2014年07月09日
志を高く持つことが元気の原動力となる
美人薄命の本当の意味を御存知ですか?美人に生まれてきた人は早く死ぬという意味では無く、美人の彼女や奥さんをもらうと男性は頑張りすぎて早死にするという意味ですから誤解無きようお使い下さい。(ニッコリ)
人はよく、成し遂げたとか完璧とか完成したと思った時点でその成長は終わると言うことを耳にします。
それは、求める心がそれ以上無くなった時に出る言葉であってそこには、自信から満ち溢れる奢りも芽生えて他人の話やアドバイスさへも耳に入らなくなるからです。
ですから反対に飽くなき求める心が人を何処までも成長へと繋げていきます。更には、書物からでも人からでも学ぶべきはその本質はどこにあるのかを探求することです。
対話が必要な人間社会において言語が使われ始めたのは、人がこの世に誕生して今日までの長い歴史の中を一本の線に直すと言葉を使うようになったのは僅か5%しか経過していないということをご存知でしょうか?(恥かしい)そしてその探究心の中には、温(穏やかさ)、良(すなおさ)、恭(うやうやしさ)倹(つつましさ)譲(けんそん)の五感が必要であるそうです。
この心を持って「友に求めて足らざれば天下に求む、天下に求めて足らざれば古人に求めよ」とあるように
人の心は、常に移り変わりますし乱れるものですから例えば、自分の中で理解出来ない、または解決出来ない壁にぶち当たった時に、まずは友人や同僚に、次に上司や目上の人に、それでも解決出来ない時は、ご両親や尊敬する方に相談するといいですよ
その心を焦点を一つに定めるのが立心であり、言い換えれば立心とは人生に対する覚悟を決める事だと思います。 「人生劈頭一個の事あり。立志是なり」と幕末の儒学者春日潜庵という人の言葉です。
これは、人生を始めるにあたり欠かすことが出来ないのもの、それが立志だと言っています。
古今に不変の原理だと私は思います。 古より偉人たちは等しく立志の時が早い。「吾十有五にして学に志す」 とあるように孔子も15歳で学に志しました。学は現代の学校教育の教科のことではありません。修業し、君子として自己を確立すべく学び続けようと15歳で覚悟を決めたのです。また吉田松陰と並び称せられる幕末の志士橋本左内は、15歳の時に「啓発録」を書きましたがその中に自戒すべき項目を5項目挙げています。1、幼心を去れ(子供っぽい、甘ったれた心を去れ)2、気を振へ(元気をだせ)3、志を立てよ 4、学を勉めよ、5、交友を選べ
この5つの言葉の中に見事な決意を表しています。さらに続けてこうも書いています。「父親から経書や史書を教えられたが、性質がぐうたらで学問も進歩するあてが無いような気がして、毎晩寝床の中で泣いたというのである。
志を抱き、その志に至らない自分に歯ぎしりする姿が尊い」その他にも「常に高く遠いところに着目せよ 汝若し常に小なる自己一身の利害、目前の小成にのみ心を用いれば、必ずや必ずや困難にあいて失望することあらん。然れども汝もし常によく真理を愛し、学会進歩のため、人類幸福のため、全く小我をすててあくまでも奮闘し、努力するは勇気を出せば、如何なる困難も如何なる窮乏も、汝をして失望するが如きことなからん。真の大事、真に生命ある事業はここに至ってはじめて正しき出発点を見出すというべし。進むべき 道は一筋、世のために いそぐべからず 誤魔化すべからず」人はどういう志を持っているかによって決まると思います。
つまりは、志の高低がその人の人生を決定するような気がします。そしてこの志は、若者の専売特許ではなく、30代には30代の、50代には50代の、70代には70代の立志があると私は思います。 宇宙が目に見えない力によって調和が保たれているように人間も志を持つことによって調和ある人生を全うできると私は確信しております。
幾ら歴史は浅くても昔の人が作った言葉の単語も、詩も非常に奥は深い。 刻苦勉励すれば悟りのような心眼で読む説くことが出来るようになると言います。 仏様、日蓮上人、キリスト、聖徳太子その他 人が過去に書かれたとされる書物は今も我々の生活や生き方に即した教えであるが故に多くの信仰者を持つと思います。 それらの教えの共通点はやはり立志立命であり、清き心の鍛錬が全てに活きてくるような気がしてなりません。
