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プロフィール

評論家
36歳・独身、親元実家暮らし、第一子で長男、現住所は東京都内。 35歳の時に痛感したのは、自分の宿業(カルマ)=宿命というテーマ。 私は既に以前までの生き方や生活を変えているのに、周囲の私に対する印象は変わっていない。 私は既に何人かの女性たちとオフパコしている(中出しも経験済み)のに、周囲には未だに童貞だと勘違いされている。 子供の頃は据え置き型ゲームの熱心なプレイヤーでしたが、それはもう15年以上前に辞めていて、今は自宅に一機もゲーム機を持っていないのに、周りの同世代からは未だにゲーマーだと誤解されている。 また、18歳〜20代前半までは確かにひきこもり系ニートでしたが、今は外で働ているのに、未だにニートではないかと周りは疑っている。 真面目にやっているのに、誤解しかされていない。これが私の宿業(カルマ)=宿命です!\(^w^)/
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2012年12月31日
宮下志朗訳、モンテーニュ『エセー』最新巻の発売!

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 宮下志朗訳で送るモンテーニュの『エセー』、待望の第五巻が、近日発売となります!

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 こちらは既に発売されている商品です!

 洋楽離れが久しい昨今ですが(−−; AKBブームには負けないようにしましょう(汗)

 私は、矢沢永吉のファンなので、AKBは嫌いです。

 永ちゃんファンなので、敢えて、最近の新しい洋楽を載せています(−−;

 後でまた書きます。

Posted by 評論家 at 02:30 | この記事のURL
2012年12月30日
偶像とは何かを考える(^^)

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 最近、ツイッターで、「偶像論」を展開することにハマっているのですが、

 19歳の時の私の偶像と言えば、やはり、EMINEMでした。

 Hiphop界におけるEMINEMの存在は、友人の口伝えで知り、高校時代から聴き始めたのですが、同時期に知ったレッチリ等々の白人系洋楽ロックバンドよりも、ずっと強いインパクトがあったことを記憶しています。

 上記のバナーは、エミネム・レーベル以外から販売されている商品かも知れませんが、関心のある方は、クリックしてみて下さい。

 私は、音楽を演奏したり、歌を歌ったりすることには全く関心がないのですが、「音楽を批評する」という事には、熱烈な関心を持っていて、

 最近でも、青山真治監督の『AA』というドキュメンタリー映画で題材にされている間章や、『マイルスを聴け!』の中山康樹のように、尊敬する批評家はたくさんいたわけです。

 カラオケで歌うよりも、音楽に関連する批評を読んだり書いたりすることに興味がある。映画もこれと同じで、今の映画を観たり、撮ったりすることよりも、過去の映画を蒐集したり、それを評論したりすることに興味がある。

 ところで、「前時代優越主義」を標榜するお前が、何で、EMINEMを聴いているんだ? とは、今の若者だったら、誰でも疑問に思うでしょう。

 西暦2000年代に、ケータイを持っていた19歳の若者にとって、ステレオから流れてくる音楽というのは、アナログでした。それが1980年代以前のLPではなかったとしても、です。

 それに、音楽活動こそしないにしろ、EMINEMや2PACは、全てのアンダーグラウンドの若者にとって、「偶像崇拝」するに値する、「神」に匹敵するアーティストでした。

 ちょうど、60年代の若者たちが、ビートルズやザ・ローリング・ストーンズの洗礼を受けたのと全く同じように、です。

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「偶像」とは、神格化された人格の事であり、「神」のことであり、それはつまり、一人、一人の人間である、という捉え方も可能なわけです。

 文豪バルザック『人間喜劇』の作中において、「人物再登場」の手法で現れる一人、一人のキャラクターも、「偶像」と捉えることが出来ます。

 上記のEMINEM、2PAC、リアーナ、P!NKにしろ、これまでのイエス・キリストや仏陀、悪名高い麻原彰晃や上祐、A級戦犯ですら、信徒たちやファンの間では、「偶像化」が為されているわけです。

