2017年01月06日
今の時代は柔軟性が大事『折れる力』
なるほどと思う記事があるのでシェアいたします。
『ここぞというところで、「折れない」人がいます。
どう見ても、あなたが間違っているでしょ、というときでも、「いや、これは……」と断じて自説を曲げない。「企画について意見をください」と言われて、改善点を指摘すると、「でも、これは こういう意図なんです!」と怒り出す。こちらとしては、「求められて意見を言ったのに、なぜ怒られなければいけないんだろう」という気持ちになります。
夫婦や恋人でも、「洗濯物には必ず柔軟剤を入れたい!」「いや、セーターとか大事なものだけでいい」みたいなどうでもいい話で口論になります。
思うのですが、どうでもいいことで頑張っても、本当に大事な道を見失うだけです。
「折れる」からこそ、うまくいく
僕の役職は、NHKエンタープライズのエグゼクティブプロデューサーです。とはいえ実際の仕事はディレクターで、ずっと現場でドラマやコントの演出をしてきまし た。「サラリーマンNEO」「あまちゃん」「となりのシムラ」などの番組は、ご覧になったことがある方もいるのではないでしょうか。どれも個性的な番組で、おかげさまで多くの方に支持されています。
また、NHKにいながら、現在公開中の東野圭吾さん原作のベストセラー小説の映画化『疾風ロンド』(配給・東映)の監督に抜擢していただきました。組織に勤めながらも、個人として認められて外部の方からお仕事の話をいただくというのは、本当に光栄なことと思っています。
その秘訣は、「自分を出していく」のではなく、むしろ「折れる力」ではなかったかと思います。
大抵は、他人に認められたいと思うと、自分の優秀さやよさをアピールししようとします。僕もかつて、はじめての現場に普段はしない眼鏡をかけていって、「知的」な自分を演出してみようとしたこともありました。でも、逆なんです。
自分を認めてもらうには、相手のよさを先に認めることが大事なのです。
「折れる」ことを徐々に意識しはじめた頃の話ですが、ある番組の撮影で、ほかの演出の方のAというやり方と、僕のBというやり方で対立したことがありました。
どうにも膠着した状態が続くこと、3日間。4日目に相手がなおもAを推してきたときに、本当はカチンときていたものの、僕のほうが折れて「Aでやってみましょう」と言いました。結果、それでウケたのです。
自分としては、相手のやり方でウケたことを認めたくないのです「あっ、しまった。やられた!」と思いました。ですが、さらにその悔しさにも折れて、「おっしゃるとおり、Aのほうでやってよかったですね」と伝えたのです。心のなかは、本当は震えそうなくらい悔しさでいっぱいだったのですが。
すると、そこから相手との関係性が一変しました。相手が僕に物事の判断を任せてくれるようになったり、相談を持ちかけられ積極的に意見を求めてくれたりするようになったのです。信頼してくれたのです。不思議なものだと思いませんか?
折れたことで、相手が信頼してくれるように
僕がしたのは「あなたの意見が正しかった。僕のほうがあなたより能力が劣っていた」と認めるのと同義のことです。僕の意見を折って、先方の意見を通して、それで反響がよかった。その事実をして「Aでウケましたね」と言っているわけですから。
ストレートに考えると、こんなときは、相手が増長して「自分の意見が正しかった。それ見たことか」とさらに自分の意見を推し通そうとしそうなものです。にもかかわらず、逆にこちらの意見を聞いたり尊重したり、頼ったりしてくれるようになりました。対立するのではなく、共闘できる協力関係が築けたのです。
もちろん、その後、信頼関係が築かれ、仕事がうまくいったことは言うまでもありません。
苦手な人、嫌いな人にこそお茶を入れる、というのも相手とうまくいくひとつの方法ではないかと思います。やはり頭で考えるのと、行動するのでは違うのです。
嫌いな人にこそお茶を入れる
これは、ドラマの演出のコツでもあるのですが、リアリティある演技をしてもらうために、まず体を動かしてもらいます。むしゃくしゃしている場面では、ただむしゃくしゃしてくれと求めるのではなく、たとえば登場人物が主婦なら、食事の準備中にもやしのひげをとってもらうなど、体で表現できる「行動」を与えるわけです。人間、体を動かすと自然と感情がついていきます。もやしのひげをものすごい勢いで雑にとっていたら、イライラしているんだなということも伝わりますよね。
これは日常でも生かせます。嫌いだと思っていた人と、何か一緒のことをやらなくてはいけないときは、嫌でもまず行動します。感情は伴っていなくていいので、お茶を出してみるとか、グループで話しているときにちょっとつっこんでみるとか(意外に相手はうれしそうだったりもするのです)、「自分は話の輪に入っていないから」という顔をしていたら声をかけてみるとか。
