2016年01月19日
『 動力 』無しではやっていけない私たちの生活
今日おすすめしたいのは『動力物語』富塚 清 (著)である。
この本は動力というものの定義から始まって、私たちの生活の中にいかに機械動力が入り込んでいるかが述べられる。
そしてしかる後に、蒸気機関と内燃機関の開発と発展の歴史について書かれている。
なんでこの本をオススメしたいのかというと、私たちの現代的な生活は動力なしにはやっていけず、私たちは『動力』に取り囲まれていて、あまりにそれが当たり前過ぎる状況にあるからだ。
ということは、動力が無い状態というものを想像できないと言ってもよい。
つまり、
朝起きてエアコンを入れ(エアコン電気モーター)
トイレにいって(トイレの換気扇に電気モーター)
冷蔵庫を開けて(冷蔵庫のコンプレッサーに電気モーター)
目覚まし用のアップテンポなCDをかけ(プレイヤーに電気モーター)
ヨーグルトと牛乳とシリアルを取り出して食べ(その牛乳やらヨーグルトやらシリアルやらを、買ったスーパーに運んできた輸送トラックに内燃機関)
食べ終わったら歯を磨いて顔を洗ってから、パジャマを脱いで洗濯機に投げ入れて(洗濯機に電気モーター)
着替えてから家を出て、通勤のため車に乗り込む(自動車のエンジンに内燃機関)
というかもっと言えば、上にあげた電気モーターを使うようなものには、そもそも発電所での発電用に蒸気タービンという動力が使われているわけである。
ことほどさように、私たちの生活は文字通りに動力にまみれているんである。
ということは、逆に言えば、新しい動力が開発されたり、それが洗練されたりするたびに、それが私たちの生活に取り入れられては私たちの生活に大きな影響を与えてきたのだということである。
例えば、初期のころの実用化された蒸気機関は、鉱山での排水用に用いられたようであるが、これは従来は馬などの畜力とすげかわることになった。
つまり動力の普及は畜力の価値の低下を意味する。
それがどういうことかというと、
例えば、なろう小説でよくあるような 『 中世ヨーロッパ風異世界 』の登場人物がいたとしよう。
そしてその彼が、立派な堂々たる体躯の馬などの家畜を、いかに貴重なものとして、憧れをもって見ているだろうかということについての理解は、その動力としての畜力の重要性という観点から見なければ真には理解し得ないだろう。
さらにもっと言えば、動力の発展は、輸送力の向上にダイレクトにつながるので、それは食生活の充実や、戦争の高度化・大規模化につながる。
近場では生産されていない食材でも、蒸気機関車などで素早く大量に輸送できれば、低廉な価格で売られるようになって、庶民の食卓を豊かにする。
また食材が蒸気機関車で素早く大量に輸送できるのであれば、軍隊もまた、蒸気機関車で、前線へと素早く大量に輸送出来てしまうということなのである。
『 中世ヨーロッパ風異世界 』 と 私たちの現代的な生活 との違いは、そのかなりの部分が、機械動力の量的質的な違いによっているということができるかもしれない。
つまり世界というものを理解し、作品の世界観を構築するためには、動力とその発展についての理解もまた不可欠であろうと思われるのである。
というわけで『動力とその発展についての理解』を助けてくれるこの本をオススメしたいのである。
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