2018年10月12日
少し控えてみる? 自分の感情をコントロールするメリット
自分の感じたままを大切にするのは良いのですが、
たまには自分を抑制したほうが良い場合もあります。
わざわざ誰かに指摘するまでもなく、
誰もが自分で自分に気づくことなので、
こうして私が書く必要性など、ないと言えば、ない、のですが。
「どうしても、これだけは言っておきたい」
など、
なんだかムキになってしまうときって、ないですか。
基本的に、
言いたいことを、
言いたいように言えば良いのですが、
「だからといって、傷つきたくない」
のであれば、
自分の感情をコントロールしてみましょう。
ちょっとでいいです。
ほんの少し、控えてみる。
それだけのことです。
ほんの少し、って、どの程度?
曖昧な基準になってしまいますが、
『犯罪者になりたくない』
『犯罪者になってもいい』
を、自分に突きつけてみると、
私は即座に理解できます。
『犯罪者になるくらいなら、この程度のこと、忍耐しても良い』
と、即答できるなら、それが、
「少し控えてみる」の「程度」です。
なので、場合によっては、
ぎゆっと手で握りこぶしをして、
爪が手のひらに刺さって痛いですし、
まあいろいろと嘆かわしいこともあるにはあるのですが、
『あのとき、犯罪者にならなくて、良かった』
と、振り返って納得できるのでOKです。
そういう経験・体験が、幾度もあります。
とくに、
「憎しみ・怨みツラミ・憤怒」
に関しては、
ハッキリ言って私の場は、
「殺人犯になりたいか? なりたくないか?」
で即断即決します。
自分のプライドを賭けた願いであっても、
「殺人」に至らしめるのは、
「冷静な私は」には耐えがたいのです。
ちなみに、
私は「自殺」に関しては、
「私を殺した殺人犯、それが私」の状態だと拡大解釈するように心がけています。
私が自殺したとしたら、
家族にとっては、
「死んだんじゃない。殺されたんだ。その犯人と・・・いうのが・・・」
の状況になる、ということ。もちろん私の拡大解釈です。
でも、
大切な人を失う、しかも失う原因が「殺」なのだとしたら。
あくまでも「想像力を駆使する範囲内」のことです。
ですから「拡大解釈」なのだと、申しあげておきます。
あなたは、
「ムキになった自分の感情」の矛先を、
誰かに向けていませんか?
他人でも、
自分でも、
その相手には「周りの人がいる」ことを、
可能な限り忘れないでください。
ちょっとです。ほんとうに、ちょっとなんです。
暴れまくりたいときこそ、
爆発させたいときこそ、
「少し控えてみる」ことを、
自分自身の中で意識してみてください。
大変ですが可能です。
経験を重ねると、慣れてきます。
慣れてくると余裕が出てきて、客観視もできるようになってきて、
本当に、
「自分の感情をコントロール」できるようになっていきます。
「感情」にも、レンジやレベルがありますので、
「できるようになった」と思ったら「制御できない!?」という激しい感情を思い知ることもあるかもしれませんが、
いえ、私にも「コントロールできるはず。なのに、できない!?」という経験があります。幾度も。
そのたびに経験を積んで、制御レベルを高めていきます。
経験せずに済めば良いこともあるのですが、
直面してしまったのなら。
そんなときは。
「少し控えてみる」
を意識してみませんか?
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く