされた者、名もなき犠牲者、悲しい思いや怨念が癒されますように。

虫や花や微生物、動物、星……
みんなが仲良く生きられる「世界」になりますように。


posted by 四月一日 at 20:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2020年04月02日

今日見た夢が鮮明だったから & その後思ったこと

今朝目覚めてまどろみの中で
「今日の夢の記憶はやけにハッキリしているなぁ」と思いました。

深夜にふっと目を覚ましたときは覚えていたのに
朝目覚めると記憶がないとか
目覚めた瞬間は思い出せるのに、あっという間に記憶が消えてゆくとか
そういうこともあるのですが……。

しかし今日も起き上がると夢の記憶は淡くなりました。
まどろんでいる時や寝転がっている時と
体を起こしている時って感覚が違いますね。
でも記憶は残っているので書き留めておこうかと思います。





夢の中で私は海にいました。
深いところに潜っているのではなく、
水の上から顔を出しています。
波打ち際に近く、海水浴場のようです。

私の左側には海が広がっており、そこから波がきています。
前には太陽、右には砂浜。
もちろん動けば位置関係は変わるけれど、
そのイメージが強く残っています。


海の中ではたくさんの人が遊んでいます。
やっぱり海水浴場みたい。
そこにいる人は全員、小学生くらいの子どもです。
子どもだけで遊んでいます。

そのうち日が暮れだしました。
空は赤色。
子どもたちは「そろそろ帰ろうか」と海から上がっていきます。


そこで私はなくし物に気づきます。
タイマーを持っていません。あれがないと……。

それはオレンジ色の小さなタイマーで、
私が現実の世界で何年も前に捨てたものです。
あれがないといけない、と思いました。

海で遊ぶ前にトイレで着替えてきました。
そこに置き忘れてきたんだと思います。
私は観光地のような街へ向かい、
私が着替えた「白い扉のトイレ」を探しました。


ところが道に迷ったのか
白い扉のトイレにたどり着きません。
おかしいな、ここを通ったはずなのに……。
もう少し向こうだったかな?

進むと茶色い木の扉の、立派なトイレならありました。
あれっ、ここ? じゃないよなぁ……。
なんだか自分の記憶に自信がなくなり、
「白い扉のトイレ」の記憶が薄れていきます。


その後私は鳥になって空を飛び、
なくし物を探しました。
風が強いのかバランスが悪いのか、
後ろに流されそうになりますが
なんとか前に進みました。

そして気づくと現実の自分の部屋に帰ってきていました。
黒い棚の扉を開けると、探していたものと同じものがありました。
オレンジ色の小さなタイマーです。

あれっ、なくした物と同じものがもう一つ家にあったのか……。
そこで夢は終わりました。





夢について書き記していると、
以前夢の中で見た光景や、空想の中で見た景色が重なってきて
どれが今日の夢だったか分からなくなってきました。
普段は思い出さないのに、
夢を見た時の感覚に繋ぐと、たくさん浮かんでくるのだから不思議です。

家のまわりを歩きつつ、見晴らしのいい場所から夜景や花火を見たり……。
建物の中を通り抜けたり……。
自転車で森に囲まれたような道を走ったり……。
山の中の公園や神社のようなところを通ったり……。
暗い道で蛍をたくさん見かけたり……。
家のまわりが遊園地や広い公園になっていたり……。
夜空が急にスクリーンのようになって、
様々な天体が飛び交うのが見えたり……。


空を飛ぶ夢はよく見ます。
ぐいっと引っ張られるように後ろに行ってしまったり、
流されて思ったような方向に進まなかったり、
それでも飛ぶのは楽しいです。

探し物がオレンジ色のタイマーだったことは
部屋の中で見つけてから分かったのか、
探し始めた時からしっかり覚えていたのか、分かりません。


この、夢の中の感覚や光景を絵に描きたいなぁ……
なんて前から思っているのですが、なかなか難しいものですね。





ここからは、夢を見た「後」に思ったことなので
私の解釈で、本物の夢の世界の感覚とはズレているかもしれません。


私の夢の中にはあまり「意味」がありません。
夢ってみんなそういうものかもしれないし、
意味は自分で付けることもできるのかもしれないけれど
私は意味のない「夢の世界」が好きです。

