2024年07月24日
【短編小説】『絵空想(エソラオモイ)』(1話完結)
<登場人物>
◎久我 琉心愛(くが りしあ)
主人公♀
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【私自身でいられる空へ】
琉心愛
「ふぅ…バトルシーンのアニメーション完成!」
「少し休憩!」
私はそんな独り言をこぼし、
張り付いていたPCから離れた。
ガチガチに凝った肩を回しながら、
コーヒーの準備を進めた。
私の名前は久我 琉心愛(くが りしあ)。
趣味は創作活動。
小説を書いて、
登場キャラクターの3Dモデルを作って、
アニメーション制作ツールを使って
PV動画を作っている。
今は新作のファンタジー小説の
PV動画制作の大詰め。
見せ場は何と言っても
剣と魔法のバトルシーン。
アニメーション作りは大変だけど、
完成した時の達成感は格別。
小説も動画もSNSで公開しているけど、
フォロワーさんはごくわずか。
私の作品は流行に乗るでも、
人気キャラクターの二次創作でもない。
市場のニーズを無視して、
私の内面世界を映しているだけ。
『そんな自己満足じゃ伸びないよ?』
よく言われる。
「伸ばす」「売れる」ためには、
求められるものを作る必要がある。
それでも私は頑なに
「作りたいものを作ること」にこだわる。
私が創作活動をする理由は、
「私自身であるため」
だから。
私の心は自由だ。
誰にも縛られたくない。
私の素直な気持ちは、
たとえ親だろうと制限する権利はない。
ーー
私の両親はたぶん
中〜重度の「発達障害」だ。
彼らの脳には、空気を読んだり
他人の気持ちを推測したりする機能がない。
だからコミュニケーションは一方通行。
父親は説教、
母親はすべきことを指示するばかりで、
子どもの話を聞くことはなかった。
父親はこだわりが強く、
私が「彼の理想」から外れると激昂した。
私が父親に怒られている時、
母親は助けてくれなかった。
私は5歳の時に悟った。
「誰も助けてくれない」
「誰も私の気持ちに興味ないんだ」と。
私の嬉しいや悲しいを
心のままに表現しても、
笑っても、泣いても、怒っても、
誰も受け止めてくれないんだ、と。
たぶん、両親に悪気はなかった。
けれど、結果的に私は
「心に寄り添ってもらう体験」を
知らずに成長した。
私は親を諦め、心を閉ざした。
家では無表情の仮面を着けた。
ーー
そんな私の唯一の逃げ場は
マンガの世界だった。
母の実家には、
母や叔母が学生時代に読んでいた
古い少女マンガやSFマンガがたくさんあった。
私は母の実家に帰省すると、
1日中マンガを読みふけって過ごした。
『子どもは外で元気に遊びなさい』
と言われたら、外に出て遊ぶフリをした。
私は少女マンガの王道ラブストーリーや、
ヒーローの勧善懲悪モノには惹かれなかった。
私が惹かれたのは滅びや別れ、
救いのない結末だった。
この頃から、私には
人生への諦観や破滅への願望があった。
当時の私は
ただ空想の世界へ逃げ込むだけで、
作り手になりたいとは思っていなかった。
けれど、私はマンガへの逃避を繰り返す中で
「空想力の下地」ができていった。
それが幼い頃からの感情の抑圧と結びついて、
「創りたい欲望」が爆発したんだと思う。
ーー
私が創作活動を始めたのは、
大学を卒業した後からだった。
最初はマンガではなく音楽だった。
私は就職して数ヶ月でうつ病になり退職。
その後、半年くらい療養した。
ようやく外出できるようになった頃、
近くに音楽スクールが開校すると知った。
私はさっそく入学し、
そこで歌や作詞作曲の喜びを知った。
紡がれた言葉や音色は、
ずっとフタをしてきた「私の本音」だった。
私は人生で初めて
「自分自身であることの放棄」を
止めることができた。
ーー
それから私は音楽活動に夢中になった。
