アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

災害 外国人の反応 

このたびの震災に対して、海外の友人達から

沢山のエールメッセージを頂いた。

ありがたいことだ。

「大丈夫?しばらくアメリカに避難したら?うちにとまっていいよ!」

「何か送ってほしいものあったら遠慮なく言って!」

「ずっとyouのことが心配で、ニュースをみるたびに心が痛むよ」

などなど。。。

これらのメッセージの大半はフェイスブックを通して

頂くのだが、かなしいかな、フェイスブックは彼等が他の人のページに

コメントしたものも見えちゃうのだ。

僕にエールメールを送ってくれた直後に他の人に

「ほんと、最高だったよね!録画すればよかった。」

など昨日見たコメディショーの感想を述べてたり。。。

まあそんなものだよなぁ。

いやいや、心配してくれているのは嘘ではないことは確かだ。

ただ、関心事が他にもあるってだけだ。。。

ひねくれちゃいけないな。

だいたい僕のうけた被害なんて東北の人に比べたら

微々たるものだ。ないも同然だ。

ありがとうみんな。


それはそれとして、海外の友達の話を聞いていると、

あくまでも僕の受けた印象ではあるが、

海外で取り上げられるニュースというのは、

「大惨事の様子」

「緊迫した原子力発電所の状況」

「放射線がどんだけ悪い影響を及ぼすか」

ということのみにフォーカスをあてているようだ。

まあ、あと、「原発に立ち向かうヒーロー」とか。

それは当然そうなるだろうし間違ってはいないのだけれども、

僕としては、それだけでは災害がもたらした被害や影響の

全体像は正確に伝わらないと思う。

とくに、コメディショーの合間に見ている人なんかは、

日本全土ひっくるめて、大惨事な感じだと思っているのではないだろうか。

9.11のテロの時みたいだ。

当時ボストンにいた僕を心配してくれて、沢山の知人から連絡を

もらった記憶がある。テロの時は直接被害をうけていない人々も

精神的には大ダメージを受けたし、ニューヨーク近辺の人々の日常生活

にもちろん支障がでた。テロの一味はボストンからハイジャックして

激突したわけなんだけど、どういうわけだか、ボストン・テロ・ニューヨーク

というキーワードだけをひろい、ボストンも大惨事なことになってると

思ってる人が日本の知人のなかに沢山いた。

そりゃ、大変ではあったし、その後の仕事も激減したりしたが、だからといって

家に閉じこもっていたわけではなく、事件が起こる前と同じように、

普通に毎日会社に出勤していたし、買い物をしに街にでれば警備官が

いたるところに立ってはいたが、買い物ができないわけではなかった。

心配してくれるのはありがたいことではあるが、

状況が正確には伝わっていないなと思った。


それと同様に今回の災害に対し、ある面だけを見て、

「日本はもうだめだ」なんておもい、見切りをつけるひとが

増え、それにより円や株価にもろに影響し、なんだかんだで、

復興の妨げになるのではなかろうか。

東京にしたって災害の影響があることは間違いないが、

通常の状態に戻りつつあることもしっかり伝えてほしいものだ。

もちろん、いまもなお、復興のめどが立たずに大変な避難生活を

強いられている方々の状況を伝えることが大前提で、

そうした状況が快方にむかっていない間に、忘れ去られるということが

一番最悪のことなのではあるが。


おしまい。


戻る<日本人VS外国人>進む


<日本人VS外国人>の目次へ

総目次へ       最新記事へ


クリックにご協力を↓

人気ブログランキングへ

パークレンジャー VS 僕

アメリカで働いてた時によく訪れた職場近くの公園での話。


ベンアフレック監督・主演で「The town」という映画が日本でも

近々公開される。銀行強盗の話だ。予告編をみて面白そうだなと思っていたら、

なんと舞台が僕が働いていたチャールズタウンではないか。(ボストンの隣町)

ナレーション:

