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2021年04月20日

仏教信仰 K 雑念を考える 2 再度祈る目的を認識する。浦島声聞太郎

煩悩スクリーンに入る前に、このシリーズの最初で「なんのために祈るのか?」について書いているが、この時は仏教の知識も少なく、感情的な説明になっているので、以下にスライドを使い、説明します。これはあくまで私の場合であるが、しかし、私という非常に分かりやすい失敗者のケースから、なんのために祈るのか?何故、雑念の無い状態が必要なのか?ということを理解してください。

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↑ 太郎は、ある日亀に連れられ、海の底の、竜宮城に連れていかれました。

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↑ 竜宮城では、大歓迎を受け、太郎は今まで地上で出来なかったことをしました。亀も最初は一緒に楽しんでいましたが、途中でどこかに消えてしまいました。そうして彼は時を重ねました。楽しいことは苦しみと表裏一体でありました。

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↑ そうして何十年も経ってから、亀が現れ、「もう地上に帰らなければ」と促しました。その表情は、あのどこへでも連れて行ってくれた亀ではなく、冷たく、厳粛な面持ちでした。そこで仕方がなく、地上に帰ることにすると、竜宮城の最も若い「牛の餌を司る乙姫」がひとつの箱をくれました。その時すでに、竜宮城には太郎の子供が何人もおりましたが、いつの間にか姿を消していました。そして、姫は言いました、「地上に上がったら、その箱を開けてください。今までの楽しかったことが全て詰まっていますから」そういって彼女は笑いながら泣いてその男を見送りました。

亀に送り届けられた海岸で、太郎は箱を開けました。するとそこには、今まで積み上げられた集諦という苦が充満し、太郎は一挙に歳をとりました。住んでいた村の物は誰一人彼を知らず、太郎は独りぼっちになりました。また色々な病気を患っていたのです。

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↑ 太郎は仏教に助けを求めました。しかし、困ったときだけこうして助けを求めてくる太郎に、今から何をしても間に合う修業はありませんでした。太郎は、その蓄積された集諦を得た時間と同じだけの時を、修行に使うことは出来ないほど老いていました。このままでは、因果の集諦に太郎は押しつぶされそうでした。

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↑ そうして、太郎は密教に出会いました。それは、天尊に直接にアクセスするために真言を何度も唱え、三摩の境地に達し、そして天尊と一体化することで、苦を抜き楽を得るというものでした。
しかし、太郎は自分の中にある何が苦で、何が楽であるかも理解していませんでした。そこで太郎は、仏教を学び、苦と楽の表裏一体、それを乗り越える八正道を理解したのです。

雑念(2).png

↑ そう、今あなたも太郎です。太郎は毎日真言を唱え、自分を苦しめる四苦八苦を調伏しようと頑張っています。なんのために祈り、何を目指すのかを太郎は皆さんと共に再認識したのです。そしてその障害となる雑念の克服をこれから考えるのです。

合掌


















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