 最近、若者の間で流行しているソーシャルゲーム。あのゲームの中に登場する、有名無名の実在の戦国武将とか、三国志の英傑、幕末の志士なんかは、まさに「偶像」です。

 場合によっては、それは人間でなくとも構わない。地方の山のどこかから、大きな怪しい石を都会にまで持って来て、

「この石には、霊験があります!」

 等々と、尊崇の対象にしたとしても、それは、「偶像化」を為し得た、という事になる。

 世の中に「天才」と崇められた多くの学者や英雄たちは、そのほとんどが過去の歴史において、「偶像化」を経て、今日の世にまで、その名を遺しているのです。

 私が19歳の頃に、1960年代以前のクラシック映画男優や女優に傾倒するきっかけとなったのも、「人間が偶像化されること」への強い関心があったからです。

 人間の目的とは、生きている間に何かを成すことですが、その「何か」という偉業を達成することで、自らの名を「偶像化したい!」とは、多くの人間が考えることだと思います。

 かくいう私も、ほとんどそれだけが目的で、今を生きているようなモノです(苦笑)

 この目的を明確にした時に、自我はハイテンションに昂揚するのであり、勇猛心も湧き上がるのです!(爆笑) まさに、「天界」です!

 人間の本質とか、「実存」というモノは、案外、こんな単純なところに帰結するのかも知れません(^^;

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Posted by 評論家 at 16:58 | この記事のURL
2012年12月29日
同属嫌悪について、考察します(^^)
 同属嫌悪について、考察を進めましょう。

 例えば、少し前に、こんな事件がありました。
    ↓   ↓   ↓   ↓   ↓   ↓
 菓子のおまけとして人気を集めた「ビックリマンシール」のコレクター宅から、 シール約2500枚を盗んだとして、北海道警札幌豊平署は16日、札幌市豊平区平岸3の8、無職三浦隆志容疑者(34)を窃盗容疑で逮捕した。

 発表によると、三浦容疑者は2月10〜12日、同区の男性(31)宅に無施錠の窓から侵入し、ビックリマンシールなど計約2500枚(時価総額35万円相当)を盗んだ疑い。三浦容疑者もシールコレクターで、男性とは知人だった。盗まれたシールは、男性がインターネットオークションなどで買い集めたもので、1枚10万円前後で取引されている「レアもの」も含まれていたという。

 三浦容疑者は、盗んだシールを買い取り業者に売却することを通じて約50万円を得ていたとみられ、同署の調べに対して「生活に困り、売れば金になると思った」と供述しているという。

 ◎

 確か、三浦容疑者と被害者とはそれまで親友同士で、共に、「ビックリマンシール」の収集を競い合っていた、「ビックリマンシール」の蒐集に関しては、この二人はお互いにライバル以上の間柄だった、との記事も、以前にどこかで読みました。

 このブログを書いている私自身は、「ビックリマンシール」に何ら興味がないのですが、

 同じ対象物の蒐集を競い合っている二人の親友同士の隠された「同属嫌悪」を考えるという意味では、私の「60年代熱」の波及や「クラシック映画熱」の友人への憑依を考えるという点で、かなり参考になると思います。

 19歳の時、折伏の為に訪れた高田馬場のファミレスで、香取勇進との間で実際にあった事です。

 私はそれまで、ケータイでのやり取りを通じ、香取に対し、「ジャズは、マイルスを聴け!」、「マイルスは偉大だ!」と頻りに興奮して喋っていた。

 もちろん、私の部屋には、マイルス・デイビスの名盤やブルー・ノートの傑作が百枚以上、用意されていた。

 そこで、さすがの香取も、私に対抗意識を燃やし、もう一人のジャズ好きな友人に、マイルスのアルバムを持って来い! と言ったらしい。

 その友人は、高田馬場のファミレスに現われ、案の定、彼が持って来たアルバムも、私の方では既に所有済みの盤ばかりでしたが、

 その時、勇進が、不意に、『死刑台のエレベーター』というクラシック映画の話を始めたんです。

 現在では、邦画のリメイク作が公開されているので、知らない人はいないと思いますが、

 1940〜50年代の白黒映画に強い関心を持っている私にとって、これは、「いつか観たい」と思っていた映画で、先に彼にその話をされてしまった私は、悔しい思いをしました。

