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2015年10月12日

2009年春 病院を渡り歩く日々

2009年の春頃になると、発作はきついものではなかったが、回数が増えだした。
休日に買い物中の足のつっぱりや、外出しようと洋服を着替えていると、何をしているのかわからなくなり、着替え途中で動作が止まったりした。旦那が固まった私を見て、外出を取りやめ布団で寝るように指示してくれた。初めは旦那が唯一の相談相手であった。

そのうちに会社でも少し症状が出てくる時があった。
昼前に営業所に行った時のことだ。営業所のマネージャーと話していると、話が理解できない。
理性を保って話しながらも足をバタバタとしたくなる。打ち合わせ後に昼食を食べ始めたら、正常に戻った。
同じ部署の上司や後輩には説明しておかないと、今後支障をきたすかもしれないので、体の症状を説明した。現在は全く病名がわからず原因不明だが、おかしな行動をとったり、急に訳がわからなくなるということも説明した。組合の役員もしていたが、暫く活動を休みたいと申し出た。親しくしていた同僚と後輩にも打ち明けた。酷くならない前に会社も暫く休むべきなのだろうかと悩んだ。

精神科に通ったが、全く効果はなかった。会社の医務室に行き産業医に相談すると、個人の精神科医院を紹介してくれた。紹介してもらった精神科の女医に、症状を紙にまとめたレポートを持参して相談をしたが、どうも精神的な病気では無い気がすると言われた。女医は、大人の癲癇(てんかん)ではないかという見解だった。女医はすぐに癲癇治療で定評のある個人の医院を紹介してくれた。
紹介してもらった癲癇の医院の医師は、脳波のエキスパートとも言われている人だった。頭に沢山の吸盤のようなものを付けて静かに横になり1時間近く脳波を取った。前頭葉に微かに乱れが出ることがあると診断された。(誰にでも軽い脳波の乱れはあるそうだが)
何度かの脳波検査の後に、軽い癲癇の薬が出た。癲癇という病気は、一生つきあっていく病気だそうだ。癲癇の薬も一生飲むことになるという。私の家系で癲癇を持つ人は聞いたことがなく、疑いながらも自分は癲癇なのかと正直ショックであった。

旦那はその頃から勤めていた会社を辞め、独立した。従業員はいないが個人事業主となったのだ。
後で聞いたことだが、私の不安定な症状のサポートも考えて独立を少し早めてくれたのだぞうだ。
お蔭で旦那は車で私を色んな病院に連れて行ってくれたりもした。
後でも書くが、旦那はごく自然な形で私を見守りサポートをしてくれた。
また、私がおかしな行動をした時は紙にまとめてくれていた。私はそれを持って病院に行くことができた。
私はいつも間にか、自分の症状をうまく説明できなくなっていた。
元々説明は上手くなかったが、低血糖が頻繁に起こると脳に糖分が届かなくなる状態も多くなる訳だから、多少のダメージも出ていたのかもしれない。

この病気の怖いところは、稀な病気である為病院の医者達も的確な判断ができないこと、本人も慢性低血糖状態に体が慣れ、発作の症状から精神的な病気だと勘違いしてしまうことである。鬱病か、それとも自分は若年性アルツハイマー病かもしれないとも思った。

私はこの原因不明の病気を恐れた。
鬱病なら治しようがあるが、もしかすると、いつか私の頭はバカになるのではないか。
いつか自分は何もわからなくなって、何もできなくなってしまうのではないか。
まるで若年性アルツハイマー病のように。
わからなくなってしまう自分はまだいい。
私の病気で旦那や親という大切な人達に、自分が死ぬまで迷惑をかけることになるかもしれない。
それが一番怖かった。
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