「年に300件以上の銀行強盗が起こるボストン郊外のチャールズタウン。

全米一、銀行強盗発生率の高い街である。。。」


ほざけ。


これは僕の知っているチャールズタウンではないぞ。

チャールズタウンは金持ちしか住んでいない田園調布的なイメージなのにぃ。

街も綺麗だし、そもそもボストン郊外というが、

ボストン市内まで歩いて5分だぞ。むしろボストンと言っちゃっていいくらいだ。

どういうこっちゃ。


とまあ、そんなチャールズタウンにある会社に4年間勤めていたのだが、

会社の目の前にバンカーヒルモニュメントという記念塔があった。

なんでもバンカーヒルの戦い(Battle of Bunker Hill)でイギリス軍と

勇敢に戦った植民地軍を讃えたものらしいが、その塔はちいさな丘に

聳え立っていて、塔のふもとは小さい公園となっているのだ。

朝ちょっと早く会社に着いてしまった時なんかはその公園にいって、うろうろしたり、

ストレッチしてみたり、本を読んだり、はたまた、天気がいい日はお昼を

そこでたべたり、たまにやってくる途方にくれた日本人観光客に道案内を

したりと、とにかく僕は、その公園のヘビーユーザーだった。


そんでもって、ある日のこと、いつものようにお昼に公園に座って

ぼーっとしていたら、目の前にパークレンジャーが通りすぎた。

パークレンジャーとは国立公園やら州立公園に常勤していて、

公園を守る警備員みたいひとだ。

日本の警備員と違うのは銃を携帯しているという点だ。

さすがアメリカ。レンジャーの名にふさわしい。

(銃を持っていないパークレンジャーも公園によってはいるらしい)


パークレンジャーはチラっと僕を一瞥して通りすぎたのだが、

そのときドサッと鍵の束を落としていった。

ジャランっと結構な音をたててたから、気づくかなと思ったが、

彼は気づかずズンズン進んでいく。

鍵の束って結構重要なんじゃないか。

無くしたら大問題になるんじゃないのか。

あぁ、おっちょこちょいだなぁ。まったくしょうがないなぁ。

と重い腰をあげ、彼に声をかける。

「エクスキューズミー!」

完全に良心からのエクスキューズミーだ。

イチローに負けじと、日本人の株をあげてやるんだという意気込みだ。

が、しかし、それに対して彼が取った行動は、

そんな僕の良心をズタズタに切り裂いた。

僕の呼び声にビクっとした彼は、すかさず中腰になり、

銃に手をかけてるではないか。。。

てめぇ。。

人がせっかく教えてあげようとしてたのによぉ。

さては、最初に僕を一瞥したときから不審者あつかいしていたな。

(コノ、アジアジンモンキー、キケン、キケン ヨウチェック)

的な一瞥だったんだな。チキショウ。


「か、鍵おとしたけど。。。」

へたれな僕は疑惑を晴らすべくすかさず応対。

そしたらレンジャーったら

「アア、サンキュー」

だってさ、僕に気づかれないようにそっと手を銃から腰に移しながら。。。

「気づいてますよ。。。大いに憤慨してますよ。。。」

しかし、ひどいなぁ。昼時にうろうろしてるアジア人を

はなから不審者扱いするなんてさ。

彼の目にはそんなに怪しく映ってるのかしら。

 

もしかしたら、あれだ。彼だけじゃなく、この辺の住人はみんな一瞬そういう目で

みてるのかもしれんぞ。そりゃ薄汚い格好してるし、寝癖もそのままだったり

するけどさぁ。

素敵なチャールズタウンに影を落としているのは、

実は、素敵な町並みをなぜか毎日うろついて浮かれ気分で堪能している

僕みたいな中途半端な外国人なのかもしれん。


おしまい。


戻る<日本人VS外国人>進む

<日本人VS外国人>の目次へ

総目次へ       最新記事へ






クリックにご協力を↓

人気ブログランキングへ








英語の発音:HermesのH 

英語でエルメスの発音についての話。

先日、アメリカの大学の同級生のロン君が

彼のパートナー(彼はゲイなので)と彼の妹を

引き連れ日本に遊びに来た。

よかったら会わないかということだったので食事をすることに。

同級生というだけでそれほど仲よくもなかったし、

ロン君のパートナーも彼の妹も僕は初対面だったので、

「馬刺し初めてなの?おいしいからたべてごらんよ。」

「今日はどこ行ったの?」

「明日はどこいくの?」

「え?今日誕生日なの?おめでとう。」

とかそんな質問くらいしかでてこない。

しかし彼等は1の質問にたいし、10の答えをだしてくれる。

1の質問から15分くらいにわたり話を膨らましてくれるのだ。

さすがゲイだ。陽気だ。おしゃべりだ。

僕はとにかく軟骨揚げを食べながら黙って聞いておけばいい。

で、話がようやくおわりかけたら、またひとつ質問で、さらに15分もつ。

とまあそんなかんじで話をしていた中、ロン君が、

「明日、銀座に行こうと思うんだけど、有名な建物ある?」

ときいてきた。(僕等は建築学科なので。)