『死刑台のエレベーター』というのは、ルイ・マル監督、ジャンヌ・モロー主演のフレンチ・サスペンスの傑作で、音楽は全て、マイルス・デイビスが担当していたというカルト的な名作でした。

 もちろん、当時の私でさえ、マイルス・デイビスのアルバム『死刑台のエレベーター・サウンドトラック』は何度も繰り返し、聴きました(当然、持っていた)が、

 三年ほど後、白黒映画をDVDで所有するようになってからも、ジャンヌ・モロー主演の『死刑台のエレベーター』だけは、長らくニューリリースで復刻されることがなかった。

 ですが、それも邦画のリメイク作が話題を集めるようになってから、メーカーが再リリースするようになり、

 図書館から借りて来たVHSで、何度もその映画を観ていた私は、その時、ようやく安心できたのでした。

 上記の窃盗事件で、「ビックリマンシール」に匹敵するモノ、蒐集の対象物となるのは、私にとっては、古映画のコレクションに他なりません。

「前時代優越主義」の立場にたてばたつほど、私は、優位に立てるのです。優越感を得られるのです。それが、「前時代優越主義」の真骨頂です。

 友人が私に対し、「こんな古い奴は終わっている!」と指摘しない限り、この私に勝つことは出来ませんよ!

 何故なら、私は、終わっていることがしたいだけだからです。

 俺は、終わっていることがしたいだけなんだ〜!(叫)

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Posted by 評論家 at 14:47 | この記事のURL
2012年12月23日
「表現とは、それぞれの道を進んでいくモノだ」(^ー^)
 私にとって、作家になるという事は、1960年代以前の人間になることである。

 これが、「前時代優越主義」のコンセプトだ。

 齢60を超えた老人が、「昔は、家に本とラジオとレコードしかなかったから」と思い出話を語るような時代。

 レコードはCDになり、映画はDVDで観れるようになったが、様式面でのテクノロジカルな時代性は無視して、

 21世紀を生きながらにして、1960年代以前の世界に生きるというのが、私の人生のコンセプトであり、終着駅となるだろう。

 インターネットはかなりやっている。

 しかし、ゲームなどのサブカルチャー性を実生活上から一切排除し、携帯電話やスマホも持たず、

 常日頃から、クラシック映画や古典籍に触れ、ラジオや音楽に耳を傾ける。

 それが、19歳以前から、私のイメージの中でひたすら追求してきた自己理念で、この生活のイメージは、誰にも譲れるものではない。

 香取勇進君は、私をわざわざ仲間の元へ連れて来て、「こいつから逃げろ! 逃げろ!」と言う一方で、

 フェイスブックでは、ゲームや漫画などの一切のサブカルチャー性を排除して、フィルム・アート系の映画や現代文学や現代音楽で、自らの生活を囲い込む、という私の発想を、まんまと盗んでいる。

 香取くんの映画の欄に、フェリーニの『8・1/2』が未だにあるのは何故か?

 彼は、クラシック映画の専門家になるつもりなのか?

 私の場合は、現代以降の映画(特に3D映画)には関心がないという視点で、仕事を進めているので、

 白黒映画やテクニカラー映画、あるいは、ゴダールが亡くなる直前に撮った今の映画が含まれていても、何ら違和感がないのだが、

 彼も、私のコンセプトと全く同じで、「1960年代以前の世界を生きる」という事をテーマに、これから映画を撮っていくつもりなのだろうか?

 私の価値観や評価が、彼が考えていることに憑依していて、それぞれが表現したいことの違いが認識されていないというのは、大問題なのではないか?