湖を見たいと思ったら湖に向かって歩いていく。
泳ぎたければ海の中で泳いでいる。
飛びたくなったら飛ぶ。
帰りたくなったらどこかへ帰る。

そこに「思考」は特にありません。
物をつかむ、にぎる、赤ちゃんのような好奇心と
直感だけではないでしょうか。


現実に帰れば、何かをしようと思った時
「それをどのくらいやるのか? 時間は?」と考えます。

思いつきでちょこっと遊ぶくらいなら
「たまにはそういうのも良いかもね」と、夢のように自由ですが
それを続けるとなると
「それに意味はあるのか? 何の役に立つのか? お金は?」と考えます。


休憩する時、美味しいものを食べたり楽しいことをしたりする時でさえ
「頑張ったから休憩してもいいよね」
「たまには美味しいものや楽しいことでリフレッシュも必要」と
誰にともなく説明しないと気が済みません。

まるで、ずっと気分次第で過ごすのは悪いことみたいに。


……私の「やりたいこと」が何だったのか、今分かりました。
「気まぐれ」です。


泳ぎたくなったら泳ぐ。飛びたくなったら飛ぶ。
そこに理由や方法はいりません。

役に立つとか立たないとかもありません。
みんないるだけ。あるだけ。
そうしたいからするだけです。


私は夢の世界が好きです。

夢の世界で生きたいです。


posted by 四月一日 at 17:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2020年03月26日

今後のポケモンのタイトル予想……






ポケモンソフトのタイトルについての話です。

初代のポケモンは赤と緑でカラー、
次からは金銀クリスタル・ルビー・サファイア・エメラルド
ダイヤモンド・パール・プラチナで宝石や貴金属、
その後ブラック・ホワイトで色に戻り、
その次どうなるんだろうと思ったらアルファベットのxyになりましたね。
リメイク版のルビー・サファイアにはオメガとアルファが入りました。

最近ではサン・ムーンと剣盾(ソード・シールド)で
対義語的な方向に進み始めていますね。
今までのタイトルは、そのソフトの
伝説ポケモンのイメージに合った言葉という感じでしたが
最近は伝説ポケモンを表す言葉そのものになっているみたいですね。
剣盾はやっていないので分からないのですが。

(と思ったらディアルガ・パルキア・ギラティナは
 ダイヤモンド・パール・プラチナっぽい響きですね。今気づきました。)


タイトルは伝説ポケモンやストーリーに大きく関わってきますよね。
(タイトル、ストーリー、伝説ポケモン……
 何が一番最初に決められているんでしょうか。)

さて今後のタイトルはどうなるんでしょう。
やはり対義語的なものでしょうか。


対義語というと一番に思いつくのは……
「上下」

ポケットモンスター上下
なんか嫌かも……。

(上下関係みたいで)


ポケットモンスター「夢と現実」
それもやだ……

けれど横文字で「ドリーム・リアル」とかにされると
意外としっくりくるかも?
寝ている時間と起きている時間を司るポケモンとか……
夢には空想・ファンタジー・希望的な意味もありますね。
昼夜だとサンムーンとイメージかぶりそうですが
夢と現実なら微妙に違うかも。


あと対義語といえば凹凸とか天と地とか……。

ポケットモンスターでデコボコは有り得ないか……。
天と地ならスカイ&アース?
スカイは天というより空、アースは地というより地球っぽいですが
なんとなくありそうかも。

あとは山と谷とか、いける気がします。
「春夏→秋冬」とか「ホット&クール」とかも……?
点と線でドット&ラインとか。

なんでもアリですね。


色や宝石だと紫とか琥珀とかまだありますが
やっぱり分かりやすく対になっているものが選ばれますかね。

と思ったら急に3パターン同時発売とか
路線の違うネーミングになる可能性もありますね。

今後も意表を突くようなアイデアで進まれることを期待しています。


ちなみにポケモン博士やジムリーダーなどの名前は
植物にまつわるものだそうですね。










最後まで読んでくださってありがとうございます。
こちらもゲーム関連のブログです。
ご興味がありましたら見ていってください。

 ↓ ↓ ↓

「けけトロニカ・こわいうた・ミニマルおんがく・うたたねのゆめ・けけララバイ【どうぶつの森の怖いBGM】」
どうぶつの森のBGMの中で怖いと言われている曲や
個人的に怖かった曲について書きました。


「小型ゲーム機『ポケットピカチュウ』の思い出」
ピカチュウと遊ぶことができる小型ゲーム機
「ポケットピカチュウ」について書きました。
ピカチュウと一緒に歩けたりプレゼントを贈れたり、
スロットゲームで遊べるなど楽しい要素が多かったです。


「【ポケモン】シオンタウンのBGMと都市伝説が怖すぎる!」
初代ポケモンにまつわる怖い都市伝説について書きました。
都市伝説も怖いですがそもそも本家シオンタウンもすごく怖いです。
あと、ポケモンシリーズに毎回のように盛り込まれるホラー要素も……。


「GBA ポケットモンスター サファイアの思い出」
GBAのポケモンソフト「サファイア」の思い出について書きました。
最近ではリメイク版のアルファサファイアでも遊んでいます。


「【CD】ファミコン&ディスクシステムの音楽」
ファミコンの音楽が収録されたCDについてのブログです。
ファミコンの音やBGMを聴くとワクワクしますね!


