時代は現代とは言え、元あった場所の空気を体感して「昔はここに門や本堂とかがあったのかあ」とか想像力を働かすと言うか(^_^;)
と言う訳で、27日(土曜日)はさいたま市岩槻区に行って来ました
事前にネットで観たところによると、平林寺跡地付近は現在では何もなきに等しく、説明看板や石碑が立っている程度との事でした。
なので、城下町である岩槻の城址公園も含めた街歩きも一緒に。
岩槻駅から平林寺跡までのルート
近くまで行く路線バス(国際興業)もある事はあるのですが、本数が少なくて私が行った時間帯はないため駅から徒歩で行きました
ゆっくり歩いて片道45〜50分位でしたかね。
岩槻駅の駅名標
では岩槻駅西口をスタート
国道122号から曲がると案内看板がありました。
お地蔵さんの後ろにも
もうじき到着です。
付近の様子ですが、新座市の平林寺は木が鬱蒼と生い茂っているのに対し、こちらは何だか開放的ですね。周りを見渡すと林もある事はありますが。
到着
案内板と木と石碑だけです。
更に先を歩いてみました。
武蔵野台地の新座とは違い、田んぼもありました。同じさいたま市の大宮、浦和とかは昔「見沼たんぼ」なんてのもありましたし、埼玉県東部は稲作に向いているのでしょう。
でも、地震が起きた際に各地の震度を見ると、宮代町や春日部市など埼玉県東部は所沢市や入間市、狭山市などより(震源地からの距離が殆んど変わらなくても)震度が高かったりします。「地盤が柔らかいとかでよく揺れる」負の要素もありますが。
新座市のは「平林寺」と言う地名ではなく「新座市野火止」ですが、こちらは「さいたま市岩槻区平林寺」です。
庚申塔
再び徒歩で岩槻駅近くを通り、東武野田線(アーバンパークライン)の踏み切りを渡って城下町エリアに来ました。こちらは大手門跡のプレートです。
「ここにあった」と言うだけのプレートのみです。
岩槻城本丸跡
こちらもプレートのみです。
本丸跡は城址公園内ではなく、現在の町なかにあるんですね。
本丸跡目の前の「すき家岩槻太田店」で久々にキング牛丼(ごはんが並盛の2.5倍、肉が並盛の6倍)を食べました。
食べるのが遅い私にしては珍しく15分位で完食出来ました。
沢山食べられる人なら、本当にコスパ的に優れたメニューだと思います。
次は時の鐘です。
同じ埼玉県内の川越の時の鐘よりどっしりした印象を受けます。
こちらは別の日に川越で撮った時の鐘です。
昼間川越に行った事のある人なら分かると思いますが、昼間だと観光客でごった返している事が多々あります。
この写真は今流行りの「無駄に写った物や人を消しゴムで消す」とかの画像処理ではなく、早朝なので本当に人がいない状態をありのままに撮りました。
白壁・漆喰の建物(福呂屋)との対比もいいですね。
(川越の)案内板
(岩槻の)案内板
今度は城址公園です。
岩槻城の城門(黒門)
移築された物ですが、中々味わい深いですね。
裏門
屋根の形が丸みを帯びているところがいいですね。
菖蒲池
睡蓮ばかりですが「菖蒲池」です。
こちらに関しては雨の時に撮ったほうが雰囲気が出ると思います。
八ツ橋
赤の塗料って色褪せるのが早そうなので、結構な頻度で塗り替えているのでしょうかね!?
公園内には昔東武鉄道の特急として走っていた1720系も保存されています。
スペーシアが登場する前の型です。
座り心地も良かったです。普通車なのに「足のせ」も付いているし。
城址公園を離れ、最後は久伊豆神社です。
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