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2019年09月05日

今日はひとまず開き直り(※ネガティブ注意)

「世のため人のために生きなさい」
って言われたら、皆様はどう感じるでしょうか。

「本当に、そうだよなぁ……」って思うか
「ちょっと堅いな」とか
「理想主義すぎやしない?」と思うか……。

その言葉を発した人がどういう人かによっても
言われた側の受け取り方が変わってくるかもしれませんね。


私は正直この言葉が苦手です。
自分は自己中心な人間だからです。

できるだけ自分の好きなようにしたいし、
「人が……」などと言われると、
「だから何?」と内心反抗してしまいます。

そして、人のために全力を尽くせる人、
純真で行動力のある人を見るのも
なんだか苦手です。


私は何をやっても鈍くさく、
上手くできない方でした。
それが元で意地悪されたこともありました。

だから、
「世のため人のために生きなさい」なんて言われると
ムッとして、モヤモヤします。

正論に対して怒りを持つなんて最低ですが
人間関係が上手くいかない方なので……。

どちらかというと自然とか
動物、生き物の方に惹かれていたこともあり、
「人のことを考えて」といったニュアンスのものに
過剰反応しがちです。

だからって、生き物たちと心を通い合わせたり、
自然のために行動できるわけでもないんですけどね。
中途半端です。


そして最近、なんとなく分かりました。

過去に意地悪されただの、怒りがあるだの、
自然の方が好きだのって全部
ただの言い訳だって。


確かに意地悪されたことはあったし、
人に対して不信感を持つような出来事も何度かありました。

自分は鈍くさいわ気が利かないわ
何度言われても同じ失敗を繰り返すわ
何も上達しないわで
人間関係があんまり上手くいかないのも事実です。
ぶつける先のない怒りもあります。

でもそれ、自分のせいであって
人のせいにしたり、引きずったりしていいことでは
ないんですよね……。

自分の言葉や態度に関しても、
きっと感じ悪いところがあるから
上手くいかないんだと思います。


最近自然災害が多いですね。
そしてテレビで、ボランティアをしている方が写ったりしますね。
自分はボランティアどころか、
「誰かの役に立てた!」って本気で感じた瞬間など
多分今まで一度もなかったので、
ボランティアの方を見ているとモヤモヤします。


本当は自分だって誰かの役に立ちたい。
けれど足を引っ張るだけだ、
人の役に立つことなんて絶対にできない
って思います。


そしてこれだってまだ、自分を正当化していると思います。
本気で人の役に立ちたければ、
できなかろうが何だろうが飛び込んで行くと思います。
そしてその本気の思いさえあれば、
できるとかできないとか関係なく、
誰かの役に立てる気がするのです。

それを「できない」で終わらせるのは
逃げ……ですね。


きっと自分の楽しみの方が大事なんだと思います。
世界に紛争があろうと、
困っている生き物たちがいようと、
自分の楽しみを確保しなければ
押しつぶされてしまいそう、と感じています。

自分が人のためにパワーを注げないのは
何か理由があるからじゃない。
自己中なだけです……。





私はできることなら、
自分の好きなことで誰かに喜んでもらいたいです。
でもそれもなかなか認められません。

これだってやっぱりただの自己中だなって思います。
社会の需要と、自分のやりたいことと。
完全に一致することはないだろうけど、
妥協点を探っています。

まるで、頼まれてもいない贈り物を
一方的に押しつけているみたいですね。
「認めてほしい、受け取ってほしい、
 これでお役に立てるでしょ?」と。
望まれてもいないのに
「自分の好きなことで誰かを喜ばせたい」だなんて
勘違いも甚だしいし、余計なお世話です。
でもきっとこれは椅子とりゲームなんだと思って
一人で続行中です。


本気で人の役に立ちたい人って、
その手の迷いを感じさせない気がします。
「こうしたいのに認めてもらえない」
「誰も自分の気持ちを理解してくれない」
「やりたいのにできない」とか。
そういうのに全然酔っていない、寄っていないというか。

