2013年07月04日
独立記念日 ビフォアアフター
今日がアメリカの独立記念日だから、独立記念日の話。
毎年7月4日の独立記念日はアメリカ各地で盛大なイベントが行われる。
僕が住んでいたボストンでも毎年川沿いの公園でイベントが開催され、
朝から街中の人々がイベントの最後に打ち上げられる花火を鑑賞するため、
場所取りなんかをして、花火が打ちあがるまではワイワイ仲間としゃべりながら、
スナックやらお弁当やらを食べたり、そこで催される野外コンサートを鑑賞したり、
カップルなんかは燦々と輝く太陽の下でただただ終始いちゃいちゃしたりして過ごすのだ。
日本で置き換えるなら、夏フェスとか花火大会とかお花見がミックスされたようなイベントだ。
ただ、やはりそこは独立記念日。
うぉー、アメリカぁーなんて感じる場面もあったりする。
例えばこんな場面。
イベントがフィナーレをむかえる合図なのか、
どこからか「ボン!ボン!」と大砲が打ちはなたれ、
「キャー!」なんつうって、まってましたのみんなの大歓声。
それと同時にオーケストラが大音量で曲を奏で、観客をさらに沸かす。
つづいて、ゴスペル歌手風貫禄ある女性歌手が国家斉唱をアカペラで歌いはじめる。
ざわついてた観客は帽子を脱ぎ、じっと耳を傾ける。
そんでもって、歌の一番の盛り上がりの丁度いいタイミングで戦闘機が頭上を通りすぎ、
拍手喝采、そのながれで、花火打ち上げ。
チアーズ!!なんつって見知らぬ同士がハグしたり、乾杯なんかするのだ。
「ウォー!!ディス イズ アメリカ!!!アメリカっぽいぃ!!」
「ボーン フロム ザ USA!!!(違うけど)」
なんて興奮した記憶がある。
なんだかんだいって、アメリカ人みんな愛国心ありまくりだなあ。
おんなじこと日本でやったら完全に右翼イベントになりそうだなあ。
君が代の終盤で頭上に自衛隊の戦闘機なんか飛んだりしたらもうそりゃもう、
一大事だろうな。なんてことも思ったり。。。
とにかくそんな場面を体感した僕には印象深いイベントだった。
独立記念日で印象的なことといえばもう一つある。
それは2002年の7月4日の独立記念日だ。
この日も通年通りイベントが開催された。
通年通り、朝からの花火の場所取り合戦からはじまり、
埋め尽くされた公園内の芝生ではみんなワイワイがやがやと過ごしてた。
だれかしらが、こっそり隠しもったお酒を見廻りに来た警官にみつかって、
見逃してくれよーと懇願する。ダメダメなんつう警官もなんかにこやかで
いつもどおりのお祭りムード。そんなこんなで夕方くらいになり、さァ始まるぞと、
いつものように、フィナーレを迎える合図の大砲が打ち放たれる。
「ボン!ボン!」
「キャー!」
この時だ。
僕の印象に残ったでき事はこの瞬間だ。
どういうことかというと、
ボンボンのあとに聞こえた「キャー!」は歓声ではなく悲鳴だったのだ。
とっさに当たりを見渡すと、肩をすくめる人、かがみこむ人なんかも目に映った。
なぜか。
それは、みんなその合図の大砲をテロによる爆破と勘違いしたのだ。
その日は2001年9月11日におきたワールドトレードセンターのテロ事件後に
迎える初めての独立記念日だったのだ。
それは一瞬のことで、数秒後には、ああいつもの合図かとみんな気付いて
平常にもどり、その後はいつも通りのイベントになったのだが、
そんな場面に遭遇した僕は、あの事件は、直接被害を受けていないアメリカ人に
とっても、心のものすごく深いところまでダメージを与えているのだなあと、思った。
あれから12年。
今日の独立記念日をアメリカ人達はどのような思いで迎えているのだろうか。
おしまい。
追記:
たまたまオンラインにいたアメリカ人の友人に、聞いてみた。そしたら食い気味に、
「パーティー!! メーン!パーティー!! いい女ゲットするぜ!ヤッホイ」
との回答。。。
まあ、そりゃあそんな人もいるよね。
