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50年前の新聞から

50年前の新聞から


今回は、4月のある分野の新聞記事を、10年単位で選び出して比較しようと思ったのですが、調べる時間がありませんでしたのでやめました。

それで、50年前の4月の新聞から無作為に記事を選んでみました。

昭和38年4月3日 読売新聞 夕刊 都民版 「西独三青年の東方見聞録」


今は東西ドイツは統一されていますが、この当時のドイツは東西に分かれていました。
記事に出てくる3人は、3人とも25才と書かれています。世界旅行トリオという題で、故国の地方新聞8紙に寄稿してきたと書かれています。

3人のうち2人はボルスブルクのフォルックスワーゲン社に勤めていたそうです。もう一人は、ミュンヘングラットバッハ市の会社(記事の文字が潰れていて読めない)に勤めていたそうです。YMCAの青年大会が10年前にボン市で開催され、そこで知り合ったと書かれています。

8年間勤務のかたわら世界旅行のお金を貯めるためアルバイトをしてきたそうです。そして、2台のオートバイを購入したとのことです。

旅のルートは、ボルスブルク、ミュンヘン、ウィーン、ベオグラード、ソフィア、アテネ、イスタンブール、アンカラ、ダマスカス、ベイルート、エルサレム、バグダッド、テヘラン、 ここまで8ヶ月かかって、1万7百キロをバイクで走行、しかも、雨天にはたった1日しか遭遇しなかったという幸運ぶり。

あと16キロでテヘランというところで、荷物を積んだオートバイのクランクシャフトが折れ動かなくなったとのこと。それで、テヘラン市内で修理を依頼するが、部品をドイツから3ヶ月かけて取り寄せる必要があり、修理をあきらめオートバイを2台とも安値で売ったとあります。そして、ヒッチハイクの旅に切り替えたようです。その2週間後、5千人の命を奪ったテヘランの大地震があったので、オートバイの部品を待たずにヒッチハイクでテヘランを去ったのは、地震に巻き込まれず、幸運だったということです。その後、テヘランからは、カンダハラ(アフガニスタン)、ラホール(パキスタン)、デリー、アグラ、ボンベイ、マドレーを経てコロンボ、そこから船で神戸、横浜、東京と来て、市ヶ谷のユースホステルを拠点に、九州一周、福岡ー東京間を不眠不休で45時間で歩いたとあります。

日本での印象は、

・ベートーベンなどドイツのクラシック音楽が流行っていることに驚いた
・京都の文化遺産に感嘆した
・しとやかで愛らしく誠意があって親切な日本女性
・マンモス都市 東京 の文化生活
・道路をあちこち掘り返していること

が印象に残っているということが書かれています。

現在、このような旅で新聞に載ることもあるかもしれませんが、今はあまりこのような記事は見ません。私は、普段、日本経済新聞しか読んでいないため気がついていないだけかもしれませんが。


まだ、この当時は日本人にとって外国に行くことが珍しい時期だったと思わせる記事の書き方でした。写真も今まで回ってきた国の写真を周囲の人に見せて、写真を見ている人も珍しそうに見ていますので、目に留まった記事でした。

ドイツと言えば、最近は取引のある会社はありませんが、私が付き合いのあったハンブルクやフランクフルトの会社は、最初の第一印象は良くないことが多いのですが、付き合ううちに、約束はきちんと守る、責任感もある、お客に対する配慮もあると良い印象に変わる会社が多かったように思います。

私は、休日にドイツの郊外に行ったことはなく、10年以上前の話なので今はどうだか知りませんが、聞いた話によりますと、ドイツでは、日曜日の小売業の営業は禁止されているので、ガソリンスタンドがスーパーマーケットのようになっているという話を聞いたことがあります。






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