嫌いな人のためにでも動くことで、自分の気持ちも変わります。いい部分が見つけられることもあるし、ライバルでも「あいつ、頑張ってるよね」と言ってみることで、 自分がいい人に思えてくることもあります。最終的には、うまく付き合っていこうと、一歩離れた位置から考えられるようになることもあります。
他人に対して「折れる」というのは難しいものです。すぐイラッとするし、自分が口を出したいと思ったところを、なんとか抑えて「折る」ということもあるわけです。でも、そこはあえて「折れる」です。すると、うまくいけば翌日からでも、人間関係は変わっていきます。
人間関係で難しいのは、よかれと思ってやることが逆方向に動くことが多いということです。わかり合おうとすると、自分を押しつける結果になったり、頑張ろうとするとギクシャクしたり。
結果を出せる人というのは、そうしたことを逆手にとって、相手をうまく使っていきます。そう考えると「折れる力」の源は「器」なのではないかと思います。
自分の器が大きいほど、色んな人の価値観を取り入れられます。相手を受け入れるだけでなく、自分の嫌な部分も受け入れられるような器がベスト です。
なかなか「わからない」と言えない人もいます。年をとったり、経験を積むほど、言えなくなります。
また、自分が「できる人」だということを見せたくて「わかりません」 と言わない人もいます。相手は「わかっている」と思っているから、その前提でどんどん仕事を進めますが、最終的にはその差が開いてしまって、どうにもならなくなったりします。
「あまちゃん」の現場では、僕はまるで素人でした。
まわりはドラマを撮り慣れている人たちばかり。しかも皆、ドラマ制作の現場をともにしていますから、普段から顔見知りです。その中に、ポツンとひとりまったくのドラマ初心者として入りました。しかもセカンドディレクターとして、1回の放送を任されます。しかし、専門用語が飛び交えば、何を話しているのかすらわかりません。そもそもドラマの「本(台本)読み」って何をやっているのだろうと、基礎的なことが疑問でしたから。
そのとき、僕も40歳を過ぎていましたし、それなりのヒット番組を作っていたわけですから、自分よりも年下の人に聞くのは正直恥ずかしい。プライドも高いですから、躊躇します。でも、とにかくわからないことだらけですから、まわりの人に聞かなければなりません。恥も外聞もかなぐり捨てて、10歳でも15歳でも若い人に「わからないから教えてほしい」と尋ねました。このときばかりはとことんバカになって、平気で何もかも聞きました。実際に僕はドラマ初心者なのですから。
でも、そうすることで、だんだんと現場で僕の居場所ができてきました。周囲もいろいろと気にかけて教えてくれますから、ベテランのカメラマンから「成長が早い」と褒められたこともあります。
リーダーだからといって、すべてわからなくていい
これは、リーダーになっても同じです。「わからない」と言えるリーダーだからこそ、みんなが意見を出してくれます。
僕は監督として仕事をした『疾風ロンド』でも、たくさんの人の意見を聞いています。たとえば、僕が2テイク目がいいと思っていても、僕以外の全員が「1テイク目がいい」と言っていたら、「ま、いっか」と「1テイク目」を採用します。
あまりにあっさり判断してしまうのでまわりは拍子抜けしてしまうようですが、そもそもリーダー(この場合、監督)の意見=お客さんがおもしろいと思うもの、では必ずしもないと思います。映画を見る人は、さまざまな感性を持っているはずです。
大切にしなければならないのは、当然ながら作品です。そして、その向こうに見えるテレビの視聴者や映画館に来てくれる方たちの顔でしょう。個人的な感覚は、作品にとってまるで関係がないものだと思います。
それに、そんなやり方をしていても、さまざまな人の意見を聞いていても、最後は自分に帰ってくる。不思議と「吉田さんらしい」と言われるものになっていたりします。どうやったって、「自分」というものは出てくるものだと思います。
しっかりしすぎたリーダーには弊害がある
逆に、しっかりしすぎたリーダーで目標や理想をしっかり持っていると、周囲の人が発言をする余白が現場に生まれません。みんなが、監督は何を考えてるんだろうと リーダーの持つ「正解に応えようとする」思考になってしまうんです。つまり、自分の意見を持たない状態がすごく増えてくるんです。
でもリーダーが七転八倒していると、この人困ってるんだと思って、意見が言いやすくなります。
会社でよく見かける光景ですが「みんな意見を言ってね。ウェルカムだよ」と言ったところで、あまり意見は出てきません。リーダーが迷っていたり、困っているときに尋ねるというほうが、みんなが助けようとして、意見は増えるように思います。
「折れる」と言えば、「言いたい気持ち」も折るほうが無難です。日常で多いのは、「俺の場合はさ」とはじめる人。結局、自慢話です。それこそ、何も生みません。
日本経済新聞社とピアソン社が共同開発! GlobalEnglish 日経版
