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2021年04月23日

聖天(歓喜天)様 信仰 5ー6 勤行の手順 三帰 (三遍)

三帰 (2).png





仏法僧に帰依いたします。と唱えます。仏教徒なら大乗でも小乗でも形こそ違い、これを唱える。

私は、ブッダの弟子になります。
未来の果てが尽きるまで、
仏陀を深く信じ、(仏)
仏陀の説かれた真理を深く信じ、(法)
仏陀の教えを実践する出家僧の集いを深く信じます。(僧)

上のタイトル絵を見てもらえばわかりますが、未だ帰依していないのです。
なるのは、次に唱える三竟です。

聖天様の今回の勤行では、読みませんが、私は三帰依文が好きです。長いですが、何とか
暗記しました。

人身受け難し、今すでに受く。
仏法聞き難し、今すでに聞く。
この身今生に度せずんば、更にいずれの生においてかこの身を度せん。
大衆諸共に、至心に、三宝に帰依したてまつる。

自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生と共に大道を体解して無上意を発さん。

自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生と共に深く経蔵に入りて智慧海の如くならん。

自ら僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生と共に大衆を統理して一切無碍ならん。

自帰依仏 当願衆生 体解大道 発無上意
じきいふつ とうがんしゅじょう たいげたいどう ほつむじょうい
自帰依法 当願衆生 深入経蔵 智慧如海
じきえほう とうがんしゅじょう じんにゅきょうぞう ちえにょかい
自帰依僧 当願衆生 統理大衆 一切無礙
じきえそう とうがんしゅじょう とうりだいしゅ いっさいむげ

私は、下線のところが特に好きです。
仏教に帰依するのなら、この三帰三竟はどの形式でも、必ず唱えなくてはいけません。

そして、こうして戒めているのです。仏教の大いなる教えを学ぶのは、決して、
世のなかを自在に操るためではないと。衆生をすくうためなのだ、と。

例えば、長い陀羅尼を覚えて、それを唱えている最中に、ちょっとでも得意な気持ち、
(それは下司な例えですが、カラオケのさびを上手く歌えたような気持ち)になると
必ずこの三帰依文のフレーズが耳に鳴り響きます。そして必ずその少し後に、間違えるのです。

仏教を信仰するという事は、永遠に仏様に、衆生に、自分に謙虚になるということなのでしょう。

合掌



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