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アジアを解放した日本!1

昭和初期のアジア勢力図

 昭和初期、米国はフィリピンを、英国はインド・ビルマ・マレー半島を、フランスはインド・中共を、オランダはインドネシアを植民地としており、「欧米列強諸国」では、日本を除く「アジア全域で過酷な植民地支配」を行っていた。
 欧米諸国では日本をも植民地支配する為に、日本の資源を絶ち、日本に謀略を仕掛けた。しかし、昭和16年12月8日、日本は独立国としての主権を守り、植民地支配にあるアジア開放の為に、日本は欧米諸国に対して、大東亜戦争の開戦をした。

 大東亜戦争終結より60年以上の歳月が流れた現在、世界各国では、日本は当時「自衛の為」「アジア独立の為」に欧米列強諸国と戦争をしたとの認識がされてます。敵連合国のマッカーサーでさえ、大東亜戦争は「日本の自衛戦争」だったと証言。他、アジア各国からも「欧米列強諸国からのアジア独立戦争」であったと日本を賛美している。

 平成3年、日本傷病軍人会代表団が、大東亜戦争の敵国であったオランダを訪問した折、同国の傷病軍人代表と共に、首都アムステルダム市長主催の親善パーティに招待された。その時の市長の挨拶。

 「日本はアジア各地で侵略戦争を起こして申し訳無い、諸民族に大変迷惑をかけたと自分を蔑み、ペコペコ謝罪していますが、これは間違いです。あなた方こそ、自ら血を流して東亜民族を解放し、救い出す、人類最高の良い事をしたのです。何故なら、貴方の国の人々は、過去の歴史の真実を目隠しされて、今次大戦の目先の事のみ取り上げ、或いは洗脳されて、悪いことをしたと、自分で悪者になっているが、ここで歴史を振り返って、真相を見つめる必要があります。本当は私共白人が悪いのです。100年も200年も前から競って武力で東亜民族を征服し、自分の領土として勢力下にしました。植民地や属領にされて、永い間奴隷的に酷使されていた東亜諸民族を解放し、共に繁栄しようと、遠大崇高な理想を掲げて、大東亜共栄圏と言う旗印で立ち上がったのが、貴国日本だったはずでしょう。本当に悪いのは侵略して権力を振っていた西欧人の方です。日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現しました。即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から追放して終わりました。その結果アジア諸民族は独立を達成しました。日本の功績は偉大です。血を流して戦ったあなた方こそ最高の功労者です。自分を蔑むのを止めて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきです。」

 大東亜戦争終結後、戦勝国が敗戦国を裁くとの理不尽で、裁判との名を借りた復習の儀式である「極東国際軍事裁判」(東京裁判)において、同裁判11人の判事の中で唯一、この裁判が最初から日本を侵略国と決め付けていることに不快感を示して、被告人全員の無罪を主張したパール判事(インド代表)も以下の事を述べております。

 「かつて欧米諸国がアジア諸国に対して行った行為こそ、まさに侵略そのものである。要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったという事を、歴史に留める事によって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の17年間(昭和3〜20年、東京裁判の審理期間)の一切を、罪悪と烙印する事が目的であったに違いない。私は1928年から1945年までの17年間の歴史を2年7ヶ月かかって調べた。この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるという事が分かるはずだ。それなのに、あなた方は自分らの子弟に「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」を教えている。満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。誤られた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。誤られた歴史は書き変えなければならない。」

 僕は以前、カナダ留学をしていた際、ホームステイ先のマレーシア人夫婦の家庭にお世話になっており、とても良くしてもらったことを今でも感謝しています。
 その時に、ご主人がおっしゃっていた一言が今でも心に残っています。

 「こうして幸せに暮らせているのは、君達の先祖のおかげだよ・・・」

 ん?????彼は何をいってるんだ??というのが、当時の正直な感想で、彼の言葉の意味が全く理解出来ませんでした。
 なぜなら、それまで学校やTVで「日本は過去の戦争でアジア各国を侵略し、数々の卑劣な行為に及んだことで、現在もアジア各国から非難されている」という教育や番組を観ており、すっかり信じ込んでいたからです。
 
 それにより、僕自身も日本人であることが恥ずかしいと感じることもあったし「日の丸」「君が代」が国旗国歌であることなんて、どうでもよいとさえ考えていました。当然、自分の生まれた国への「愛国心」や日本人であることの「誇り」や「自信」なんてゼロでした。

 しかし、マレーシア人の彼と様々な会話をしたことで、僕は今まで信じていた「日本悪の歴史」が何か違うということに気付きました。

 それを決定的にしたものは当時を知る海外の声。特に、上記のパール判事の言葉や、アジア各国の日本賛美の声を知ったことでした。

 2へ続く、、

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