人はよく、成し遂げたとか完璧とか完成したと思った時点でその成長は終わると言うことを耳にします。
それは、求める心がそれ以上無くなった時に出る言葉であってそこには、自信から満ち溢れる奢りも芽生えて他人の話やアドバイスさへも耳に入らなくなるからです。
ですから反対に飽くなき求める心が人を何処までも成長へと繋げていきます。更には、書物からでも人からでも学ぶべきはその本質はどこにあるのかを探求することです。
対話が必要な人間社会において言語が使われ始めたのは、人がこの世に誕生して今日までの長い歴史の中を一本の線に直すと言葉を使うようになったのは僅か5%しか経過していないということをご存知でしょうか?(恥かしい)そしてその探究心の中には、温(穏やかさ)、良(すなおさ)、恭(うやうやしさ)倹(つつましさ)譲(けんそん)の五感が必要であるそうです。
この心を持って「友に求めて足らざれば天下に求む、天下に求めて足らざれば古人に求めよ」とあるように
人の心は、常に移り変わりますし乱れるものですから例えば、自分の中で理解出来ない、または解決出来ない壁にぶち当たった時に、まずは友人や同僚に、次に上司や目上の人に、それでも解決出来ない時は、ご両親や尊敬する方に相談するといいですよ
その心を焦点を一つに定めるのが立心であり、言い換えれば立心とは人生に対する覚悟を決める事だと思います。 「人生劈頭一個の事あり。立志是なり」と幕末の儒学者春日潜庵という人の言葉です。
これは、人生を始めるにあたり欠かすことが出来ないのもの、それが立志だと言っています。
古今に不変の原理だと私は思います。 古より偉人たちは等しく立志の時が早い。「吾十有五にして学に志す」 とあるように孔子も15歳で学に志しました。学は現代の学校教育の教科のことではありません。修業し、君子として自己を確立すべく学び続けようと15歳で覚悟を決めたのです。また吉田松陰と並び称せられる幕末の志士橋本左内は、15歳の時に「啓発録」を書きましたがその中に自戒すべき項目を5項目挙げています。1、幼心を去れ(子供っぽい、甘ったれた心を去れ)2、気を振へ(元気をだせ)3、志を立てよ 4、学を勉めよ、5、交友を選べ
この5つの言葉の中に見事な決意を表しています。さらに続けてこうも書いています。「父親から経書や史書を教えられたが、性質がぐうたらで学問も進歩するあてが無いような気がして、毎晩寝床の中で泣いたというのである。
志を抱き、その志に至らない自分に歯ぎしりする姿が尊い」その他にも「常に高く遠いところに着目せよ 汝若し常に小なる自己一身の利害、目前の小成にのみ心を用いれば、必ずや必ずや困難にあいて失望することあらん。然れども汝もし常によく真理を愛し、学会進歩のため、人類幸福のため、全く小我をすててあくまでも奮闘し、努力するは勇気を出せば、如何なる困難も如何なる窮乏も、汝をして失望するが如きことなからん。真の大事、真に生命ある事業はここに至ってはじめて正しき出発点を見出すというべし。進むべき 道は一筋、世のために いそぐべからず 誤魔化すべからず」人はどういう志を持っているかによって決まると思います。
つまりは、志の高低がその人の人生を決定するような気がします。そしてこの志は、若者の専売特許ではなく、30代には30代の、50代には50代の、70代には70代の立志があると私は思います。 宇宙が目に見えない力によって調和が保たれているように人間も志を持つことによって調和ある人生を全うできると私は確信しております。
幾ら歴史は浅くても昔の人が作った言葉の単語も、詩も非常に奥は深い。 刻苦勉励すれば悟りのような心眼で読む説くことが出来るようになると言います。 仏様、日蓮上人、キリスト、聖徳太子その他 人が過去に書かれたとされる書物は今も我々の生活や生き方に即した教えであるが故に多くの信仰者を持つと思います。 それらの教えの共通点はやはり立志立命であり、清き心の鍛錬が全てに活きてくるような気がしてなりません。
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