『ここぞというところで、「折れない」人がいます。
どう見ても、あなたが間違っているでしょ、というときでも、「いや、これは……」と断じて自説を曲げない。「企画について意見をください」と言われて、改善点を指摘すると、「でも、これは こういう意図なんです!」と怒り出す。こちらとしては、「求められて意見を言ったのに、なぜ怒られなければいけないんだろう」という気持ちになります。
夫婦や恋人でも、「洗濯物には必ず柔軟剤を入れたい!」「いや、セーターとか大事なものだけでいい」みたいなどうでもいい話で口論になります。
思うのですが、どうでもいいことで頑張っても、本当に大事な道を見失うだけです。
「折れる」からこそ、うまくいく
僕の役職は、NHKエンタープライズのエグゼクティブプロデューサーです。とはいえ実際の仕事はディレクターで、ずっと現場でドラマやコントの演出をしてきまし た。「サラリーマンNEO」「あまちゃん」「となりのシムラ」などの番組は、ご覧になったことがある方もいるのではないでしょうか。どれも個性的な番組で、おかげさまで多くの方に支持されています。
また、NHKにいながら、現在公開中の東野圭吾さん原作のベストセラー小説の映画化『疾風ロンド』(配給・東映)の監督に抜擢していただきました。組織に勤めながらも、個人として認められて外部の方からお仕事の話をいただくというのは、本当に光栄なことと思っています。
その秘訣は、「自分を出していく」のではなく、むしろ「折れる力」ではなかったかと思います。
大抵は、他人に認められたいと思うと、自分の優秀さやよさをアピールししようとします。僕もかつて、はじめての現場に普段はしない眼鏡をかけていって、「知的」な自分を演出してみようとしたこともありました。でも、逆なんです。
自分を認めてもらうには、相手のよさを先に認めることが大事なのです。
「折れる」ことを徐々に意識しはじめた頃の話ですが、ある番組の撮影で、ほかの演出の方のAというやり方と、僕のBというやり方で対立したことがありました。
どうにも膠着した状態が続くこと、3日間。4日目に相手がなおもAを推してきたときに、本当はカチンときていたものの、僕のほうが折れて「Aでやってみましょう」と言いました。結果、それでウケたのです。
自分としては、相手のやり方でウケたことを認めたくないのです「あっ、しまった。やられた!」と思いました。ですが、さらにその悔しさにも折れて、「おっしゃるとおり、Aのほうでやってよかったですね」と伝えたのです。心のなかは、本当は震えそうなくらい悔しさでいっぱいだったのですが。
すると、そこから相手との関係性が一変しました。相手が僕に物事の判断を任せてくれるようになったり、相談を持ちかけられ積極的に意見を求めてくれたりするようになったのです。信頼してくれたのです。不思議なものだと思いませんか?
折れたことで、相手が信頼してくれるように
僕がしたのは「あなたの意見が正しかった。僕のほうがあなたより能力が劣っていた」と認めるのと同義のことです。僕の意見を折って、先方の意見を通して、それで反響がよかった。その事実をして「Aでウケましたね」と言っているわけですから。
ストレートに考えると、こんなときは、相手が増長して「自分の意見が正しかった。それ見たことか」とさらに自分の意見を推し通そうとしそうなものです。にもかかわらず、逆にこちらの意見を聞いたり尊重したり、頼ったりしてくれるようになりました。対立するのではなく、共闘できる協力関係が築けたのです。
もちろん、その後、信頼関係が築かれ、仕事がうまくいったことは言うまでもありません。
苦手な人、嫌いな人にこそお茶を入れる、というのも相手とうまくいくひとつの方法ではないかと思います。やはり頭で考えるのと、行動するのでは違うのです。
嫌いな人にこそお茶を入れる
これは、ドラマの演出のコツでもあるのですが、リアリティある演技をしてもらうために、まず体を動かしてもらいます。むしゃくしゃしている場面では、ただむしゃくしゃしてくれと求めるのではなく、たとえば登場人物が主婦なら、食事の準備中にもやしのひげをとってもらうなど、体で表現できる「行動」を与えるわけです。人間、体を動かすと自然と感情がついていきます。もやしのひげをものすごい勢いで雑にとっていたら、イライラしているんだなということも伝わりますよね。
これは日常でも生かせます。嫌いだと思っていた人と、何か一緒のことをやらなくてはいけないときは、嫌でもまず行動します。感情は伴っていなくていいので、お茶を出してみるとか、グループで話しているときにちょっとつっこんでみるとか(意外に相手はうれしそうだったりもするのです)、「自分は話の輪に入っていないから」という顔をしていたら声をかけてみるとか。
嫌いな人のためにでも動くことで、自分の気持ちも変わります。いい部分が見つけられることもあるし、ライバルでも「あいつ、頑張ってるよね」と言ってみることで、 自分がいい人に思えてくることもあります。最終的には、うまく付き合っていこうと、一歩離れた位置から考えられるようになることもあります。