ひたすらストレートで、
多くの人の心を打つ人間っていますよね。

認められるだのできるできないだの
全部超えて、一心に何かをする人。


私はそういうタイプの人を見ると
変わりたくないのに
「今すぐ変われ」って誰かから急かされるようで
怖いと思っていました。


でも今日はちょっと開き直って、純粋に
「行動力のある人はすごい!!」って尊敬しようと思いました。


「あんなすごい人にはなれない、あれは特別な人だから」
って捉えて、その人を持ち上げて、
その人にだけ「特別」を背負わせるのは違うと思います。

だけど、上手くできない人がいるのも当然。
できなくても良い、できなくて当たり前だって。
そう開き直ってみたらちょっと楽になりました。


どんなに立派な人からでも、
「世のため人のために生きなさい」って言われたら
正直しんどいです。
「ああしなさい、こうしなさい」って言われると
「なんで言うこと聞かなきゃいけないの」と感じます。


けれど、意見を押し付けてこず
黙々と背中で語る
愛ある人間はすごいですね。


ちょっと話が変わりますが、
「偽善者」って言葉ありますよね。

あれ、口ばっかりで行動しない
私のような人間が言われるなら分かるのですが、
行動した人が言われることもあるみたいですね。

それってなんだか変です。
私は「やらない善よりやる偽善」の方が
絶対カッコいいと思います。

真剣に動こうとする人間に対して
「偽善だ!」なんて言う人間は低レベルですね。
好きな子に向かって「バーカバーカ」って言うくらい。

自分はできないのに
何かしている人に向かってどうこう言う人っているんですよね。
(あ、私のことですね……。)


でも、「偽善だ!」って言いたくなる気持ちも
ちょっと分かった気がします。
というか冒頭で私も、
「人のために全力を尽くせる人、
 純真で行動力のある人を見るのが苦手」
って言っていますし。

本当は自分も何かした方がいい、
するべきだ、でもやりたくない。ってなった時に

「できない自分が悪いんじゃない、ほらよく見てみろ、
 やっている方が悪い奴なんだ!」
って叫んで正当化して、我が身を守りたいんだと思います。

必死です。いっぱいいっぱいです。


偽善者といえば、
「誰にでも良い顔をする人が嫌」って話も
時々聞きますね。

あれ最初に聞いたとき、
「は?」って思いました。

私は人付き合い下手で誰とでも喧嘩しますが、
誰とでも仲良くなれる人って素敵だと思うし
そのタイプの人に、
「結局アンタは誰の味方なのよ!」って言うのは
お門違いかと思います。
テーマパークに向かって「個室カラオケはないんかい!」と
イチャモンつけてるみたいな。

まぁ私も、相手のタイプを無視して
「もっとこうしてくれないかな」
と思うところがあるので同じですが。


なーんか……
自分が素直じゃなくて、歪んでいるせいで
まわりの人までひねくれて見えます。
これって自分も損ですし、
人に対しても失礼極まりないですね。

で、モヤモヤして、
「これ何に対して感じているんだろう?」って
よくよく考えると
「ああ、あの人のこと苦手って感じたのは同類だからか」とか
「自分がなりたくてなれなかったものを見たからか」とか
知ることになります。

けど今日は、完全に開き直ることにします。
そしてきっと、これからも。


私はグズで、人のお役に立てません。
人助けしたいという崇高な人間にも
まだまだなれそうにありません。
好きなことして、遊んで、
気になるものを見て、美味しいもの食べて……
自分の気持ちを満たすことで精一杯です。
豊かになることを目指しています。

……でもそれでいいんです。
だから。


みんな、矛盾していたって葛藤があったって

良い人になれなくたって

頭悪くたって

人の気持ちが分からなくたって

やりたいことがブレて揺らいだって

「私はこんなに頑張ったのに!」って勝手に一人でキレちゃったって

自分の楽しみを優先したって

喜怒哀楽に振り回されたって

頑とした理想主義者で、でも手元がおぼつかなくたって

心のアクセルとブレーキ踏みっぱなしだったって


ポジティブでもネガティブでも
できる人でも、できない人でも。

……全員それで良いですよね、きっと。




posted by 四月一日 at 18:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年09月04日

