1997年秋のことです。
その頃、サッカー日本代表が
W杯フランス大会の出場を賭けたアジア最終予選に臨んでいました。
私はその4年前、ラストプレーさえ凌げばW杯初出場が決まった
「ドーハの悲劇」を知る世代です。
アジア最終予選の苦しさは痛いほど分かります。
フランス大会のアジアの出場枠は3.5。
最終予選は2グループに分かれ、日本は韓国と同グループでした。
ホームアンドアウェー方式の総当たり戦。
日本は序盤、ホームで韓国に敗れ、格下のウズベキスタンに引き分けという
苦しい戦いを強いられました。
監督が更迭という混乱も生じました。
しかし、アウェーの韓国戦で日本は2-0で快勝!
そしてホームのカザフスタン戦でも快勝し、
韓国についで2位に滑り込んだのです。
これで本大会出場!ではなく・・
別グループの2位となったイランと一騎打ちし、
これに勝ちようやくW杯初出場が決まったのでした。
1997年11月16日、これが後世に語り継がれる「ジョホールバルの歓喜」です。
来る受験に絶望感しかない中、
このニュースは私にとって唯一の希望でした。
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