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2020年02月08日

【愛すべきブラットパック映画 @】 Lovable... The Brat Pack Movies @

今ではもう大御所の域に入ったトム・クルーズジョニー・デップデミ・ムーアなどの若かりし頃、1980年代の作品、時々無性に見たくなるんですよね。
何しろ90分の作品が多く、軽く見られるので…。
ブラットパックと呼ばれた彼らとその映画について、シリーズで書いていきたいと思います。


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そもそもブラットパックって何?

1980年代、ハリウッドの青春群像映画で活躍した俳優たちを総称して「ブラットパック Brat Pack」と呼ぶ。直訳すると「ガキの集団」だが、アメリカでは親しみを込めてそう呼ばれていた。日本ではなぜか「Y.Aスター(ヤング・アダルト・スター)」などという怪しげな和製英語に変換されて『スクリーン』『ロードショー』の紙面を飾っていたものだ。


ブラットパッカーにはどんな人たちがいるの?

さて、ブラットパックにはどんな俳優たちが名を連ねていたかというと、ウィキペディアでは「『アウトサイダー』『ブレックファスト・クラブ』『セント・エルモス・ファイアー』の3大ブラットパック・ムービーに出演していた俳優たち」ということになっている。
今回は、代表的な青春映画を取り上げる中で、主なブラットパッカーの俳優たちを紹介しながらその変遷を追っていこうと思う。


1982年、後世まで語り継がれる青春映画の傑作が誕生した。リチャード・ギアの人気を不動のものとした『愛と青春の旅立ち』だ。

ギア演じる海軍士官候補生ザックが、町工場の娘ポーラ(デブラ・ウィンガー)を抱き上げて終わるロマンティックなラストシーンは、玉の輿に憧れる女性たちのハートをガッチリ掴んで日本でも大ヒット。今でも「青春」といえば必ず思い出されるほどの不朽の名作となったのだった。しかし、この役を演じた当時ギアは32歳、しっかり大人の男だった。

それに対し20代前後の俳優たちに、現実もしくは近い年代の役を演じさせるリアルタイムな青春映画群がこの頃から作られ始める。いわゆる大作ではなく、青春真っただ中の若者を主人公にした、今でいう「ライトノベル」「ヤングアダルト小説」をベースにしたような、恋あり笑いあり、ちょっぴり涙ありの軽いタッチの学園モノ映画がそれだ。


3大ブラットパック映画1本目『アウトサイダー』

すでにいくつかの青春映画に主演し人気を得ていたマット・ディロンを主役の一人に据えた『アウトサイダー』が1983年に公開されたのを皮切りに、青春映画の全盛期が始まる。

『ゴッド・ファーザー』シリーズや『地獄の黙示録』のフランシス・フォード・コッポラ監督によるこの映画は、貧しいがゆえに不良少年のレッテルを貼られてしまった少年たち(アウトサイダー)の姿を丁寧に描き、他の青春映画とは一線を画す深い味わいの名作として金字塔を打ち立てた。

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後列中央がマット・ディロン。前列右にいるのは『トップ・ガン』でブレイクする前のトム・クルーズだ。後列左には『ゴースト』のパトリック・スウェイジ。

約90分という適度な時間で、舞台のほとんどは学校という軽い学園モノが80年代には数多く作られた。日本映画の復活を告げるように少々現実離れした少女漫画やケータイ小説を原作とした青春映画が多く作られている昨今の日本映画界の状況に似ていないこともない。

『NANA』や『恋空』『BECK』『君に届け』など、今でこそ枚挙に暇がないが、はたしてその作品の主人公を多くの若者が真似し、誰もがその映画を見ていて、30年後でも皆で盛り上がれる映画がどれだけ残っているだろうか。

それを考えると、ピンクばかり着ることで有名で『プリティ・イン・ピンク』などどいう主演映画まで作られてしまった当時一世を風靡したモリー・リングウォルドの存在は驚くに値するだろう。今でもあの80年代に作られた一連の青春映画は、当時リアルタイムで映画館へ見に行った若者たちの心に、自らの青春時代を思い起こさせるだけの力を確かに持っている。

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     左からモリー・リングウォルド、エミリオ・エステベス、デミ・ムーア。

1984年にはそのモリー・リングウォルド主演の『すてきな片想い』が公開される。これは女子高生の最悪で最高の2日間を描いた本当に軽い青春映画。『アウトサイダー』のような人生の意味を考えるといった深刻さはないが、16歳の少年少女たちのささやかだけれど、当人たちにとってはとても重大な日常の日々がリアルに映し出されていて大ヒット。一躍モリ―をアイドルに押し上げる。

