2021年04月18日
メロン
もうご存知かもしれませんが、私は嘘つきです。
口を開ければ嘘を吐き、物を書けば虚構の羅列、目をみれば嘘つきと分かる嘘つきです。
こんな私にも子供の頃がありました。
私は小学校を私の歴史の中で三つの時代に分けていました。
分からないままに楽しかったし、人もイジメた無邪気な1年生、2年生の時代
何かをきっかけにイジメられた3,4年生(特に4年生がひどかった)の暗黒時代
ある発表会をきっかけに過大評価され、花のあった5.6年生
たしか、あれがきっかけでいじめられたのです。
図工の授業で果物の絵を書くことになり、家から果物を持ってくるように言われたのです。
いつも思うのですが、私の家はちょうどよいというところをいつも外して、行き過ぎたり
足りなかったり、そういうことで人にからからかわれることが多かったのです。
そして、父と母のどちらが、決めたのかわかりませんが、私は大きな半分か4分の1に
切ったメロンを持っていきました。
みんなが、蜜柑とかレモンとか、ちょうどいい大きさの果物を持ち寄る中、私はメロンでした。
しかも、学校に電車で通っていたので、切ったメロンを袋に入れ、それは大きな荷物でした。
メロン特有の香りが教室に漂い、私は、舞い上がり、どんなメロンの絵を書いたのか
覚えていないのです。でもそれほど難しい形状ではなく、色合いさえ気を付ければそんなに
難しい絵とも思えません。
メロンを持ってきたことが何となく恥ずかしく、あの電車での輸送の苦労を思い返し
学校での用事が終わったにもかかわらず、当然、持って帰るべきところ、私はロッカーに
袋ごと放りこんで、判断を保留したのです。
何かの障害が少しでもあると、判断を保留し、そして外圧がないとそのまま何もしない。
これこそが、この後、彼の人生において何度も遭遇し、その度に、得意の妄語で切抜けて
きた、或はぎりぎりで解決したスタイルの発祥です。
メロンは、ロッカーという私の学校での唯一のプライベート空間に鍵をかけ、長い時間をそ
こで過ごしました。
このロッカーは廊下にあり、そのロッカーの内壁は、両隣のクラスメイトのロッカーと共有
していました。そして、ある日友人が「なんか廊下が臭う」と言い出しました。
もうその頃には、私は自分のロッカーの中の臭いに気が付いていて、自分のロッカーに近づく
ことを辞めていました。ではロッカーに入れる衣類や文房具などはどうしていたのかというと
鞄に詰め、鞄がデブになり、そうして重さに耐えながら、持ち歩いていたのです。
誰かに、あの臭いの原因が、私が以前に持ってきたあの豪勢なメロンであることを知られれば
何を言われるか分かりません。実際、トイレで大のところに入ってもそれを揶揄する連中です。
(と言うか自分も人を揶揄したことがあります。)この臭いの原因が私のロッカーであることが
バレたら何をされるか分かったものじゃない。
イジメの主人公は大体決まっており、イジメられる人間は、その風体、行動、美醜、背の高さ
などで季節によって変わっていきました。また、先天的な要因が無くても、後天的に○○を漏らした
とか、○○を吐いたとか、そういう事件を契機にイジメられるものもおりました。
そしてイジメをする人間の取り巻きか、傍観者もまたシード権等は無く、いつかイジメられる可能性のある予備軍でした。あの日までは、その類まれなる妄語の才能で、そういった立場を回避してきたが、あの豪華なメロンが思わぬ落とし穴になりました。
ところで、もう50歳を過ぎました。どうもそれからが思い出せないのです。
私のロッカーを暴かれたと言う、思い出も見当たらないのです。
ただ、そのメロンの件についてはホッとしたという思い出が微かにある。
何かのドサクサに捨てることが出来たのだろうか?
でも、それからどうやら、イジメの対象になったことを覚えているのです。
無視されたり、筋トレしている医者の息子の力自慢の練習台になったり、
あれはどう考えてもイジメられていました。
5年生になるまで、辛い毎日でした。逆に言えば5年生でどうやってあの境遇を逆転したのか?
それが分からない。それが分かれば、今のどん底の人生を挽回できるのではないか?
どうしてそうなったのか?どうして失敗したのか?どうしてうまく行ったのか?
その因果が分からない、或は関心がない。人生を失敗した最大の原因のようです。
あの学校のどこか片隅で、或は、処分されたロッカーの中で、腐りすぎて最早、臭いを出す
元気も無くなったメロンが、私を「嘘つき」と罵っている夢を今も見るのです。
と言うのは嘘ですが。
合掌
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