 インディペンデント系の映画を撮るという意味なら、ゴダールは確かに、「今」の監督である。

 しかし、フェリーニも、ゴダールも、最初の仕事を始めたのは、1960年代である。

 奇妙なことに、日本では既に、北野武の他に、国外で高い評価を得ている新進気鋭の若手監督たちが何人もいるのに、彼のコンセプトにはそれがない。

 フランスやイタリアの監督を選ぶ時も、彼は、どちらかというと、1960年代から映画を撮る仕事を始めた人を中心にして、フェイスブックを運営している。

 彼が、1960〜80年代に異様な愛着を感じて、その時代に対する特別なこだわりがあるとすれば、別だ。

 現に、私は、1960年代以前の世界や文化に強い関心があるからこそ、クラシック映画(特に白黒映画)のDVDばかり蒐集している。

 しかし、フランスでもイタリアでも、既に、ゴダールやトリュフォーの「ヌーヴェル・ヴァーグ」を否定する動きは十年以上前に起こっているのであり、これは、アメリカ映画だって同じだ。

 映画に関しては、私はクラシックの専門家だが、香取くんの場合は、これからも映画を撮らなければいけないわけで、

 すると、成功を収めれば、当然ながら、3D映画も撮らなければならなくなる。

 現に、小林正樹のリメイク作は成功を収めているし、スコセッシ監督も3D映画を完成させている。

 ゴダールの場合は、もうじき亡くなってしまうので、3D映画を撮ることはないだろう。

 すると、香取くんの場合は、私の「60年代熱」が彼に憑依したままで、映画を巡る「新しい動き」に全く気付かないまま、という事にもなりかねない。

 私は絶対認めないが、批評の世界でも、東浩紀、等々、サブカルチャーやアイドル、文化・芸能人を論ずる人が増えて来ていると感じる。

 但、私の場合はあくまで、クラシック映画や純文学の専門家になりたいだけなので、こうした分野を論じるつもりもない。興味もない。

 スポーツ理論や政治について語っている方がマシだ。

 表現とは、それぞれの違いを認識してこそ、真に威力を発揮するものだと思う。

 自分が他人に影響したり、他人が自分に影響を及ぼしたりしていることに気付かないで、全てが自分の独創だと思い込んでしまうと、とんでもない間違いを犯してしまう。

 私は、香取くんたちが集まっている「彼等の世界」には興味がなく、それに対しては、一向に目を向けなかったのであり、私には私で、現代文学の古典や白黒映画を起点にして、遥か彼方へと広がっていく大きな世界があること、その「違い」を認識して欲しかった。


 追記。

 自らの生活からゲームや漫画などのサブカルチャー性を一切排除する、という私のコンセプトにだって一応は意味があるわけで、

「家には、ラジオとレコードと本しかなかった時代」という1950年代以前の生活を理想型(イデア)として追い求めるからこそ、それを断ち切るのである。

 現在の3D映画、CGアニメーションを製作している立場の人間からすれば、そうした職務に就いている人たちが、日本の漫画やゲームに傾倒し、そこから着想のヒントを得ることは、当たり前なのであり、私は敢えて、この「今」を否定する形で、「前時代優越主義」という自らのコンセプトを進めている。

 私の出発点は、「1960年代以前の人間になる」ということなのだ。

 その違いを認識して欲しい。

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Posted by 評論家 at 20:26 | この記事のURL
2012年12月19日
鶏ガラ野郎の正体は誰なのか?
 既に、芸能人の文学大賞受賞に関する某掲示板での紛糾から二年が経過しているが、