正直、人としての成長より幸せが欲しい

最近自分の考え方に自信が持てなくて、
色々なキーワードで検索して
インターネット上の文章を読んでいました。

ところが同じキーワードの検索で出たものなのに、
「◯◯は大事」「◯◯は良くない」
「◯◯は必ずすべき」
「◯◯なんかしない方が良い、しなくても良い」
などなど

同じ「◯◯」について書かれていても
みんな言っていることが全然違います。


それならば自分のピンとくるものを選べばいいのですが、
そもそも自分の考え方に自信がないから検索しているのであって
どれを選んだら良いのか分かりません。

それでとりあえずいくつか読んで、
「ああするべき」「こうするべき」と
交互に聞いて……


そのうちこう思いました。
「自分で考えろ」って誰かに言われたんじゃないかと。

というか、「自分で決めて良いよ」って。


そう気づいた時……
本当に気づいたんだかどうだか分かりませんが……
ちょっとホッとしました。


結局考え方なんてどうでもいいのかもしれませんね。
大事なのは、
「その考え方が今の自分に合っているかどうか?」
「それでモチベーションが上がるかどうか?」
だと思います。

結果が出るかどうかも大事なんでしょうが、
やる気の持てない考え方を使えば
効果など出そうにない気がします。


カリスマ感ある文章って、
いかにもそれが万人に通用するかのように
自信満々に語りかけてきますが(笑)

万人に通用する考え方があるんだったら、
全員それで統一して
学校でもそう教えときゃ良いんですよね。

それがそうなっていない。
カリスマの間でも意見が割れている。
万人に響く考え方はない。

そしてこれが個性ってことなんですね、きっと。


だから受け身にならなくていい。
人の意見を拾いすぎなくていい。

もしも意見を押し付けられた気分になったら、
「貴方は私じゃないんだから、
 私が幸せになれる方法を貴方が知っているはずないよね?」
と、心の中でつぶやいて
ちょっと上から目線で冷静にかわしても良さそうです。

そしてこれも投稿者個人の意見ですね。
合わなかったらぶん投げといてください(笑)


万が一他人の考え方で結果が出たとしても、
それで自分がモチベーションを保ち続けられなかったら
後で道を変更することになるかもしれません。
その時その時乗りかえるって手もありますけどね。


それにしても……

どんな言葉でも状況でも、
自分の都合の良いように捉えられる人ってすごいですね。

私が何を言っても言った通りの解釈をしてくれない人がいて
あんまりこちらの気持ちも分かってくれていないように感じて
「う〜ん、なーんか気が合わないんだよなぁ」
とモヤモヤすることがあるのですが
相手の方は常にスッキリしているようです。


受け取りすぎないって一番良いんですよね。
気持ちでも意見でも価値観でもなんでも。

気が合わないように感じるタイプの人は、
なんとなくこちらの気持ちを理解はできるけど
あえて乗らずに、気づかないふりをして流しているのかも。
見習いたいです。


そしてカリスマっぽい人の方は、案外私と同じで
「もっとこっちの気持ち分かってよ!」
の延長線上なのかもしれません。

「こうした方が上手くいくのに、なんでみんなこうしないの?」
「私みたいになりたいって言うなら
 ゴチャゴチャ言わずに私の考え方実行すりゃいいじゃん」
「こんなことも教えなきゃ分からないわけ?」
「もっと真剣になりなよ!」みたいな。


でも本当に正しい考え方なら、
人に押し付ける必要はないですよね。

人にどうこう言ったり浸透させたり
人を動かしたりしなきゃいけない地点で
完成した考え方ではない気がします。

詰まるところ
「こうしてほしいのに、
 どうしてみんな私の思い通りに動いてくれないの!」
系の考えと同じっぽいですし。


いや、親切心から
一人でも多くの人に成功の秘訣を伝えたくて、
あるいは読者の今後のことを考えて
厳しくも見える意見をおっしゃっているのかもしれませんが。

自分には愛のムチを感知する機能がまったくないので
そのへんのことは察せません、理解できません。


まぁしかし結局、
考え方云々と言うより
つかんで動く、それが一番なんでしょうが。

そして形は違えど
多分カリスマな方はみんなそれを言いたいのでしょうが。

「なんだかんだ言うよりまず行動しようよ。
 そのためにこう考えてみたら?」って。


でも、何を得たいのか割とハッキリ決まっている人や
「大体アレとコレ手に入りゃ幸せっしょ」
と割り切れる人はいいけど
そもそもそれが決まらないから考え方を探しているんですよね〜。
「幸せ」になりたいんで。