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毎年7月4日の独立記念日はアメリカ各地で盛大なイベントが行われる。
僕が住んでいたボストンでも毎年川沿いの公園でイベントが開催され、
朝から街中の人々がイベントの最後に打ち上げられる花火を鑑賞するため、
場所取りなんかをして、花火が打ちあがるまではワイワイ仲間としゃべりながら、
スナックやらお弁当やらを食べたり、そこで催される野外コンサートを鑑賞したり、
カップルなんかは燦々と輝く太陽の下でただただ終始いちゃいちゃしたりして過ごすのだ。
日本で置き換えるなら、夏フェスとか花火大会とかお花見がミックスされたようなイベントだ。
ただ、やはりそこは独立記念日。
うぉー、アメリカぁーなんて感じる場面もあったりする。
例えばこんな場面。
イベントがフィナーレをむかえる合図なのか、
どこからか「ボン!ボン!」と大砲が打ちはなたれ、
「キャー!」なんつうって、まってましたのみんなの大歓声。
それと同時にオーケストラが大音量で曲を奏で、観客をさらに沸かす。
つづいて、ゴスペル歌手風貫禄ある女性歌手が国家斉唱をアカペラで歌いはじめる。
ざわついてた観客は帽子を脱ぎ、じっと耳を傾ける。
そんでもって、歌の一番の盛り上がりの丁度いいタイミングで戦闘機が頭上を通りすぎ、
拍手喝采、そのながれで、花火打ち上げ。
チアーズ!!なんつって見知らぬ同士がハグしたり、乾杯なんかするのだ。
「ウォー!!ディス イズ アメリカ!!!アメリカっぽいぃ!!」
「ボーン フロム ザ USA!!!(違うけど)」
なんて興奮した記憶がある。
なんだかんだいって、アメリカ人みんな愛国心ありまくりだなあ。
おんなじこと日本でやったら完全に右翼イベントになりそうだなあ。
君が代の終盤で頭上に自衛隊の戦闘機なんか飛んだりしたらもうそりゃもう、
一大事だろうな。なんてことも思ったり。。。
とにかくそんな場面を体感した僕には印象深いイベントだった。
独立記念日で印象的なことといえばもう一つある。
それは2002年の7月4日の独立記念日だ。
この日も通年通りイベントが開催された。
通年通り、朝からの花火の場所取り合戦からはじまり、
埋め尽くされた公園内の芝生ではみんなワイワイがやがやと過ごしてた。
だれかしらが、こっそり隠しもったお酒を見廻りに来た警官にみつかって、
見逃してくれよーと懇願する。ダメダメなんつう警官もなんかにこやかで
いつもどおりのお祭りムード。そんなこんなで夕方くらいになり、さァ始まるぞと、
いつものように、フィナーレを迎える合図の大砲が打ち放たれる。
「ボン!ボン!」
「キャー!」
この時だ。
僕の印象に残ったでき事はこの瞬間だ。
どういうことかというと、
ボンボンのあとに聞こえた「キャー!」は歓声ではなく悲鳴だったのだ。
とっさに当たりを見渡すと、肩をすくめる人、かがみこむ人なんかも目に映った。
なぜか。
それは、みんなその合図の大砲をテロによる爆破と勘違いしたのだ。
その日は2001年9月11日におきたワールドトレードセンターのテロ事件後に
迎える初めての独立記念日だったのだ。
それは一瞬のことで、数秒後には、ああいつもの合図かとみんな気付いて
平常にもどり、その後はいつも通りのイベントになったのだが、
そんな場面に遭遇した僕は、あの事件は、直接被害を受けていないアメリカ人に
とっても、心のものすごく深いところまでダメージを与えているのだなあと、思った。
あれから12年。
今日の独立記念日をアメリカ人達はどのような思いで迎えているのだろうか。
おしまい。
追記:
たまたまオンラインにいたアメリカ人の友人に、聞いてみた。そしたら食い気味に、
「パーティー!! メーン!パーティー!! いい女ゲットするぜ!ヤッホイ」
との回答。。。
まあ、そりゃあそんな人もいるよね。
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