 私は当初、その芸能人が芸能界を引退した直後から、

「彼みたいな立場にいる人は、何らかの文学賞を受賞してしまうかも知れない」と、予言していた。

 そして、その芸能人の文学大賞受賞というのは、実際に起こった。

 私が、彼の文学賞受賞を予言したのは、彼の受賞が報じられるよりも前の出来事だった。

 私は但、今の文壇では、こういうことが起こっていることを指摘したに過ぎない。

 それが、私を目の敵にしている「鶏ガラ野郎」というHNの悪辣な行為のせいで、

 私は、その芸能人の文学賞受賞に対し、嫉妬しているという事にされてしまった。

 私は、彼の文学大賞とはまったく関係がなかった。

 同じ文学でも、その芸能人が目指している方向性とは異なるし、尚且つ、私が作家になる目的は、自らの実生活上から「21世紀性」を排除することにある。

 それが「鶏ガラ野郎」にとって、私はいつの間にか、その芸能人に嫉妬しているという事にされてしまった。

 ツイッターや掲示板の書き込みを見ていると、周りも、その判断を概ね、正しいと信じ込んでしまっている。

 しかし、私は、その芸能人の引退がニュースで報道されるまで、彼の名前自体、聞いた事がなかったし、生活や文化的側面から「21世紀性」を排除している私にとっては、彼がどんな映画やテレビドラマの出演を飾っているのかも全く知らなかった。

 但、芸能人が作家を目指して、引退するとの報道を耳にしただけで、何となく、「もう、何かの賞の受賞は決まっているんだろうな」と、思ったに過ぎない。

 鶏ガラ野郎は、一体、誰だったのだろう?

 私を個人的に、あんなにまでやっつけた理由とは、何だったのだろうか?

 仮に、私の悪い予感が的中して、

 マスコミや芸能界を通じてのコネクションや財力が、日本の文壇の権威を横奪りし、芸能人の書いた作品がノーベル文学賞にノミネートされてしまうというような異常な回路が創り出されてしまった場合、

 私の「抵抗」は、テレビ業界の実権を握っている新興ブルジョア階級(日本の資本家たち)に対する挑戦となる筈だ。

 私は、21世紀の芸能人なんか、ライバル視していない。

 私が「心の棲家」にしたいと願っているのは、1950年代以前から中世・古代までの、クラシックが依然として普遍的だった古い時代に対してであり、

 私にとって作家になるという事は、1960年代の人間になることを意味する。

 換言すれば、私は、1960年代の人間になる為に、作家になるのである。

 それなのに、鶏ガラ野郎というHNは、現に今の世を生きている私と、当今の芸能人を引き合いに出して、私は、21世紀の芸能人に嫉妬しているという事に、「してしまった」。

 最近の風潮だと、坂本龍馬や新選組は、やっていることは政治やビジネスなのに、

 何故か、その彼等が今、私たちの世代と同じ時代を生きているとしたら、芸能人かジャニーズとして成功しているだろうという事になっている。

 偉人や歴史上の人物のアイドル化、ジャニーズ化である。

「明星」=「天才」ということである。

 クラシック映画の世界でも、歴史上の人物を演じていたのは、確かに当時の俳優だった。

 しかし、俳優という職業自体が、当時はそれほど偉大とはされていなかったし、今の風潮のように、「偉人=ジャニーズ化」という形式は起こり得なかった。

 先日も、ある中年のロック・シンガーが、新選組の土方歳三の銅像を前にして、「土方さんって、ロックシンガーっぽいですよね〜」と笑っていた。

 これは、もし、土方歳三が、彼と全く同じ世代で、同じ音楽を聴いていたとしたら、通じる話で、

 仮に、土方歳三が昭和中盤まで長生きしていたとしたら、戦後のロックなんか耳にしただけで、喧しくて、音楽なんか聴いていられないに違いない。

 幕末を生きた世代だったら、ビートルズやレッド・ツェッペリンですら、「煩い!」と、両耳を塞ぐに違いない(当時まで長生きした老人とは、基本的にそういうモノだったのだ)。

 私の眼には、昨今のアイドル・ブームが異常に思えて仕方がない。

 外国から来た白人の美少女が、駅のキオスクに置いてある雑誌の棚をジッと立ったまま、凝視していたが、その棚に置いてある雑誌は、どれも表紙がAKB一色だった。

 あの白人の美少女の眼には、一体、何が映っていただろう。

 日本には、亡国の兆しとしか思えない節が、今の私には感じられる。

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Posted by 評論家 at 22:48 | この記事のURL
2012年12月15日
「21世紀は、考察するに値しない」!?