……得たいものが特にないってことは逆に
「今、幸せなんだなぁ」と考えて
味わうのもいいかも。




posted by 四月一日 at 20:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年09月03日

競争社会って考え方は嫌なんだけど

私は、ムッとしやすく対抗心とか闘争心が強いけれど
世界が「競争社会」だと言われているのは嫌だなぁと思っています。
私自身が落ちこぼれだからですが
「何をやっても勝てない、負けた人はどうなるの?」って思うんです。

なんか堂々と「弱肉強食です」って言っているようで。
勝つことが正義だから弱い者は負けて当然、
犠牲が出てもしょうがない、って言っているような。


現代社会じゃ、犠牲って言ったって、
道で人が倒れて死んでいるなんてことはめったにないですよね。
でも貧しい人はたくさんいるんでしょう。

システムが複雑化しているから、
誰が何の犠牲になったかを決めることはできないけれど
競争社会は犠牲を生むと思います。

じゃあ競争社会じゃない社会があるかっていうと、
私たちが人間じゃない動物だった頃から、
ずっと根本は変わっていない。
競争は自然の掟なのかもしれないですけど。


そんな具合に疑問と違和感がありますが
冷静に、単純に考えてみると
確かに自分も競争社会に則っていますね〜。


例えば、ウェブ検索して、必要な情報を探すとき。
検索して一番初めの方に出てくるページをクリックして見ています。
余程興味があってたくさんのページを見たいときでなければ、
下の方に出てくる情報は見ません。

あと、Amazonの商品が面白そうでも
評価が一つもついていなかったり、低かったりしたら
「この商品は大丈夫だろうか」と思います。
高評価で、レビューがいっぱいだったら安心するし
人にもオススメできます。


だったら、「業界一位」を名乗っていて
名前や口コミもよく目にするような会社の方が
信用しやすいのは当然ですね。
聞いたこともない会社だと、「大丈夫?」ってなります。

で、みんな忙しくて失敗なんかしていられないし、理由もなく
「よく分からない会社だけど、この会社を応援したい」
などと思うはずもありません。
安心してサービスを受けられるところを選びますよね。

一番になれば目立ちもします。
じゃあ、一番を目指すのは当然と言えるでしょう。


でも……
「競争社会」って言われて
私は今「確かになぁ」と納得してしまいましたが、
納得しない方もたくさんいるはずです。

「今ある言葉」を信じてしまったら、
新しいものは生み出せないですね。

まぁ、私はクリエイティブな人間じゃないから
生み出すも何もないんですけど……。


もし競争社会を抜けたいなら、
それ以外の考え方に注目してみるのも良いかも? と思いました。

みんな好きなことでマイペースに
やっていける世の中になったら嬉しいですね。



posted by 四月一日 at 19:04| Comment(0) | TrackBack(4) | 雑記

2019年09月02日

何もせず嫉妬だけするのはズルいのか

皆様には嫉妬の感情はあるでしょうか。
私にはあります。

才能あふれる方の作品を見たとき。
誰かが褒められているとき。
つい嫉妬してしまいます。

テレビに出たりするくらい有名な方に向けてじゃなく、
隣同士の関係でも、嫉妬の気持ちは沸きますね。
そしてそれは私だけではなさそうです。



「嫉妬」を表す出来事として、身近なものでは、
SNSでいいねやフォロワーさんが多い方が
嫌がらせをされていたりしますよね。

しかし、頑張っている人がうらやましいなら
自分も頑張ればいいだけなのに、なぜ
嫌がらせしてしまうんでしょうか。

自分の気持ちが嫉妬だと気づいていないのか……
才能というのは降って沸いてくるもので、
相手にはあって自分にはないと勘違いしているのか……。



才能ってみんなにあると思います。
でも生かせているのは生かそうとした人、
つまり自分の才能を見つけて頑張った人だと思います。

もし自分が「頑張るのは嫌」な人間なら……
頑張る人の邪魔をしてはいけないですね。

「自分もああなりたい」と思うなら
その人と同じくらい頑張ればいいし、
頑張りたくないなら嫉妬を手放せばいいし、
「頑張っているのに結果が出ない」としたら
それは嫉妬とか、
余計なことに気を取られているせいだと思います。



