不安定で外出向きではない天候でしたが、もう日にちを選ぶ選択肢などありません。
時折晴れ間も覗きましたが、途中からはずっと雨に降られてしまいました。まあでも、予定通りいろいろ観たり食べたり出来て良かったです
伊豆箱根鉄道のほうの三島駅駅舎
晴れている時間もありました。
伊豆箱根鉄道駿豆線・三島駅の駅名標
伊豆箱根鉄道3000系電車
この車両は伊豆箱根鉄道オリジナルの車両ですが、伊豆箱根鉄道には元西武鉄道・101系の1300系という車両もあります。
でも今回は見る事も出来ませんでした。
三島コロッケ
三島産のメークインを使っているとの事です。シンプルなジャガイモの味が堪能出来ました。
修善寺駅の駅名標
修善寺駅の駅舎
「孤独のグルメ」にも出てきた河津町・かどやの「わさび丼」です。やはりチューブのわさびとは味が全然違います(^_^;)。
わさびは中央に、醤油はわさびに掛からないよう(わさびの)外側に円を描くように2回りほど
「わさび丼」は先に鮫肌のおろしとわさびの根茎が来て、丼が来るまで自分でおろし、丼が来たら混ぜるというシステムです。
おろす時は円を描くように
「長次郎作」というのが何だか粋な感じがして格好いいですね(^-^)
かどやの外観
河津七滝ループ橋
首都高中央環状線、3号渋谷線の大橋ジャンクションを思い出します。あちらは“屋内”ですが・・・
乗車したバスからの眺め
河津川の「河津七滝」(かわづななだる)のうちで一番大きなその名も「大滝」(おおだる)
この地域では滝を「たる」と言うそうです。北海道・斜里町の「知床五湖」の時のように一つ一つ観ましたが、わたし的は一つ目のこの「大滝」と七つ目の「釜滝」(かまだる)が良かったです。
雨が沢山降ったので、水量が多くてダイナミックでした。
滝壺
ピントは合ってますよ。被写体ブレですが。
初景滝(しょけいだる)と「伊豆の踊り子」のブロンズ像
釜滝(かまだる)
こちらも豪快です。
旧天城トンネル(伊豆市側)
新天城トンネル近くにある「天城峠」バス停から歩道を上って行きました。
旧天城トンネル(河津町側)
「天城山隧道」のプレートは伊豆市側と河津町側では異なっていて、こちらは河津町側ので文字は“凹字”(へこんだ字)です。
伊豆市側のプレートです。
こちらは“凸字”(浮き出た字)です。
トンネルの中
車が通行している時は(歩行者の私は)端っこに寄りました。
幅的には軽やコンパクトカー同士ならすれ違いが出来そうですかね。
ストロボを使うとこんな感じに
伊豆市側の道は通行止めでした。
したがって、トンネルを走行していた車は河津町側から入って来て、折り返して同じルートで帰って行きました。
「修善寺」は温泉地としての地名、「修禅寺」はお寺の名前です。
修禅寺の山門
真言宗のお寺として出来て、その後臨済宗→曹洞宗(共に禅宗)に改宗しても「弘法大師」の石塔が残っているのが何とも。
仁王像
東大寺南大門のよりも随分と小ぶりです。
修禅寺の本堂
本堂の扁額
渡月橋(「とげつきょう」ではなく「とげつばし」)
嵐山(あらしやま)という地名もありました。
渡月橋からの眺め
下を流れている川は(京都と同じく)桂川です。
指月殿(しげつでん)境内にある源頼家の墓
昔歴史の授業で「1204年 鎌倉幕府二代将軍・源頼家 伊豆の修善寺で入浴中に暗殺される」と習った時、「なんか修善寺って怖い所だなあ」なんて子供心ながら思いました。
弟の実朝が鶴岡八幡宮の階段で頼家の息子の公暁に暗殺された事件もかなりショッキングですが、当時の自分は頼家暗殺のほうが怖く感じました。
実朝のほうは本拠地(鎌倉)の神社でですが、頼家は伊豆の山の中に流され、北条氏が送った刺客によって入浴中に暗殺というのが血生臭さを感じたような気がします。
公暁も「父親は実朝に殺された」と騙されて犯行に及んだんですけどね。でもやはり“謀略の出どころ”は両方とも同じかな!?
昔懐かしい洗面所(修善寺駅のホーム)
三島駅前の食事処「源氏」の「うなぎコロッケ」
コロッケには確かにうなぎが入っていましたが、量が少ないがゆえに“ちゃんとした”うな重orうな丼が食べたくなりました。
でも味自体は美味しかったです。
「うなぎコロッケ」と一緒に頼んだ「カレー南蛮そば」
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