「故障したたまごっちで遊んだ話」
憧れの携帯ゲーム機「たまごっち」を手に入れたものの
壊れていて育てることができなかった…… という思い出話(?)です。


「けろけろけろっぴの育成ゲーム『ケロペット』」
ポケットピカチュウやたまごっちと似たタイプの
育成ゲーム「ケロペット」に関するブログです。
サンリオのキャラクター「けろっぴ」たちを育てるゲームなんですが、
子ども向けの可愛いゲームにしては結構難易度が高かったらしいです。


「『魚つりゲーム』と言われて思い浮かぶものは……」
一部の世代の人には懐かしい?
「お魚つりゲーム」に関するお話です。










posted by 四月一日 at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2020年03月23日

また同じパターンを繰り返すのかと







 最近、小説投稿サイト「カクヨム」に作品を掲載中です。

 以前は他の小説投稿サイトで活動していたのですが、そこで活動した中で未だに後悔していることがあります。それは、物語ではないどうでもいい愚痴をたくさん投稿してしまったことです。(小説投稿サイトでは小説だけでなくエッセイやノンフィクションも投稿できます。)

 元々私は物語づくりに憧れがありましたが、創作力に自信はなく、最後まで書き上げた作品は数えるほどです。それでも一つ一つの「作品」を大事にしたいので、自分なりに力を入れたもののみ投稿したいし、テキトーな出任せの文章を書いて投稿することは避けたいと思っていました。

 ただ……文章に限ったことではないのですが、完璧にしようとするとちっとも進まなくなります。そこそこでいいやと思えば始められるのですが、やるからには全力でやりたいと思っているうちに歩みが止まり、やろうとしたこともやる気も自然消滅してしまいます。

 それで以前いた小説投稿サイトでは、「とにかく更新してみよう。そのうち書く力も身に付くさ」と、どうでもいい愚痴やつぶやきをエッセイとして投稿し続けたのでした。

 そして書いているうちにどんどんエスカレートしてネガティブになり、毎度つまらない愚痴ばかり投稿し、初期に力を入れて書いた数少ない作品は埋もれていきました。

 私にとって大切なのは物語だったのに……。
 自分の手で、自分のアカウントをゴミ置き場に変えてしまいました。

 それでカクヨムに来たときは、今度こそくだらない文章を投稿するのはやめよう、物語のみを投稿しようと決めていました。

 なのに今、筆が進みません。
 いや、掲載中の物語も以前いた小説投稿サイトから持ってきたものなので、もうあの時から筆が止まっているのかもしれません。こうやってグダグダと文を書くのはいくらでもできるのですが……。

 物語を作ろうとしても知識も想像力も足りないし、ひたすら自信がありません。まだまだ勉強が足りないようです。
 しかしそんなことを言っていたって賢くなるわけでもないし、キリがありません。そしてこのままでは書くことが億劫になるばかりです。

 そこで同じ過ちを繰り返そうかと考えています。
 カクヨムでまた、くだらないつぶやきを書き散らそうかと。

 でもなぁ……せっかく今は物語のみ掲載しているんだしなぁ……。
 汚すのは簡単ですが後戻りは難しいです。それで一旦思いとどまりました。

 とりあえず愚痴を書き散らすくらいなら、とりあえず物語を書いてみようか……。間違っていたってリアルじゃなくたって、事実と違ったっていいじゃないか。だって創作なんだから。……そういうふうにも思います。
 どうしようかと考え中です。










最後まで読んでいただきありがとうございました。
こちらが自分の作品(の紹介ブログ)です。
へたっぴですが、もしご興味がありましたら見ていってください。

 ↓ ↓ ↓

「雑草が主人公の短編ファンタジー『月色の夏』をカクヨムに投稿しました」
空き地に生える雑草たちと空き地を訪れる鳩の物語です。
一話完結の短い話で、一番最後に書いた作品でもあるので
自分の文章の中では最も読みやすいと思います。