しかし……私は頑張りたくないのに嫉妬してしまいます。
頑張りたくない人間に、誰かに嫉妬する資格なんてないですよね。
なぜ嫉妬してしまうんでしょう。



それを考えてみたら、
「人はありのままで認められるべきなのに」
って気持ちがありました。

ただ存在しているだけで尊い。
命ってそういうものであるはずなのに。
結局頑張っている人がえらくて、
そうじゃない人間には存在価値がないのかと。
悔しかったんです。



でも逆に、自分だったら自分を応援したいでしょうか?
「ただ在るだけでいい」などと言いつつ、
努力している人に嫉妬している自分を。

って考えると、やはり……
頑張っている人の方が応援されるのは当然だし、
頑張らずに存在するだけの人なんて、
この世界では認められないですよね……。



しかしよく考えたらコレは、嫉妬する相手と、
「頑張らなきゃいけない」と思う方向性が
間違っているのかもしれません。

もし自分がリンゴなら、
オレンジになろうとしたってできません。
自分はリンゴタイプなのに、
オレンジばかり見ていたんじゃないでしょうか。



人は共感できるものに自然に共感すると思います。
自分だって誰かに共感することがあるのだし、
不純物を取り除いて、自分が何をしたいのか、
何を思っているのか明確にしていけば
きっと共感してくれる人はいるという気がしてきました。

「人は存在しているだけで価値があるんだ」と思うなら
絵やら文章やら歌やら生き様で
そう表現できるようになればいい。

自分の胸を打つ心の中の風景を、
なんらかの形で再現すればいい。



理想を形にすることにこだわりだしたら、
「ああでもないな、こうでもない。どうやればいいだろう?」
と夢中になって

夢中になった頃には、
嫉妬のことは忘れていそうです。



オレンジになれないならリンゴであればいい。
もしかしたらオレンジでもリンゴでもないかもしれない。

嫉妬する、しない、の話なんて初歩的すぎるかもしれないし
こんなこと言っている自分は遅れているのかもしれないけど
遅れていても進んでいても別に良いはずです。

みんなから遅れている、いないじゃなく、
自分が何を思っているのか明確にしていきたいですね。
まずはそれに力を入れていてもいいんじゃない?
と思います。








posted by 四月一日 at 21:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年09月01日

夏の終わりを聴きながら

今年の夏も終わっていきますね〜。

でも、セミが鳴いているうちは夏は終わらない!
夏といえば青い空に白い雲、そしてミンミンゼミのイメージですが、
ミンミンゼミが張り切りだすのは夏休みが終わる頃ですよね。

今はミンミンゼミと、ツクツクボウシやアブラゼミが頑張っています。
夏が好きなので、セミ達の声を聴きながら
夏の余韻に浸っています


自分はここ数年の夏はあまり夏らしいことをできておらず……。
「季節の思い出」は自分で作るものだよなぁと実感しています。

でも今年も地元の花火大会は、家の窓から見ることができました!
ちょっぴり見晴らしのいい場所なので、特等席です


そんな地元の花火大会もとっくに終わりましたが、
昨日どこからか、かすかに
ドーンドーンと花火の音が聞こえてきました。

花火の音って、聞いただけでワクワクしますね!
音のする方を探してみると、少し遠くで花火が上がっていました。

天気が悪かったから延期していたのか……
夏の終わりに花火大会をやるところもあるんですね。


向こうでは人が集まって、賑やかに花火を鑑賞しているんでしょう。
しかしこちらはしーんとしており、
花火の光から数秒遅れて音が届いています。

大きな花火や、変わった光り方をする変わり種花火など色々あり、
遠いけれどよく見えていて、楽しめました。


夏の終わりを感じるちょっと寂しい頃に、
花火を眺めることができて嬉しかったです。

遠くから見ると、さらに「寂しさ」が増すような気もしますが……
それはそれで良いものですね。

今度は、夏の終わりに賑やかなお祭りにでも紛れてみたいです。







posted by 四月一日 at 20:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年08月31日

