2024年07月07日
【短編小説】『割れた翠玉の光』(1話完結)
⇒過去作品『どんな家路で見る月も』の前日譚
<登場人物>
・夜野 逢月姫(よの あづき)
主人公
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【第1話:ヒビ割れたペンダント】
逢月姫
『私…もうあなたと付き合いたくない。』
駅の駐車場の片隅で、
私は長年付き合っている彼にそう告げた。
彼のことがキライになったわけでも、
ケンカしたわけでもない。
私の気の迷いが、判断を誤らせただけ…。
午後から降り出した雨は、
夕方になっても止む気配がなかった。
薄暗くなった駐車場の屋根に
雨音が響いていた。
私はこの日だけ、
彼からもらった大切なペンダントを
着けていなかった。
いつかの私の誕生日に彼が贈ってくれた、
小さなエメラルドがあしらわれたペンダントを。
彼は今夜から
1週間の出張へ行く予定だった。
私は彼に
「出発前に10分だけ会いたい」と無理を言った。
彼はいつものように
イヤな顔1つせずに承諾してくれた。
私は、
彼がそこまでして作ってくれた時間で、
「彼を試すようなマネ」をしてしまった。
一時の刺激や依存心に負けて、
一生の後悔を背負うことになるのに…。
ーー
彼は私にはもったいないくらい
”いい人”だった。
高身長で、
客観的に見てもかなりかっこいい。
性格は真面目で誠実。
浮気の心配なんてゼロに等しい。
彼は恋愛経験が少ないからか、
奥手なところがあるけど、
一緒にいると安心できた。
彼が私の誕生日に
エメラルドのペンダントを選んだ理由は、
エメラルドの”宝石言葉”だった。
「希望」「幸福」「パートナー愛」
そして2人の幸せが続くよう、
『逢月姫のことを理解する努力を惜しまない』
という彼のメッセージが込められていた。
私は素晴らしいパートナーにめぐり逢えて、
幸せなはずだった。
なのに、
ある時から、私の中の
「レンアイ洗脳悪魔」がささやき始めた。
『刺激がない』
『ドキドキしない』
『キュンとしない』
『ときめきが足りない』
悪魔の声が大きくなるにつれて、
私は彼のことをこう見るようになっていった。
「いい人止まりでつまらない男?」
彼は私がつらい時、
そばにいて支えてくれた。
私の味方でいてくれて、
私の気持ちに寄り添ってくれた。
私は、そんな彼の優しさに甘え過ぎた。
いつしかそれが当たり前だと思い込んだ。
肥大化した私の依存心は、
私を短絡的な考えに走らせた。
ドキドキやときめきをくれない彼は
「私のことを好きじゃないのかな?」
と。
ーー
立ち尽くす私と彼との間に沈黙が流れた。
彼は言葉に詰まっていた。
あまりに唐突な別れ話に、
考えが整理できていないんだろう。
駐車場の屋根をたたく雨音だけが、
時の流れを告げていた。
彼の出発まで、あと5分。
逢月姫
(ねぇ逢月姫、あなた何をしてるの?)
(取り消すなら今だよ…?)
別れたかったわけじゃないの。
あなたは素晴らしい人、何も悪くない。
ただ私が
悪魔のささやきに負けただけなの…。
あと5分の間に伝えられたら、
私たちの幸せは続いていくはず。
のど元まで上がってきた言葉たちは、
どうして私の口から、
一言も出てこないの…?
駅の駐車場の片隅で、
私は1人、呆然と立ち尽くしていた。
少し弱まった雨の間から、
彼が乗ったであろう列車が
線路を走り出す音が響いた。
『わかった…逢月姫、今までありがとう…。』
彼の短い返事の中に、
彼の優しさと気遣いが詰まっていた。
彼は決して、私の言葉を
ストレートに受け取ったわけじゃない。
私の葛藤をすべて察した上で、
私を傷つけない返事を選んでくれた。
私たちは、幼い頃から
少女漫画やドラマや映画で
「恋愛洗脳」を受けている。
ドキドキやときめきこそが
すばらしい恋愛である、と。
平凡で安心できるけれど、
ドキドキやときめきがないのは
つまらない恋愛である、と。
私たちは、
恋愛の「ロマンス依存症」に
陥っていることにすら気づかずに、
いい人や誠実な人を無意識に切り捨ててしまう。
「物足りない」「つまらない」と言って…。
気づいたら、
あたりはすっかり暗くなっていた。
放心状態から抜け出した私は、
今日だけ着けなかったエメラルドのペンダントを
バッグから取り出した。
翠玉の反射光が2つに割れていた。
よく見ると”小さなヒビ”が入っていた。
それは、
ロマンス依存症に負けて
彼との幸せを壊した私は、
もう彼の元には戻れないと告げていた。
ーーーーーENDーーーーー
⇒他作品『どんな家路で見る月も』へ続く
⇒参考書籍
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