同年公開された『フットルース』は青春映画の中でも音楽とダンスを扱った異色作で、弾けるようなポップスが詰まったサントラは爆発的に売れ、映画を見たことがなくても主題歌の「フットルース」は誰もが耳にしたことがあるだろう。主演を演じた『インビジブル』のケビン・ベーコンはこの作品でブレイクしたのだ。


3大ブラットパック映画2本目『ブレックファスト・クラブ』

そして1985年に公開された2本の映画のヒットによって「ブラットパック」という言葉がマスコミによって使われ始める。

1本目はジョン・ヒューズ監督の『ブレックファスト・クラブ』
モリー・リングウォルド、『ヤング・ガン』(88)のエミリオ・エステベス、『ショート・サーキット』(86)のアリー・シーディといったブラット・パッカーの顔的な5人の若手俳優による、高校生のある一日を扱った群像劇的作品。

『ホーム・アローン』(90)をヒットさせて以降は製作者、脚本家としての仕事を中心にするようになったジョン・ヒューズ監督のデビュー作が84年の『すてきな片想い』であり、同じモリー・リングウォルドを起用したこの2作目『ブレックファスト・クラブ』もヒットさせた彼は、ブラットパック時代の一翼を担った人物として知られる。


3大ブラットパック映画3本目『セント・エルモス・ファイヤー』

2本目は『オペラ座の怪人』のジョエル・シュマッカー監督による『セント・エルモス・ファイヤー』

こちらは大学を卒業したばかりの男女7人と少し年齢は上がっているが、永遠の青春映画として確固たる地位を築いている名作。

デミ・ムーア(上段中央)はこの頃からアイドルとして人気があり、86年の『きのうの夜は…』などを見て彼女の美しさに目をつけていたブルース・ウィリスが、当時の彼氏エミリオ・エステベス(下段左から2番目)から奪うようにしてデミと結婚したのは87年のことだ。
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次々と公開されたブラットパック映画

85年はクラーク・ゲーブルとクローデット・コルベールの『或る夜の出来事』の現代版リメイクといわれる『シュア・シング』も公開されている。この映画は、ブラットパックの中でも脇役ばかりだったジョン・キューザック初の主演作であり、彼はこの後89年の『セイ・エニシング』を踏み台に青春スターから性格俳優として主役クラスへと登って行くのだ。

1986年には、ブラットパックによるスポ根の定番、ロブ・ロー主演の『栄光のエンブレム』が公開される。ブラットパッカーイチの美貌で人気だったロブ・ローもセックス・スキャンダルで一時低迷したが、今はTVを中心に活躍中だ。

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    若き日のロブ・ロー(左)は美男ですが、現在(右)は…かなりオッサン?

同年公開のジョン・ヒューズ監督作『フェリスはある朝突然に』は、これまでのヒューズ作品同様、ある高校生の一日を描いた爽快作で、主演はサラ・ジェシカ・パーカーの夫『ファミリー・ビジネス』(89)、『グローリー』(89)のマシュー・ブロデリック。また、ジョン・ヒューズが製作総指揮を務めた『プリティ・イン・ピンク』もこの年に公開されており、こちらはお気に入りのモリー・リングウォルドとアンドリュー・マッカーシーを主役に据えた恋する高校生の甘いラブ・ストーリーで、モリ―の最高傑作としてファンも多い。

アンドリューの悪友役で出演している『セックスと嘘とビデオテープ』のジェームズ・スペイダーは実はこの頃青春映画に脇役として出演していたれっきとしたブラットパッカーだ。それから、「サントラ」という言葉を定着させたトム・クルーズの出世作『トップ・ガン』と、少年映画の傑作『スタンド・バイ・ミー』も同じ1986年に公開されている。が、ブラットパックとジェネレーションXとの間の世代で活躍したリバー・フェニックスの最盛期は88年まで待たなければならない。

1987年公開の『恋しくて』は、ジョン・ヒューズの製作で『マスク』(84)『メンフィス・ベル』(90)のエリック・ストルツ、『妹の恋人』(93)のメアリー・スチュアート・マスターソン、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85)のリー・トンプソン3人の恋模様を丁寧に描いた切ない青春映画として未だに語り継がれる秀作だ。

また代表的なブラットパッカーであるアンドリュー・マッカーシー主演『マネキン』では『セックス・アンド・ザ・シティ』の妖艶サマンサ役でおなじみのキム・キャトラルがヒロインを演じていたりする。
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     私のお気に入りは当時からアンドリュー・マッカーシー黄ハート(左)。
     いい感じ(?)にセクシーになった中年のアンドリュー(右)。