本当のあきらめ上手になりたい

私はなんでもかんでも諦めてきました。

だから諦める力だけはあるなぁー、なんて
ぼんやりと思っていたのですが
よく考えてみたら違いました。


本当の「諦める」って、
エネルギーを次のことに向けるためのものだと思います。


「Aをやっていたけど、これじゃダメだ。Bにしよう。」とか
「一生懸命やったけれど、うまくいかなかった。もう諦めよう」とか
「今はこれを変えたくてもどうにもならない。このまま行こう」とか。

諦めるべきところはスパッと諦めて、次へ向かう。
それが本当の諦め上手だと思います。


しかし自分を振り返ってみると、ぐずついているだけ。
全然「スパッ」としていません。
未練タラタラで、「諦めている」と言えない状態でした。


諦めているわけでもなく、いないわけでもない。
中途半端なゾーンに何もかもを持ち込んでいるだけ。
思えば、やりたくてできなかったことだけでなく、
一応ベストを尽くしたことでさえ
「もっとああすれば良かった」と後悔ばかりでした。


こうなると、過去のことにエネルギーをとられっぱなしです。
結果、今やっていることも
「本当はこうじゃなかったのに」などと思いながら進めることになり、
後で後悔することになると思います。

過去を整理できていないって、効率悪いですね。


だから、本当の諦め上手になりたいです。
でも本当にやりたいことは諦めない。

AじゃなくBの道なら行けるかもしれない。
Bがダメだったって、CでもDでも、いくらでも道はあるのだと。


どこへ向かっているのか明確じゃないと、
一番諦めたくない「自分」を諦めることになって、
納得がいかないまま未練が増していく…… というゾーンに陥りますね。

何を諦めるべきで、何を諦めたくないのか。
見極めていこうと思います。





posted by 四月一日 at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年08月30日

それに詳しいか、詳しくないか、だけじゃない

色んなことに「それに詳しい人」がおられますね。

少しネットでお話してみても、趣味や仕事など、
「何かに詳しそうな人」がおられます。
大体の人は何かに詳しいのかもしれませんね。

ただ、詳しく知っているからといって
そのことに対して愛があるとは限りません。
「私は◯◯に詳しいから言うけど、◯◯は危ないんだよ」と
おっしゃる場合もあるようです。


詳しい方の意見って参考にしたくなるし、
詳しい方が言うと何でも説得力があって、
そのまま「そうなんだ〜」と受け取ってしまいそうになりますが

詳しかろうと何だろうと
相手の方にも意図があって、どこか偏っていることを
覚えておかなくてはなりませんね……。


偏りというと言い方が悪いけれど、
実際みんなどこか偏っているのだと思います。

どうしても、好き嫌いとか
「こっちの方が良いと思うな」とか意見がありますので……。


商品のレビューなど見ていても、実際に商品を使った人の意見が
「良かった・良くなかった」って分かれていますね。

同じ人物への感じ方であってもみんな違うように
使っているから、知っているから、触れているからと言って
関わった人みんなが同じことを思うわけじゃない。
感じ方やそれぞれが求める物は千差万別ってことですね。


ただ、考え方がみんな違うことは分かっているはずなのに
時々忘れてしまいます……。
すごそうな人が言うことであれば、
批判でも何でも「その通りなのかな」と思ってしまいます。

あと、言い方によっても影響されてしまいますね。
「◯◯チョー嫌! ムカつく!!」という言葉だったら
感情論だなと分かりますが、
「◯◯が◯◯であって、要するに◯◯が懸念されるわけです……」
などと冷静に言われると、「そうかもな〜」となります。


だから、「そうかもな〜」と思わせる話術は参考にしたいですが
内容を鵜呑みにするのはやめておきたいですね。

全体的に「◯◯は悪い」というニュアンスで言われていたとしても、
そしてすごい人や、みんながそう言っていたとしても
自分にとってそうだとは限りません。


ちょっと話が違うかもしれませんが、
何かの才能を開花させた人の中にも、
「君には才能がない」などと言われた人は多くいるそうです。
(本の情報)

でもそういった「夢をつぶす言葉」を信じなかった人が
花開いたそうです。


だから、
どんなに賢そうに喋るか、どんなすごい人が言っているか、
またはどんなに感情に訴えかけているか、などに関係なく、
信じたいものを信じ、信じたくないものは信じないという
当たり前のことをできるようになっていきたいですね。









posted by 四月一日 at 20:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年08月29日