「詩集『良くも悪くも、星の回転は止まらない』をカクヨムに投稿しました」
詩を20編集めたもので、それぞれの詩が1つの作品となっています。
紹介ブログには1つ1つの詩の紹介文とリンクを貼ってあります。
詩にストーリー的な繋がりはないので、
気になるものを1編だけ覗くとか、自由に読んでいただけると嬉しいです。


「ロボットが登場するSF風短編『からくりの鼻唄』をカクヨムに投稿しました」
ロボットと人が共に暮らすレトロフューチャーな世界が舞台の
短編小説「からくりの鼻唄」のご紹介です。
物語は全9話です。


「ひねくれた主人公の一人語り。『悪魔』をカクヨムに投稿しました」
基本的に主人公の一人語りで展開する暗い話です。
人が持っている漠然とした「生きる辛さ」とか、
生きている以上どうしようもない悩みとか
そういったものとマイペースに向かい合っていく話だと思います。
全7話です。



ピクスタで写真作品も販売中です。

 ↓ ↓ ↓

https://creator.pixta.jp/@prof1506140/photos




posted by 四月一日 at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2020年03月22日

デジャブってきました(創作について)

 以前は動画サイトでよく音楽を漁ったものでした。
 惹かれるものは知らないゲームやアニメの曲が多かったですが、曲だけで十分素晴らしいので曲にのみハマっていました。

 しかし最近の歌を歌番組で聴いていると、どれも同じように聞こえるのです。

 これは「昔の方が良かった」症候群?
 本当に一昔前の曲調の方が好きだったとか?
 それとも感動する心自体が薄れてきたのでしょうか。

 以前は高音が好きで、曲のサビで高音がくるとゾクッとして聞き惚れることがよくありました。しかし今歌を聞いていると、メロディーの起伏が激しく高音も頻繁に出るのに、それをあまり「メロディー」と感じません。今主流のテンポに乗れていないのでしょうか。

 そういえば身近な誰かがそんなことを言っていた気がします。
 私は無意識に誰かの受け売りで自分の好みや感想を決めているのでしょうか。

 しかし音楽だけでなくマンガや映画も、以前よりはどれも同じように感じるようになりました。どれもどこかで見たような。
 そして人の意見や性格も。

 批判するつもりなどまったくありません。
 何もかも下手な私が何かを批判するなど「何様だろう」という感じです。
 そりゃ、同じ部分や似た部分だって世界には多くありますよね。同じ人間なんだから。

 ということは、もちろん私もありふれた存在なわけです。
 私が渾身の創作をしたところでどこかで見たようなものができあがるし、そもそも上手な人には敵いません。
 もうとっくに表現し尽くされているのに……そしてもっと上手な人がいるのに……私なんかがやる意味あるのかなと思ってしまいます。

 やる意味あるかどうかじゃなく、やりたいならやるしかないんですけどね。
「私じゃなくても良い」ことなんて創作に限らずすべてです。退き続けたら居場所がありません。

 そこで個性とか斬新さって何だろうとしばらく考えていました。

 思えば私は昔、失言をしては怒られてばかりいました。
 それで最近は頭の中で線引きをしています。
「ここまでは言ってもいいだろう」
「これ以上言うのはやめた方がいいだろう」と。

 成長してはみ出した木を剪定するように、言葉を刈り取っています。

 それで思いました。
 ひょっとして、最近世界がありきたりに見えるのは「みんなが遠慮して触れないようにしている何かがあるからではないか」と。

 いや、避けているのは自分かもしれません。
 嫌な思いをしたジャンルやウェブページには近づかないようにしていますから。

 別に過激な批判や悪口を聞きたいわけではないし、暴力や闘争を見たいわけではないはずです。そうじゃなく、触れるべきではないと思いこんでいるようなものの中に、もっと斬新なものが眠っているかもしれません。

 真新しい何かを探しつつ……
 今日もありきたりな行動パターンを繰り返しています。





小説投稿サイト「カクヨム」や写真販売サイト「ピクスタ」で公開中の
自分の作品については、こちらのページにまとめています。

 ↓ ↓ ↓

「自分の作品《カクヨム・ピクスタ》に関する情報(5件)」

posted by 四月一日 at 22:22| Comment(0) | TrackBack(1) | 雑記

2020年03月14日

冬になると歯が痛くなる

ここ数年、冬になると歯が痛くなります。

数年前の冬、歯が痛くなり
「虫歯かな……やだな」と思いつつ様子を見ていました。
しかしあんまり放置して悪化しても嫌なので歯医者さんに行きました。

すると、自分が痛いと思っていたところは何ともなく
他の歯が軽く虫歯になっているからと、まわりの歯を治療されたのです。


別の歯が痛いのに、痛い場所を誤解していたのでしょうか?
とりあえず痛いと思った場所がひどい虫歯とかじゃなくて良かったです。

通院が終わった頃には痛みも消えていたので、これで一安心です。


そして一年が過ぎた頃……。

再び元の場所が痛くなりました。
しばらく様子を見ましたが悪化しても嫌なので歯医者に行き、
痛いところとは別の場所を治療され…… あれっ、デジャヴ?