僕:「そうだな。エルメスの建物とかあるよ。レンゾピアノ(建築家)がデザインしたやつ。」

ロン君:「What? レンゾピアノのなんて建物だって?」

僕:「エルメス」

ロン君:「What?」

は、もしや、エルメスの発音通じてないのか。

僕:「エルメス

ロン君:「What?」

僕:「エルメス

ロン君:「What?」

ひたすらイントネーションを変えてみたり

舌をまいてみたりしたが、やっぱり通じない。

もう「never mind」なんつってあきらめるか。

あや、もしや、あれか、あれでつうじちゃうかも。

勇気を振り絞って、例のセリフを言ってみる。電車男のあれだ。

僕:「、ヘルメス」

ど、どうだ。だめか。赤っ恥かくはめになるのか。

ロン君:「うーん。うーん。あ、あー。ヘーミーズね。」

通じた。すんなり通じたわけじゃないが、とにかく通じた。

しかしヘーミーズとは予想外だ。詳しく言えば、

英語でHermesはHUR-meezと発音するようです。

Hの発音でした。ハ行でした。

フランス語では"air"-MEHZと、日本語の発音に若干近いが、

英語圏においては、「エルメス」よりも「ヘルメス」のほうが近いっぽい。


そんな事実を知った今の気分はコンチキショウだ!

日本のオシャレボーイズ&ガールズめ!

ヘルメスと発音するイケテナイジーンズメイト青年を

さんざん小馬鹿にしやがって。

ヘルメスのほうが英語圏には通じやすいぞう。


まあしかし、オシャレアメリカ人だったら、フランス語発音でも

通じていたかもしれん。なので「エルメス」でも通じてたかもしれん。


とにもかくにも、またひとつ英語のお勉強になりました。

ロン君ありがとう。

「そんな仲いい友達でもないからなぁ。」

「洒落た店つれていってもなぁ。」

「ワタミだな。」

なんて

安易に即決してごめんよ。


おしまい。

戻る <英語術> 進む

<英語術>  の目次へ
 
総目次へ  最新記事へ


クリックにご協力を↓

人気ブログランキングへ










電話応対 in アメリカ

アメリカの会社で働いてた時の電話応対の話。


会社の下っ端の役目のひとつに電話応対がある。日本でもそうだが、

アメリカでも大抵そうだ。(でっかい企業で受付などがいる場合は別だけど)

アメリカで僕が働いてた会社もそうだった。いや、そうしろと言われたわけ

ではないのだけど、暗黙の了解というか。。。

ヘタレな僕は何を隠そう、電話応対が大の苦手なのだ。日本語でも苦手なのに、

英語だなんて。しかも会社だしさ、僕あてにかかってくる電話なんて

働き始めの当初なんてほぼゼロに近いのに、どうせ、ほかの人に代わるのに、

なんで。なんで。いやだよぉう!こわいよぉ!


てなことで、働き始めた当初、僕は電話が鳴るたびに忙しい振りをしてみたり、

急にお腹が痛くなりトイレに駆け込んでみたりしたのだが、

そんなことは長くは続かず、だんだんみんなに不審に思われ、同僚から

「みんなも忙しいんだからyouも電話にでなきゃだめよぉ。」なんて

ご指摘を受けた。バレたか。

でも外国人なんだから大目にみてくれたっていいのにさ。けち。

しかし、まあいずれこの日が来るのはわかっていたわけで、

僕だって、ただ逃げまどっていたわけではない。みんなの応対を

耳をダンボにして盗耳し、電話応対お決まりフレーズは入手済みだ。

僕が働いていた建築事務所だけに通用するものかもしれないが。。。


ともかく、お決まりのフレーズの流れはこうだ。


その1。受話器をとってすぐに会社名を叫ぶ。

     たとえば僕の場合はこう。

    
     「○○architects」  (訳:○○建築事務所)

    
     と言うのです。this is とかないの。いきなりの会社名。ただの固有名詞。

     最初は違和感あったが慣れると楽だ。ポイントはちょっと疑問系っぽく

     ってことかしら「○○アーテクツ?」てな具合にね。


その2。「may i help you?」とか、「how can i help you?」 


     とかいったり、いわなかったりする。

     言おう言うまいが、相手は、くい気味に

     「ボスいるか?」 とか 「誰々いるか?」

     とかぶっきらぼうに聞いてくる。そしたらこうだ。


その3。 「may i ask you who's calling ?」 (訳:あなたのお名前なんですかぁ)

     
     まあこう聞いたからといって、最初はホボ聞き取れない。

     とくに初めての人。そんな場合、勇敢たるものなら、

     もう一度聞き直したり、さらには、スペルまで聞いたりして、確実に電話を

     取り次ぐ。ただ、そんなことしたら、たいていの場合、相手は苛立つもんだ。

     「なんだこの外人は。めんどくせぇ。」的な態度が、受話器越しから

     ひしひしと伝わってくる。

     かといって、「誰だかわからないけど、電話だよ」

     なんていったら、こんどは会社の人にイライラされる。

     じゃあどうするか。

その4。 「he's not here」 (訳:いま彼はいません。)