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 ここ10年は、1950年代以前の洋画が著作権切れとなり、500円以下の廉価盤で売られていました。

 しかし、その年代から既に、十年が経過しているという今。

 今度は、1960年代の作品が、500円以下の廉価盤商品として売られています。

 ここではバナーを貼りませんが、この調子で時代が進むと、十年後には70年代の洋画が、さらに20年後には、80年代の洋画が、500円以下の廉価盤で量産されることになる。

 否、それ以前に、DVDというパッケージは消えて、観たい人には無料で自動配信という時代になっているでしょう(−−;

 私は既に、心の内で決めているのですが、いつまでも、新しい時代の映画を追っているわけにはいかない。

 現に、私が今年、映画館で観た映画は、岩波ホールの映画・数本と、北野武監督の『アウトレイジ・ビヨンド』くらいなものでした。

 ジャン・リュック・ゴダールは、次の長篇を撮るまでに死んでしまうかも知れないし、ウォン・カーウァイは一本の作品を完成させるまで時間がかかり過ぎる。

 すると、私は、今の若い世代(30代〜40代)の映画愛好家と比べると、驚くほど、今の映画なんか観ていないわけです。

 著作権切れ廉価盤DVDもコレと同じで、60年代までの洋画なら買いたくなりますが、これが、70年代、80年代の商品へと進んでいくと、私はそのうち、全く何も買わなくなると思います。

 現に、今の私が所蔵しているコレクションの中に、700枚以上のDVDがあるとして、その90パーセント以上は、1960年代以前の映画です。

 後の8パーセントが、1970年代の映画だとすれば、残り2パーセントが、80〜90年代の作品です。

 それくらい、私は、今の映画に対する関心が薄い。

「21世紀は、考察するに値しない」

 というのが、現時点での私の感覚です。

 高校時代、周りの友人たちは、学校の近くにある晴海トリトンまで遊びに行っていたのに、私は、そういうことに全く関心を示さなかった。

 現に、成長した今でも、東京都育ちの東京都在住の人間なのに、東京スカイツリーなんか観に行ったことが一度もない。

 高校時代の同級生の中には、私に対し、「お前も広い世界を見ろ」と言いたい人もいたようですが、彼等にとっての広い世界とは、彼等同士の狭い人間関係でしかない。閉鎖的な友人関係や恋愛模様であったりするに過ぎないのです。つまり、内輪の話題でしかない。

 17歳にして、既に、「前時代優越主義」の萌芽となる理想があった私にとって、自分の世界とは、クラシック映画と古典文学、洋楽によって囲い込まれた物質的な趣味の世界でした。

 彼等は、私にとっての遊びとは何だったのか分かりもせず、私に対し、「外を見ていない」といつまでも批判していました。

 しかし、ひょっとしたら、人間とは、狭い世界に生きている方が遥かに幸福を感じやすい生き物なのではないでしょうか?

 私は、外の世界(周りの人たちの人間関係)に目を向けない方が、自分は遥かに幸せを満喫できると感じています。

 彼等にとっての外の世界が、私が志向している過去の文化や前時代の遺物であったりするのと全く同様にです。

 私にとっては、

「21世紀は、考察するに値しないのです」!

