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2021年05月12日

何故、何度も真言を唱えるのですか? 仏教信仰入門 FAQ

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何故、真言を何度も唱えるのですか?



真言宗に限らず仏教では真言や、仏様のお名前や、お経の名前を、何遍何十遍何百遍何千遍何万遍と唱えます。 なぜこんなことをしなくてはいけないのだろう、そう思い出すとあなたに天魔が訪れ、だんだんやる気を無くさせて行きます。

南無阿弥陀仏
南無妙法蓮華経
南無観世音菩薩
南無大師遍照金剛
そして真言。

妙法蓮華経では、仏様から功徳を得る上で重要なことは、法華経を受持し読唱し、暗唱し、説き広め、写経をすること、これを五種奉仕とよび 、強調されています。


真言に限って言えば、密教で真言は、大日如来が語った真実の言葉で、仏様に対して呼びかける言葉です。この呪文を唱えることで、宇宙よりその仏の働きを呼び起こし、自らを同一化することができます。その真言の持つ力が唱える者の身ににみなぎり、現実に働きかけると言います

元々真言は、バラモン教のマントラと呼ばれる呪文をルーツとし、これが仏教に取り込まれたものです。 サンスクリット文字で書かれ、それを例えば、西遊記で有名な三蔵法師や、鳩摩羅什(くまらじゅう)などといった翻訳者が翻訳し漢字にしたものは、お経となってこの日本に伝わったのですが、意味を訳さず、音だけをあてて漢字で表したものは、真言、陀羅尼となりました。つまり、真言はより呪文のルーツに近い音を発しているのです。

そして重要なことはこの真言の起こす振動です。何度も何度も振動を発することで、これが宇宙へ響き、それが仏尊に繋がるのです。仏尊と共鳴をするわけです

私も毎朝、朝4時から真言を唱えていますか、私は壁にお経を貼り付けており、真言を唱えると、これらのお経が、さわさわと振動で震え独特の音がします。
しかもこれは低い音で唱えるほど、その音がよく聞こえます。この振動音こそが重要なのでしょう。この振動が御尊像あるいは、御札を通して仏様につながり、そしてまた自分自身も振動し、最終的には仏様と一体化していくということです。

これは一回や二回唱えただけでは起こるものではないでしょう まさに何十、何百、何千回と唱えることによって、仏様との一体感が出てくるものかと思います。

それは傍から見ているといわゆる狂信者に見えるかもしれません。しかしまさにこの行為こそが仏様と連絡を取る唯一の方法ではないかと思います。

余談になりますがスティーブンスピルバーグの出世作、「未知との遭遇」という映画があります。
この中で言葉のわからない宇宙人とコンタクトするために、ある一つの音階 を 何度も何度も繰り返し、宇宙人と意思疎通をするという場面があります。伝わらないことは何度も何度も何度も何度も、求めていることを、何度も何度も、子供が欲しいおもちゃがあればその名前を何度も何度も、呼んでも聞こえない時は何度も何度もその名を口にする。ただし違いは、真言の最終的な目的は大日如来と、仏様と一体化すると言うところにあります。

B真言を唱えることによって、心と体に与える影響

また、特定の言葉を繰り返し唱え続け、その行為に意識を集中するということができます。これを三昧の境地と呼びます。文献によればこの境地が尋常ならざる記憶力の向上をもたらす可能性を秘めているということです。つまりこれを唱えることによって、その振動が自らの心と体に何らかの影響が与えられるわけです。

さらに文献によれば、何度も何度も繰り返し唱え続けることによってこの真言、呪文は次第次第に、単なる音の羅列と化して、ついにはその言葉が元々持っていた意味は文字通り意味をなさなくなります。これは言葉の解体を意味し、それがつまるところ、大乗仏教や密教における空を体得するということにつながるわけです。

私もこの真言を唱えている時に、色々と不思議なことがあります。それはまた別の機会に書きますが、
例えば、私は花粉症がひどく鼻水が出て困っているのです。特に勤行では花を供えますので花粉症の症状がかなり発生します。しかし、あら不思議、真言を何度も唱えてる間に、この鼻水は不思議と治ってしまうのです。あるいは少し風邪気味で調子悪いときなども。本当に嘘でなくて、全く正直に、調子が良くなってしまうのです。

真言を唱えることで、その振動が自らの色々な体の症状が回復し、しかもその状態は言葉そのものの意味がなくなり空である状態だとすれば、 我々は空であることそのものが私たちの苦を抜き、楽を与えることにつながることを体験しているとは言えないでしょうか?

まとめ
@仏教では、仏様のご尊名を何度も唱えることで、ご利益があるとお経に書いてある。仏尊の真言は、尊名をサンスクリット語を漢字に直したものが多く、ご尊名を何度も唱えていることに同義である。

A真言は大日如来、仏様と一体化するための言語であり、何度も唱える時の音による振動が宇宙=大日如来そしてあらゆる仏様に響き渡る。

B真言はまた、何度も唱える事によってその呪文の無意味化「空」と心身への良い影響を持たらし、唱える者の苦を抜き、楽を与えることが出来る。(ただ調伏などの真言はわかりません。)


以上です。いくつかの文献から自分なりに理解したことを書きましたが如何ですか?
意味が分かれば、何度も唱えることに意義を見出し、またその現象を確認してみてください。

合掌





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