治療は早く済みました。何度も通わず1〜2回だったかも?


そして今年の冬。
やはり治療されていないあの歯が痛くなりました。

なんだろう、もしかしていつの間にか歯ぎしりしてすり減っているとか?
虫歯以外のことが原因で痛いとか?

今年は歯医者に行くのが億劫だったので我慢しました。
すると春が近づいてきた頃に痛みがだいぶマシになりました。


たしか去年・一昨年と歯医者に行ったのは2月頃でした。
毎年2月前後に痛くなり、3月にはマシになる……と
そういうサイクルなのでしょうか。

虫歯じゃなくてもなんらかの原因で歯が痛くなることはありそうですね。
歯のみがきすぎで痛くなったという人もいました。


しかし、私が痛いと思っているのとは違うところを治療されるにしても
毎年診てもらえるのは安心でした。
ほったらかして歯を削るのでは済まなくなったら怖いもので……。

なのでまた来年、歯が痛くなる頃に歯医者に行けたらなと思います。










posted by 四月一日 at 21:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2020年03月13日

最近の自宅での過ごし方






今日はファンブログのブログテーマに参加します。
テーマは自宅での過ごし方ですね。

私が今家で力を入れていることはブログを書くことです!

……いつもと同じですね。


私は元々インドア派で、たまにお出かけするときも
友達とワイワイ過ごすのではなく一人で人気の少ないところを探して
虫や植物や鳥を眺めて過ごしたりしているので、あんまり変わらないです。

最近お散歩がマイブームですが、
お店や建物の中にはできるだけ入らないようにしているし
(外食をしたりマスクを買ったりはします)
対人恐怖症で人に近づくこともないし、大丈夫かと思っています。

散歩して気になったことを書き留め、調べ、
新たな発見があればブログに書く……。
その繰り返しが楽しいです。


今困っていることは、私が使っているタブレット端末の容量が
写真や動画でいっぱいになってしまったことです。

私は絵を描くのが好きなため、資料として
気になる生き物をいろんなアングルから撮って
その画像を溜めこんでいたりします。

それですぐにいっぱいになってしまいました。
以前は調子に乗って動画を撮りまくっていたものの、
最近は容量がピンチだから写真を撮るのみにしていたのですが……。

容量がいっぱいになるのを防げませんでした。
まだまだ撮りたいし、今後うまい整理法について考えたいです。


あともう一つ困ったというかショックだったのは、
視力が下がっているのに気づいたことです。
少し離れたところからテレビを見たとき、
以前は見えたはずの字幕が読めなくなっていました。

ネットの見過ぎかな……。
慌ててタブレット端末の画面の明るさを下げ、
ブルーライトフィルターをかけました。
これで視力が元に戻ってくれればなと思います。
(下がることはあっても上がることはないでしょうが、
 あえて自然に治ると信じておきます。)


画面ばっかり見てちゃいけないなと分かったところで
遠くを見ようと散歩に繰り出し、写真をたくさん撮って
せっかく空けた容量がまたいっぱいになる……。
そして画面を見つつ画像を整理し、気になることを調べ、
ブログを書くのに夢中になる……。

そんなことを繰り返している今日この頃です。












posted by 四月一日 at 17:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2020年03月12日

自分のブログでトラックバックはできるのか? 試してみました(4)

「自分のブログでトラックバックはできるのか? 試してみました(1)」

「自分のブログでトラックバックはできるのか? 試してみました(2)」

「自分のブログでトラックバックはできるのか? 試してみました(3)」

の続きです。


トラックバックのやり方が分かってから、続けてやってみています。
トラックバックしても別ページの宣伝としては
あまり目立たないように感じたのですが
やってみるとアクセス数が上がったようなので
SEO対策的な効果があるのかなと思っています。