     もういないって言っちゃう。勝手に居留守。そんでもって

     この電話もなかったことに。。。

     「今の電話だれだった?」

     と会社の人にきかれても、

     「なんか勧誘の電話」

     とか言って完全にしらばっくれちゃうのだ。

そんなことを繰り返していくうちに、誰から誰宛に頻繁に電話がかかってくるのか。とかが

段々とわかってくるようになって、そうなってくるにつれ、電話応対もスムーズになっていった

ものだ。調子にのってきて、「今いないけど、なにか伝言伝える?」とかまで言えちゃったり

するようになるもんだ。でもその伝言が聞き取れなかった場合はやっぱり、伝言は

なかったことにしちゃうのでした。


おしまい。

戻る<日本人VS外国人>進む

<日本人VS外国人>の目次へ

総目次へ       最新記事へ


クリックにご協力を↓

人気ブログランキングへ



成人in アメリカ  

ぼくは成人式の日をアメリカで迎えた。アメリカの大学の冬休みは短く、

すでに授業が始まっていたからだ。帰国してから成人式の日にキャピキャピ姿の

新成人をみると、浮かれやがってと心の中で罵倒すると同時に羨ましくもあり、

無理にでも参加するべきだったかな。なんて思ったり思わなかったり。


アメリカには成人式たるものは存在しない。

そもそもアメリカにおいて二十歳は全然特別ではない。

二十歳になったからといって、大抵のクラブには入れないし、

お酒だって買うことすらできない。

(僕の住んでいたマサチューセッツ州は、他の州にくらべて特に厳しいのです。

IDの提示を必ず求められるのです。)

