2019年01月13日
スペイン巡礼記㉘ 31日目:セブレイロ越えでの奇跡体験
Pilgrimage in Spain ㉘ Day31:Miracle experience in the crossing a ridge of Cebreiro 【5.2011】
5月1日(巡礼31日目) Vega de Valcarce ヴェガ・デ・ヴァルカルセ 〜 O Cebreiro オ・セブレイロ (12km)
「雨のセブレイロに挑戦! Challenge to rainy Cebreiro!」
5月に入った。いよいよ今日はセブレイロ峠に登る。
630メートル地点のヴェガ・デ・ヴァルカルセから出発なので約700メートルの登り、12キロを歩くことになる。イラゴ峠越えではグロリアという天使が私のすぐ前を歩いていたけれど、今回はジュリアという友が一緒だ。
小雨の中、二人とも雨合羽を着こみ、万全の準備で出発。道はどんどん山奥へと入っていき、なだらかとはお世辞にも言えない急な登りが続くが、ジュリアと励まし合って登る。というよりお喋り好きな彼女がほとんど一人で喋っていたが
彼女の巨大なバックパックにはテントだけでなくウォッカの瓶や大きめのオレンジもいくつか入っている。
いくらロシアから野宿しながらヨーロッパ大陸を縦断してきたワイルドなジュリアといえどもさすがに急坂では息を切らし、歩くスピードは私よりも遅くなりがちだった。
比較的なだらかな道は並んでお喋りしながら歩けるのだが、きつい急坂ではそれぞれが己との闘い、自分のペースで歩を進める。歩き始めて約1時間半、おそらくここを登り切れば次の休憩箇所に出る、という最後の難関の坂にさしかかった。
「神の見えざる手が働くとき
When the time invisible God hand works」
続く坂道で私たちは二人とも言葉なく息を切らして、背中の重い荷物に体がひっくり返らないようバランスを取りながら、一歩ずつ足を前に出すことに集中した。そうしなければ進めないほどの急な山道だった。
一歩足を前に踏み出すたびに「もうダメ、もうムリ、もう一歩も進めない」という絶望に駆られ、そこで肩に食い込む荷物を投げ出し、へたりこんでしまいたくなる。坂の終わりがすぐそこに見えているのに…!
なんでこんな試練に耐えなきゃならないの?こんな人生そのものみたいな重い荷物背負って、何のために?
と自分がとんでもなく愚かなことをしている気分になったその時、あれほどギリギリと私の首から肩を締め付けていた痛みが、突如として和らいだ。というより消えたのだ。
その瞬間、まるで誰かが後ろから私のバックパックを持ち上げてでもいるように重さを感じなくなり、自然に足が前に進んでいた。
気が付くと右足の次に左足を前に出すのにたっぷり五秒はかかっていたのに、私はあっという間に坂の頂上へとたどり着いていた。
最初はジュリアか後ろから来た巡礼者が私のバックパックを手で支えながら背中を押してくれたのかと思った。ところが坂を登り切って振り返ると誰もいない。
ジュリアは相変わらず10メートル以上下を未だに這いつくばるようにして登っている最中だった。
思わず「頑張れ、あと少し!」と彼女に声援を送る。
そして何とか坂を登り切ったジュリアが言ったのだ。
「イズミは途中からとても簡単に登って行ったね」と。
そのとき私は理解した。
人生にはつらいことしかない、もうこんな苦しい巡礼なんてやめてしまおうと挫けそうになった私に、バックパックの重さを取り去ることで両親が見えない援助の手を差し伸べたのだと。
巡礼路を歩いている間、両親の存在を常に近くに感じ、守られているのだと信じていたが、それは間違いでも気のせいでもなかった。
坂を登り切ったその時、私は確かに両親の魂をこれまでになく身近に感じていた。
私は独りじゃない。つらいときは道連れとなる友を送り、挫けそうなときは見えざる手を差し伸べる。
そうして私はいつも天国にいる両親に見守られている。父も母も、私を応援している。彼らは私を愛している。私は赦されている、と思った。
巡礼中誰もが何らかの奇跡に出会うというが、私にはこの体験が最大の奇跡だった。心から愛されていると、赦されていることを実感できた瞬間。私は深い感謝の念に包まれていた。
「セブレイロ峠の頂上で、お腹満足、至福の午後を過ごす
Spend happy time with full stomach in the top of O Cebreiro」
またしても天国へ続く道だった。いや、天上の景色だったのかもしれない。時おり雲のような霞が周囲の小高い山の峰を隠し、歩道の脇では白い花をつけた灌木が旅人の目を楽しませる、天上の散歩道を歩いているような、幸せで満たされた気分だった。
セブレイロを越えればあと150キロと、サンティアゴは近い。
ジュリアはまだ着きたくない、と言った。
私はそんな気もしたが、同時に早く東京へ帰りたい、とも感じていた。
昼前にオ・セブレイロにたどり着き、独特の茅葺屋根の建築が残る山上の村にある、100人以上収容の巨大公営アルベルゲに入った。
シャワーを浴びて力を取り戻すと、「小さくて可愛い村大好き♡」なジュリアと共に昼食を兼ねて村の散策に出かけた。
アルベルゲから少し離れた村の集落に数軒しかないバルの野菜スープで体を温めた後は、小さな遺跡博物館でBC時代の生活を再現した穴倉式住居を見学したりしていると、再び雨が降り出したのでアルベルゲへ戻る。
短い昼寝の後、ジュリアがインターネットをするためにもう一度バルへ行くというので私も同行し、今度は少し前に出会ったM子さんがメールでお勧めしてくれたセブレイロ名物ケソ(チーズ)にトライすることにした。
パンとチーズにフルーツジャムとハチミツをかけて食べるセブレイロ独特のケソはどうみても高カロリー。
芳醇でそれなりに美味しかったのだが、ランチで野菜スープとサンティアゴ・ケーキを食べた後でお腹がはちきれそうだったこともあり、これは一度食べればいいな、と思ってしまった。
苦しい試練の後に待っていた、半日の休暇のような、楽しく心も身体も満足した午後だった。
巡礼を初めて1か月が経過。私はまだ旅の途中で踏みとどまっている…
5月1日(巡礼31日目) Vega de Valcarce ヴェガ・デ・ヴァルカルセ 〜 O Cebreiro オ・セブレイロ (12km)
「雨のセブレイロに挑戦! Challenge to rainy Cebreiro!」
5月に入った。いよいよ今日はセブレイロ峠に登る。
630メートル地点のヴェガ・デ・ヴァルカルセから出発なので約700メートルの登り、12キロを歩くことになる。イラゴ峠越えではグロリアという天使が私のすぐ前を歩いていたけれど、今回はジュリアという友が一緒だ。
小雨の中、二人とも雨合羽を着こみ、万全の準備で出発。道はどんどん山奥へと入っていき、なだらかとはお世辞にも言えない急な登りが続くが、ジュリアと励まし合って登る。というよりお喋り好きな彼女がほとんど一人で喋っていたが
彼女の巨大なバックパックにはテントだけでなくウォッカの瓶や大きめのオレンジもいくつか入っている。
いくらロシアから野宿しながらヨーロッパ大陸を縦断してきたワイルドなジュリアといえどもさすがに急坂では息を切らし、歩くスピードは私よりも遅くなりがちだった。
比較的なだらかな道は並んでお喋りしながら歩けるのだが、きつい急坂ではそれぞれが己との闘い、自分のペースで歩を進める。歩き始めて約1時間半、おそらくここを登り切れば次の休憩箇所に出る、という最後の難関の坂にさしかかった。
「神の見えざる手が働くとき
When the time invisible God hand works」
続く坂道で私たちは二人とも言葉なく息を切らして、背中の重い荷物に体がひっくり返らないようバランスを取りながら、一歩ずつ足を前に出すことに集中した。そうしなければ進めないほどの急な山道だった。
一歩足を前に踏み出すたびに「もうダメ、もうムリ、もう一歩も進めない」という絶望に駆られ、そこで肩に食い込む荷物を投げ出し、へたりこんでしまいたくなる。坂の終わりがすぐそこに見えているのに…!
なんでこんな試練に耐えなきゃならないの?こんな人生そのものみたいな重い荷物背負って、何のために?
と自分がとんでもなく愚かなことをしている気分になったその時、あれほどギリギリと私の首から肩を締め付けていた痛みが、突如として和らいだ。というより消えたのだ。
その瞬間、まるで誰かが後ろから私のバックパックを持ち上げてでもいるように重さを感じなくなり、自然に足が前に進んでいた。
気が付くと右足の次に左足を前に出すのにたっぷり五秒はかかっていたのに、私はあっという間に坂の頂上へとたどり着いていた。
最初はジュリアか後ろから来た巡礼者が私のバックパックを手で支えながら背中を押してくれたのかと思った。ところが坂を登り切って振り返ると誰もいない。
ジュリアは相変わらず10メートル以上下を未だに這いつくばるようにして登っている最中だった。
思わず「頑張れ、あと少し!」と彼女に声援を送る。
そして何とか坂を登り切ったジュリアが言ったのだ。
「イズミは途中からとても簡単に登って行ったね」と。
そのとき私は理解した。
人生にはつらいことしかない、もうこんな苦しい巡礼なんてやめてしまおうと挫けそうになった私に、バックパックの重さを取り去ることで両親が見えない援助の手を差し伸べたのだと。
巡礼路を歩いている間、両親の存在を常に近くに感じ、守られているのだと信じていたが、それは間違いでも気のせいでもなかった。
坂を登り切ったその時、私は確かに両親の魂をこれまでになく身近に感じていた。
私は独りじゃない。つらいときは道連れとなる友を送り、挫けそうなときは見えざる手を差し伸べる。
そうして私はいつも天国にいる両親に見守られている。父も母も、私を応援している。彼らは私を愛している。私は赦されている、と思った。
巡礼中誰もが何らかの奇跡に出会うというが、私にはこの体験が最大の奇跡だった。心から愛されていると、赦されていることを実感できた瞬間。私は深い感謝の念に包まれていた。
「セブレイロ峠の頂上で、お腹満足、至福の午後を過ごす
Spend happy time with full stomach in the top of O Cebreiro」
「これよりガリア州」という標識を過ぎると、私達は霧の逆巻く山上で、時に見晴らしの良い山の尾根を、緑の絨毯を見下ろすように歩いていた。雨は止み、青空までのぞいて、ジュリアも私もさっきまでの悲壮感はどこへやら、ジュリアは鼻歌さえ歌っていた。 |
またしても天国へ続く道だった。いや、天上の景色だったのかもしれない。時おり雲のような霞が周囲の小高い山の峰を隠し、歩道の脇では白い花をつけた灌木が旅人の目を楽しませる、天上の散歩道を歩いているような、幸せで満たされた気分だった。
セブレイロを越えればあと150キロと、サンティアゴは近い。
ジュリアはまだ着きたくない、と言った。
私はそんな気もしたが、同時に早く東京へ帰りたい、とも感じていた。
昼前にオ・セブレイロにたどり着き、独特の茅葺屋根の建築が残る山上の村にある、100人以上収容の巨大公営アルベルゲに入った。
シャワーを浴びて力を取り戻すと、「小さくて可愛い村大好き♡」なジュリアと共に昼食を兼ねて村の散策に出かけた。
アルベルゲから少し離れた村の集落に数軒しかないバルの野菜スープで体を温めた後は、小さな遺跡博物館でBC時代の生活を再現した穴倉式住居を見学したりしていると、再び雨が降り出したのでアルベルゲへ戻る。
短い昼寝の後、ジュリアがインターネットをするためにもう一度バルへ行くというので私も同行し、今度は少し前に出会ったM子さんがメールでお勧めしてくれたセブレイロ名物ケソ(チーズ)にトライすることにした。
パンとチーズにフルーツジャムとハチミツをかけて食べるセブレイロ独特のケソはどうみても高カロリー。
芳醇でそれなりに美味しかったのだが、ランチで野菜スープとサンティアゴ・ケーキを食べた後でお腹がはちきれそうだったこともあり、これは一度食べればいいな、と思ってしまった。
サンティアゴ・ケーキの方は、これも巡礼路の名物で、サンティアゴ・デ・コンポステラ近くなると頻繁に目にする、十字架の焼き印が中央に押された丸いカステラのようなケーキで、とても美味しかった。 |
苦しい試練の後に待っていた、半日の休暇のような、楽しく心も身体も満足した午後だった。
巡礼を初めて1か月が経過。私はまだ旅の途中で踏みとどまっている…
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