それで一つのページからいくつもトラックバックを送信してみたのですが
どうも一つのページからはいっぺんに5つ、
合計で10までしか送れないらしいと分かりました。
それ以上送っても送信失敗となっています。
しばらくはそれに気づきませんでした。


また、一番最初に試したときは
トラックバックURLを入力したまま下書き保存したら
トラックバック送信失敗になっていました。
下書きの段階でトラックバックを入力しておくことは
できないみたいですね。

なので記事の中にトラックバックURLを並べて保存しておいて、
投稿直前にそこから切り取り・貼り付けをして送信するようにしています。

まだトラックバックについてはよく分からないのですが
今後もいろいろ試してみようと思います。


posted by 四月一日 at 07:07| Comment(0) | TrackBack(1) | 雑記

2020年03月10日

命の価値って?/情報本編よりコメント欄を見て人間が怖くなる

以前からYouTubeの評価とコメント欄が気になっています。
私は動画投稿はやっていないのですが、
いつも他の方の動画に一定数低評価がついていたり
荒れているコメント欄があったりします。


最近こちらのブログ↓で書いたことを知ってショックを受けています。

フォアグラだけがどうこうという問題じゃないと思っていたけれど/その他・妄想


何がそんなにショックだったのだろうと考えてみると
情報本編よりコメントに打ちのめされたような気もします。

今、動物の命について考えさせてくれるような
動画がたくさん投稿されているのですが
必ずといっていいほどそれらのコメント欄が荒れています。

動物を殺すことについて「いいじゃん動物なんだから」
という意見をふざけた調子で書いているコメントが多くあり、さらに
「バーカww」「そっちこそアホ」みたいな進展のない応酬、
真面目にコメントしている人に食ってかかる人がいたりなど
低レベルなやりとりがたくさんあります。


それを見て、命の価値って何だろうなと思いました。


別に現時点では、真面目に考えようがふざけたことを言おうが
事態が大きく動くわけじゃないんだから
肉を食べつつ「あの態度はちょっと……」と言うのも
ただの偽善かもしれないですが……。


カワウは漁業に被害を与えるから駆除されます。
でも「被害」とか「迷惑」とかは人間目線で言っているものです。

私も人間なんだし、お店にお世話になっているし
一連の流れがあって人間界が成り立っているのだから
社会にお世話になっておきながらそこだけ切り取って書くのは変だけど

地球から見たらどの生物も地球のバランスをとっているのだろうし
地球にとって必要な生物を多く発生させているのかもしれません。

……それを言うなら人間という生き物もそのはず、ですね。


私は人類や生き物にとって有益な何かを生み出せるかというと、
そんなことありません。
昔から落ちこぼれで、何をやってもだめな奴で、
怒られてばかりなので人が怖いです。

なんで生まれたんだろう、どうやって生きていけばいいんだろうと
常々思っています。

しかしこんな人間が地球に必要でしょうか。
私は正直、誰かの役に立ちたいと微塵も思えないし
子どもを授かるつもりもありません。
ただズルズルと生きることにしがみついているだけです。


こんな状態で生きていくことが、
死んだ動物たちの生命より尊いと言えるでしょうか……。
でも人間であるというだけでとりあえず
「めったに殺されない」権利を得られます。

「動物なんて人間のために利用して当然www」といった
コメントをしている人も、今日も明日も普通に生きているのでしょう。


ああいうコメントをしている人を見ると、私がいじめられていた頃の
いじめっ子の態度を思い出します。
ニヤニヤ笑っていました。

で、ある時はいじめっ子同士で普通に勉強とか進路の話をしていました。
よくこっちの気持ちも知らずにのうのうと
進路の話なんかできるなと思っていたのですが
きっと脳内で切り替えているんでしょうね。
あれとこれとは別、みたいな。

私がいじめられていると思っていただけで
そいつらにとっては大したことではなかったのかもしれませんね。
ふざけたコメントする人も、軽い気持ちでいるのでしょう。


「いじめはダメ!」って言う人だって大半は
頭の中で動物と人間を振り分けているはずです。
動物なら感謝して食べるのが礼儀でも
人間相手だといくら感謝しても食べちゃいけません。

今の時代「人種差別はダメ」となっているけれど
時代が時代なら私は「◯◯人だし、この扱いでもしょうがないよね」と
頷いているんでしょう。

逆にもし動物を殺さないのが当たり前の星に生まれていたら
そっちの感覚になびいて地球人を批判していたかもしれません。
犬を食べる国を批判するとか……イルカを食べる文化を批判するとか……
お国柄とかまわりの感覚とかには染まるものですから……。