そんでもって二十一歳の誕生日にはじめてすべてが許されるのだ。

成人式のお祭り騒ぎに参加できなかった僕はここぞとばかりに、

二十一歳の誕生日を謳歌しようと意気込んだ。

まずはこれをしなきゃと、IDがわりのパスポートを手に酒屋に乗り込んだ。

沢山の酒を手にとりレジへむかい、パスポートを

意気揚々と店員に見せる。

「ほれ、今日は僕の誕生日なんだぜ?気づいた?へへん」

なんて誇らしげに。

すると店員はパスポートの顔写真を確認し

ぶっきらぼうに言い放つ。

「これ、お前じゃない。」

がびん。。。

パスポートの写真が信用されないなら、もうお手上げですよ。

たしかに、アメリカにきて、薄かった眉毛が異様に濃くなったりしてはいるが、

それでも僕の面影はちゃんとのこってるだろ。なんて必死にもがいてたら、

「冗談だよ。へへん。はいよ」

だってさ。ひどいよ。ひどいよ。バースデイボーイにこんな仕打ちをするなんて。

成人第一日目でさっそく出鼻をくじかれ意気消沈したのでした。

しかし悪いことが続くばかりではない。

僕は、英語学校で一年浪人生活をしていたため、大学1年の後半には

寮のアメリカ人より一足早く21歳になっていた。そのため寮でパーティーだぁ

酒が必要だぁ、なんて時は重宝がられるのである。僕みたいな日本人猿に

まったく興味がない面々ですら、僕が21歳であることを知るやいなや、

嵐のパーティー招待ラブコール。酒を得るには呼ばざるを得ないのだ。

まぁよくよく考えればただの使いっぱしりなのだけれども、事実それが

なかったら、あんなに沢山パーティーに参加できなかっただろう。


とまあ、成人式を迎えた新成人をみて記憶に蘇った、

とりとめのない思い出話でした。


おしまい。

戻る<日本人VS外国人>進む

<日本人VS外国人>の目次へ

総目次へ       最新記事へ


クリックにご協力を↓

人気ブログランキングへ

アメリカでの大晦日と正月

アメリカ滞在時(社会人時代)に過ごした大晦日と正月の話。

僕の働いていたアメリカの会社では正月休暇がない。

祝日は元旦のみだ。

僕の会社だけでなく大抵の会社はないとおもう。

なぜかというとアメリカにはそのまえにクリスマス休暇というものがあるからだ。

クリスマス前後の期間が休みになるのである。その期間に家族が集まったりするので、

まさにこれが日本の正月休暇みたいな感じだ。

もっといえば、11月末にもサンクスギビング休暇という大型連休が

あったりするので、これ以上休みを作ってもしょうがないということなのだろう。

しかし僕ら日本人にとってはコンチキショウな気分だ。

大掃除をして、紅白なんかみて、年が明けて、親戚があつまって、かしこまって、

あけましておめでとうございます。なんつって、お節料理をたらふく食べて等の

一連の行事に慣れ親しんできた僕にとっては、物足りなくてしょうがない。


しかしここはアメリカ。

せめてアメリカならではの年越しを満喫せねば。


僕の住んでいた街、ボストンでは大晦日から元旦にかけて、

first night bostonというフェスティバルが開催される。

ボストン市内の公園、広場、学校、教会、などで、歌あり、劇あり、映画あり

氷の彫刻ありのさまざまなイベントが行われ、年が明ける深夜0時に、

花火が打ちあがり、フィナーレを迎えるという赴きだ。


ということで、大晦日、会社から帰宅した後、夜な夜な街へ繰り出した。


まずはすべてのイベント会場に入場できるフリーパスならぬフリーバッチを購入し、

スケジュール表をもらう。見たいイベントの時間と場所をチェックし、いざ出陣。

僕は音楽系のイベントをメインに見て回ることにし、

期待を大にして、鑑賞に望んだ。

が、10個いった中で満足できたイベントは4つくらいとう散々な結果となった。

それはなぜか。

理由は明白である。

演奏者達はみな地域の子供たちや青年、音楽をこよなく愛すアマチュア中年達、

それと幾人かのセミプロ達のみだからだ。

しかし逆にそれは、地域に密着してる感じで素晴らしいことではないか。

日本ももっと見習うべきだ。これは良いことに違いない。

違いないけど。。。

いや、下手ではないんだよ。でも、けっして上手くはない。

なんつうか文化祭的のりというか。。。

なのに演奏する子供達やアマチュア中年達は妙に誇らしげ。

そんな態度がなんかよくわからないけど、イラっとくる。

その程度で、満足気に人前でやってんじゃねえぞガキどもぐぁ。

自分の演奏に酔ってんじゃねえぞジジイ。

金返せこらっ。(10ドルぽっきりだけど)

と僕の中の悪魔が喚く。

あら、楽しげな年明けイベントのはずが、ネガティブな感じになってるぞ。

いかんいかん。ポジティブに。ポジティブに。

いやいや、ほんとうに感動したものも確かにあった。

教会で行われた、ゴスペルグループのコンサートなんかは最高だった。

ウーピーゴールドバーグがでてきてもおかしくないくらいの鳥肌ものだった。

あと、初老の黒人のブルースバンドも貫禄あって素敵だった。杖で

よろよろ舞台にあがり、観客を不安にさせておいてのパワフルボイス

な演出はセミプロとは思えないくらい素敵だった。


あと他に良かったのは、えーっと、


あとは。 。 。

あれ、もう、ないわ。


満足できたのは4つじゃなくて2つだわ。満足ぜんぜんできてない。

満足できないといえば、イベント会場から次の会場へ向かう際に

街のあちらこちらに、展示されている氷の彫刻を見かけたが、

何つうか北海道のアレくらべたら、相当レベル低い。ほぼ2Dな感じ。

なのに喜び群がるアメリカ人。

こんなんでほんとに満足なのかい?

って、いかんいかん。またネガティブな感じになっちゃってる。


気を取り直して、フィナーレの花火が打ちあがる海沿いへむかう。

あたりは何千人ものだかり。これは期待できるぞ。


そしてカウントダウン。古い時計台にレイザー光線で数字が刻まれる。

5・4・3・2・1

ボカン ボカン ボカン。 

ハッピーニューイヤー!!! ヒューヒュー! ぎゃーぎゃー!

騒ぎまくる観衆。

僕もまけじと ヒューヒューヒュー。

周りのアメリカ人等と嵐のハイタッチ。

赤の他人から祝福のワイングラスを渡され、

みんなで乾杯!わーい。

さすがアメリカ。これぞアメリカの年明けだぁ。

なんてようやく満足しかけたのもつかの間、

偶々、目の前にいた日本人女性二人組のつぶやきが耳にはいり、

僕のテンションを谷底へ落とす。

「この花火派手だけど、日本のと比べるとしょぼしょぼだよね。」

それをいうなぁ。それは僕だって薄々気づいていたさ。

気づかない振りをしてようやく満喫感を掴みかけたのに。


あぁ、でもほんとだ、いわれれば、益々しょぼくみえるわ。

でも周りのみんなは喜んでる。こんなんで喜べるのか。。。

なんていう風にまたまたどんどんネガティブに。。。


アラアラ、喧嘩がはじまってるよ。大乱闘だ。

さあ、さあ、巻き込まれないうちにさっさと帰ろう。

なんつって、イソイソ家路についたのでした。


結論、

年越しは赤組勝つか、白組勝つかの

日本に限る。


おしまい。

戻る<日本人VS外国人>進む

<日本人VS外国人>の目次へ

総目次へ       最新記事へ


クリックにご協力を↓

人気ブログランキングへ

留学生 VS アメリカのクリスマス。其の二(ホーリー編)

