岡山県美作市にある「宮本武蔵生家跡」に行ってきました
日本武道史上、最も有名な剣豪「宮本武蔵」
武蔵はここで16歳まで過ごしています
もともとはかやぶき屋根でしたが焼失し、昭和17年に瓦ぶきの建物で復元したようです
武蔵の父は平田無二斎、祖父を平田将監といい、
両人とも十手術の達人でした
武術家の家に生まれ育った武蔵は幼少の頃から武術にたけており
13歳の時、播磨の国で新当流有馬喜兵衛に勝負を挑んでたちまちの間に勝ってしまいます
16歳、但馬国で怪力で武芸に優れた秋山なる者と勝負をし、一瞬の間に打ち殺したので
世間に武蔵の武名が一気に広がります
後に京都へ行き、日本一の兵術者と言われていた吉岡憲法に勝負を挑みます
吉岡家の跡継ぎである吉岡清十郎、吉岡傳七郎を倒し、吉岡家を滅亡させます
それ以後、諸国を巡って剣の道一筋に練磨し
29歳で佐々木小次郎に勝つまで生涯に六十余度の勝負をし一度も負けていないのです
武蔵は剣の流儀を二天一流(長刀と短刀を駆使して戦う二刀流)と称し
その兵法を五輪書、兵道鏡に残しました
日本人メジャーリーガー・大谷翔平選手の投打にわたる活躍で
今話題となっている「二刀流」その語源が宮本武蔵というのは有名な話です
剣術を悟り、二刀流を編み出した武蔵には、もう一つの顔がありました
各地に武蔵が描いた墨画が残されています
一部は重要文化財に指定されるほどの腕前なのです
「文武二道」
武蔵は剣術のみにあらず、兵法者というだけではなく
芸術家という意味でのアーティストだったのです
「先づ武士は、文武二道と云ふ二つの道を嗜むこと、最も肝要なり」
世にいう「文武両道」のモデルがこの宮本武蔵であったということは
あまり知られていないのではないでしょうか
武蔵が住んでいた家のすぐ前に
「たけぞう茶屋」という食事処があります
いただいたのは「武蔵二刀流めん」
うどんとそばが両方入っていて、長い箸と短い箸で食べる二刀流
二刀流がいかに難しいかがよく分かりました
2022年08月15日
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