他人に対して「折れる」というのは難しいものです。すぐイラッとするし、自分が口を出したいと思ったところを、なんとか抑えて「折る」ということもあるわけです。でも、そこはあえて「折れる」です。すると、うまくいけば翌日からでも、人間関係は変わっていきます。
人間関係で難しいのは、よかれと思ってやることが逆方向に動くことが多いということです。わかり合おうとすると、自分を押しつける結果になったり、頑張ろうとするとギクシャクしたり。
結果を出せる人というのは、そうしたことを逆手にとって、相手をうまく使っていきます。そう考えると「折れる力」の源は「器」なのではないかと思います。
自分の器が大きいほど、色んな人の価値観を取り入れられます。相手を受け入れるだけでなく、自分の嫌な部分も受け入れられるような器がベスト です。
なかなか「わからない」と言えない人もいます。年をとったり、経験を積むほど、言えなくなります。
また、自分が「できる人」だということを見せたくて「わかりません」 と言わない人もいます。相手は「わかっている」と思っているから、その前提でどんどん仕事を進めますが、最終的にはその差が開いてしまって、どうにもならなくなったりします。
「あまちゃん」の現場では、僕はまるで素人でした。
まわりはドラマを撮り慣れている人たちばかり。しかも皆、ドラマ制作の現場をともにしていますから、普段から顔見知りです。その中に、ポツンとひとりまったくのドラマ初心者として入りました。しかもセカンドディレクターとして、1回の放送を任されます。しかし、専門用語が飛び交えば、何を話しているのかすらわかりません。そもそもドラマの「本(台本)読み」って何をやっているのだろうと、基礎的なことが疑問でしたから。
そのとき、僕も40歳を過ぎていましたし、それなりのヒット番組を作っていたわけですから、自分よりも年下の人に聞くのは正直恥ずかしい。プライドも高いですから、躊躇します。でも、とにかくわからないことだらけですから、まわりの人に聞かなければなりません。恥も外聞もかなぐり捨てて、10歳でも15歳でも若い人に「わからないから教えてほしい」と尋ねました。このときばかりはとことんバカになって、平気で何もかも聞きました。実際に僕はドラマ初心者なのですから。
でも、そうすることで、だんだんと現場で僕の居場所ができてきました。周囲もいろいろと気にかけて教えてくれますから、ベテランのカメラマンから「成長が早い」と褒められたこともあります。
リーダーだからといって、すべてわからなくていい
これは、リーダーになっても同じです。「わからない」と言えるリーダーだからこそ、みんなが意見を出してくれます。
僕は監督として仕事をした『疾風ロンド』でも、たくさんの人の意見を聞いています。たとえば、僕が2テイク目がいいと思っていても、僕以外の全員が「1テイク目がいい」と言っていたら、「ま、いっか」と「1テイク目」を採用します。
あまりにあっさり判断してしまうのでまわりは拍子抜けしてしまうようですが、そもそもリーダー(この場合、監督)の意見=お客さんがおもしろいと思うもの、では必ずしもないと思います。映画を見る人は、さまざまな感性を持っているはずです。
大切にしなければならないのは、当然ながら作品です。そして、その向こうに見えるテレビの視聴者や映画館に来てくれる方たちの顔でしょう。個人的な感覚は、作品にとってまるで関係がないものだと思います。
それに、そんなやり方をしていても、さまざまな人の意見を聞いていても、最後は自分に帰ってくる。不思議と「吉田さんらしい」と言われるものになっていたりします。どうやったって、「自分」というものは出てくるものだと思います。
しっかりしすぎたリーダーには弊害がある
逆に、しっかりしすぎたリーダーで目標や理想をしっかり持っていると、周囲の人が発言をする余白が現場に生まれません。みんなが、監督は何を考えてるんだろうと リーダーの持つ「正解に応えようとする」思考になってしまうんです。つまり、自分の意見を持たない状態がすごく増えてくるんです。
でもリーダーが七転八倒していると、この人困ってるんだと思って、意見が言いやすくなります。
会社でよく見かける光景ですが「みんな意見を言ってね。ウェルカムだよ」と言ったところで、あまり意見は出てきません。リーダーが迷っていたり、困っているときに尋ねるというほうが、みんなが助けようとして、意見は増えるように思います。
「折れる」と言えば、「言いたい気持ち」も折るほうが無難です。日常で多いのは、「俺の場合はさ」とはじめる人。結局、自慢話です。それこそ、何も生みません。
日本経済新聞社とピアソン社が共同開発! GlobalEnglish 日経版
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