アメリカで学生だった時に過ごしたクリスマスの話。其の二(ホーリー編)


アメリカではクリスマスの日は家族と過ごす。

なので、僕ら、日本人留学生は路頭に迷う。


と 前回 書いた。

そんでもって、サンタは街へやってこないし、

人もいないということを学習したはずなのに、

前回のは気のせいだ。なんつって、

翌年のクリスマス、またもや街へ繰り出した。


しかし案の定、どこの店も閉まってる、でもでも、おやおや、

数少ない人を観察すると、皆が同じ方向へ向かってるではないか。

きっとどこかのダンスクラブで、

クリスマスオールナイトパーティーが行われているに違いない。

DJサンタが「ホーホーホー!マンモスウレピー!」てな具合に

雄たけびあげながら、ハッスルしてるに違いない。


そんなわけで、僕も期待を胸に秘めながら皆と同じ方向に向かった。

その目的地に近づくにつれ、前回なぜ気付かなかったんだ?

街へ繰り出したのが早すぎたのか?なんて思うくらいの人だかり。


あれ、でもなんか様子が違う。

ヤング層もいることはいるが、圧倒的に年配層が多い。

そうか、今回はOLD-SCHOOLな選曲なのかもしれないなぁ。

A Tribe Called Quest(※1)あたりかな。午前0時にCan I KIck It? なんつってね。

それも、ありだな。期待はマスマス深まる。おおぉ建物内から光が満ち溢れてるぞ。


で、着いた先は、

そう、そこは、 それはもう、巨大な、巨大な。。。


教会。 。 。


ジーザスクライスト。 。 。


なんてこった。しかし、あれだ、考えてみれば、

これがクラブだったとして、

気持ちはジャミロクアイ、でも踊ると盆踊りな僕が

果たして楽しめるのか。

そもそも、これぞ正真正銘のホーリーナイトな過ごし方ではないか。

貴重な体験になるぞと、この事実を前向きに捉え、とにかく中へ。

「クリスチャンじゃないんですけど、クリスマスを誰よりも大事にしてます。」

的な僕を、門に立つ牧師は快く迎え入れてくれた。


導かれるまま、僕は席に着きまわりを見渡せば、数百人いるのではないか

というくらいの人の数。教会すげー。キリスト教すげー。

なんて関心しているうちに、儀式はスタート。


どういう順序で儀式が行われたか記憶があいまいだが、

牧師の説教から始まったような気がする。

雰囲気に圧倒されていたのと、乏しいリスニング力の結果、

内容は覚えていない。 祭壇に立つ牧師は穏やかに

時折聖書から文を引用したりしながら、

なにかいいことを話していたに違いない。


そしてそんな説教が終わるやいなや、唐突のアーメン。

数百人が一声にアーメンって言うもんだから、

それが高いヴォールト状の天井に反響し木霊する。

HOLYな空間はなお一層演出される。

それを崩すのは出遅れた僕のアーメンのみだ。

前に立つ少女が僕を一瞥。おお、どうかお許しを。


そんでもって次は歌だ。合唱だ。賛美歌だ。

今度は歌詞(たしか一人一人の席の前に用意された聖書の中だったような。)

もあるから僕は名誉挽回ってなことで、躊躇なくおおいに歌う。

こりゃ気持ちいい。合唱コンクール以来だ。

聖なる合唱がパイプオルガンとともに教会中に響き渡る。ああ素敵。


歌が終わりしばらくすると、なにやら人々が祭壇にむかって並びだした。

無宗教で不届き者な僕が「何で並んでるんのですか?」

などと聞けるわけもなく、ただただ、皆に倣い列に加わる。

数十分後、ようやく祭壇にたどり着いた。

そして、なぞが解けた。

牧師がぶどう酒とパン一切れを迷える子羊たちに与えてるではないか。

パンだ!

ぶどう酒だ!

うぉー超ホーリィー!

