2024年11月10日
【短編小説】『涙を包むラベンダー』(1話完結)
<登場人物>
◎夜野 逢月姫(よの あづき)
♀26歳、会社員
ーーーーーーーーーーーーーーー
【1人で歩いていけるから】
逢月姫
「わぁ…強烈なラベンダーの香り…!」
7月某日、
北海道中富良野町のラベンダー畑。
私、夜野 逢月姫は、
観光バスから降りた途端
ラベンダーの香りに全身を包まれた。
気温は32℃。
北国の短い真夏日、
私は汗だくになりながら園内へ歩みを進めた。
平地の畑には、
赤、白、ピンク、オレンジ、
鮮やかなマリーゴールドのじゅうたん。
そして少し目線を上げると、
急斜面を覆う畑は紫に染まっていた。
逢月姫
「満開のラベンダー…香水とぜんぜん違う。」
「くらくらする…。」
ラベンダーはミントの爽やかさと、
フルーツの甘さが混じった独特な香り。
私はそんな香りに立ちくらみしながら、
ほろ酔いの心地良さを感じた。
逢月姫
「満開のラベンダー、3度目でやっと見れたよ?」
「あなたにも見せたかったな…。」
汗とは違うしずくが、私の頬を伝って落ちた。
1つ…2つ……3つ……。
やがてしずくは細い流れになり、
私の眼を赤く染めた。
逢月姫
「…ごめんね…傷つけたよね…?」
「…私…どうしてあなたを”試すようなマネ”を…。」
ポロ、ポロ、
右手をぎゅっと握ってみても、
彼の手を感じることはもうできなかった。
『失恋』の痛みは止めどない涙となって
ラベンダーの香りに溶けていった。
数年前の8月下旬。
私が好きだったドラマに
森の中のカフェが登場した。
都会の喧騒に疲れていたことも手伝って、
私はカフェの素朴な佇まいに魅了された。
ロケ地を調べてみると、
逢月姫
「北海道…富良野?」
「富良野といえば…ラベンダー?!」
私は彼に無理を言った。
逢月姫
「お願い!聖地巡礼に行きたいの。」
「旅費は私が出すから!」
当時の私はペーパードライバーで、
レンタカーの運転をほとんど彼に任せてしまった。
聖地のカフェは、
ドラマから想像する以上に
ゆっくりと時間が流れていた。
ガラス張りのラウンジから
木々のざわめきを眺めていると、
まるで森と一体になったような気がした。
逢月姫
「このまま白雪姫のように眠ってしまいたい。」
「そして彼のキスで…。」
なんて妄想を話して、彼と笑い合ったっけ。
カフェで素敵な時間を過ごしてから、
隣町の中富良野町まで足を伸ばした。
けれど、
私はラベンダーの収穫時期を調べ忘れていた。
残念ながら畑はほとんど土色。
唐突に行ったから仕方ないよね。
それから1年後の8月中旬。
私は彼の誕生日に、
彼が『また行きたい』と言っていた
夏の北海道旅行を贈った。
今回は私がレンタカーを運転すると申し出た。
そのためにペーパードライバーを卒業した。
北海道は信じられないくらい広い。
まっすぐな道と、広大な田畑がどこまでも続く。
だからとっても眠くなる。
彼の気遣いで、疲れたら交代することにした。
2人で旅の計画を練っていた時、
彼が『去年のリベンジにラベンダーを見よう』と言った。
そこで、旭川でラーメンと旭山動物園に癒されてから、
中富良野町にも立ち寄ることにした。
私は彼に最高のプレゼントをすると
意気込んでいたのだけれど、
逢月姫
「痛っ…よりによってこんな時にケガ…。」
私は出発の数週間前に足をくじいてしまい、
松葉杖をつきながらの旅行になった。
結局、今回も彼に
レンタカーの運転を任せてしまった。
逢月姫
「ごめんね…助けてもらってばかり…で?!」
私が彼へのお詫びを言い終える前に、
彼の人差し指が私の唇をふさいだ。
『ありがとう逢月姫、最高のプレゼントをくれて。』
逢月姫
「〜〜///(照)」
旭山動物園は
ふもとの入口から奥へ登っていく地形。
松葉杖で歩き回るのは大変だろうと、
彼は入園する時に車椅子を借りてくれた。
背中越しに聞こえる彼の優しい声が、
心地よい安心感をくれた。
逢月姫
(バカ…気づいてるんだからね…?)
