2024年09月03日
一億特攻 後編
前日【一億特攻 前編】を投稿した。
とても1回の投稿では記し終えぬ内容であった。
しかし、後編としても実態を語るには何百、何千もの投稿が必要になるであろう。
今回前後2回はほんの上っ面しか記せない消化不良の記事となること間違いなし。
特攻隊員4,000人、生と死の記憶より特攻による体当たり攻撃は飛行機だけではなかった。
敵艦に突っ込む前に殆どの機が撃ち落とされ海の藻屑に
では飛行機以外にどのような人間爆弾の方法があったのか、以下記します。
・爆薬をつんだ体当たりのベニヤボート「震洋」2500
実際は一人乗船 前はエンジンと爆弾の為ぶつかる前に爆発も多かったと。
・人間が魚雷に乗り込んで操縦する「回天」
直径1メートルの狭さで潜水したらコンパスで敵艦目指したと
・ロケットエンジンを組み合わせた「桜花」430
戦場に着いたら親機から分離して敵艦に突撃
資料に残っているものだが、これ以外にも竹やり戦術みたいな爆弾抱えて敵戦車に突進した将に人間爆弾など多くの人命が失われたのであった事と思われる。
敗戦後、生き残った特攻隊員は「それまで人殺しばかり教えられ、急に民主主義なんて初めて聞く言葉で、正しく生きるんだと言われてもどうやって生きてゆけばよいか、20歳前後の男が正しく生きろと言われても、何としても判らない。どうしていいか判らない。今まで死ぬことばかり一生懸命教えられてきたのだから」と、当時を振り返っての証言は重い物があった。
そして「人間を鉄砲玉に使った外道の戦争」だったとも語っていた。
又、「技術者は言われたものをしっかり作っていればそれでいいんだと、割り切れれば良いのだがやはり人間ですからね」と。
また、「【桜花】の発明者は、桜花は俺が作ったんだと、言えますか」と涙してインタビューに応じていた。
総評と語れるのはこれだけ多くの尊い人命が失われた割には戦果は微々たるものであった。
戦時放送は効果絶大と嘘の過大放送をして国民をだまし誘導していたのである。
例えばボート「震洋」による戦果は2500名の死者に対して敵艦1艘との事であった。
※飛行機にしろ、ボートにしろ、ロケットにしても当時の指揮官指導教官は生き残って戦後黙して語らずではないが生存者は沢山いたようである。
何しろ鉄砲玉の届かないところで「つっこめー」と激を飛ばしていただけの精神論者。
例外として後から自分も特攻に参加した上官もいたらしいが例外に等しいものであったろう。
多くの人は、国は「8月15日が終戦記念日」としている。
しかし、私はひねくれものと思われるであろうが、「終戦ではなく敗戦」という言葉でその日を表現する事にしている。
※※私の記憶違いでは絶対ないと思っている。
8月17日に一億特攻