2020年12月15日
文芸部 シナリオに挑戦してみようか、な。(長くなるつもりはなかったが、)1
クリスマス・プディングの冒険【電子書籍】[ アガサ クリスティー ] 価格:734円 |
土曜日はポワロの日で、さんざんドラマにケチつけていて、自分で思った。
じゃぁ、自分なら書けるのか?
シナリオなんか書いたことがないので自信はない。自身はないけれど、原作を曲げてまで書くことはしない。
なぁんて、野望を膨らませて、小説を読み直してみようと思う。
シナリオにするなら、まず明らかに面白くなかったドラマにしよう。
そこで、先々週気分悪く(見終わった後)感想を書いた「負け犬」にしようと思う。
そもそも、どんな原作か全く覚えていなかったので、読み返しにもなってよかった。
で、読んでいて、頭の中大混乱
ドラマが全く違うのですよ。どうしたらこんなに変更できたのか? 驚いてしまう。
そして、つくづく思うのは、翻訳家によって口調が変わったり、登場人物の味が変わること。
まぁ、原文が読めないから悪いのですけどね
それにしたって、こんなに変わっていいの? て思うほどの代わり用です。
そもそも、ヘイスティングスは出てこないし、ミス・レモンも出てこない。
それなのに話は進み、他人の家へお邪魔しておきながら、自分の執事を従えているポワロ。
そういうのありなんだぁ。とちょっと文化の違いに驚き
そして100ページぐらいの短編を読んで速攻で感じたのは、
「45分ドラマにできる?」
でした。
45分ドラマがどれほどの文字数が必要なのか解らないけれど、
多いと、役者は大変だろうし、少ないと、背景やら、小道具ばかりが写るだろう。
そんなドラマ、面白いわけがない。
ほどほどの量の会話と絵があってこそだ。バランスが大事ですよね。
ですが、最初にも言ったように、私はシナリオを書いたことがない。
なので、書き方も解らない。
シナリオには明確なるルールが存在していて、それにのっとって書くものらしく、
それは、何となく解ったが、では、いざ、この「負け犬」をドラマ化しようとして、
まずどうする?
ドラマでは、被害者であるルーベン・アストウェルは非常にイヤな奴である。
というのを前面に出すために、とにかくひどい奴感を演出していた。
横柄な態度、乱暴な言葉、「殺されても仕方のない人」という仕上がりだ。
過剰にも思えるけれど、それは原作通りに書いてしまうと、
「うーん、まぁ、そうね。嫌な奴だからね、仕方ない、かな?」
という感想を与えてしまいかねないのだ。(と思う)
小説とドラマでは、「嫌な人物」つまり、絶対懲悪の「悪役」の描き方が違うのだ。
小説では、文字として何度も「極悪非道な奴」とか「嫌な奴」など書き、それを目にすることで、
読者は、常日頃思っている「嫌な奴」とだぶらせる。
そんな奴が代わりに被害者となるので、小気味良かったりする。
だが、ドラマや、映像は、悪役に「悪役なんです。悪い奴なんです」という看板をぶら下げてはいない。
したがって、表に出ている顔だけで「いい人」か「悪い人」かを判断するのは、
大袈裟に話したり、嫌な奴を「演じてもらうしかないのだ」
それがすなわち、過剰な演出。なのだろう。
それを踏まえると、原作で、<ルーベンがどれほど犯人にひどいことをしてきたか>。と言っても、映像ではそれはあまりにも弱く感じてしまう部分だったのだろう。
まわりからひどい奴だと言われていたとそう印象付けるために、ルーベン以外はかろうじていい人である風に描かれている。たとえ、何かを隠していたとしても、隠し事の一つや二つ。程度の事なのだ。
それは、映像でしか表現できないものなのだ。
逆に、隠し事をしているであろう人を描写すれば、優に数行いろんな装飾を織り交ぜて書かなくてはいけない。しかもそれがいろいろな伏線や、今は隠しておきたいから、当たり障りのない行動に見せる。などというときには、更に行が増えるか、極端に書かないか。
だけど、それは映像では不親切になる。
ドギマギして目線をそらすのを見て、何か隠しているのだろうと勘づいたが、今はそれを追求しても、彼女は何も話さないだろうから、そっとしておいた方がよさそうだ。
なんて書いてあるのと、
彼女。きょろきょろした後で、視線を外す。
私。そんな彼女を見て何か言いたげな表情をする。
映像的には、絶対に後者だろう。
シナリオの書き方のサイトを見て、ほぉ。と思ったのが、
「作家の頭の中を映像化する。それには、詳細かつ簡素に書かなければならない」
文字を書く人間すべてがそうだとは言わないが、私は特に画才がない。
自分に画才があれば、こういう状況なのだと絵にしたくなる時がある。
それを言葉に置き換え、読んでいる人に、自分の頭の中と同じ柄を浮かべてほしくて、必死で書いている。
だが、映像にはそこまで必要でないこともあるのだ。
木の葉が舞い降りる。葉が落ちてくるより、敷き詰められている葉のほうが多いところ。もうすっかり冬がやってこようとしているようだ。
と書くより、
落ち葉が多い道。初冬。
と書く方が、シナリオ的なのだ。
で、ここまで書いてなんだけれども、長くなったので、次回へ続く。
言視舎版「懐かしドラマ」が教えてくれるシナリオの書き方 シナリオ教室シリーズ / 浅田直亮 【全集・双書】 価格:1,650円 |
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/10410237
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック