浦上天主堂の近くにある「如己堂」に立ち寄りました
如己堂とは
長崎市にある、永井隆博士が白血病の療養をしていた建物です
終戦から約3年後の1948年(昭和23年)
浦上地区の人達やカトリック教会の協力により建てられました
永井博士は長崎医大の医師で、また映画「長崎の鐘」の原作者です
この映画には、長崎に落とされた原子爆弾のすさまじさと
平和を祈るメッセージが込められています
彼は原爆で最愛の妻を亡くし、自ら被爆したにもかかわらず
医師として多くの被爆者たちの治療を献身的に行います
永井博士には、誠一と茅乃という二人の幼い子どもがいました
子どもたちは疎開で原爆の難を逃れましたが
白血病を患っている博士は、自らの死期を悟り
やがて孤児となる二人の運命を心配します
「私がやっぱり眠ったふりをしていると、カヤノは落ち着いて
ほほをくっつけてくる。ほほは段々あたたかくなった。
何か人に知られたくない小さな宝物をこっそり楽しむように
カヤノは小声で「お父さん」といった
それは私を呼んでいるのではなく、この子の小さな胸に
押し込められていた思いがかすかに漏れたのであった」
「一月でも、一日でも、一時間でも長く生きて、この子の
孤児となる時をさきに延ばさねばならぬ。一分でも一秒でも
死期を遅らせていただいて、この子のさみしがる時間を
縮めてやらねばならぬ」
博士の著書「この子を残して」より
永井博士は
昭和26年、白血病悪化により43歳の若さで亡くなりました
自署の題名につけた「長崎の鐘」
浦上天主堂にかかげられていた、お祈りの時刻を告げる
アンゼラスの鐘のことです
原爆投下で天主堂が炎上したとき
50メートルの高さから落下したにもかかわらず
ひび一つ入らずに無事に掘り出されたそうです
そして、その年のクリスマスの日から
再び、生きる希望の鐘として鳴らされました
今も変わらぬ音を響かせています
価格:1,100円 |