作成絵師:ぐみホタル様(https://skeb.jp/@Gumi_Hotaru)
二次創作「皐月雨」、第15話掲載です。
―白と朱暮れ―
「それじゃ先輩、お大事に」
「また、来ますね」
「うん。ありがとう」
病室のドアを開けながら、そう言って手を振る吉崎さんと綾子ちゃん。彼女達に向かって、あたしもそう言って手を振る。
パタン
軽い音を立てて、ドアが閉まる。
シン……
病室に戻ってくる静寂。さっきまで皆がいた分、尚更静けさが際立つ。裕一は、まだ戻ってこない。話し込むあたし達に気を使って、出て行ったままだ。もう、いいのに。全く、気が効く様で効かないんだから。まあ、待つしかないか。ホッと息をついて、ベッドに身を委ねる。窓から差し込む夕日が、部屋の中を朱(あけ)色に染める。ああ、綺麗だな。普通に、そう思う。あたしが倒れた日からずっと、シトシトと雨が降っていた。だから、こんなに綺麗な夕日は本当に久しぶりだ。綺麗だな。世界って、本当に綺麗だ。何故か、ジワリと視界が潤む。おかしいな。光が眩しくて、目にしみたのかな。ゴシゴシと、目を擦る。と、
――リン――
響く鈴の音。
「ホントに。綺麗だね」
幼いけれど大人びた、そんな声が聞こえた。
目を擦っていた腕を離す。涙と朱色に滲んだ視界の中で、真っ白い髪が舞った。
「ああ、来たんだね」
「うん。最後に、もう一度お話しようかなって思って」
あたしの言葉に、窓の縁に腰掛けた少女。純白の死神――モモは優しく微笑んでそう言った。
「最後?」
「そう。最後」
あたしの疑問形に、モモが頷く。
「ここでやる事は、全部終わったから。今度は、本職に戻らなくちゃ」
――本職――
その言葉を口にした時の、少し悲しそうな響きが気になった。モモ(彼女)は死神だ。その本職と言ったら……。容易に想像がついた。
「相変わらず、優しいんだね」
あたしがそう言うと、モモは小さく頭(かぶり)を振る。
「優しくなんかないよ。幾度もこの手で命を刈ってきた」
「でも、それは可哀想な魂達を、次に送ってあげるためだよね」
「!」
そんなあたしの言葉に、モモは少しはにかんで俯く。
「そうだよ、モモ。モモは何も、傷つく必要なんてないんだよ」
そんな言葉といっしょに、モモの足元にチョコンと座っていたダニエル君が、ピョンと彼女の膝に飛び乗った。
「お前、いい事言うな。少し、見直してやる」
モモの顔を尻尾で優しく撫でながら、ダニエル君があたしに向かって言い放つ。何だか、偉そうだ。ちょっと癪に障ったので、ちょっと刺を刺しておく事にする。
「いえいえ。どういたしまして。ダンちゃん」
ズコッ
あ、ズッコケた。そのまま、コロコロとモモの膝の上から落っこちる。
「だからぁあああ!!ダンちゃんって呼ぶなぁあああああ!!」
嘆きながら、床の上をネズミ花火みたいにコロコロコロコロ転げ回る。そんな彼を見て、あたしとモモは一緒に笑った。
「辛くない?」
あたしは問う。
「いいんだ。これが、あたしだから」
一拍の躊躇もなく、答えるモモ。その目は、憂えている様で、とても強い。そう。彼女はずっとこうしてきた。幾つも悲しい命を見守って。幾度も可哀想な魂を天に送って。それでも、その優しさを失くさずに。生命(いのち)の守護者であり続けた。今までも。そして、これからも。
「そうだね。それがモモ(あなた)だもんね」
「そう。それがあたし」
交わす言葉が、優しく絡む。
まるで旧知の友と話す様な、心穏やかな会話。いや。実際、そうなのかもしれない。この身体に生まれて。短い時を限られて。その時から、彼女はあたしを見ていたのかもしれない。時には泣いて。時には笑って。一緒に。共に。寄り添っていてくれたのかもしれない。少し、その事を訊いてみようかとも思った。けど、少し迷ってやっぱりやめた。その行為は、きっと禁忌。モモ(彼女)はきっと、自分(死)が誰かの傍にある事を望みはしない。
そうそう。言い忘れては、いけない事がある。
「そう言えば、ありがとうね」
「?」
小首を傾げるモモ。そんな彼女に向かって、あたしは言う。
「裕一の事。あの馬鹿、止めてくれてありがとう」
「ああ、それなら筋が違うよ」
そう言って、モモはあたしを見つめる。
「あの子を止めたのは、あなたの言葉。あたし達の声じゃあ、あの子には届かなかった」
「でも……」
「それでも、感謝してくれるって言うのなら、また一つだけお願いを聞いてくれるかな?」
「お願い?何?」
今度は、あたしが首を傾げる番。そんなあたしに、モモはクスリと笑む。
「大した事じゃないよ。ただ、覚えていて欲しいだけ」