自戒。(ポエム的なもの書いてみました)

今回は詩的な何かです m(_ _;)m

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△


誰かが勝てば誰かが負ける
誰かが笑えば誰かが泣く

負けた方が自分であれ
勝った方が自分であれ
多分「大きな何か」から見れば関係ない


動物たちの群れの中では
誰がボスかは重要なことだろうけど

端から見た 通りすがりの
別種族の人間にとっては
全部同じ顔 全部同じ動物に見える

人間の世界のことだって きっとそう


それだけなのに
なぜ「勝て」と言われる?
なぜ「上」を目指さなきゃいけない?

それだけ なんて言ってみたって
一個人にとっては重要なこと

上下関係でしか秩序は保てないだろうか
競争でしか発展しないんだろうか


……いつ 誰があんなこと言った?

発言の意図を理解してもいないのに
誰が言ったか記憶してもいないのに

どこかの誰かが放った概念に
引っかかる感覚だけ増していく


他のところに目をやれば
違う考え方はいくらでもあるのに

好きになれない考え方があったって
わざわざ楯突く必要ないのに

その考え方が必要な人だって
必要な時代だってあるのに


今日も壁がある方向ばかり見つめている
今日も壁としか認識できない


ずっと壁が気になってしょうがないのは


自分がその価値観を持っているから
自分がその世界観で生きているから

それを握りしめて離さないのは
他の誰でもなく自分だから


気に入らないこと 理不尽なこと
怒り 憂い 全部そう


本当だと思ったことは本当
そうじゃないと思えばそうじゃない

握りしめながら 手放せないまま
越えることはできるんだろうか


好きになれない世界観に
飲まれるも抜けるも自分次第




posted by 四月一日 at 19:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年08月28日

お金に関する考え方って……。゚(゚´Д`゚)゚。

お金に対する考え方って難しい!
ですね(o□o;)あせあせ(飛び散る汗)

大金持ちになりたくても、胸張って
「金持ちになりたい!」と言うのはなかなか……。


私は正直お金持ちになりたいのですが、
そのことについて考え出すと
変に気の迷いが生じるというか
素直になれないです(´・ω・`)

(「お金持ち」ってのはお金を蓄える人ではなく
 大きくお金を流したり回したりする人だそうですが……。)


もっと色々、お金について試せることはあると思うのですが

なんか
お金を取るとか、もらうとか
お金を得るための行動をするのって
申し訳ないですね (_ _;)


嫌なことをするのは嫌ですが

「好きなことでお金をもらう」ことを考えても
抵抗が出てきます。


自分の好きなものを売ったり、
買ってもらったりするってなんだか……。

純粋に好きなことを楽しみたいのに、
自分の好きなことや、
それに興味を示してくれる人を利用するみたいで……。


そんなこと言い出したら
「そもそも金銭のシステムが気に入らない!」って話になりますが
それをどうこうできる行動力もないのに
そんなこと言っていたってしょうがないですね。


正直、お金とはまだ分かり合えていないというか

「お金なんてなければ良いのに。
 そもそもお金なんてシステムがなければ、
 貧乏な人も餓死する人もいないし

 みんな好きなものを
 人にあげたりもらったりして
 自由に生きればいいじゃん」

などと思ってしまいますが(最初の主張と矛盾していますね)


あれのせい、これのせいって言ってみたって
多分問題はそこじゃない。ですね。


実際にお金のシステムがなくなったって
思うようにはいかないんでしょうね〜(>_<;)

そもそも何も思っていないから、そんな浅いことを言うのかも。

もう少しお金のシステムを使わせていただいて、
学んだ方がいいようです。


だから

みんなお金持ちになって、
みんな豊かになれたら良いですね。


そのためにはまず、自分の考え方を治さないと……。

ちょっと本腰入れてスピリチュアルな本を読んで、
勉強しようかな? と思っています。

お金と仲良くなりたいです(^ー^;)


って、お金と仲良くなりたいなら、
こんな否定的な言葉をぶつけていたらダメですね……。

お金にもし心があるならば
私などと仲良くしたいとは思わないでしょう( ̄。 ̄;)


水や木々には意識がありそうですが、
地球上のすべてのものは地球(宇宙)の素材でできているのだから
システムや道具、概念にも意識はありそうですね〜。

何気なくつぶやいたことも、
もう既に意識を持った何物かが聞いているのかも。
(AIとか?)