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Posted by 評論家 at 18:38 | この記事のURL
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Posted by 評論家 at 16:29 | この記事のURL
2012年12月14日
筑摩文庫 『ノヴァーリス作品集』 の紹介です!(^0^)

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 ノヴァーリス(Novalis, 1772年5月2日 - 1801年3月25日)は、ドイツ・ロマン主義の詩人・小説家・思想家・鉱山技師。シュレーゲル兄弟らと並ぶ初期ロマン主義の中心人物である。本名フリードリヒ・フォン・ハルデンベルク(Friedrich von Hardenberg)。筆名の「ノヴァーリス」はラテン語で新開墾地を意味する。

 「シュタイン−ハルデンベルクの改革」で知られるプロイセン宰相カール・アウグスト・フォン・ハルデンベルク(1750年 - 1822年)とは親戚。

 1772年5月2日にハルツ(当時はクアザクセン、現在はマンスフェルター・ラント)のオーバーヴィーダーシュテットの貴族の家庭に生まれる。この土地でハルデンベルクは幼少時代、少年時代を過ごした。

 父ハインリヒ・ウルリヒ・エラスムス・フライヘル・フォン・ハルデンベルク(1738年 - 1814年)は厳格な敬虔主義者であり、ヘルンフート同胞教会の一員であった。2度目の結婚でアウグスティーネ・ベルンハルディーネ・フライフラウ・フォン・ハルデンベルク(旧姓ベルツィヒ)との間に11人の子をもうける。2番目の息子ゲオルク・フィリップ・フリードリヒ・フライヘル・フォン・ハルデンベルクが後にノヴァーリスと名乗ることになる。

 幼少時代には家庭教師の教育を受ける。9歳の時に赤痢にかかり、後遺症で胃の弛緩を患う。この病気を機に詩的、知的才能が花開いたと伝えられている。

 1785年、父がザクセン選帝侯国の製塩工場長に任命されたことにより、1786年4月に一家をあげてヴァイセンフェルスに移住。1790年10月までアイスレーベンのルター・ギムナジウムに通い、修辞学と西欧古典文学を学ぶ。10月末からイェーナ大学に入学し、法学を学ぶ。

 1791年10月ライプツィヒ大学へ転学し、法学のほかに哲学、数学を学ぶ。1793年にはヴィッテンベルク大学へ移り、翌年、法学試験に合格。この年、当時12歳の少女ゾフィー・フォン・キューンと出会い、翌春に婚約を結ぶが、彼女は重病に倒れる。大学を首席で卒業し、秋には両親のもとに帰る。裁判所書記の見習いとしてザクセンのテンシュテットへ行き、実務を学ぶ。

 1796年、ゾフィーは3回にも及ぶ手術を経ながらも、回復することなく死去する。

 この年、ヴァイセンフェルス製塩所の試補となる。その年の12月、ドレスデンとケムニッツの間に位置するフライベルクの鉱山学校に入学。鉱山学、地質学、鉱物学、化学、数学についての講義を聴く。1799年フライベルクからヴァイセンフェルスに帰る。

 12月にはヴァイセンフェルスの製塩所試補と管理局の一員となり、1800年にはテューリンゲン郡の地方長官採用予定者に任命された。しかし、以前から患っていた肺結核が悪化し、1801年3月その職に就くことなく死去した。

 ノヴァーリスの作品の特徴は、ゾフィーの死、いわゆる「ゾフィー体験」を中核にする神秘主義的傾向、とりわけ無限なものへの志向と、中世の共同体志向にある。前者についてはゾフィーの墓の前で霊感を受けて作られた詩『夜の賛歌』に、後者は中世のミンネゼンガーを主人公にする小説『青い花』(原題は『ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン』)や、宗教改革前の世界をキリスト教というひとつの文化的背景によって民族性を超えた普遍的地盤をもつ共同体として称揚した評論『キリスト教世界あるいはヨーロッパ』にことに顕著に現れる。

以上、ウィキ参照(^0^)



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Posted by 評論家 at 12:02 | この記事のURL
2012年12月14日
未定 132

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Posted by 評論家 at 10:21 | この記事のURL
2012年12月09日
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 日本では余り理解されていない監督ですので、この機会に試聴されてみては?(^0^)

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Posted by 評論家 at 06:55 | この記事のURL
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