SNS等見ていると、
牛や豚や鶏や野菜の命について投稿している人はそんなにいなくても
食べ物をアップしている人はたくさんいます。
私は牛や豚や鶏の生態を知らないけれど、美味しい味だけは知っています。

私たちは動物の魂、命、存在そのものより
動物が持っている肉体に価値があると思っています。
動物の命より、命と引き換えに得られる肉の方が大事です。
人間による、人間社会への生け贄みたいですね。

けどそれ、動物だけに当てはまることでしょうか。
我々人間は「魂」や「命」を尊ばれ求められているのでしょうか。


そうでもない気がします。

私が何が好きとか、どういう生き方をしたいとか、
思っていてもなかなか叶いません。
誰かが無条件で叶えさせようとしてくれる生易しいものではありません。
「それでも夢を叶えるために努力するのが人生だ」
なんて人は言うかもしれないけれど
結局人間社会にとって必要なのは優秀な労働力、
歯車、国に税金を納める人間です。

下手に夢見て中途半端な物を生み出すくらいなら
普通に歯車でいてくれた方がいい
人間も多少、命より肉を求められる動物たちと一緒です。


そうでないなら、本当に人間の個性や命が尊いなら
無条件で好きなことを好きなだけできるシステムになっているはずです。

そんなので社会が成り立つビジョンが思い浮かびませんけど
万が一そうなった頃にはもう動物の肉も必要ないかもしれませんね。


私が昔持っていた「ブレーメンの音楽隊」の絵本ではたしか
年老いて捨てられたロバを若いロバが馬鹿にするシーンがあったのですが
それもいじめっ子のイメージと被ります。


YouTubeのコメント欄に「我々人間様の方が動物より偉いから」と
コメントしている人も
私なんかをいじめるしか娯楽のなかったしょうもないいじめっ子も
表向きは綺麗に整って、ある程度納得できて少し不満なこの世界も
食べられてゆく動物たちも

みんな多かれ少なかれ、誰かの手のひらの上で
コロコロ転がされているのかもしれませんね。

命じゃなく、中身の肉目当て。
命じゃなく、中身の労働力目当て。

人間が動物にしていることを、
人間相手にもしているのでしょう。
動物相手にその関わり方しかできないなら、
人間にも同じことしかできないはずだから。



posted by 四月一日 at 05:05| Comment(0) | TrackBack(2) | 雑記

2020年03月09日

フォアグラだけがどうこうという問題じゃないと思っていたけれど/その他・妄想

最近、カワウという水鳥について調べてショックを受けました。
カワウは昔日本にたくさんいたけれど、
一時期環境破壊によって極端に数が減り絶滅が心配されました。
しかし今は環境が良くなったのか逆に増えすぎ、
駆除されたりしたそうです。

それを聞いて私は「自然を大事に」とか「命は尊い」とか
そういう言葉って一体なんなのだろうと考えてしまいました。

多いものは価値がない、迷惑。
少ないものは貴重、大事。
数が変われば命の重みも変わるのでしょうか。


また、外来種の植物の情報を見ていると、
かつて観賞用として持ち込まれたという記述も目につきます。
偶然見かけたオオキンケイギクという花に興味を持ったのですが、この花は
以前人の手で植えられたけれど今は駆除の対象だと書かれています。

そういう場合でも、外来種は外から勝手にやってきた侵略者のように
描かれていることが多い……ように思います。

そりゃ、悪者にしないと
「人間の都合でコロコロ対応を変えて駆除するなんておかしい」
「命をなんだと思っているんだ」という話になってしまうのだから
「この生物はこんな被害をもたらします!」とのみ
書かないといけないのでしょうが……。

なんか、人々や「世間」が真っ当だと思うことも理不尽だと思うことも
全部有力な誰かの情報発信に操作され・煽動され
どこかに火の手が及ばないようにコントロールされていそうですね。


話は変わりますが最近水鳥について調べていて
偶然目にしたフォアグラに関するウェブページを覗いてしまいました。

フォアグラがどのように作られているか、
今までも話には聞いていましたが
「フォアグラだけがどうこうという問題じゃないよな」と思っていました。

人も生き物も何かを食べて生きている……そのサイクルは延々と続くのだし
それが残酷だと言い始めたらどうしようもないからです。

しかし写真つきのページと文章を見てみると、なるほど確かに……
フォアグラが残酷だと問題にされる意味が分かりました。


私は今までにも毛皮に関することや、と殺、動物虐待、
犬猫の殺処分に関する文章・動画・本を覗いてきました。
今もたまにそのような情報を見ています。

しかしベジタリアンになろうとしても
肉の魅力に取り付かれているためにどうしても食べたくなって
いつもそこ止まりです。


私はそこまで食いしん坊ではないと思っていました。
しかしそれは毎日おなかいっぱい食べているから
飢えた本能が露呈することがあまりないだけで
ちょっとおなかがすけばすぐ、頭の中は肉でいっぱいになってしまいます。