なんて書くと熱心な信者に怒られそうだが、

とにかくそう思ったのだからしかたがない。僕は感動しているのだ。


パン一切れをありがたく頂戴した後、席に戻り、もう儀式は終わりかな

なんておもっていると、何人もの牧師たちが、金の皿を手にし、

皆の座る席の間を歩き廻りはじめた。

そして皆はお札をその皿の上に置いてゆく。

あぁ、あれだ、お布施だ、これは。 。 。

やべぇ。いくらだ。いくらが妥当なんだ。パニくる僕。

牧師が微笑みながら迫ってくる。

急いで廻りを観察。うぉ、あのおじさん、30ドルくらい寄付してらぁ。

そんなにもってないぞ。どうしよう。観察ターゲットを若者にすぐさま

変更。よしぃ。彼は5ドルだ。多分あれは5ドルだ。5ドルならあるぞ。

そんでもってぎりぎりセーフの5ドルお布施。ボロボロだけど。

こんなときは日本みたいに新札が礼儀なのかしら。

とにもかくにも切り抜けた。ああよかった。


そんなわけで最後は、ドタバタだったけど、ホーリーナイトを

十二分に堪能した。貴重な体験ができた。でも、もうお腹いっぱいだ。

どっとつかれたわ。これがアメリカで最初で最後のホーリー体験になるだろうなぁ。

でもまあ、去年よりはクリスマスらしくすごせたのではないかしら。

なんて思いつつイソイソ家路についたのでした。


おしまい。

※1 A Tribe Called Quest:
   1988年に結成されたアメリカのヒップホップグループ。

戻る<日本人VS外国人>進む

<日本人VS外国人>の目次へ

総目次へ       最新記事へ


クリックにご協力を↓

人気ブログランキングへ


留学生 VS アメリカのクリスマス。其の一(切ない編)

アメリカで学生だった時に過ごしたクリスマスの話。(切ない編)


アメリカではクリスマスの日は家族と過ごす。

なので、僕ら、日本人留学生は路頭に迷う。


この時期には学校も、冬休みに入っているので、

アメリカ人等は実家にもどり、そして、

大抵の日本人留学生も一時帰国するが、

僕を含む金欠気味なアメリカ残留組も少なからずいるのです。


そんな僕らは、昼頃から孤独に耐えられずに、集まりだす。

しかし、夜も更けてくると、今度は、

自分達だけ街の仲間はずれになってはいやしないか。

などと怯えだす。

どうする。とりあえず、街へ繰り出すか?

なんて出てみても、人もいないし、どこの店も閉まってる。

街の中心部にある、電飾と雪化粧に飾られた

巨大なクリスマスツリーも、ただ、ただ物悲しい。

そ、そんな、ばかな。きっとどこかで、華やかなイベントやら

なにかがやってるはず。と雪がシンシンと降るなか、ひたすら歩く。

あ、光がみえた、人がいっぱいいるぞ。あそこを目指せ!