「?」
「覚えていて。あなたの生命(いのち)は、与えられるだけじゃない」
「!!」
心臓が、ドキリとした。驚くあたしの心を見通す様に、モモが見つめる。
「今度の事で分かった筈。あなたがいる事、生きる事が、誰かの生きる意味になっている事が」
紡ぐ声音は、とても優しい。まるで、子供と話す母親の様に。
「あなたの命は、与えられるだけじゃない。与える事も、出来るの」
差し込む朱陽(あけび)を受けながら語る、純白の少女。その姿は、聖画に描かれた聖母の様に美しい。
「だから、忘れないで。諦めないで。どんな時でも、生きる事を」
「……うん」
モモの願いを心に刻みつけながら、あたしは頷く。
「そうすれば、いつか……」
そして、彼女は最後に言った。
「あなたと彼の想いと願いは、継がれるから……」
一瞬、言葉の意味が分からなかった。継がれる?あたしと、裕一の想いが?やがて、その意味がゆっくりと頭に回って……。
ボッ
一気に、顔に熱が上がった。
「え……?あ、それって……!?!?」
考えた事もなかった。そんな事が。このあたしに、そんな”未来”があるなんて。
「待って!?そんな事、だって、あたしは……」
狼狽するあたしに、モモは微笑む。
「言ったでしょ?一生懸命に生き抜けば、人は”遺す”事が出来るんだよ。この世界で一番、輝くものを」
「あたしが……?裕一と……?」
その時の感情を何て言うのか、あたしは知らない。無理に言葉にすれば、それは”喜び”なのだろう。でも、そんな言葉では表現しきれない。とても、とても、熱い想い。
抑えきれない”それ”を抱きしめる様に、胸をかき抱くあたし。そんなあたしを見て、モモは本当に綺麗に、本当に優しく、微笑む。その足元では、転がるのをやめたダニエル君も、嬉しそうに笑ってた。
「……さ、そろそろ行こうかな。ダニエル」
そう言いながら、窓の縁から下りるモモ。ダニエル君がピョンと飛び上がって、彼女の腕の中に収まる。
「……行っちゃうんだ」
あたしの呟きに、頷くモモ。
「いいんだよ。それで。死神なんて、傍にいていいものじゃない」
そう言う彼女は、少し自嘲気味に笑う。
「………」
「………」
返す言葉が思いつかない。しばし見つめ合った後、モモが囁く様に言った。
「それじゃ。身体には、気をつけてね」
紡がれるのは、最後まで優しい別れの言の葉。
その顔が何だか悲しく見えて、だから、あたしはこう言った。
「うん。またね」
モモが、キョトンとした。
「変な事言っちゃダメだよ。死神に「またね」なんて、縁起でもない」
「でも、また会うよね」
「!!」
モモが、ちょっと眉をつり上げる。
「あのね……」
「分かってるよ、あたしは、生きる」
言われる前に、言ってやった。
「一生懸命生きるから、やりたい事、いっぱいやるから、それが終わったら、全部終わったら……」
モモが、呆気にとられる気配が伝わる。あたしは一気に言い切った。
「その時は、モモ(あなた)が迎えに来て」
「………」
「………」
また、しばしの間。そして、
「アハ……」
華の様に綻ぶ、モモの顔。
「アハハハハハハハハ」
たまらないと言った様子で、笑い出す。ダニエル君が、「うわぁ、モモが壊れた!!」とか言って騒ぐけど、構わずに笑い続ける。
ひとしきり笑うと、目尻の涙を拭いながらモモは言う。
「そうだね。”いつかは”だね」
あたしも、笑いながら言う。
「そう。いつかは」
「分かった。その時はきっと」
近づいてくる、モモ。彼女に向かって、あたしは小指を差し出す。モモも手を上げて、小指を差し出す。
「約束だよ」
「うん。約束」
そして、あたし達は小指を絡める。
「「――指きりげんまん、嘘ついたら針千本飲ます――」」
見つめ合い、そして――
「「指切った」」
「アハハ」
「ウフフ」
友達の様に、笑い合う。いや、きっともう……
「じゃあ、またね」
「うん。いつか、また」
「元気でな」
笑顔と一緒に、交わし合う言葉。離れる小指。景色の向こうに沈む夕焼けが、一際眩い斜光を放つ。温かい朱陽(あけび)の中で、真っ白い姿が揺れて――
――リン――
最後に、鈴の音一つ。
そこにはもう、誰もいない。開け放った窓際で、白いカーテンが名残の様に揺れるだけ。
確かな感触の残る小指を抱いて、あたしはしばし目を瞑る。
閉ざした視界の遠くで、近づいてくる足音が聞こえた。ああ、彼が帰ってくる。随分と、待たせてくれた。さて、どうしてくれよう。あたしはグイッと目を拭い、病室のドアへと向き直った。
続く
【このカテゴリーの最新記事】