アフィリエイト広告を利用しています

2024年09月02日

一億特攻 前編


特攻隊について書き始めたが、どうやら今回だけでは記し得ない事が判り前後編の2回に分ける事にした。
爆弾を抱え敵艦目指して飛び立つ自爆死あるのみの、行きの燃料のみの片道切符で飛立ったのである。

零銭 1.JPG

                      死出の飛行

パリオリンピックが終わり、選手団が帰国し記者会見の席で鹿児島県知覧の特攻基地に触れる発言がでた。
24歳の若い女性の発言であり、私は「若いのに偉いな」と思ったものである。
ネットでは過敏に報道され、彼女は時の人になりそうな雰囲気に。
8月17日夜10時からǸHK番組で「一億特攻への道」と題した番組があった。
別段その事があったからǸHKでの特番で1時間放送されたのではないだろうが、暫くして特番のこの放送があったのである。
内容は素晴らしく、今迄にこのような内容の番組はなかったと思われる。

その内容は特別攻撃機で亡くなった方々(ほんの一部、4000人とも6400人とも)の紹介であった。
先ず、冒頭で驚いたのは日本全体の地図にポイントマークされていたが、日本に留まらず樺太から沖縄、韓国、台湾にまでマークされていた。
亡くなられた人たちの出生地にマーカーされていたのだが日本国内隅々から韓国台湾に迄波及していたとは知らなかった。
知覧特攻平和会館には⒗,7歳の若さでお国の為にと散って行った彼らの肉筆の手記と写真などがガラス戸の奥に張られていた。

番組では特攻で多くの方々が亡くなられたと語り、ほんの一部の人に対し関係者などが証言や実家に残された直筆の書や遺族の方の談話が紹介された。
又、特攻隊に所属していたが敗戦により突撃することなく現在に至り、自分は生き残ってしまい戦友の3倍も4倍も生きている事が時として彼等に対し申し訳ないと思うと語っていた。

空軍に希望入隊し戦局が差し迫り、肉弾戦に迄追いやられた時の軍事政権は特攻作戦と称し人間爆弾と言う方策に進んだのであった。
生き残った特攻の人は、「究極の外道の作戦」であったと語っていたが正直にそう思う。
思想教育は恐ろしい。
死は当たり前であり、生きて虜囚の辱めを受けることなかれと死は常に身近に置かれていた時代である。

ただ、特攻隊を編成し出撃を命じていた者、指揮指導した人たちはどういう気持で敗戦を迎え、厚かましく生き残ったのか、特攻で死んでいった方々よりもそれらの無責任な指導者を追求した番組が欲しかった。
政治家が不逮捕特権があるように時の為政者は平然と新しい民主主義の元に変節したのであろう。
ファン
検索
<< 2024年09月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
昔の教師 by 戸村里香 (01/06)
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
家族(261)
料理(89)
動物(76)
作業(118)
友人知人(69)
住みし処 地球(282)
危機対応(309)
業務(102)
好み(115)
環境(48)
旅行(88)
健康(28)
雑学(19)
プロフィール
小豆洗いさんの画像
小豆洗い
プロフィール