(私に気を遣わせないように汗を拭う仕草…。)
今年のラベンダーのじゅうたんには、
ところどころに土色が混じっていた。
8月に入ると少しずつ収穫されていくので、
満開とはいかなかった。
平地のマリーゴールド畑を通って、
斜面のラベンダー畑の中を一歩一歩進んだ。
逢月姫
「ハァ…ハァ…もう少しで頂上…!」
『逢月姫、大丈夫?』
逢月姫
「大丈夫…!」
「上からの景色…一緒に見たいの!」
私は彼と松葉杖に支えられながら
畑の斜面を登った。
ラベンダー畑の頂上へたどり着き、
ふもとを振り返ると、
逢月姫
「うわぁ………………!」
足元に紫のじゅうたん。
その中に佇む1本の大木。
その奥に広大な田畑。
すべてを包み込む青空。
私も彼も、感動のあまり言葉を失った。
ぎゅっ
逢月姫
(もう少し…このままでいさせて…?)
私は心だけでささやきながら、
彼の腕にしがみついた。
彼の優しさとラベンダーの香りに包まれ、
幸せな時間だった。
この時の私は、
そんな幸せがずっと続くと思っていた…。
さらに1年後。
彼は勤務先で部署異動があり、
出張が多くなった。
お付き合いも長くなり、
多忙な時期も重なって、
2人でゆっくりと旅行することは減った。
それでも彼は、
出張から帰って来くると、
以前と変わらず2人の時間を作ってくれた。
特別なイベントは減ったけれど、
私は彼と一緒にいられて幸せだった。
…いつからだろう?
「ありがとう」が
「当たり前」になってしまったのは。
彼の優しさと、
包み込むような安心感を、
「恋人としてはいい人止まりで物足りない」
なんて勘違いしてしまったのは…。
ある雨の日の夕方。
逢月姫
「私…もうあなたと付き合いたくない…。」
私は彼が出張へ行く直前の駅で、
血迷った言葉を口にした。
彼はもともと
恋愛のドキドキやロマンスを
感じさせるような人ではなかった。
奥手で、女性慣れしていなくて、
でもそっと寄り添ってくれて、
安心感をくれる、そんな人。
私はいつしか、
彼がくれる”穏やかな幸せ”を
「ドキドキしない、ロマンスが足りない」
と捉えるようになっていた。
さっきの言葉は本心じゃない。
別れたかったわけじゃないの…。
そう、魔が差しただけ。
恋愛のちょっとしたスパイスが
欲しかっただけなの…。
私の愚かな「試し行為」の後、
彼からもらったペンダントにヒビが入っていた。
降り続く雨は涙をかき消し、
紅潮した私の頬を濡らした。
彼との別れから1年。
後悔の涙を枯らし終えた私は、
思い出のラベンダー畑への1人旅を決意した。
赤、白、ピンク、オレンジ、
鮮やかなマリーゴールドのじゅうたんを抜け、
紫の急斜面へ歩みを進めた。
ラベンダー畑の頂上へたどり着き、
ふもとを振り返ると、
逢月姫
「……わぁ………………!」
どこにも土色のない、
満開のラベンダーのじゅうたん。
緑が鮮やかな1本の大木。
地平線の彼方まで続く田畑。
雲1つない、原色の夏空。
逢月姫
「(グスン)…彼と一緒に見たかった…な…。」
枯らし終えたはずの涙は、
私の唇に悲しみと笑みを連れて来た。
逢月姫
「…ありがと…。」
「こんな素晴らしい景色を教えてくれて…。」
私の隣には誰もいない。
愚かに手放した幸せはもう戻らない。
それでも私は、彼と出逢わなければ
人生でここへ来る選択をしなかった。
失恋の痛みも過ちも、後悔の涙も、
穏やかな幸せも知ることはなかった。
逢月姫
「…いけない…日焼け止めを塗り忘れた。」
私が着けていたペンダントを外すと、
首元に細い跡が白く浮かび上がった。
これは彼との別れの日に
割れてしまったペンダント。
…いいの。
これを着けるのは今日で最後にする。
今度こそ私は、
松葉杖と彼の支えがなくても、
1人で歩いていけるから。
ーーーーーENDーーーーー
⇒他作品
『どんな家路で見る月も』(1話完結)
『割れた翠玉の光』(1話完結)
『無表情の仮面』全11話
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