ヨーロッパでは異なった潮流が始まっていた

ブラットパック世代が急速に大人になり、新しい若い世代が次々と現れてきたこの頃、大西洋を隔てたヨーロッパでは「英国美青年ブーム」なるものが全盛期を迎えようとしていた。実はこれ、日本で起こった現象で、筆者もまさにハマった一人だが、イギリスでも学園モノは作られていた。

ただ、アメリカと大きく違うのは、それらが男女の恋を扱った物語ではなく、プレップスクールという男子校を舞台にした同性愛モノだった点にある。

ジョン・ヒューズの『すてきな片想い』でモリー・リングウォルドが片想いに悩み、『フットルース』ではケビン・ベーコンがロックを悪と決めつけるわからずやの大人たちに反抗していた1984年、イギリスでは、『アナザー・カントリー』というゲイ映画の不朽の名作で『ベスト・フレンズ・ウェディング』のルパート・エヴェレットと『プリンセス・ブライド・ストーリー』のケアリー・エルウェスが小川に小舟を浮かべて寄り添いながら、同性愛を認めない古臭い国に対して怒りを燃やしていた。

この映画で気品ある英国紳士の卵たちの美しさにボーっとなったオクテの日本人女性達(元祖腐女子ですね)の心を決定的に掴んだのは、87年公開の文芸作品『モーリス』だ。

「英国の宝」と云われたヒュー・グラントの前髪は、この映画から生まれたのだ。ケンブリッジ大学での同性愛を描いたこの『モーリス』公開により、日本ではヨーロッパ美青年ブームが本格的に到来し、ブラットパック映画と人気を二分することになる。
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ブラットパック時代の終焉と新しい世代の台頭

1988年には『レス・ザン・ゼロ』というアンドリュー・マッカーシー、『シャーロック・ホームズ』(09)のロバート・ダウニー・ジュニアらの少し大人になったブラットパッカーものが公開されたが、いよいよ時代は『スタンド・バイ・ミー』(86)で注目されたリバー・フェニックスをスターに押し上げていく。

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『旅立ちのとき』に続いてスパイを親に持つ少年の役を演じた『リトル・ニキータ』、そして『ジミー さよならのキスもしてくれない』と、この年公開された3本の主演作で一躍ティーンのハートを掴んだ彼だったがほんの5年後、麻薬の大量摂取により急死。ジェームス・ディーン同様、若い人気スターの突然の死は伝説になった。


1989年、残り火のように公開された『セイ・エニシング』(ジョン・キューザック主演)『想い出のジュエル』(アンドリュー・マッカーシー、モリー・リングウォルド共演)を最後に、ブラットパッカーたちの成長と共にブラットパックという言葉も古くなり、青春映画は大きく様変わりする。リバー・フェニックス、キアヌ・リーブス、ウィノナ・ライダー、そしてジョニー・デップの出現である。

ジョニー・デップが演技派としての道を歩み始めた最初の主演作が90年公開の『クライ・ベイビー』だ。同年ウィノナ・ライダーと共演した『シザーハンズ』が公開され、彼らはそのままジェネレーションXの世代として成長してゆく。『いまを生きる』(89)で注目されたイーサン・ホークとウィノナ・ライダー共演『リアリティ・バイツ』(94)はX世代の代表作として根強いファンを持つ。こうしてブラットパックによる胸キュン青春映画の全盛期、黄金の80年代は幕を閉じた。


愛すべきブラットパック映画第二弾からは、青春映画厳選20作を紹介していきたいと思います。
『胸キュン3大青春映画』こちらへ。


この記事へのコメント
トミーさん

コメントに気づかず、こんなに返信が遅くなってしまい申し訳ありません(T_T)
この記事に辿り着いてくださり、ありがとうございます!

私は若い頃、ブラットパック映画を夢中で観ていました。リアルタイムで追いかけていたわけではないのですが、アンドリュー・マッカーシーが大好きだったので、必然的に彼の作品を追いかけるうちにハマってしまった感じです。
今では少ない軽い作風が独特ですが、今考えると「え、こんな人がこんな映画に?」という驚きもあって観ていて楽しいですよね。今でもブラット・パック映画は大好きです。

よろしければ、ほかのブラット・パック関連の記事も読んでみてくださいね😉
ブラット・パックのこんなことも知りたい、などリクエストもお待ちしています。
Posted by Izumi at 2022年07月17日 22:05
Izumi さん

はじめまして、トミーと言います。
ブラットパックについてのブログ読ませて頂きました。
ブラットパックで何か情報を探していて、こちらにたどり着きました。
僕はブラットパックの事が大好きです。
Izumiさんがブログで書かれている事にとても興味がありますし、見ていて楽しかったです。

Izumiさんはブラットパックの文化また、ブラットパックが好きなんですか?
Posted by トミー at 2021年12月21日 11:48
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