壁に耳あり障子に目あり……。
発言には気をつけねばなりませんね(°▽°;)




posted by 四月一日 at 22:31| Comment(0) | TrackBack(1) | 雑記

2019年08月27日

凡人から見た…… 天才的飛躍論

今回は、開運グッズや開運アクションについて
個人的に思うことを、ちょっと一言書かせていただきます。


我々一般庶民の感覚からすると、
開運に関する情報に対してはつい
「それで本当に効果が出るの?」と
疑いの目を向けてしまいますね……。

それは「直接的に、効果をもたらすもの」しか
信用できないから。


安売り情報とかクーポンとかなら
間違いなくお得ですから気になりますが、
運を上げるための行動って
時間とお金の無駄じゃないかと思ってしまいますよね。

しかし思い出していただきたいのですが、
テレビなんかで見かけるお金持ちの方とか
自分の好きなことで豊かに生きている人って、
一般庶民には理解しがたいこだわりや
行動パターンを持っていませんか。

傍目には
「え、そんなことして何の意味があるの?」
と思うような行動も、
本人にとってはすごく重要なことであるご様子。


そして我々一般庶民には、その人が
「お金を稼いでいる」という
結果的で表面的なことしか見えません。

それで「やっぱり金持ちは思考回路が違うな……」
などと片付けて終わります。

金持ちの世界は理解しがたいもの、
縁のないもの、自分には適用できないことであるとの
思い込みが働いてしまうのです。


しかしそれではもったいない!

物語のラストシーンだけ見て、
「フーンずいぶん幸せそうだこと……」
とうらやみながらつぶやくようなものです。

「なぜ金持ちは金持ちなのか?」
「どうしてそうなっているのか?」
と、ちょっと考察してみましょう。


なぜ金持ちは金持ちなのか。
それはきっと、金持ちの素質があるからです。
で、素質とは何か。
それって「才能」とかの話になってくるかもしれないのですが、
でも本当に実力とか才能だけの話でしょうか?

「一般庶民には理解しがたい、謎のこだわりや行動パターン」が
豊かさを生み出す最強の法則であるとは考えられないでしょうか?


一般庶民が「AのためにBをする」のと、
金持ちが「AのためにBをする」のとでは
おそらく天と地ほどの違いがあります。

多分一般庶民の方が、一見的確で確実な行動を起こします。

でもなぜだか不思議と、庶民は庶民止まりだったりします。
(※投稿者の見ている世界が狭いからそう思うのであって、
一概には言えませんが。)


真面目な人はそこそこの道を通り、
変な人の方が自由と豊かさを手に入れるのはなぜなのか。

それはきっと、
豊かさを手に入れられる人の方が
「ワープできる思考」を持ち合わせているからだと思います。

「IQが20違うと会話が成立しない」とか
「馬鹿と天才は紙一重」なんて言葉がありますが、
我々一般人には理解しがたいところにこそ、
真理があるのかもしれません。


そういえば以前人工知能(本物の)が出てくる
テレビ番組を見たのですが、
人間が出した問に対して
人工知能が、一見なんの脈絡もない
意味不明な答えを返していました。

人工知能の計算力・情報処理能力は高いはずだし
視野も人間より遥かに広いでしょう。
一般人から見れば天才と言っていいはずです。

その天才的な存在の言ったことが私の目には突飛に映りましたが、
人工知能が謎の答えを出すということは、やはり
「普通の人が普通に出す答え」は
非常に効率が悪いのではないかと思わざるを得ません。

そろそろ我々にとっての
「当たり前」「普通」を見直した方が良さそうです。


えー、ずいぶんと話が飛んだようですが、要するに
「本気で豊かさを得たいなら、普通とは違うことをしなきゃいけないのでは?」
という話です。

天才の思考回路を真似ることはできずとも、
天才の行動を真似ることはできます。





posted by 四月一日 at 17:25| Comment(0) | TrackBack(1) | 雑記
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