次々に自作曲を作り、
キーボード1つで路上ライブを繰り返した。
いくつものライブステージに
立つことができた。
一見、順調な音楽活動の中で、
私は自分の特性に気づいてしまった。
「大きな音や、大勢からの視線が苦手」
それは発達障害に
強く見られる特徴の1つだった。
発達障害の両親から生まれた私にも、
同じ特性が受け継がれていた…。
私は人前に立つのが苦しくなり、
演奏活動を辞めてしまった。
それでも自己表現したくて、
1番楽しかった作詞だけは続けた。
やがてブログを開設し、
歌詞や自分の気持ちを書きなぐった。
ーー
私はうつ病と付き合いながら、
何とか一人暮らしをしていた。
そんな私は、両親の目には
「甘え」「社会を舐めている」ように映った。
彼らは、自身の強いこだわりから
逸脱した娘が許せなかった。
両親と私との関係は、
どんどん険悪になっていった。
ある時、私は両親に
リストカットとオーバードーズが
バレたことで大喧嘩になった。
私にも落ち度はたくさんあったけれど、
私は幼少期と同じく絶望した。
1番苦しい時でさえ
「誰も助けてくれないんだ」と。
私は家族と絶縁した。
ーー
孤独になった私は、
毎日を泣いて過ごした。
それは私の人生で初めての
「感情を爆発させる経験」だった。
幼少期から積もりに積もった
怒りや憎しみ、悲しみが、
涙を流すたびに洗い流されていった。
心の浄化に何年か費やしたある日、
私はふと思った。
琉心愛
「私の経験を物語にしたら面白いかも。」
作詞もいいけど、
私の思いを乗せるにはもっと文字数がほしい。
琉心愛
「そうだ、物語を作ろう。」
「自分でキャラクターを作ろう。」
その日から、私は小説を書き始めた。
過去の浄化が終わり、本当の意味で
「私の人生が始まった瞬間」だった。
私は孤独に抗うように
ストーリー作りに夢中になった。
幼い頃は
マンガの世界へ逃げ込むだけだった私が、
いつの間にか世界を作る側になっていた。
作品が増えるにつれて、
私の「創りたい欲望」は肥大化していった。
文字だけの作品も十分楽しい、
けれど、
琉心愛
「アニメーションにできたらもっと楽しいかも。」
IT革命後の時代は、
すでに私の欲望を叶えるツールを
揃えてくれていた。
「動画編集ソフト」
「アニメーション制作ツール」
「オリジナル3Dモデル作成ツール」
どれも無料で使える夢のような時代。
私は両親が望む”イイコ”じゃない。
ガンコで欲張りだ。
シナリオも、アニメーションも、
キャラデザインも、ぜんぶ自分でやるんだ!
私は小説を書き、
登場キャラクターの3Dモデルを作り、
作品のPV動画を出すことにした。
自分の分身たちが躍動する自作動画を見て、
私は泣いた。
ーー
せっかく作品を作るなら、
できるだけ多くの人に見てもらいたい。
願わくば、多くの高評価がほしい。
私たちはただの人間だ。
そんな承認欲求はあって当然。
次の作品を作るエネルギーになるなら、
承認欲求は全開でいきましょう。
けれど、
創作活動を続ける限り
承認欲求との闘いは続く。
自分では大作だと思って公開しても、
閲覧数が少なければ悩む。
「作りたいもの VS 売れるもの」の
折り合いを付けられずに苦しむ。
「私の作品は誰にも受け入れられない」と
自己嫌悪に陥る。
それでも私は創作活動を続ける。
私の心を救ってくれたから。
心のままに、
自由に表現してもいい場所を
教えてくれたから。
私はこの手や目が動く限り
作品を作り続ける。
世界で唯一、
私の作品を待ってくれている
私自身のために。
ーーーーーENDーーーーー
⇒他作品
『訣別の雪辱戦(グラジマッチ)』全6話
『ぬくもりを諦める病』全8話
『割れた翠玉の光』(1話完結)
⇒参考書籍
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