2013年09月19日
269. 草笛光子 煎茶・船旅・水谷豊・三谷幸喜 「はなまるマーケット」
「姿勢がいいですね」背中がまっすぐ伸びてます。
「人様がいいということを全部取り入れてやってるんです」
草笛さんは1933年10月22日生まれの79歳。神奈川県出身。
1950年(17歳)で松竹歌劇団に入団。
1953年(20歳)で映画「純潔革命」でデビュー。
1958年(25歳)日本初の音楽バラエティ「光子の窓」の司会。テレビの創世記にすでに冠番組を持っていたんですね。すごい…。
それからも映画・テレビで大活躍。日本を代表する女優の1人ですが、現在NHK「八重の桜」で語りをしています。
「お肌もきれいですね。デジタルの時代でも十分対応されていますよ」と薬丸さんが女殺しの一言。
「深むし煎茶」尾山台いちば お茶のモリヤ 東京都・世田谷区
「私、お煎茶大好きなんです。どこにでも持っていってますね…旅行にも、海外にまで…」「煎茶もいい煎茶…あとはあまり贅沢しません」
草笛さんにはこだわりの飲み方があるそうです。それは煎茶に梅干しを入れること。
「梅干し入れるんです…梅干しババアですけど…」遠慮してか誰も笑いません。笑えないでしょう。
「こうやっていただくと、朝ボーっとしてるのが、スカッとするんです…。『朝茶はその日の難を逃れる』…あら、知らない?やだあ、おばあちゃんから教えられて…」
おいしそうにお茶を飲む草笛さん。「これで、今日は幸せ…」
そして草笛さんの日課が「お経を読む」
「好きな人、大事な人が亡くなって、ショックで…難聴になって…。『お経を読みなさい』って友だちに言われて何十年も…」
最初で最後の船旅
「一生で一度でいいから船旅をしたかった…」という草笛さんが参加したのは
「シルバー・スピリットで行くアドリア海クルーズ」というツアーです。
シルバー・スピリットというのは豪華客船の名前。
行き帰りは飛行機。アテネからベニスまで、豪華客船で船旅を楽しみます・
「毎日海を見て『飽きるかな…』と思っていたら忙しくて飽きませんでした…」
飛行機でアテネに行き、そこから10日間船で観光名所を旅します。トルコ、ギリシャ、クロアチア…最後にイタリアのベニス。
船内での食事はすべてクルーズ料金に含まれていたそうです。様々なショー、カジノ、プール…船長主催の晩餐会と、船上生活も楽しかったようで…。
「乗り組員の方たちが『また会いたい』と思わせる方たちばかりで…」「食事の豪華なこと!」と思い出話は尽きません。
しかし旅の最後にハプニング。ベニスで財布を盗まれてしまったのです。
「こんちくしょう!と思ったけど、厄落としと考えて…」と草笛さん。
旅に向かうときに、仲のいい水谷豊さんに「最初で最後の船旅に行ってきます」とメールを送ったところ、「僕の知人が『最初で最後の船旅』って出かけていって、もう5、6回行ってます」(笑)
「右京さんが言ってるんですね」と薬丸さん。
「写真を見て思い出して…オアシスだから…いいもんですね」とうっとり。
芸能界に入るきっかけ
子どものころの草笛さんは、「ヤな子です。おとなしい、笑わない子。コミュニケーションが下手で…。そういう性格は逆なものがあるのでは…。『何かで人に表現したい』という気持ちがあって…」
戦後間もなくの、家を焼かれた時代、草笛さんの家は広かったので、何組もの家族が住んでいたのだとか。
「そこのお嬢さんが『(松竹歌劇団を)受けなさい…どうしても受けろ』というので受けたら受かった…」
それから「どうしよう?」ということになったそうです。家族が反対する中、学校の体育の先生が「学校を休校して1カ月通って決めなさい」と言ってくれたそうなのです。
「西の宝塚、東の松竹歌劇」と言われた時代ですから、先生は「これはこの子にとってチャンスだ!」と考えたのでしょうね。
そして1か月通い「やってみよう!」と草笛さんは決意。1年に1度テストがあって成績が出るのですが「相撲のようで面白い、戦ってみよう!」と思ったのだとか。
練習には人より1時間早くいったそうです。その甲斐あって、卒業時の成績は1番!
「そのときは一生懸命やりました…そのあとも一生懸命やってたらすごい女優になれたのに…」いえいえ。
草笛さんは今、「ストーカーをしていたこともありました」というくらい大好きな三谷幸喜さんの演出「ロスト・イン・ヨンカーズ」のための練習中です。
最初の本読みのときに、共演の中谷美紀さんのセリフを聴いて泣き出してしまうほどの集中力で取り組まれているそうです。(三谷幸喜談)
本当にお元気な79歳。いつまでもご活躍を。
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