そして、着いた先は、

そう、そこは、チャイナタウン。

中華街だ。


クリスマスお構いなしの通常営業。

歩きつかれ、おなかも減ってるので餃子、シューマイ貪り食う。

BGMはクリスマスソングではなくなぜか大黒摩季。

ららら、ららら、と歌ってる。

やっぱり、中華はハズレがないね。なんつって、

最後はプーアル茶で、ああ、満足。。



あれ、


まてよ。


このままじゃ、クリスマス度ゼロだ。。。



やべえ。



だもんで、いそいで、

さっきの巨大クリスマスツリーまで舞い戻り、パチリ、パチリの記念撮影。

ああ、あぶなかった。

これで、日本の家族や友人達に

「本場のクリスマスを満喫しました。」

の体面がもてた。


ぷひゅー、ほっとした。よかった、よかった。


そして僕らは家路につく。

途中、近所の家々の窓から漏れる

ツリーの電飾の光、ディナーの匂い、そして笑い声を

ららら、ららら、とモミ消しながら。。。


おしまい。

戻る<日本人VS外国人>進む

<日本人VS外国人>の目次へ

総目次へ       最新記事へ


クリックにご協力を↓

人気ブログランキングへ

洋画の邦題

海外映画につけられる邦題の話。


邦題によって、原題をそのまま直訳するものと、

そうでないものがあって、

僕は後者のそうでないものに戸惑わされ、

時には感心させられ、

また時にはイライラさせられる。


アメリカに住んでいたころ、ビデオ屋でレンタルする時に

邦題では覚えているが、原題を知らない映画を探すのに

苦労した経験が何度となくあった。

で、ようやくのことみつけた時に、原題をみて、

「これなら、邦題のほうがいいじゃん。」と思うことが多々あった。

例えば、以下のもの。

「愛と青春の旅立ち」ー「AN OFFICER AND A GENTLEMAN 」

「オシャレ泥棒」ー「HOW TO STEAL A MILLION」

「明日に向かって撃て」ー「BUTCH CASSIDY AND THE SUNDANCE KID」

「名探偵登場」ー「MURDER BY DEATH」

「アパートの鍵かします」ー「THE APARTMENT」


原題、邦題の両者を比べると、なんとなく邦題のほうがそそられる。


逆に、イライラさせられたのは

「バス男」ー「Napoleon Dynamite」

完全に当時流行った、電車男ブームに便乗しちゃってる。

大体バスなんて全然話に関係ないし。

今となっては、逆にマイナス効果のような気がする。

面白いのに。


最近は、でもそのまま直訳もせず

英語をカタカナにしているものが

多いので、それはそれで寂しい。

「ロードオブザリング」なんてふつうに

「指輪物語」でいいジャンと思った。

そっちでも、もともと有名だし。

原題は「THE LORD OF THE RINGS」 で、

微妙にTHE とか複数形のSとか省いて、

日本人配慮的なことを試みているようだが。。。

「エグゼクティブデシジョン」(飛行機版ダイハード的な映画)なんて、

きっと大半のヒトがなんのこっちゃわからないと思う。

こっちこそ「飛行機男」にしてやったらいいさ。

おしまい。

戻る<日本人VS外国人>進む

<日本人VS外国人>の目次へ

総目次へ       最新記事へ

人気ブログランキングへ

亜麻色の髪の青年 in america

アメリカの大学にいたころの髪の色の話。


大学入学当初、僕は髪の色を茶髪にしていた。

理由は、中学・高校時代にて密かに茶髪のヤンキー

やら、茶髪のイケイケメンズに憧れていながらも、

校則や、家族からの白い目の恐怖に勝てずに、

ヘアジェルで髪をヒムロック風(※1)に仕上げる

という妥協策に甘んじていたところにある。

どちらにしても相当ダサいことには変わらないが、

若気のいたりということで、いたしかたない。


そんでもって、念願の茶髪。亜麻色の髪。

いわゆる、大学デビューだ。

ヒムロック的に言えば、

「ライブハウス武道館へようこそ!」

的なハイテンションな僕。

が、しかし、

「ここは東京だぜ。」(※2)

ではなく、

アメリカなのだ。

金髪、茶髪、黒髪、ドレッド、チリチリ、オシャレ坊主、ただの坊主、

なんでもそろってる。

僕の渾身こめた茶髪など、まったくもって目立たない。

誰も「イケイケじゃん!」などとはいってくれない。

だもんだから、だんだんと髪の色など

どうでもよくなり、

一学期が終わるころには、

髪のセットすらどうでもよくなり、

寝癖のまま登校するようになり、

そして夏休みが終わり、

すっかり元の真っ黒髪に戻たころには、

髪の色がどうだなど、一切頭の中から消えていた。


そんな矢先、2学期になって、

ひさびさに再会したアメリカ人が僕をみるなり、

こう言ってきた。

「夏休みの間に髪そめたの?」

え、どういうこと??

「黒く染めたの?」

いやいや。地毛ですよ。

「そうなの?黒のほうが全然いいよ。」

がーん。

いろんな意味でがーん。

彼は僕ら日本人しかりアジア人の地毛が黒だということを知らなかった。

どんだけ、アジアに興味ないんだ。

そんでもって、渾身こめてイケイケのつもりでいた茶髪は

全然イケてなかった。

ヒムロックのあの歌が頭に浮かぶ。

(イメージダウン、イメージダウン、イメージ、ダウン、ダウン、ダウン。。。)

そんな打ちひしがれた僕に、

アメリカ人はさらに続ける。

「なんで茶髪にしてたの?」

か、かっこいいと思ったから。。

「どこが?」

だって、だって、憧れだったんだもん。。

「なんで?」

中・高時代のイケイケ男子はみんな茶髪だったんだもん。

「イケテたのは髪の色の問題?」

いや、それは、その、

っていうか何でそんなに執拗に攻めるんだい。

もう黒なんだからいいじゃん。自分に正直になった僕だけを

みておくれ。プリーズ。。。


とこんなことがあったから、

「もう二度と髪なんか染めないぞ」と誓ったのだが、

一年後に血迷って、髪を緑に染め、みんなから大不評を浴び、

それ以来はほんとにほんと、一切髪を染めることをやめたのでした。

おしまい。



※1 ヒムロック:
   一世を風靡したバンド BOOYのボーカル 氷室恭介の愛称。

※2 「ライブハウス武道館へようこそ」「ここは東京だぜ」:
   解散ライブでヒムロックが発した意味不明だが記憶に残る有名な台詞。


戻る<日本人VS外国人>進む

<日本人VS外国人>の目次へ

総目次へ       最新記事へ

人気ブログランキングへ

<< 前へ     >>次へ
プロフィール

kai-robot
https://fanblogs.jp/y9fm2om9/index1_0.rdf
マイクロアドBTパートナーでおこづかいゲット! 海外支援センター 総合案内 にほんブログ村 海外生活ブログへ
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。

https://fanblogs.jp/y9fm2om9/ daily 1.0 <%titlelist_url> <%titlelist_year>-<%titlelist_month>-<%titlelist_day> weekly 0.5