食欲というものを自分は、自分が思うより強く持っていました。
肉が食べられなくなることを思うとそれは無理だとなります。
なかなか恐ろしい本能……いや煩悩ですね。
栄養云々よりまず、肉が食べられなくなることに耐えられそうにないです。

できる限りいい人ぶろうとしても……
知的で冷静で温厚なフリをしようとしても……
心の奥底に隠しきれない本性が揺らめいている気がします。
……常に。


今日もテレビや新聞は人間の話ばかりです。
外へ出ても、人間が生き物を殺している様子は目に見えません。
店には食べるための整ったお肉やお魚。
公園には可愛いお花と身近な野鳥たち。

整ったお肉やお魚と、外で暮らしている「生き物」は別物のようです。
……殺戮は綺麗に隠されているんですね。
そして、食べるためのものと食べ物ではないものを頭の中で分けています。


ショックな話を聞く度に、日常がどんどん嘘臭く見えてきます。
ありふれた、平凡な、なんとなく永遠に続くであろう毎日。
「明日は何しようかな」「来年は」と未来について考え、
手帳に数ヶ月先まで計画を書き込む自由がある「人間」の生活。

私は普通に善人で、嫌なことはやめたり理不尽なことには怒ったりできる。
そんな前提を暗黙の了解で持ち続け、人のことを批判したり、
「今日やなことあったー」なんて愚痴ったりできる毎日。
「私は幸せになりたい」とか「こう考えたら幸せになれるかもよ」
とか人間同士で「ステキな考え方」をシェアしあう日々。

他の生き物たちはきっと、
いつ殺されるかか分からない、そんな今一瞬を
文句も言わず生き抜いているのに。


生き物たちにとっての幸せってなんだろう。
多分私たちが思っている「何事もない平穏な毎日」というのは望めない。

そして過酷な一生を生き抜く権利を与えられることや
死によって肉体から解き放たれることすらも「神様からの愛」であり
お肉になる生き物たちもフォアグラになる鳥も
駆除される外来種もすべて平等に神様に愛されているとするならば
我々が神に平穏無事やその他いろいろを願うことは、
自然の摂理や命を何か誤解しているのかもしれません。


私に「私、善人だから幸せになりたいです〜」って言いながら
笑う権利なんてあるんでしょうか。
神様に私の思う「幸せ」を願う権利なんてあるでしょうか。


……もっと自由になりたいです。


「どうやったらお金を得られるか」「一生食べていけるか」
「病気にならず、災害が起こらず、健康で過ごせますように」
「おなかがすいた、あれが食べたい」
そんな、自分を構成する、ありふれた唯一の思考から抜け出して……。


嫌なことを嫌と言う権利は人間だけのもの。
幸せを追い求め、幸せを語る権利は人間だけのもの。

本に書いてある「幸せな考え方」を
他の生き物に当てはめて考えてみるとつじつまが合わない。

もし自分が、お肉にされる動物に生まれたら
誰に「助けて」と言えばいい?
身動きとれない状態で有害物質を投与される実験動物だったら?
そこから考え方や行動次第で幸せになれるものでしょうか。

万が一、自分だけなんらかのアクションで注目されて
「食べられる運命から逃れた奇跡のアニマル!」と
もてはやされ助かったとしても
他の仲間たちはあいかわらず人間に食べられる状況の中で
「私幸せになりました」って心の底から言えるでしょうか……。


今だってそうです。
こんなに食べているのに、人間だけ特別で
「幸せ〜♪」って考えるべきなのでしょうか。

そして別に人間だけ自然のサイクルから外れておかしいわけでもなく
動物の世界も弱肉強食で……。
目指すべき場所がどこか、守るべき命が誰かは結局分かりません。


だから自由になりたいです。

こんなくだらない文句を言う自由さえ
死んでいった動物たちにはなかった。
そう思うとこんなこと言うのおこがましいけれど、
人間も生き物も不自由に感じます。

いつだって、生きるためのシステムに縛られて。

だから自由になりたいです。




posted by 四月一日 at 20:20| Comment(0) | TrackBack(1) | 雑記
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